惜別 西鉄北九州線

その4 鉄の街を支えて−1 「戸畑幸町」

1978-3-5撮影

※『青文字』は、浦井直彦さん(その1参照)のご教示によります。

若戸大橋バックの写真が撮れる幸町は、「戸畑線」と「枝光線」の分岐点である。分岐といっても、全電車が各方向に直通するので非常に珍しいデルタ線とその内側に、「三角安全地帯」を持つ特異な電停だった。市街地図によると、電車が廃止された現在も「三角地帯」は残っているようだ。ひっきりなしに出入りする電車は「鉄の街」の通勤輸送の中核を担っていた。1976年の訪問の2年後には「炭鉱色」からご覧のような、オレンジとクリームの塗り分けになっていた。

アサヒペンタックスSPF、SPU SMCタクマー55、35、85、120ミリ KR、PX

西日に輝く若戸大橋をバックに筑豊電鉄楠橋行き連接車がゆく。後ろからは続行電車が・・・デルタ線を控えているからこのような運転も日常的に行われていたようだ。

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これが、戸畑幸町の電停!ワイド表示の「進入禁止」標識が面白い。路面電車が発達した街は、慣れないドライバーには恐怖である。写真手前が戸畑(若戸大橋)、左が小倉、右が八幡方面。

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「デルタ地帯」の中から戸畑(左)発小倉方面行きモ141形143をみる。結構「流線形」なのがよく判る。中央の丸屋根がなかなか洒落ている。

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『「都市高速道路」が若戸大橋に直結される少し前にこの三角地帯は取り壊されました』

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同じく、大橋の全景をバックにしたモ561形565。福岡市内線からの転属車。電動機出力やギヤ比は変更されているはずである。

幸町を発車し、戸畑に向かうモ645。左の西鉄バスもピンクと白の新塗装になっている。

八幡方面に向けて幸町を発車したモ301形303黒崎駅前行き。こちらも、福岡市内線からの転属車。1964年九州車輌製。木造車の鋼体化名義だが実際は、殆ど完全に新製車であった。外観も連接車並である。左の「ゼブラバー」は何と、レール!こんなのに突っ込んだら(T_T)。

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