3日目(3月4日 月曜日)

鯉魚門(レイユーモン)の海鮮料理


この日は夕食を九龍の中心部から約5km離れた鯉魚門(レイユーモン)で海鮮料理を食べることだけを決めて畚野・田中・高木組と上村・松原・林組に別れて解散。畚野は朝からマカオにもう一度行くぞーっ!と叫んでいました。
上村・松原・林組は、まず香港島の中環(セントラル)と灣仔(ワンチャイ、この時点ではアジアで一番高かったエンパイアステートビルの現代版のようなデザインの78階建てのセントラル・プラザ・ビルや、返還式典を行う為にヴィクトリア湾を埋め立てて作った香港コンベンション&エキシビション・センターがある)の間にある金鐘(アドミラリティ)へ行き、太古廣場(パシフィック・プレイス)にある香港西武や、松原がロンドンのダイエーと呼ぶロンドンの大衆デパート、マークス&スペンサーの香港店で買い物。松原はロンドンで買って以来お気に入りのボディーシャンプー(ゆり・ピーチ・アロエの香りのジェル3種類)を5〜6本とゆりの香りのハンドソープを買ったそうです(これはマークス&スペンサーオリジナル商品なので他の店では買えないのです。by松原)。松原はこの日買ったハンドソープを買ってから2年以上も経ったつい最近になって使い始めたそうで、物持ちの良い人です。

その後、HMVやら上海灘(シャンハイ・タン)に行き、松原は上海灘で紺色のシルクのバスタオルを買ったそうですが、林君は「とにかくその日印象的だったのは、まっちゃんがシルクのタオル購入時に店員に対して、いいから、安くすりゃいいんだよ!と切れたことです。割引の表示があったにもかかわらず店員が割引期間はもう終わってます、みたいなことを言ってきたもんだからそれで切れたのです」と言ってました。
林君と上村は香港にやたらある割には日本では無名のブランドでしかもやたら安い男物のショップ「GIORDANO/ジョルダーノ」で買い物をしたそうです(「香港版ベネトン」という印象でした。by松原)。上村はやたらジョルダーノを気に入ってしまい、バッグ、財布、ベルトを買ったそうで「香港じゃあ誰でも知っている有名ブランドだと言っても嘘じゃないっすよね!」と喜んでいました(でも、渋谷の洋服の青山の前を通りかかったとき、なぜかジョルダーノが売られていましたが......by松原。安いのでおみやげにはうってつけと思った。by上村)。
林君も「この日ジョルダーノで上村君と一緒に買ったかばんは今も健在です、今度香港に行ったら、このバックを3個くらい購入しようかと思うくらいすばらしいかばんでした」と言っていました。
実は、私も尖沙咀・チムサアチョイ店で弟用にショルダーバッグを、父には財布を買いました、高木も財布を買ったそうで彼は今もジョルダーノの財布を使っています。畚野もブルゾンを買ったので、結局松原以外の人は全て買いましたので、気に入ったのは上村だけではなかったのです。とにかく安くてそこそこのデザインなのでお薦めです。

上村はこの日のことを「ジョルダーノで僕と林さんがバッグを購入した記憶はあります。林さんは会社の先輩のSさん用の御土産にベルトを買ったのですが、確か短すぎてSさんのサイズに合わなくて怒られていたような事を覚えています。あと、エルメスでは品物がすごく高くて(石鹸が1,000円以上したような)手が出なかったけど、店員さんにすごく奇麗なモデルみたいな人がいてさすがエルメス!英語が堪能だったらよかったなあと思った」と言っていました。
上村・松原・林組はこの日もジェイド・ガーデンで飲茶をしたそうです。

もう一方の畚野・高木・田中組は、まず地下鉄で旺角(モンコク)にある、パソコン関連の商品ばかり売っている「旺角電脳中心」(モンコク・コンピューターセンター)へ行きました。
ここは「香港の秋葉原」と呼ばれているところで、映画やH物のビデオCDROMが一杯並んでいて、女っ気ゼロの世界でした。ソフトがビデオCDROMなら、ハードもビデオ(パソコンのビデオ再生用拡張ボード)関連のものが多かったです。香港では旺角電脳中心の他に「高登電脳中心」や深水捗(サムソイポー)の「黄金商場(ゴールデン・ショッピングセンター)」 も有名です。

旺角(モンコク)で香港のパソコン事情を見物してからは、また地下鉄に乗って香港島の灣仔(ワンチャイ)の東にある銅鑼灣(コーズウェイベイ)に移動しました。コーズウェイベイの山側にはハッピーバレー競馬場や一度行ったら二度と行く気がしないタイガーバームガーデン(正しくは胡文虎花園/Aw Boon Haw Gardens=胡文虎さんのお庭、コンクリート作りでペンキで塗った動物が置いてあるだけ)があります。また、ここは多くの日系デパート(そごう・三越・松坂屋・大丸)が進出しているエリアで、ブランド品中心の松坂屋は不況で撤退するそうですが、そごう(崇光)や大丸はコーズウェイベイの顔になっていて地元にしっかり定着しているようです。
我々はコーズウェイベイに着いたのがお昼少し後でお腹が空いたので、通り沿いのビルの1階にある飲茶屋さんで飲茶をしました。ここは地元の人しか行かないような店で、時間が経つのが遅く感じる程でなんとも渋いところでした、おばあさんがワゴンをゆっくり押しながらテーブルの間を回っていました。
この後、高木はまたおたくの殿堂へ行き、畚野・田中組はドライフルーツ屋さんでお土産用のドライマンゴーを買いました。ドライマンゴーは数種類あって一袋200円から500円位までありますが、200円クラスのものはまるで干し芋みたいな味で、500円クラスの高級品は味が濃くておいしいのでお薦めです。味が全然違うのでけちってはいけません。

