■ 5 彷徨3
誰もわたしを知らない。わたしも周りの人がわからない。情けないことに、今わたしとつながりのあるものはこのペンダントとペットボトルしかない。ペットボトルに八つ当たりしてはみたものの、これが今のわたしにとっては命綱。
(とにかく何が入っているのか調べてみよう)
看護婦さんから借りたナイフでボトルの上部を切り裂き、詰め込まれていた紙の束を取り出した。A4サイズのレポート用紙が二、三十枚。パラパラとめくってみると、どのシートも頭の部分に日付が記されている。
(日記だろうか……。わたしの?)
用紙を持つ手に力が入った。鼓動が早くなる。
(わたしがつかめるかも……)そう期待しながらも、一方では何の手がかりもみつからず、立ち直れないくらい落胆してしまうことが怖くて、(どうせわたしとは全く関係のない人のものよね)と、自分を牽制してみる。
深く一呼吸--。束ねられたレポート用紙を脇の机に置き、改めて一枚目を左手で取り上げた。
1月1日
年が明けた。変わったところはない。
元旦といえば「今年はどんな年になるのやら」などと、期待
と少しの不安を抱きながら、これからの一年間の自分を何とな
く想像したりするものだ。が、しかし、今の僕にはこれから先
の自分を見通す気がない。いや、正確に言えば「気がない」の
ではなく「見通せない」のだ。
間違いのない予測を一つ言えば、次の元旦を迎えることはで
きないということ。
キルケゴールは「絶望は死に至る病である」と言った。確か
にそんな気もする。しかし、僕はあえて言いたい、死に至る病
が絶望を生むのだ、と。
絶望と付き合いながら、この先僕は医師としての使命を全う
すべく時を重ねる。この残酷な事実を引き受けた僕だからこそ
できる医療がある。それを続けていく。それが僕の選んだ道。
MMは思ったより進行している。
僕は、春を迎えることができるのだろうか。
(何なのこれ? 誰なのあなた?)
レポート用紙を左手に持ったまま、視線を紙面からそらすことができなかった。しばらく動けなかった。息苦しかった。
このそう長くはない文章を読んでみて、はっきりしたことがある。つまり、少なくともこれを書いたのは自分ではないということ。さすがに「僕」とは書かないはずだ。
(わたしが書いたものではない。誰か男の人が書いた日記だ。とすれば、残念ながらこれらのシートからはわたし≠見つけ出すことはできないのかもしれない。いえ、絶対に無理。だってどうせ誰かが湖に投げ込んだものを、偶然わたしが脇に抱えていただけのことだったんだもの。自分を取り戻すための命綱だと思っていたのに……。どうしよう、どうしたらいいの……)
読み始める前に「どうせわたしとは全く関係のない人のものよね」と、自分を牽制していたはずだったが、そんな気休めはこの突きつけられた事実の前では結局何の効力もなかった。見えかけたひと筋の光すらも絶たれたような、そんな失望感がわたしを襲っていた。
(次の一枚を読むべきなの、それとも……)
病室の外の廊下から幼児の泣き声
母親のあやす声が聞こえる
フト、先ほど刑事が言っていた言葉が思い出された。(「自分で命を絶つ人がいる」と言っていた。もしわたしがそのケースに当てはまるとしたら……。支笏湖を死に場所と決め、この日記とともに身を沈めようとしていたのでは……)
からだがこわばる。(まさか……)とは思うが、それを否定もできない自分。
(もしそうなら……、考えたくはないけれど、もしそうならこの日記を書いた彼はわたしと関係が深いはず……。怖い。怖いけれど、でもこのままじゃ……)
あれこれと考えが頭をよぎるが、どれも確信が持てない。記憶がないのだからそれも当然。迷ったあげくわかったことは、結局まだわたしはわたし≠本気になって追求してはいないということ。
(まだ何もしてないじゃない。そうよ、この日記だってまだ一枚見ただけ。どこかにわたしのことが書いてあるかもしれないじゃない)
ようやく気持ちが定まった。
(読み進めよう)
そう心を決めてみると、今読んだ日記からまた別のことがはっきりとしてきた。これを書いた僕≠ヘどうやら死の病に侵されているらしい。
「わたし≠探す」というはっきりした目的を持ちながらも、(彼はどうなってしまったのだろう)と気にかけながら、私は二枚目のレポート用紙を手にした。
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