『寒い...』
どのくらい時間が経ったろう。あたりはいつのまにか薄暗くなっていた。
寒さを感じて我に返った直江は,死ぬことを考えていた自分が寒さを感じるなんて可笑しいと思った。
そして...さっきまでの気持ちと裏腹に,『死』が怖くなってもいた。
直江は今まで医者として患者の死に幾度か遭遇してきた。
『死ぬということはこういうことなのか』
直江は患者の気持ちが初めてわかったような気がした。
『生きていたくない』という気持ちと,『死にたくない』という死への恐怖。
今まで自分が看取った患者も,今のオレのような思いだったのか。
そう遠くない未来に『死』が訪れる者にとって,自分の運命を悟ってから『死』までの道程は恐ろしく険しく感じることだろう。
人間というものは自分の死期を悟るものだ。誰に言われなくても自然と気づく。
そして,死期を悟った患者がつく嘘を,直江は知っている。死を目前にしながら家族につく嘘。家族を安心させるための嘘。
どうして嘘などつくのか。『死にたくない』と泣き叫んだほうがよほど正直だ。
悲しみを自分一人の胸に押し込めたまま死んでいくことが,直江には理解できなかった。
家族は告知しない,退院したあとの話をして元気づけようとする。患者はそれが叶わないと知りつつ,その嘘に合わせ,笑顔を見せる。
しかし,.患者も家族も相手のいないところで涙を流すのだ。
そういう,いわば『嘘で成り立った』患者と家族の関係を,直江は見てきた。
そして...最後には家族のつく嘘の中で患者が息を引き取ることも。
『人間は嘘の中でしか死を受け入れられないのかもしれない』