「直江先生,今晩お食事ご一緒しません?」
「いや,今夜は用事があるので」
「いつ誘ってもいいお返事をいただけないのね。嫌われているみたい。」
「そんなことはないですが...」
「じゃあ,次は絶対ですよ」
院長の娘三樹子は,最初から直江に対して積極的だった。
病院の経営を手伝いながら雑誌のモデルもしている彼女は,ストレートに直江を誘ってきた。
もう誰も愛さない,直江はそう決めていたから,三樹子の誘いに応じなかった。
女性など煩わしいだけだ。
ある日,病院で激しい痛みに襲われた。
このような痛みに襲われるなど初めてのことだった。
幸いあたりに人はいなく,しばらくじっとしていたら痛みもおさまった。
このような症状が遅からず始まることは予想していたはずだった。
だから,そう驚くことでもない。
しかし,衝撃は大きかった。病院でというのが一番ショックだった。
病院で医者として患者と接すること,その職務の最中にこれからこのようなことになるのだ。
いつ痛みが始まるかもわからない。手術中ということも考えられる。
覚悟していたはずだったのに,あらためて現実を突きつけられた感じがした。
死が一歩近づいてきたのだ。
病気のことを忘れたかった。あの日以来,一瞬たりとも忘れていない。
いきつけのバーに行ってしたたかに飲み,店の外でタクシーを待っていた,三樹子に声をかけられたのはそんなときだった。
飲んでも飲んでも忘れられない。飲んでなお恐怖が増幅される気がしていた。
誰でもいい。忘れさせてほしい。一人でいたくない。
だから,あの夜は三樹子を拒めなかったのだ。