■死んでいく僕だから見える医療がある。
長野時代、今から2年以上前に彼は多発性骨髄腫を宣告された。恩師はその専門医であり、おそらく彼も症例を何人も見てきたことだろう。その不治の病に自分も侵されていると知ったときの苦悩は計り知れない。
いよいよこれから医療の第1線で働こうとしている矢先の出来事。 彼が上記の境地にいかにして達していったのかを考えると、胸が締め付けられる。想像を絶するような苦悩と葛藤の日々が続いたのだと思う。
まず、自分の命があとどのくらいかということを事実として受け入れなければならない。次に、限りある時間で何ができるかということをポジティプに考えなければならない。自分には時間がない。これから先どうすればいいのか。
その過程において、彼の恩師七瀬先生の影響力はかなりあったと思われる。父親のように彼を心配し、七瀬先生もまた苦悩の日々を過ごしたことだろう。
葛藤の果てに、彼は医者としてやっていこうと決めた。そして、ここにいてはだめだ、と。このままここにいたら、きっと自分は七瀬先生に甘えてしまう。もたもたしている時間はない。自分に気合をかけるように追い立てて、見知らぬ土地に行こうと決めたのだろう。その精神力たるやすざまじいものがある。
自分を医者として奮起させるためには自分の病気のことを誰も知らない環境でやるしかない。ときに孤独に押しつぶされそうになり、ヤケになって酒や女に溺れることもある。しかし、そんな中で彼は病気と闘っていたのだ。
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