行田病院はできたばかりの新しい個人病院だ。
あまり規模は大きくないが,設備は整っていた。
直江が個人病院に勤めるのは初めてのことだった。
行田病院の外科にはもう一人,小橋という医者がいた。
大学病院から招聘されてきたエリート医師である。
直江よりも5歳年上でキャリアもあり優秀な医師だった。
小橋を見ていると長野にいた頃の自分を思い出してしまう。
直江も長野にいた頃は小橋のように将来を嘱望されていた。
小橋の,何の迷いもなく医療に専念するその姿がうらやましかった。
しかし,小橋をうらやましいと思う気持ちは,行田病院にきて数日で消えてしまった。
行田病院で勤務する時間が増えるにつれ,直江は『自分にしかできない医療』のこと以外は意識の中に入れようとしなくなっていた。
長野にいた頃とは違い,人とのつきあいも避けてしまいがちだった。どうせ長い付き合いでもない,あまり親しくならないほうがいいと思ってしまうのだ。
面倒くさい人間関係に巻き込まれるのも御免だった。
いつしか,直江は『近寄りがたく,無愛想な医者』と思われるようになっていった。
「直江先生,この患者さんの症状なんですけど,どう思われますか」
「小橋先生の診断で十分でしょう」
「しかし,直江先生のご意見を聞かせてください」
「いや,私は自分の患者で手一杯ですから」
直江の腕を信頼して,小橋は直江に意見を求めることがあった。
しかし,直江は自分の診断を話すことはなかった。
そして,自分の患者についての意見を誰に求めることもなかった。
直江は同僚からみれば単独行動が目立つ。スタンドプレーととられることもある。
自分のことは話さない。そして...滅多に笑わない。
直江が饒舌に話し時折り笑顔を見せるのは患者に対してだけだった。