気がつくと、倫子は病室にいた。
夢だったのか、現実だったのか、倫子にはどうしてもわからなかった。わかるのは、今日、自分は先生と私の子供を産んだということだけだった。
そばに寝ているこの子は現実。さっきの出来事は?
誕生日まで待ってみよう。今の倫子にはそう考えるしかなかった。
「倫子。」心配そうに清美が入ってきた。
「ずいぶん時間がかかったから心配したのよ。」
実は分娩室に入ってから産まれるまでかなりかかったのだった。医者によるとそんなにかかるはずではなかったとのことだが、その間、幾度となく倫子は意識を失いかけ、危険な状態だったのだった。清美はそのことは触れずに言葉を続けた。
「帝王切開になるのかとおもったわ。でもね、なぜか始まったら順調に赤ちゃんが出てきたんですって。」
そういって倫子のふとんをなおした。
倫子は母の言葉を聞きながら、直江のことは黙っていようとおもっていた。あのことは私にとって大切なことだから、他の人にどうこう言われたくない。
答えない倫子を不安におもった清美がまた声をかけた。
「大丈夫?」
倫子は静かに微笑んだ。この言葉、直江先生が言うと安心するんだけど。
それをみた清美が言葉を続けた。
「赤ちゃんにはなんてつけるの?」
倫子は男の子が生まれたら、直江の名前をもらって付けようと決めていた。女の子の名前は不思議に考えていなかった。母に言われて倫子は考え込んだ。
父の名字を名乗れない娘。でもこの子には父のことはけっして忘れないで、まっすぐに生きてほしい。父が生きたように、そして母である自分もそうありたいと願っているように。
「直子。」
自分が思っているよりもずいぶん時がたっていたらしい。
清美の話をさえぎって、突然つぶやいた。
「えっ。」
我に返ると心配そうに清美が顔をのぞき込んでいた。
「赤ちゃんの名前、何てつけるかって言ったでしょ。」倫子は続けた。
「私、直子ってつけたいの。この子には真っ直ぐ生きる子供であってほしい、自分の信念に向かって。それにこの子は父親の顔を知らない、名字も名乗れない。だからせめて名前にはその面影を残しておきたいの。」
言い終わると、倫子は訴えるように母をみた。その真剣なまなざしに清美はふっと微笑んだ。
「いいんじゃない?志村直子。かわいいわね、きりっとしてるし。」