■昔のことは忘れた。これからのことも。
三樹子も実は直江の過去が気になっている。過去を気にしているというより、自分のことは何も話そうとしない直江が何を考えているのか知りたがっていた。
何を考えてるか分からない。一体どういう人なのだろう。元々無口な人なのだろうか。
三樹子からの、長野で付き合っている人はいたのか、その人はどういう人か、などという質問は直江にとっては今となってはどうでもいいことだ。
恋人はいたし、友人もたくさんいた。理解し合える同僚もいた。その大切な人と別れてまでも、最期までたった一人で医者として生きる決心をして東京に来たのだ。
『昔のことは忘れた』
一人で東京に来たときに捨て去った過去のことなど、今さら振り返れるはずもない。振り返ればせっかくの決意が揺らぐ。
『これからのことも』
これから=未来のことなど考えることはやめた。残りわずかの人生は、ただ医者として生きるだけなのだから、ほかのことに思いをめぐらす必要などないのだ。
私の願望としては、この言葉は決して、『面倒くさいこというなよ。今が楽しければそれでいいじゃないか』という意味しか持っていないものではない言葉だと思いたい。
三樹子との関係には何の発展性もない。過去のことを話さなくてはならないほど深い関係にはしたくない。この話はここでやめにしなくては。
直江にそういう気持ちがあったからだと思いたい。三樹子に対する思いやりが、一見自嘲気味の言葉を言わせたのだと思いたいのだが。。。
この言葉とは直接関係ないが、三樹子の手術後、直江は三樹子との関係を倫子に話そうとする。『過去のことは忘れた』というほどの直江が、『過去の女性関係』を倫子に話そうとする。
果たして直江は何と説明するつもりだったのだろうか。やはり三樹子のこともそのときは愛していたと言ったのだろうか。
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