2年前,もう3月だというのに思いがけず大雪が降った次の日に,七瀬は直江と会った。
「まったく,早く来て雪かきをやろうって奴はいないのかね」
「あの...手伝います」
文句を言いながら雪かきをしていた七瀬の後ろで声がした。
振り返ると,一人の青年が立っていた。それが直江庸介だった。
七瀬が何か言う前に,彼は持っていた鞄を置いて,雪かきを手伝い始めた。
「君,ずいぶん慣れているようだな」
「北海道で育ったもので,これくらいの雪には驚きません」
「一人でどうしようかと思っていたところだった。助かったよ」
直江は臨床の勉強をするために七瀬の病院にきたのだった。
まだ医者としては駆け出しだったが,熱心な仕事ぶりと親切な診療で患者にも信頼された。
加えて端正な顔立ちと人当たりのよさ。看護婦たちにも人気があった。
七瀬の妻は病弱だが料理が得意だったので,七瀬は一人暮らしの直江をよく連れて帰った。
七瀬の一人娘はすでに嫁ぎ,夫婦は二人で暮らしていた。
だから,二人とも直江を息子のようにかわいがっていた。
直江には奈緒子という恋人がいた。一度七瀬の家に連れてきたことがある。優しい女性だった。
医者はいつも神経を張り詰めて仕事をしているものだから,彼女の優しさは直江を癒すだろうと,七瀬は思った。
『それが,どうだ。直江は治療もしないで自分の体を実験台にしようとしている。
あいつのことだ。彼女にも本当のことは言わないのだろう。
将来を嘱望されていた直江。どうしてあのような若者が病に冒されなくてはならないのか。
一人で東京へ行くなどと。専門の私がそばにいながら,なんてことだ。』