「これを…」
冷たい麦茶を運んできた倫子に、小橋は金の縁取りがされた白い封筒を手渡した。
封を開けるとINVITATIONとかかれたカードが入っている。
「うわー、式の日取り決まったんですね、おめでとうございます」
「ぜひお2人にも出席してもらいたくて急いで刷ってもらったんだ」
倫子は嬉々としてカードを開いた。
「お式…クリスマスイブなんですね、素敵!」
「どうしてもイブに教会で、って聞かなくてね。空きが出来てやっと決まったんだ」
小橋は照れくさそうに笑うと、頭を掻いた。
「高木さん、喜んでいるでしょう」
倫子は、長身の亜希子が雪の中、真っ白なウエディングドレスを身にまとう姿を想像した。
「お2人は? まだお式とかはちょっと無理か…」
小橋が言うと、直江と倫子は、お互いの顔を見合わせた。
「ええっと…まだ届けも出してないんです」
「届けって、まさか、婚姻届?」
「私まだ奥さんじゃないんです」
ふふっ、と笑う倫子を直江は困ったもんだと言わんばかりに見た。
それは6月、外はめずらしく梅雨の晴れ間の青空が広がっていた日のことだった。
「これ…」
買い物を済ませ、いそいで病室に戻ってきた倫子に、突然、直江が茶封筒を差し出した。
「なんですか?」
直江は何も答えず、少し照れくさそうに横を向いた。倫子は戸惑いながらも、中身を取り出し広げると、それは直江のサインが入った婚姻届けだった。
「先生、これ…」
「君が、もし出してもいいと思うなら…都合のいい時に出してきてくれ」
とだけ言うと、横になり静かに目を閉じる。
「先生…」
直江が、自分には何も言わず婚姻届けを用意してくれるなんて…倫子はうれしさで胸がいっぱいになって、何度も何度も読み返した。
しかし、もし子供が出来ていなかったらこれは提出することはなかった。
実際、直江と結婚することなど、倫子はまったく考えもしないことだった。
直江はどんな気持ちでこれにサインしたんだろう。
直江の気持ちが嬉しいからこそ、倫子はこの届けを重く感じた。
「この届け…提出するの少し待ってもらえますか?」
直江はハッと目を開けた。
吸い込まれそうな瞳を見ると、倫子は今すぐにでも婚姻届けを出してしまいたい衝動に駆られた。その瞳は悲しげに倫子を見ると、なにも言わず再び閉じられた。
倫子は直江の誤解を解こうと慌てた。
「違うんです! これはすごく嬉しいです! 先生が婚姻届け用意してくださるなんて思わなかったから…でも、これ」
倫子は、目立ち始めた自分のお腹をそっと撫ぜた。
「これ提出しちゃうと、すべて終わっちゃうような気がして…この子が生まれたら出生届けと一緒に出したい。先生、病気をちゃんと治して3人で一緒に出しに行きましょう!」
直江にはその日が来る自信はなかった。しかし、倫子のその力強い言葉は直江にもその日が来るのではと錯覚させたのだ。
「本当にそれでいいのか?」
「ハイ」
満面の笑みを浮かべる倫子に直江も
「困った奴だ…」
と苦笑するしかなかった。
倫子は妻になる人の欄に、心をこめて自分の名前を書き、判を押した。
2人は顔を見合わせると微笑んだ。その笑顔は幸せそのものだった。
婚姻届けは丁寧に折りたたまれると、もとの茶封筒に収まった。