特集4 惜別 西鉄北九州線

「鉄の街」を支えた屈指の長距離路面電車であった西鉄北九州線は、その基幹産業の衰退と国鉄民営化の波をまともに受け、昨今の「路面電車復権」の声を聞くことなく2000年11月25日に最後に残った折尾〜熊西間が廃止され89年の歴史に幕を閉じました。残った熊西〜折尾間は、傍系の「筑豊電鉄」に貸与されます。こちらは、完全な郊外電車として順調に発展しており広電宮島線とともに日本版LRTの先駆となった。最盛期には、約45キロの路線網を持ち、門司〜折尾の「本線」だけで30キロ近くの「大幹線」であった。福岡市内線とともに、大牟田線より利用客数、収入共に多く九州の地にあって古くから「大手私鉄」の仲間入りしていたのも「路面電車」があったからこそなのである。

私の西鉄初訪問は、1973年だがこのときは大牟田線と福岡市内線だけであった。後の1975年が北九州線初訪問であった。それ以来四半世紀・・・2000年10月、最後の訪問まで数回訪れ、遠隔地の割にかなりの写真を残すことが出来ました。広島、長崎、熊本といった様々な面で脚光を浴びることもなく「晩年」は、衰退する一方の「北九州線」でした。しかし、この頃は「鉄の街」のメインラインとしての輝きは失っておらず、メインストリートを賑やかに行き交う電車は「路面ファン」ならずとも心躍るものがありました。1980年代に入ると「お決まりの」衰退の道をたどり、最後に残った折尾〜黒崎間は、乗り入れてくる筑豊電鉄の電車を除くと、日中18分ヘッドという情けない状態になってしまった。全線廃止は誠に残念ですが、これを機に古い写真の整理を兼ね順次思い出を掘り起こしてゆこうかと思います。しかし、当時の撮影記録は深く埋もれてしまい撮影場所の特定には苦労致しました。当時の市街地図は手元に無く、路線図と現在の地図、目標物を照合してゆきました。

参考文献:鉄道ピクトリアルbQ92、319

そのような中、写真は揃ったものの「説明文」にはもうひとつ自信がもてずにこの特集を開始して暫くして、リンク先より弊サイトにたどり着いたという「北九州ご出身」の浦井直彦さんよりメールを頂戴いたしました。そこには、青春時代に乗った北九州線の熱い想いが綴られていました。又、拙者撮影場所特定をはじめ貴重なご教示も数多く頂戴いたしました。そこで、拙者の写真説明に加え青文字で浦井さんのコメントを随所に付記致しました。

「惜別西鉄北九州線」

  炭鉱色の街  折尾今昔  鉄の街を支えて1-「戸畑幸町」   鉄の街を支えて−2「八幡界隈」  

  鉄の街を支えて−3「黒崎駅前」   斜光線の下で   最期の時まで

 


その1 熊西分岐今昔

最後まで普段着の姿を見せてくれた・・・・・2000年10月7日15:46 熊西にて

キャノンEOS-1VHS タムロンSP28-105ミリF2.8(28) LD 1/125sec. f 5.0 RDPV


 

黒崎車庫西方の熊西は、折尾方面と前述の「郊外電車」筑豊電鉄の分岐する停留所です。頻繁に出入りする電車はバラエティに富んでおり、時間が経つのを忘れる。分岐左が折尾方面、手前が筑豊直方方面、奥が黒崎方面である。写真は有名な連接車1000形で、三車体連接を含み64編成、福岡も含めると100編成近くが存在した。従って細部に渡りバラエティに富んでいる。この1006は1953年に川崎で製造された初期型で、同社独自の「OK台車」を履き前面方向幕が四角いのが大きな特徴である。


同じ場所にてボギー車のモ131。系列は特に名付けられていないが、便宜上「118形」といえる。1939年日車製でウィングバネ台車を履く。前面形状が同期の名鉄の「ナマズ」こと850形に似た「半流」で張り上げ屋根を採用。自動ドアを当初から装備しヘッドライトも屋根上にあったが後に「ヘソライト」に改められた。


熊西を発車した戸畑行きモ601 木造車置き換えと増大する旅客需要を補うため1950〜1953に一気に50両が製造された。やはり細部が異なるが、結果的に「最新のボギー車」ということで仲間の一部は最後まで生き残った。


こちらは1959年製造のグループで、写真は近畿車輛製。台車もシュリーレンタイプを履く。前面はもちろん側面も初期型とはかなり異なっている。


連接車のトップナンバー1001。川崎製エコノミカル台車が良く判る。前面窓が金属押さえである。

その2炭鉱色の街


時刻表今昔。左は筑豊電鉄だけのものだが、片道約240本!右は現在の西鉄・・・1時間3本は寂しい。


どちらも本数が多かったが、今も昔も「並び」のいい写真は残せなかった。三本煙突は今も黒崎のランドマーク。

2000年になってもこんな写真しか残せませんでした。


トップ写真とほぼ同じ場所にて撮影。2灯化改造のモ649。マンションは増えたが余り変化が無い。

共通データ:1976年3月13日 アサヒペンタックスSPF SMCタクマー55、35、85ミリ KR/2000年10月7日 キャノンEOS-1VHS タムロン28-105ミリ F2.8LD RDPV

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