香港行くなら大人数!
香港日記'96



INDEX
初日:出発/お約束のビクトリア・ピーク/金庸 記 酒家で中華満喫/女人街そぞろ歩き
2日目:朝から飲茶早食い競争、香港からシンセン/マカオ日帰り旅行
3日目:鯉魚門(レイユーモン)の食材持ち込みレストランで海鮮料理を食いまくり
4日目:帰国日はお粥/あとがき



はじめに

ツアーの日程は96年3月2日から5日までの3泊4日。メンバーは会社の畚野(ふごの)・松原(憧れの「ギリシャ・エーゲ海・バンコク日記」の著者)・上村・林・高木君そして私の6名です。ツアー料金は中華航空の羽田発台北経由便利用で76,800円(Mapツアー)。泊まったのは九龍のスーペリアクラスのオムニ・プリンス・ホテル(現在はオムニ・ホンコン・ホテル)でした。
行く前に検討したことは何を見るかではなく、何を食べるかで、夕食が3回しか食べれないので畚野とあれもこれもとかなり悩みました。


96年3月2日土曜日
出発

フライトは羽田発の中華航空の午前便。
京急の羽田空港駅で降りて路線バスに乗り替えて空港ターミナルへ行きましたが、羽田の国際線ターミナルは旧国内線ターミナルの一部を使っていて、まるで古い倉庫のようでDFSはコンビニ並みの規模でした。
周りは台湾に帰る人で一杯でなぜか化粧箱入りのリンゴを持った人が多く、昔テレサ・テンが日本のリンゴと鮭はおいしいと言っていたのを思い出しました。台湾ではなぜか日本の薬(抗生物質)も人気があると聞いたことがあります。
私はこの時は米ドルを250ドル持っていきましたが、交換率の良さは空港<街の両替屋<ホテル<銀行の順で良くなっていきます。ところが最近は両替の定番だった恒生銀行が口座を持っていない人はキャッシュの場合手数料(一律30HK$/600円/98年の夏のレートは1HK$=約20円)を取るようになり、今では街の両替屋が一番安いそうです(九龍の尖沙咀(チムサアチョイ)にある重慶マンションにある両替屋が一番交換率が良いという噂があります)。空港では最低限の両替だけにしましょう。

さて、この日のフライトは中華航空なのに中国東方航空の747を使用していて、昼過ぎに台北の中正國際機場に到着。ここでは乗り継ぎの為1時間位待って今度は中華航空の747に乗り換えて出発。上村は機内食のお代わりをしていました(機内食ってお代わりができるんですね。by上村)。
香港の街並みをかすめながら香港國際機場/啓徳(カイタック)空港に着いたのは午後3時位。松原が「飛行機が周りのビルにぶつかりそうだった。こんな低空飛行でいいのかと思った」と言っていましたが、我々の座席は、啓徳空港へのアプローチの特徴(=滑走路手前の雑然とした街並みの上空で右に低空で急旋回し、左側に高層アパートが壁のように建つのを見ながら姿勢を立て直した直後に海に向かってドーンと着陸する)を堪能できる右側の座席(カーブの内側で地上の街並みが真下に見える席)でした。
啓徳空港が廃港になってしまった今となっては、もう二度と味わえないラッキーな体験だったのです。
我々はいよいよあと2年で中国に返還されるシャンガン(香港の普通話=北京語読み。広東語ではヒョンゴン、Hong Kongは英語)に到着しました。


到着

出口に現地の係員さんがいなかったので(いたらしい)、的士(タクシー)でホテルへ。タクシー乗り場周辺には高級ホテルの送迎用のロールスロイスや大型メルセデスベンツが停車し、トランシーバーやバカでかい携帯電話を持った係員さんが広東語でがなりたてていました。到着早々香港のエネルギッシュな光景に再会です。
香港の的士/TAXI(初乗り14.5HK$/220円/2km。当時は1HK$/15円。チップは端数で充分)は屋根が白くて車体が赤い少し前のトヨタ・クラウンが主流で、道の端が黄色く塗られてる駐・停車禁止の場所以外であれば拾えます。日本と違うのは手の上げ方で、なぜか腕を真横少し上に出して止めます(必ずしもそうとは限りませんが、地元の人はそうする場合が多い)、私は普通に手を上げて小刻みに振ったら、運転中の運転手にニコニコしながら手を振られてしまい、唖然としたことがあります。

