「病院休んだんですって? 具合でも悪いの?」
「いや。ちょっと北海道に戻っていたんだ。」
「びっくりしたわ。部屋にもいないんだもの。」
「すまなかった」
電話は奈緒子からだった。
長野に来て初めて行ったスキー場で,自分の目の前で派手に転んだのが奈緒子である。
直江の応急処置によって,彼女の怪我は大事に至らなかった。
彼女とはそれ以来のつきあいだ。
医者という職業は時間的制約が多く,普通の会社勤めをしている彼女とは思うように会えなかった。それでも,彼女は不満らしいことは言わない。
直江の仕事も,仕事に対する直江の情熱も理解してくれる,包み込む優しさを持った女性だった。
彼女には父親がいない。昨年胃癌で亡くした。母親は本人への告知を拒否した。
奈緒子はそんな母親を支え,最期まで父親の前で明るく振る舞っていた。
その反動か亡くなってからの消沈ぶりは激しく,あまりの落ち込みように直江もただ黙ってそばにいることしかできなかった。
ようやく笑顔を見せるようになったのは今年に入ってからだ。
このままつきあっていればいずれは結婚するだろうと,直江は思っていた。数日前までは。
『彼女には言えない。彼女には耐えられないだろう。きっとオレ以上に涙を流す。
それでも,きっとオレの前ではあのときのように笑顔を見せ続けるだろう。
そんな彼女は見たくない。また同じ思いをさせるなんて,できるわけがない。』