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■君のお母さんに会って 君もいつかこんな素敵な母親になるんだろうなって。
 いつか君が愛する人の子供を産んだとき、僕は笑顔で祝福したい。

(2001.11)
なんだかこの言葉の意味をまた深く考え始めてしまった。以前私が考えたのは下記に記したが、放送から8ヶ月たった今あらためて。彼はなぜこんなことを言ったんだろう。
「君のお母さんに会って 君もいつかこんな素敵な母親になるんだろうなって」
こういって彼はどこか遠くを見るような目をした。しかし、それは悲しい目ではなくて何か懐しむような愛しいような、そんな目をしていた。その表情を見ていたら、以前私が考えていたことは違うような気がしてきた。
彼が見ていたのは、叶なうはずのない二人で歩く未来、願わずにはいられなかった未来ではないだろうか。
彼女の母親に会ったことで、きっと倫子の未来を考えただろう。彼女もやがては結婚して子供も生まれるだろう。しかし、その相手は自分ではないのだ。
『君が素敵な母親になるのを見たかった。君が僕の子供を産んで母親になる姿を』
『その君のそばにいられたらいいのに』
そう思ったのではないだろうか。不可能なことは知っている。でも、そうできたらどんなにいいだろうと思う。この言葉は言おうと思って言った言葉ではなく、ふっと思い出して口にした、そんな感じ。
そして、そばにいたいという彼の願いは叶えられなかったけれど、『僕の子供を産んで』という願いは叶えられた。彼の気持ちが真剣だったから願いが通じたのだろうか。

「いつか君が愛する人の子供を産んだとき、僕は笑顔で祝福を送りたい。」と言った。
前の言葉とは対照的に、この言葉を言った彼はひたすら倫子のことを思っている。
『悲しまないで君は君の人生を歩いていってほしい』
『歩く道の先に別の男性がいたら自分の気持ちに正直になって』
『君が幸せになるのが僕の願いなんだから』
最後までつくづく優しい人だなと思う。

(2001.8)
下記の文章を書いてから数ヶ月経った今考えてみると、やはり直江は自分の子供ができているかもしれないなんて考えていなかったのではないかと思えてきた。
今ビデオを見て倫子は泣いているだろう。もしかしたら自分自身を責めているかもしれない。泣かないでほしい。僕のことが君の人生の足かせになってはならない。だから直江は君は僕を救ってくれたと言い、そして「君にはこれから明るい未来が待っているんだからね」という意味で子供を産んだときのことを話したのではないだろうか。
結果的には、直江の子供の存在がより彼女を強く生きさせることになるのだが、そのような効果?までは直江も想像していなかっただろう。

(2001.5)
最初にこの言葉を聞いたとき、この言葉は倫子を束縛しないための言葉だと思った。いつまでも自分のことにこだわらないで。そういう意味だと思っていた。
しかし、よく考えてみると、ビデオレターで子供を産んだときの話をするのは,やはり唐突すぎる。そういう意味なら「これから君に愛する人ができたら祝福するよ」 と言えばいいのだ。何も彼女の母親のことまで出して子供の話をする必要はない。
そう考えると、直江も『もしかしたら』という気持ちがあったからそう言ったのではないかと思えてきた。可能性があるかもしれないから言っておかなくちゃと。 もしかしたらと考えたとき、倫子なら生むはずだと直江も考えるだろう。本当は「もし僕の子供を身ごもっていたら祝福するし,君にはすてきな母親になってほしい」と伝えたかったのだろうと私は思う。
しかし、「僕の子供を産んだら」などという直接的な言い方はできない。それこそ彼女を束縛することになる。もし身ごもっていたとしても、産むかどうかは彼女が決めることだ。
残される倫子は直江先生のものではない。直江は彼女を束縛したいとは思っていない。ただ彼女の幸せを願っているだけだ。倫子を一人の女性として、あらゆる可能性を考えた上での言葉なのだと思う。
もちろん、直江は倫子が身ごもっていることは知らないわけで、彼女が将来生むであろう子供の父親は、自分ではない可能性のほうがはるかに高いのだから。
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