オムニ・プリンスホテルは尖沙咀(チムサアチョイ、九龍の先端の西側の海沿い)のヴィクトリアハーバー沿いにあり、400室位の立派なホテルでした。現地係員がいなかったのでチェックインを自分ですると、1室2名使用で3室のはずが1室3名使用で2室の予約になっていると言われ畚野が文句を言ったのですが、結局1室3名でチェックイン。どーなってんだ!といらいらしていると、空港にいる係員さんから電話があって畚野が電話に出ると「みんな待っているのになぜ先に行ったんですか!もう知りませんよ!」と文句を言われたとの事。結果的にはうっとうしいマージン目当ての香港の現地係員さんにはツアー中一回も会わずに済んだので、ざまー見ろ!ですが現地係員さんをぶっちぎったのは始めてでした。


以下はこの件についての畚野コメントです。
「我々も決してわがままな日本人観光客を演じているのではなく、空港でかなりの時間現地添乗員(現地コーディネーター)を探して、見つけられなかったので、やむなく自費でタクシーに乗ってホテルまで来たのでした。本当にブッチするのなら、イミグレ出たら速攻でタクシーです。

このツアーのメンバーの香港訪問経験は、畚野は2ヶ月間の香港長期出張から帰ってから1年振り、私は2年振り3回目(仕事1回、一人旅1回)、林君は2回目(最初は高校時代で、今は公園になっているかつての悪の巣窟/九龍城の取り壊し中だったそうです)、松原・上村・高木は初めてで、しかも高木は香港が初めての外国でした。彼のツアーの目的はおたくグッズの買い出しでした。彼は初めての外国の印象を「見た感じ10年前の日本みたいだった」と後で語っていました。
畚野はこの後98年5月末にも行きましたが、この時は奥さん(礼子さん)と一緒で、現地の100万円の家賃の超高級マンションに住んでいる三和銀行をスピンアウトした人(畚野の香港出張中の知り合い)の案内で、毎日1〜2万円位の中華、イタリアン、ポルトガル料理の高級レストランで食事をして、食事代だけで10万円、買い物では30万円も使ったそうで我々と一緒に行った時とは随分違う旅だったようです。

以下は畚野の6月の旅の感想です、ユナイテッドで貯めたマイレージでもらったフリーチケットの実態と最新の香港事情がわかります。
「為替が円安/ドル高、香港ドル高のため、\10,000→HK$500強(1HK$=20円、我々が行った2年前と比べると5円安=25%安)でした。従って、買い物したい礼子ちゃんはショック、ショック、大ショック!お店は閑古鳥状態で、入って行くと店員さんが群がってきました。
今回は、畚野のUA Mileage Plusのフリートラベルで行きましたが、最近のFFP(マイレージプログラム)で感じる事。
(1). 予約が非常に取り難い。
(2). 本当の貧乏旅行または、知合いの家に泊まる以外は、結局ディスカウントパック旅行の方が100倍安いと思う。但し、終日フリーのコースでないと、特に香港等はセットの市内観光や土産物屋をブッチするとトラブルの原因になるようです。特に最近の旅行業界は、超不況/マイナス成長業種の為、パックがお得です。最近良く考えさせられます。
また今回は、急に出発1週間前に決断したので(といっても、予約はマイレッジの期限切れ1日前に行い、発券、予約した出発日は週末+金曜日をはさむと6ヶ月先の週末しか空きがありませんでした。UAは対地変更なしの場合は出発日の変更は前日迄無料。親切ですが、次の予約がなかなか取れないので変更の可能性がある場合は、有効期限の残存期間に注意。通常発券後1年間有効。所有者変更不可。対地変更の場合はUS50$です)。
また、このように時間がなかったのと、礼子ちゃんが格安ホテルを敬遠したので、今回はThe Hong Kong Hotel (旧Omni Hong Kong)に1泊約税込\21,000で泊まりましたが、現地の知合い曰く、Central sideの安いGuestHouseや自宅(それでも3LDK+住込家政婦部屋)への宿泊を提案されましたが今回はお断りしました。次回調査をしたいと思います。
いずれにしても、今の香港は、日本人が全くいません。本当に観光地、モール、レストランにも日本人の姿を探すのに苦労するくらいです。現在はドル高を反映して、香港人の日本への観光客が増えており、その面で飛行機はほとんど満席でした」

