惜別 西鉄北九州線

その4 鉄の街を支えて−2 「八幡界隈」

1979-3-5撮影

※『青文字』は、浦井直彦さん(その1参照)のご教示によります。

北九州といえば、学校時代から「八幡製鉄」と教えられてきた。既に富士製鉄と合併し「新日本製鉄」とはなっていたが、独得の町の雰囲気があった。八幡には、1901年にわが国初の官営製鉄所としてデビウした「東田高炉」が誇らしげにそびえていた。

アサヒペンタックスSPF、SPU SMCタクマー55、35、85、120ミリ KR、PX

名物「東田高炉」をバックに春の町〜中央町間の坂を駆け下りるモ144。この「東田高炉」は、操業停止後も「鉄都」のシンボルとして残された。「スペースワールド」の隣にその威容を誇っている。

同じく、坂を駆け下りる連接車。自動車のデザインが懐かしい。

『写真奥左に「新日本製鉄八幡記念病院(旧八幡製鉄所付属病院)」があります。』

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枝光付近は、現在は様相が一変しています。当方の資料不足により場所、建物が特定できません_(._.)_

『枝光本町電停にて・・バックの建物は「八幡製鉄所本館」(旧八幡製鉄 本事務所)です。製鉄所長執務室が2階にあります。当初は、この建物はそのまま残すということでしたが、「木筋コンクリート製」で老朽化が激しく取り壊されてしまいました。』

・・・わが国の製鉄の歴史を物語る威厳に満ちた建物です。「製鉄所」が「木筋」というのもおもしろいです。「東田高炉」はモニュメントとして残されましたが、こちらは跡形も無く取り壊され誠に残念です。現在は、「八幡ロイヤルホテル」が建っています。

枝光付近の専用軌道を快走するモ587。道路を挟んで国鉄が走る。左に「本館」が見える。上の写真は、反対側から撮ったものである。右側一帯は「スペースワールド」になり、鹿児島本線は別ルートに付け替えられた。

『この風景は、失われて久しいです。「日鉄電設ビル」も取り壊されており本事務所までの地下道だけが寂しく残っており、当時の風情を忍ばせます。(この写真を撮った歩道橋は現存しているそうです)

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八幡駅前電停にて。朝ラッシュ、小倉方面行き電車を待つ通勤通学客で混雑する。

『後方に見える渡り線は八幡駅前どまりの電車用』

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中央町にて。地方都市は、ごらんのようなアーケードが実に多い。電停を降りてすぐが商店街。ターミナル駅のデパートとは違った趣である。

『このアーケードはすっきりと改築され健在です。「ユニード」はダイエー傘下となり名前は残っていない。』

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上本町(かみほんまち)電停にて。「電停名」で思わず降りてしまった。近鉄のターミナルと違い「単なる」電停だ。

『懐かしいです。この写真の右に拙者の通った幼稚園があります。』

戸畑方面から、中央町で本線に合流する折尾行き。前年、廃止になった福岡市内線からの転入車が増えた。

中央町付近を行き交う電車。上の写真は、右の電停から左奥を写したもの。

『中央町付近は町が寂れていることもあってあまり変わっていません。』

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