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■死んでいく家族を目の前にして悲しみを与えることに何の意味があるんです。
直江は石倉の病気を彼の妻に最後まで隠し通すが、それはこのような強い信念があったからである。あと数ヶ月のちに確実に訪れる死を家族に伝えるべきではないというのが彼の信念である。

残された時間を悲しみに暮れて過ごすより、笑って過ごした方がいい。患者は言われなくても死期を悟る。そのとき、そばにいる人が泣いているより笑っていた方がいい。その時がくれば悲しみのどん底に突き落とされるのだ。ならば、それまで悲しませたくない。
この境地は、やはり自分が身をもって感じたことなのだろう。だから、自分の病気のことも倫子に話さない。
公式HPに「彼女なら最期まで明るく直江を支えられたはずなのに」という意見があった。私もそう思う。直江の横で明るく話す彼女の姿は容易に想像できる。
しかし、たとえそんな彼女でも彼のいないところでは泣いてしまうだろう。どんなに気丈にしていても、悲しみを背負っていることに変わりはない。そして直江はいくら自分の前で彼女が笑っていても、影で泣いているだろうと考えてしまう。そうなってしまってはお互い不幸だ。
それに、 彼が生きているうちはまだ救いがあるが、生きているうちに抱え込んでしまった悲しみは、彼がいなくなった後で倍増されるのではないだろうか。

小橋は「分かっていたら話したいこともあったと、もっとしてあげたいこともあったとそう思うんじゃないですか」 と言ったが、事前に知っていたとしても「もっとしてあげたかったこと、話したかったことがあったのに」という悔いは必ず残る。

悲しみに暮れる期間は可能な限り短くしてあげたい。残される彼女にしてあげられることはそれくらいなのだから。

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