ちなみに、98年4月に香港一人旅をした人の話しによると、香港島の西約30kmのランタオ島北部の海を埋め立てて完成した新空港(チェップ・ラップ・コック空港)は、香港島のセントラルまで電車(エアポートエクスプレス)で23分、バスで56分だそうです、啓徳空港から的士で香港島の中心地(セントラル)まではトンネルを通って15〜20分位でしたから、結構遠くなってしまったようです。
出発した日の日本は3月初旬ですから当然寒かったのですが、香港は日中はTシャツで充分な程の快適な気候でした。香港は夏は暑さが厳しく冬は意外と寒いので、日本より暖かく天気が比較的安定して空気が澄んでいる確率が高い10〜11月または2〜3月がベストシーズンだと思います(日本よりずっと暖かいので、日本が寒い時期が適していると言われてます。夏はすごく蒸し暑いのでおすすめではありません。私は四季全部に行ったことがありますが夏以外なら別にいつでもいいと私は思います。by 香港訪問回数が10回になる「香港の達人」 掘さん)。

チェックインして部屋に入ると、我々の部屋は俗に言う「タウンビュー」。カーテンを開けると古いビルが見え、洗濯物が窓から物干し竿を突き出して干してあり香港独特の風景が広がっていました。
着いた早々、畚野は会社の堀さん(「堀夫妻の新婚旅行RTW=世界一周」の著者)が12年前から通っているクー(谷、写真左がクーさん夫妻)さんのお店(信利洋服。掘さん談;ガイドブックを見ていたら、クーさんの店が日本語が通じるというのを見つけて、一人でたずねていったのが始まりです。これが86年。以来香港に行くたびにスーツを作り、13着くらいになりました。お客も何人か紹介したので、今ではご飯をおごってもらえるようになりました。私のウエストの成長を数字で記録しているのは、香港のこの店ということになります。考えてみれば変な話です)でスーツを作りに行くことになり(6万円のスーツ3着+ワイシャツ5枚で18万円)、畚野以外のメンバーは、私が引率して夜景の名所ヴィクトリアピークへ行くことにして、19:00にホテルのロビーで待ち合わせをすることにしました。九龍から香港島へ行くのは地下鉄の方が早いのですが、今回は香港が初めてのメンバーが多かったのでヴィクトリアハーバーを船で渡るスターフェリー(天星小輪)を体験してもらうことにしました。
スターフェリー乗り場はホテルから歩いて5分位だったので歩いて移動し、フェリーでヴィクトリアハーバー(維多利亜湾)を九龍サイドから香港島まで渡りました。

このフェリーはわずか10分間で香港島に着きますが、私は香港島の風景はフェリーから見るのが昼も夜も一番眺めが良いと思います。青緑色の海の色は日本とは違うので短い時間とは言え旅情が味わえますし、大好きです。乗客は地元のおっちゃん、おばはん、白人のキャリアウーマン風、ビジネスマン風、観光客等で変化に富み、内部は木製のベンチが並んでいて風情があります。あれでたったの1.7HK$/26円(1階の2等料金。2階の1等でも2HK$/30円)なんですから安いものです(たった4円の差でも1階と2階の客層が違いこれがまた面白く、意外とクラス社会だということがわかります)。

