トントン
ドアをたたく音が聞こえた。
「はい。」清美が立っていき、ドアを開けた。入り口にいたのは、小橋だった。
「志村さん、おめでとうございます」
小橋は深々と頭を下げた。
「小橋先生、そんな・・・」
それは少し異質な感じがした。どうして小橋がそんなにことをするのか、二人にはわからず、とまどいが先に立った。
「尊敬する直江先生の奥様ですし、志村さん自身もりっぱな方です。」
倫子は顔を赤らめた。
「私、奥様じゃありませんわ。それに別にりっぱじゃありません。」
「いいえ、あなたは直江先生が生涯で唯一尊敬し、愛した女性です。僕は一度直江先生のマンションを訪ねたことがあるんです。
そのとき実は僕は先生の病名を知っていました。
そしてそのとき入院して治療するように勧めたんです。先生の才能が惜しいとおもったんです。そのとき直江先生は、自分は医者としての自分をまっとうしたい、そして、あなたには自分の病気のことを知られたくないと言いました。そして今一番怖いのはあなたから笑顔が消えることだと。
それを聞いて僕は直江先生に冷静にここまで決意させたあなたはすごいと思いました。そして自分が勧めようとしていることが無駄なことを悟りました。自分にできることはこれからおきることを静かに見守るしかないことを知りました。
そして直江先生は静かに自分の信じるところを全うしました。あなたがいなかったらあれだけりっぱに全うできたかどうかわかりませんよ。その先生が愛した女性です。自信をお持ちになって下さい。」
倫子は初めて聞く直江の一面に驚きを隠せなかった。それと同時に小橋が自分をかってくれていることを感じ、それは直江の言葉からでたことであると知って喜びもひとしおだった。
「ありがとうございます。」
倫子の顔に一瞬、あの春のような笑顔が浮かんだ。清美はその顔をみて安心した。
そして1年過ぎても娘の心には直江がしっかりと根を下ろしていることを改めて感じるのだった。
直江先生、娘を頼みます、清美は心の中でつぶやいた。
「志村さん、お嬢さんに会わせていただけますか?」
小橋がいたずらっぽいまなざしを向けた。
「はい、どうぞ。」
倫子が答えると小橋は後ろから花束を取り出した。
「若い女性には花をね・・・」
「あら〜」
清美がハンカチで口元を押さえた。
「志村さんの分ですか?こちらですよ。」
その手にあるのはたんぽぽの花だった。
「こんな冬に春を・・」と言いかけて、倫子は直江も同じことを言っていたことを思い出した。小橋はどこからそんなことを聞いたのだろうか?
「小橋先生、ありがとうございます。」
「直江先生の代理でお届けしただけですよ。」小橋はそういって笑い、赤ん坊に目を向けた。
「親子ですから当然て言えば当然ですけど、直江先生に似てますね。女の子は父親に似ると幸せになれるって言いますからね。」
小橋は赤ん坊にくったくない笑顔を向けた。
「小橋先生の顔、子供みたい。」
倫子は声を立てて笑った。清美はそれをみてそっと目元をぬぐった。
「志村さん、なんていう名前なんですか?」
小橋が倫子のほうをふりかえった。
「直子です。」倫子が答えた。
「直江先生の直に志村さんの子ですか?いいですね。」
「はい、それと真っ直ぐに生きてくれるようにと。」
「直江先生もお喜びになるんじゃないですか?」
小橋の言葉に倫子は自分の判断はまちがっていないと自信を深めた。