■ 7 響き1
(今日はここまでにしておこう)
1月1日の日記から読み始めて、『ありがとう、君』の言葉で終わる16日の分まで、わたしは休むことなく読み通した。この16日間で彼は計4回の日記をつけていた。
日記全体を飛ばし読みしてもよかったが、あえてそうはしなかった。もしこの日記のどこかにわたし≠取り戻す鍵があるとすれば、それを見つけるには時系列に沿って順次読みすすめていくのがいいと思った。また、一度に全てを読んでしまうのではなく、ある程度の分量で区切りをつけながら、時の流れを反芻しつつ読み込んでいくことがいいと考えた。書いている彼の気持ちに寄り添いながら読むことで、行間にあるかもしれないわたし≠見つけ出そうとしていた。
4日分の日記にはすべて彼の心の葛藤が綴られていた。医師として病と向き合う強い彼。また、ひとりの人間として死の恐怖に怯え、絶望に押しつぶされそうになり自棄に陥る彼。その心の叫びは、淡々と綴られてはいても、厳かな迫力をもって読み手のわたしに訴えてくる。
残念ながら文面からはわたし≠見つけ出すことはできなかったし、そのきっかけになるような、自分の閉ざされた記憶を呼び覚ますような、そんな何かを感じることすらなかった。また、この日記が偶然にわたしが所持することになってしまったものなのか、それとも何らかの意図があってわたしに託されたものなのか、それすらわかってはいない。つまり彼がわたしと関係のある人なのかどうかもわからない。
そんな状況からすれば、本来、この先を読み続けていく気力が萎えてもおかしくはなかった。が、しかし、彼の叫びが、その迫力が、わたしの心をふるわせ、「わたしを取り戻す」という目的とはまた別にこの日記にわたしを向かわせていた。今やわたしは、関係があるないにかかわらず彼が気になりだしていたのだった。
日記に書かれている内容からして、また、レポート用紙の枚数からして、彼はこのあとじきにこの世での最後の日を迎えたのだろう。その日まで彼はどう生きたのだろうか。
(記憶がないのは本当につらいこと。だけど、絶望してはだめよ。ここに、死にゆく絶望と闘っている人がいるじゃない。自分の死を見つめながらも、ひと(他人)の生に尽くしている人がいるじゃない。大丈夫……、大丈夫よわたしは……)
わたしは彼の日記に励まされていた。
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