私は、道にせり出した原色の横看板が並ぶ街並み、人々のうるさい広東語、竹で組んだビルの足場、そしてこのフェリーに乗ると、いつも、あー香港に来たんだーと実感します。

ところで、香港島側のフェリー乗り場(に限りませんが)に印鑑屋さんがありますが、以前結構立派な四角い赤い大理石の印鑑を作ってもらった時、紙に名前を書いてくれと言われて書いたら、私の癖字のまんま掘られてしまい苦笑した事がありました、目の前で掘ってくれる即席印鑑屋さんなのでしょうがないのですが、香港で印鑑を作る人はちゃんとした店で作りましょう(当然その場ではできず1〜2日かかります)。

フェリーターミナルからピークトラムの駅までは歩いて15分位です。
香港島の中心地・中環(セントラル)をぬけ、外壁が三角型の大きな鏡をつなぎ合わせた様な鋭角的なデザインで有名な70階建ての中国銀行ビルの下を通って少し坂を登って行きます。
途中、ランドマーク(TiffanyやGucci等々の老舗ブランドが一杯入っている大型ショッピングビル)を見物。高木はペニンシュラ・チョコレートショップで職場の同僚パワフルギャル網野さんに頼まれた2,000円位もする高級チョコを買ってました(ブツブツ言っていました。by林。この前マンダリンオリエンタルホテルのチョコは、一番安い4ヶ入りで\2000でした。by畚野)。
ところで、ランドマークに限らず香港のビルの階数の表示はイギリス式が多く、1階がGF(グランドフロア)で2階が1Fになっているので、注意しないと混乱します。
その後、ファクトリーアウトレットの店が一杯入っているペダービル/Pedder Bldg.のGFにある上海灘(シャンハイタン)という毛沢東をモチーフにした時計やマグカップも扱う服屋さんを見て、ブランドショップが一杯入っているギャレリア(ここは老舗ブランドよりアニエス・ベーとかマックス・マーラ等の新興ブランドが多い)にも行き、エルメスを見物しました、上村は「高っけ〜!」を連発してました、林君はお母さんに頼まれたスカーフを買っていました(2.5万円位。買ってきて欲しいと餞別をくれたそうです)。
セントラルには気の強そうな香港女性が闊歩していました。香港女性は細身で色が白くて綺麗な人が多いのですが、いかんせん気が強そうでスキが無さそうな感じです。自立して競争社会を生きているのでしょうが、海外で見る多くの日本女性のスキだらけのポワンとした姿とはかなり違う印象です。


ビクトリア・ピーク

さて、ピークトラムの駅はエントラルの山側にある花園道(ガーデンロード)にあり、山麓駅という名前で周りには香港公園やこんもりとした森のようなアメリカ領事館や総督官邸(ガバメント・ハウス)があります。
ピークトラム(往復23HK$/345円)はヴィクトリアピークまでの1.4km、高度差400m弱を約8分で登る白い屋根の渋い赤い車体で、外観はレトロな感じで内部はウッディーな雰囲気のケーブルカーです。
私は景色が良い右側に座り(運悪く左側に座った場合、山の中腹にある結構高級なアパートの人様の軒先を通過するので、テレビに夢中の子供やキッチンで料理を作るTシャツ姿のフィリピン人のメイドさんの姿を覗けたりもします)、あきれる程の急勾配を楽しみながらしばし車窓の風景を眺めていると頂上駅に到着。

我々が着いた時は日没には少し早い時間だったので(写真左が100万ドルになる前の単なる夕方の風景)、頂上にあるヨーロッパの山荘風の大きな「山頂餐廳」(ピーク・カフェ)でお茶をしてひと休み。その後夜景を見ました。
夜景は少しガスっていてあまりくっきりとは見えなかったので、みなさん「香港ドルで100万ドルの夜景だ!」と言っていました。私は何回も見ているので10分もすると飽きてしまい、皆さんがもういいと言うのを待って最近できたショッピングセンターのピークギャラリアで買い物をしてから下山しました。
松原は展望台の近くの露店で白人のお姉さんのHな写真が印刷されたトランプのお土産と、Hでチープなボールペン(説明するのもなんですが、ペン先を下にするとペンに印刷されている黒いワンピースの水着を着た白人のお姉さんの写真がヌード=黒い粉が下に移動してヌードになるペン)を5本もお土産用に買っていました。

