「はい、息吸って・・」分娩室に看護婦の声が響き渡る。
外は雪。きっと湖も一面の銀世界だわ。
あれから1年、倫子は今、出産の時を迎えていた。看護婦として、出産ということは学んでいたし、立ち会ってもいた。しかし実際体験するのは、もっと大変なのだと実感していた。
−私、ちゃんと産めるのかしら?−
検診のときにみた夫婦の会話が頭をよぎる。
「ね、出産の時はちゃんと休みとってね。」
「だいじょぶだ。上司に何ていっても休みはもらうから。」
「きっとよ。」
「ああ、約束だ。ちゃんと立ち会うから。」
−この人たちは立ち会い出産なんだ。でも私には立ち会ってくれる夫はいない。
1人でがんばらなきゃ。直江先生と私の子供・・・−
そんな倫子の耳に忘れられない声が聞こえてきた。
「倫子、倫子の笑顔が大好きだ。君はそんな顔をしていちゃいけないよ。」
「直江先生、直江先生」
倫子は夢中で直江の名前を呼んだ。倫子の目には直江の姿はうつらない。
「倫子、僕はいつも君のそばにいるよ。大丈夫だ。」
−直江先生がいつも患者さんに向かって言っていた「大丈夫」ってこんなにも勇気づけられるものだったんですね。−
その声に後押しされるように、赤ちゃんが泣き声をあげた。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
とても元気な明るい声。その場の雰囲気が一変した。
「志村さん、生まれましたよ。志村さん。しっかり。」
倫子のそばにつれてこられたのは女の子だった。心なしか直江に似ていた。
−私は直江先生に見守られながら、産めたんだ。先生は立ち会ってくれたんだ。先生は生きていたら忙しくて、きっと立ち会うなんて思いも寄らなかったんだろうな−
そう思うと倫子はおかしかった。倫子は幸せだった。直江先生が大好きな笑顔でこの子も笑ってくれたら・・・、そのとき赤ん坊は母親の顔を見つけてにっこり微笑んだ。
「生まれてきてくれてありがとう。」
そうつぶやいたとき、また声が聞こえた。
「倫子、ありがとう。君の誕生日は一緒に過ごそう。空けておいてくれ。」
「先生?」