――カチ、カチ
マウスが発する無機質な音が部屋の隅にまで届いていた。中江は愛用のマグカップを手に、先日の結子とのやりとりを思い返しながらノートパソコンと向き合っていた。
中江は結子からプレゼントをもらっていた。
先日の撮影の合間のこと。突然、結子が目の前にブルーの紙で包装された品物を差し出してきた。開けてみると煎餅だった。
「何だよ、これ?」
「バレンタインデーですから」と屈託なく答える結子。
「志村さー、バレンタインデーにはチョコレートじゃないの?」といぶかしげに言うと、
「そうなんですけど……。でも、今私が気に入っているものをプレゼントする方が気持ちが入っているのかな、と思って」と結子は微笑みを返してきた。
中江はインターネット・ショップをランダムウォークしながら「『気持ちが入っている』か・・・。どういうつもりなのかね」と、その日のことを思い出しながら一人つぶやいた。
中江義広。
人気絶頂の五人グループMAPSのリーダー。十八歳でデビューして十年、浮き沈みの激しい芸能界で常に光を放ち続けている。ステージでのエネルギッシュなダンスは、グループの中でもひときわ輝き、ファンを魅了している。さまざまなバラエティー番組にも出演し、時に「お笑い」をやり、時にシリアスなテーマで議論もする。彼が大人から子供まで幅広い層に支持されているのは、格好の良さと「隣のお兄ちゃん」のような親しみやすさを兼ね備えているからだ。
MAPSで同じ歳の木浦卓也が、どのような状況に置かれても、どのような役を演じても、そこに「木浦」という個性が色濃くにじむのに対し、中江は置かれた状況、演じる役どころに合わせて、自分のトーンを変えることができる。そのことに無理が見えず、自然体で状況に同化できる。それが中江の巧みさであり、その器用なところが個性と言えば言えなくもない。
MAPSとは、メンバー五人が、一人一人違った世界・地図を持っていて、その個性が寄り集まったグループという意味で名付けられたもの。その個性派集団が一つにまとまり、グループとしてのいい彩りを出せているのは、中江の人間性、高いリーダーシップによるところが大きい。
「んー、これにしよう」
中江はそうつぶやき、机の上にある「KENT」とラベリングされた白いパッケージに手を伸ばした。
(もうじき撮影も終わってしまうしな。ただ単にお煎餅のお返しをするだけじゃなくて、折角だから、遅ればせながらの誕生日のプレゼントも兼ねることにしよう。あいつ、確か十二月生まれだったな)と思いながらパソコンに映し出されている商品を見つめていた。
来週には北海道ロケを控えている。中江はその時に結子にプレゼントを渡そうと考えていた。バレンタイン・プレゼントのお返しなら何も悩む必要はない。慣例に従ってしゃれたキャンディーでも贈れば済むことだ。しかし、なぜかそういう気持ちになれなかった。いや、逆に結子の印象に残るものを贈りたいという気持ちが強かった。
中江はこれまで、あまり女性にプレゼントを贈ったことがない。それは生来の恥かしがり屋だということに因っている。恥かしいという気持ちが先に立ち、そういう行為にブレーキがかかってしまう。そんな自分を知っているだけに、今回結子にプレゼントをすべくあれこれと物色をしている自分に驚いている。
(俺が納得のいく演技ができているのはあいつのおかげなのかもしれない……。今回演っている医師については、自分の中にその要素が一パーセントもないと思っていた。けど、あいつの存在が俺を役に引きずり込み、自分でも気がついていなかった自分の中の要素が引き出されているような気がする)と思うようになっていた。
「気になるんだよなあ……」
煙を吐き出しながら、中江はため息に似た声を発した。