ピークギャラリアでは高木が早くもおたくグッズ屋さんを物色。日本では品薄で手に入らないガンダムのプラモデルが山積みになっているのを発見したが、彼曰く「日本で2,500円で手に入るものが、3,000〜4,000円だったので買うのをやめた」そうです。たとえ品薄の品であっても、コストパフォーマンスにはうるさいようでした。

夜景を見た皆さんの感想は驚く程のものではなかったようですが、ここの夜景は香港に来たらお約束ですから見ないわけにいきません。ここの夜景は見れる時に見ておかないと短い滞在中にガスってしまい見逃す恐れがありますので、初日から見るスケジュールにするのが得策です。

下山して駅から20分おきに出ているスターフェリー乗り場までの無料シャトルバス(巴士)に乗ろうと思って待ちましたが、全然来なくて集合時間に完全に遅れてしまい、かなりあせってホテルに帰りました。松原が「怒られますよ きっと」と畚野の怒った時の物まねまでして心配を煽っていましたが、畚野は意外な程落ちついていて、仕事の時と違う姿に一同ホッとしました。

初日の夕食は全員でホテルから一番近い地下鉄の駅、尖沙咀・チムサアチョイ駅まで歩き、香港島のセントラル駅(2つ目)まで、海底トンネルを通って行きました(9HK$/135円)。
香港の地下鉄(MRT/地下鐵路)は、路線も少なく、また路線図も漢字なのでわかりやすく、日本の2倍位早いエスカレーターや、おつりが出なくてむかつく切符の自販機や、アルミの座席(座っていてもブレーキの度におしりが滑ってしまうほどつるつるの座席)が楽しめます。


金庸 記 酒家

我々が目指した「金庸 記 酒家」(YungKeeレストラン)は、セントラル駅から歩いて3〜4分位。セントラルの山側にあって、最近話題の王家衛(ウォン・カーウァイ)監督の94年撮影の「恋する惑星」(原題:重慶森林、出演:トニー・レオン、金城武、フェイ・ウォン)のロケ地になったMIDNIGHT EXPRESS(映画ではトニー・レオン扮する警官が立ち寄る、70年代のヒット曲カリフォルニアドリームがバカでかい音でかかっていたハンバーガーショップ。実際はサンドイッチ屋)や、香港在住の白人のたまり場でクラブ1997やカフェが集まっていることで有名な香港の六本木=蘭桂坊(ランカイフォン)の海側にあります。

「金庸 記 酒家」は、ビルの金色の外壁に赤い文字で「金庸 記」と書かれた派手なレストランで、一階で少し待ってから、奥まった結構いい場所の丸テーブルに案内され、メニューも見ずに畚野がテーラーのクーさんに書いてもらったメモを渡しただけでオーダー完了。
このメモは、畚野はクーさんに「欠食児童ばかりなので、高級なものではなく、量が多くておいしくてリーズナブルなメニューを紹介して欲しい」と言って書いてもらったメニューだそうで確かにおいしくて安かったです。

ここでは最初に「糖心皮蛋」(ピータン、7.5HK$/113円/個)が出てきました。私は中華の前菜でくらげや鶏肉と一緒にでてくるピータンは色が不気味で味もおいしいと思ったことはありませんでしたが、ここのピータンは生まれて始めておいしいと思いました。ここのピータンは香港で一番おいしいと評判の味なのです。
日本で食べるものとは全然違い、白身の部分が黒くなくて茶色で透明感があり、固くないのです、黄身もとろっとしてました。からしと醤油をつけて食べますが、付け合わせのしょうがの酢付け(寿司屋さんのがりに似ている)がピータンと意外と合ってました。みなさん「こんなうまいピータンは食べたことがない」と口をそろえて言ってました。

