■ 13 湖への道
(支笏湖に行けば……)
千歳市街から支笏湖に向かうバスの中。わたしはしむらのりこ≠ウんが泊まることになっていたペンションの案内図を手にしながら、湖に思いを馳せていた。湖畔に立つことで何かがつかめると信じていた。
バスの車窓を流れる景色は、先ほどまでの街並みから、気がつけば万緑の樹林に変わっていた。
昨日、再び支笏湖を訪れてみよう、と決心をしたわたしは、早速、主治医に外出の許可を求めた。自分の今の心境、置かれている状況を説明し、結果、事前に警察にはその旨の話をしておくこと、そして必ず夕食までには病院に戻ることを条件に外出を了承してもらった。
昼食を終えたわたしは、病院に担ぎ込まれた時に着ていたというブルーのサマージャケットとジーンズに着替えた。衣服を着替えると気持ちにも張りがでる。ペンダントを身に着け、先生の日記を看護婦さんから借りた手さげ袋に入れ、支笏湖行きのバスに乗り込んだ。
読み残している日記はレポート用紙にしてあと数枚。支笏湖を訪れる前に全てを読み終えることもできたが、自分≠取り戻す手掛かりをつかみかけているだけに、あえてそうはしなかった。慎重に事を進めたかった。それに、あと数枚しかない先生の日記をあせって読みたくもなかった。先生の最期を知るのが、その事実に直面するのが、怖くもあった。
(今日の支笏湖での一日を通して、先生の最期に触れたい。そうすることがわたし≠取り戻すことにつながる気がする……)
そう感じていたわたしは、バスに乗り込んでから、持ってきた日記の内のまだ読んでいない数枚に目を通し始めた。
3月5日の日記だった。先生の愛する君≠フバースデイを祝った夜のことが綴られていた。
読みながらレポート用紙を持つ手に思わず力が入った。
(日記に出てくる看護婦さんって、先生の愛する君≠チて……、わたし?)
動揺していた。いや、衝撃を受けたと言った方がよいかもしれない。文面には彼女を特定する描写があり、それを見てわたしは衝撃を受けていた。内容からすれば、君≠わたしと考えるのが自然だった。
もう一度、その部分を読み返した。
バースデイ・プレゼントはアクアマリンのペンダント。これ
が君への最初で最後のプレゼントになるのか……。君を包み込
むようにしてペンダントをつけてあげた。僕を見つめる君の眼
差し、その微笑を僕は忘れない。
今度の僕の誕生日。僕をボートに乗せてくれるのだと君は言
った。君の漕ぐボート。張り切る姿が目に浮かぶ。どんなに楽
しいだろう……。
しかし、現実には僕が誕生日を迎えることはない。その頃、
僕はもうこの世にいない。
でも誕生日の8月9日に、君にボートを漕いでもらいたい。
僕は君の漕ぐそのボートに必ず乗りに行く。陽光を浴び、風を
感じ、水の音を聞く。君と向き合い、僕はそのボートにいる。
一緒に乗ろう……
(アクアマリンのペンダントって、これでしょ)
わたしは、胸元のペンダントに触れてみた。
(これは先生がわたしに贈ってくれたものなの?)
指先でティア・ドロップ型の形状が確認できる。
(8月9日は先生の誕生日だったの……)
日記の中の君≠ェわたしだと仮定すると、ここ数日わたしが感じてきたことと、日記に記されていることが、幾つもの点でつじつまが合う。
わたしが医療に通じているのも当然。だって看護婦なのだから。
8月9日に思い入れがあるもの当然。だって愛する人の誕生日なのだから。
(この君≠チて……、先生が最後にめぐり逢った、先生の愛するその人って、このわたし……)
仮定が確信に変わろうとしていた。
(君≠ヘわたしなのね)
自分を取り戻す手掛かりをつかんだということもあるが、それ以上に、自分が先生に愛されていたこと、そして自分が先生を精神的に癒せていたことがわかり、気持ちが高ぶった。
バスの窓からは、万緑の原生林に囲まれ夏の陽に蒼々と輝く支笏湖が望めるようになっていた。
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