■ 14 湖畔の追憶1
緩やかな稜線を描く山々。緑深い原生林。支笏湖は自然の砦に守られるように透明な水をたたえていた。
どこまでも続く青い空には、天使が乗っていそうな小ぶりで柔らかな夏雲がふんわりと浮かんでいる。
夏の日差しを受け、湖面は、細波で輝いている。その光の中をボートが滑るように進む。湖畔ではバーベキューを楽しむグループ。夏休みを利用しての観光客かもしれない。
わたしは湖を一望するようにベンチに腰掛けていた。水の匂い、木々の匂い、この風景。見るもの感じるもの何もかもが、今のわたしには初めてだった。が、どこか懐かしさを感じていた。
考えてみればそれも当然のこと。記憶はないが、少なくとも数日前にわたしはここにいたのだから。でも今感じているのは、「数日前にいた」という感覚ではなく、もっと自分の中の深い部分で、この場所を、支笏湖を大切にしている感覚、懐かしむ感覚だった。
(ここはわたしと先生の想い出の場所なんだわ、きっと……)
ここに来るバスの中で、先生の愛する君≠ニは、このわたしらしいことがわかった。
その時は自分を発見できたことが嬉しかった。先生に深く愛されていたことがわかり、心が熱くなった。
しかし、しばらくしてみるとどうだろう。皮肉なことに、今や、自分を発見できたことでかえって大きな焦りを感じていた。
発見した自分は結局、今のわたしから見ると他人にしか過ぎない。先生の日記を通して、過去の自分を現象≠ニして発見できただけのことであって、それは記憶を取り戻したのとは違う。自分がそこにいるのに、それを自分とは思えない。そのジレンマがわたしを襲い、大きな焦りを生んでいた。
先生の日記を読んできて、わたしは先生に心惹かれていた。死の病におかされながら医師として生き続ける姿勢。真実を語れないことに苦悩しながらも、一人の女性に救いを求めるように惹かれ、愛を育んだ心。
それらに触れ、記憶を失った今のわたしが、日記の中の先生≠ノ惹かれていた。そして実は、その同じわたしが、かつては先生の苦悩を知らぬまま、心の叫びを聞かされることもないままに目の前の先生≠愛していた。
(わたしはどんなことを思っていたの? 何を感じながら先生を愛していたの? ねえ、先生ってどんな表情をしていたの? 先生の声って? 先生の手って? ねえ、誰か教えて。お願い、思い出させて……)
記憶があってはじめて、人格の統一が保てるのだし、理性、感情、行為の連関も確認できる。今、わたしは、記憶がないことに今までとは違った大きな痛みを感じていた。
(先生を愛していた実感がない……。先生に愛されていた実感が欲しい……)
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