さて、第2皿は「金 牌 焼 我鳥」(ロースト・グース=ガチョウ、280HK$/4,200円)。
1日300羽も売れるというここの名物で、箸で切れる位のやわらかい皮と肉は北京ダックと違い皮も身もおいしく、時間をかけて味わうべきでしたが、ピラニア軍団がワーッと食らい付き、あっと言う間に無くなってしまいました。ほんの数分で皿の上は付け合わせの炒めた薄皮付きピーナッツを含めて何もない状態になった程でした(上村が一番パワフルに食べていたような気がする。高木は負けていた)。93年3月に仕事で来た時はホンコン・テレコムやシンガポール・テレコムの人達と連日北京ダックを食べましたが、北京ダックよりここのロースト・グースの方が数倍おいしかったです。

この頃からボーイさんが我々の食べるスピードに気づき、時々壁の向こうから顔を半分出してチェックしながら次の皿を出すタイミングを早めていました。
その後はエビしんじょう風の蒸し物や炒め物が続き、ビールやお茶もがぶがぶ飲み、最後に「香芒凍布甸」(モンクォーポウディン、マンゴープリン/24HK$/360円。写真左はGrand HyattのOne Harbour Roadのマンゴープリンですが見た目はこんな感じ)を頼みましたが、これがマンゴーの甘酸っぱいトロピカルな風味が濃縮されていて、たまらないおいしさ。砂糖未使用のマイルドな甘さで完熟マンゴーの果肉が入っていて今だに人生最高のデザートです。あまりにもおいしいのでお代わりをしてしまいました。

日本に帰ってからマンゴーを6,000円分(10〜12個)位買ってきて、家で再現を試みましたが、日本で売っているマンゴープリンの素に本物のマンゴーの果肉を入れると固まらなくなってしまい、横浜の中華街まで行って何種類ものマンゴープリンの素を買い、カスタードパウダーというものまで買って試しましたが、結局再現はできませんでした。
お会計は一人5,000円ちょっとで満足、満足。
やはり中華は大人数で食べるといろいろ食べれてしかもおいしいです。香港の多くのレストランには「二人世界」という2人用のお得なメニューが用意されていて、6〜8種類の料理が食べれますが、ここの「二人世界」は880〜980HK$/13,200〜14,700円で高めの設定です(日本人向け「高級二人世界」の可能性もあり)。

高木の感想は「そりゃあ、うまかったとしか言いようがない」。松原の感想は「マンゴープリンは絶品だった」、上村や林君も同様でした。
後で知ったのですが、ここのシェフ(梁偉基さん)は我々が行く前の年に「料理の鉄人」の香港特番で陳健一に勝った「アイアンシェフ」だったのです(私は写真の顔に見覚えがありました。何対決だったかは忘れた)。

ところで、「金庸 記 酒家」は広東料理でしたが、香港のレストランは広東・北京・潮州・上海・四川・海鮮(広東料理で新鮮な魚介類のみを使った料理)・客家(ハッカ)・湖南・雲南・台湾料理別に別れていて、なんでも作る日本の中華料理屋さんとは違い麻婆豆腐や焼き餃子は四川や上海料理なので広東料理屋では注文できません(炒飯だけはどこにでもあります)。

