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第1話 誰も愛さない医者

■ストーリー
オンエア時、私は初っ端のボートのシーンからのけぞった。
『直江先生がボートに乗っている』
思えば、私は最初から「渡辺淳一の無影燈」としてドラマ化されることを疑わず、主役の二人が原作に比べてあまりにも若すぎるところからして、既に原作どおりではないことなど全く考えもしなかった。本当ならここで原作とは違うものだと気づくべきだったのだ。おかげでドラマの素晴らしさに気づいたのは1ヶ月以上経ってからだった。

最初の川原でのシーン、当初二人はすれ違って顔を合わせない設定だったようだが、実際には直江は倫子を認め(たように見えた)、倫子も直江の存在に気づく。直江の方は倫子を(多分)覚えていたが、倫子は男の人がいたくらいでそれが直江であったことは覚えていない。
お互いがお互いを認識するのでもなく、二人ともが出会ったことなど忘れてしまうほどのすれ違いでもない。
【直江は覚えていたが倫子は覚えていない】この設定が微妙だ。

直江に対する倫子の印象は『何考えてるか分からない人』。当直なのにお酒を飲みに行くし、患者をトイレに入れるし、訳ありげな女性もたずねてくる。
倫子は直江にくってかかるが、こともなげに「そのことで君に迷惑をかけたか」と言われ「いやなら辞めればいい」と突き放される。
そして最後が強引なキスときたもんだ。最初の印象は最悪。しかし、やがて。

1話から登場する二郎も倫子の母親も小夜子も原作には登場しない。ただ、患者をトイレに入れる話は原作にある。このエピソードの印象はかなり強烈で、私が原作を読んだのは10数年前だが、このエピソード及び番組タイトルに「影」という文字が入っていただけで、私は原作が「無影燈」であることが分かったくらいだ。

1話の段階で既に直江は小夜子とフロノスの受け渡しをしていたようだが、小夜子に笑いかけている直江を見ると、彼も案外楽しくやっていたんじゃないかと思う。彼が笑うのなんて、その後もほとんど見られないからだ。三樹子ともつきあっているし、この頃はまだ病状もそんなに悪くはなかったのかもしれない。

最後のキスシーンは、やはりフロノスの空きビンにつまずいた倫子が、何につまずいたのか見ようとしたために咄嗟に出た行動だと思う。ここにあのモノローグ『もう人を愛することはないと思っていた。でも、いつの頃からだったろう、君と出会い、自分の中で何かが変わり始めたのは』が入ったということは、このシーンも彼にとっては忘れられないことだったのかもしれない。

■感想
私は中居さん演じる直江庸介があまりに原作と違うため、「やっぱ直江先生じゃないじゃん」と思い「配役に無理があるよなぁ」と思っていた。
しかし、10話のすべてを見た今、改めて1話を見ると、やはり既に最初から彼は直江庸介になっていたと思う。もちろん、後半に比べればかなり中居寄りではあるけれど、「人生に投げやりになり、半ば自棄気味に複数の女性と関係を持つ」直江庸介の退廃した姿に見えなくもない(好意的な解釈すぎる?)。

■ツボ
なんといっても直江先生の茶髪。ま、この茶髪あっての後半のかっこよさならば、それもいいか。
あとは倫子のスカート姿。これはちょうどこの日は夜勤明けで家から歓迎会のために出てきたためか。それにしても小橋先生が倫子のために開けたワイン(24年もの)。あれはいくらしたんだろうか? 小橋先生っていつもあんなものプレゼントしてるのか?

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