「香港の食べ物屋さんに関するうんちく」はこちら


女人街

うんちくはいいかげんにして、ツアーにもどります。
我々は「金庸 記 酒家」で食事をした後は、いよいよ女人街へ行きました。
女人街(ノンヤンガイ、正しくは通菜街)は中環から地下鉄で4つ目の旺角駅(モンコク)の上にある九龍半島のメインストリート/ネイザンロードから東に2本目にある通りです。女性物ばかり売っている500m位続く路上マーケットですが、そもそもこのツアーは当初「女人街ツアー」という名前で企画されたツアーで、「女人街」という響きに誘われたメンバーが多かったのです(特に林君)。
しかし、予想に反して偽物のTシャツとかきわどいランジェリーを扱っている店はあっても女人そのものが主人公の歓楽街ではないので、 皆さん期待はずれだったようで狭い路地にびっしり並んだ夜店をボーッと見ながら歩いていました。その後モンコクから地下鉄で南に2つ目の佐敦(ジョーダン)駅で降りてネイザンロードから西に2本目にある男人街(ナンヤンガイ/廟街/テンプルストリート)にも行き、ぶらぶら。
ここは女人街より短く(300m位)、男物だけとは限りませんが活気があり女人街同様偽物の宝庫です。松原はお土産用の偽物のロレックス・サブマリーナ(約4,000円)や小さい目覚まし時計(500円)を買っていました。
松原は「ロレックス・デイトナ(クロノグラフ)のニセ物もありましたが、これは文字盤の中の秒針=スモールセコンドが絵で描かれている正にニセモノでした。このサブマリーナは比較的出来もよく、もらった赤萩(もと建設部で東北セルラーに出向中)は今も愛用しています」と言ってました。

初日は疲れたので男人街をぶらついてからホテルへ。林君の感想は「男人街での出来事でおもしろかったのは、まっちゃんの買ったニセロレックスが最初時間合わせ出来ないものじゃないかということで、みんなでげらげら笑ったことです(ちゃんと出来ました!by松原)。僕は、この時は買い物はしないで、どこまでも続く夜店の列に圧倒されて、疲れました」


男人街の北側エリアには路上レストラン(大牌槽/タイパントン)が並んでいました。大牌槽はレストランの屋外版みたいな本格的ものから簡単な麺や火鍋(フォウォ、香港式海鮮しゃぶしゃぶ)だけを食べさせるものまで千差万別。あまり衛生的とは言えないので薦めらませんが、地元のサラリーマンやOL、アベックが一杯食べていて、まさに香港の大衆レストラン。香港は家賃が高いので住宅事情が悪く、狭い家に大家族で暮らしているので遅くまで外で時間をつぶしてから帰る人が多いんだそうです。麻雀屋で大きめの牌で麻雀をやっているおじさん軍団も一杯いました。
私は屋台(流動攤槽/ラントンタントン)で麺を食べたことがありますが、香港の麺は屋台や大牌槽/タイパントンに限らず、米の麺が多いので太いビーフンみたいだったり、やたら細くてちじれていたりしてあまりおいしくありません。以前会った現地のガイドさんが「日本人は香港に来ると、みんなおいしいラーメンが食べたいと言うよ、でもラーメンは日本の方がおいしいよ」と言っていました。香港ではラーメンと言えばスーパーで売っているサッポロ一番や出前一丁の事を差すようです。私が以前屋台で食べた麺は不思議な具(真田虫みたいだった)が入っていてゾッとしましたが体は平気でした。屋台の箸はプラスチックの使い回しが多く大牌槽/タイパントンよりさらに不衛生なので避けるのが無難です。
この件に関しても畚野証言がありました「このプラスチックの食器と箸は要注意。3年前の岸/畚野はインフルエンザとの合併症の兆候もあったが、コーズウエイベイのお粥屋で、生肉団子入りお粥と薄切り牛生肉入りお粥を食べて、救急病院に行きました。食中毒の第一理由に汚い食器があげられます。皆様注意しましょう」。みなさんも気をつけましょう。私は幸い外国でお腹をこわしたことはありませんが、私は東南アジアでは氷を含めて生水は口にしませんし、生のものは決して食べません。タイでは歯ブラシまでエビアンで洗いました。快適な旅には過敏すぎるくらいの自己防衛策が不可欠です。

この日はぐったり疲れてホテルに帰りました。部屋割りは畚野・上村・田中組と松原・林・高木組。テレビでは中国の時代劇をやっていました。香港は時差が1時間なので時差ボケも無く、良く寝れました。