その後は、香港名物の2階建て路面電車(トラム、どこまで乗っても1.6HK$/24円で駅が道の真ん中に200〜300m毎にあってしかも次から次に来るので便利)に乗って銅鑼灣(コーズウェイベイ)から中環(セントラル)まで移動しました。
コーズウェイベイからセントラルまでの山側の風景は公園もあるので雑然としてなく、途中には最近建った高層ビルや高級マンションが建っているだけなので眺めが良く、2階席の一番前に座り日本の4〜5月のような心地よい風に吹かれながらぼけーっとしながら移動しました、私はなぜかこの時の「心地良い感覚」を良く覚えていて、よっぽど風が心地よかったのだろうと思います。私は海外に遊びで行った時、必ず来て良かったとしみじみ感じる一瞬があるのですが、この旅ではこのなんでもない一瞬がそうでした。

畚野・田中組の目的地は、初日にみんなでご飯を食べた金庸 記 酒家(YungKeeレストラン)で、ここの1階のお土産コーナーでお土産用のピータンを買いました。ここのピータンは横浜の中華街で売っているような泥で固めてもみ殻を付けたものではありませんでした(お土産コーナーではロースト・グースも買えます)。
ピータンは7.5HK$/113円/個で私は2ダース買いましたが、割れてしまっては困るので、近くの「茶餐廳」(喫茶店)でレモン・コーヒー(どう味わってもレモンの味がしない暖かくて甘いコーヒー牛乳のようなもので、寸胴のコップにスプーンが入って出てくる)を飲みながら一つ一つ割れないように新聞でくるみ化粧箱に入れました。おじさんが二人で一心不乱に新聞をちぎって一つ一つピータンをくるんでいる姿は、さぞかし妙だったのではないかと思います。

ピータンは帰国して食べましたが、殻をむいて切っただけでは口の中にアンモニアの臭いが充満し、食べれたものでありませんでした。このピータンは乃木坂にあるチャイニーズレストラン/ハーデンタイテンのシェフが香港の人なのでお土産であげたのですが、支配人にこのアンモニア臭の事を言ったら「あれを切ってすぐ食べたら強烈だったでしょう?切ってから2時間以上そのままにしておくとアンモニアがぬけておいしく食べれるようになるんですよ」と教えてもらい、言われた通りにしたら香港の味が甦りました。
私は会社の上司にもお土産でこのピータンを差し上げたのですが、このことを知る数日前だったので「あれは強烈だったよ、家族中が大騒ぎになってしまい、みんなでブルーチーズみたいなものだと納得して食べたよ、珍味だった...ありがとう」と言われてしまいました...。

その後、畚野はクーさんの店にフィッティングに行き(結局仮縫いを含めて3回行った)、私は骨董街へ。
香港の骨董街はマカオ行きフェリーターミナルの山側にある上環(ションワン)の荷李活道(ハリウッド・ロード)沿いにあり、一筋下がった海側には通称泥棒市と呼ばれるキャット・ストリートもあります。ここでは道の両側に並ぶ骨董屋さんをドア・ツー・ドアで見て回りました(アンティーク・サファリとも言う)が、いろいろ見てさんざん悩んだ末、店番のおばさんが元の時代のものだ説明していた白磁の茶碗を購入(約16,000円)しました。元の時代のものが16,000円で買えるわけねーだろ!と思いながらも、抹茶茶碗位の手頃な大きさと形が気に入ったので買ってしまいました。お店のおばさんは元の時代=元代を「ゲィェエン ダャァイ」と言ってましたが、帰国してから会社の後輩に自慢しながらこの茶碗を見せたら「元代じゃなくてゲンダイ=現代だったりして」と言われてしまいました。
香港の骨董屋さんは、発掘したてです!とばかりに唐三彩の馬(三彩馬という)の陶器にわざわざ泥をつけて売っていたりして楽しいです。私は指で泥を少し落としてみたら店番の気の強そうなお姉さんから「アイヤー!不可為了悠触泥落禁止!!」(←嘘中国語)と意味はわかりませんが注意されたことがあります。
中国の陶磁器の多くは、高台(ご飯茶碗を持った時に中指や薬指で持つ底の台)の内側に「大清康煕年製」や「大明成化年製」と書かれていて年代がはっきりしていてわかりやすいのですが、「大明成化年製」と書かれた器が露店でも売られていて、我々が買える(5,000〜20,000円台)ものはすべて偽物です。香港では質の良い偽物をいかに安く買うかが勝負なのです。
陶磁器の柄は青花(青藍色の日本の染付と同じ)や青磁・白磁の他、唐三彩と呼ばれるベージュ色の地に緑色と褐色の上薬がかかった皿や壺、白い地に実が生った桃の木や花鳥風月を鮮やかに描いた壺、外側に緑色や赤色の龍を描いた茶碗、外側が赤や青や黄色で内側が白くて底に藍色で龍や魚を描いた茶碗等々、中国人の自己主張の強さがよく出ているものが多く、日本の「わびさび」の世界とは全然違う鮮やかな配色が時に悪趣味、時に華やかで見ていて楽しいです。

泥棒市/キャット・ストリートは幅6m、長さ400m位の道ですが、私の感じでは年々店の数が減っているような気がしました。ここは盗まれたものがすぐ店先に並んだことから泥棒市と呼ばれ、昔はかなり繁盛していたらしいのですが、今は片方だけのきたないスニーカー、水道の蛇口、かご一杯の毛沢東語録、2年前のトヨタ自動車の社員手帳等のしょうもないものばかり売っています、道にシートを敷いて皿や壺等の骨董も売っていますが、買い物と言うよりもインチキ臭い雰囲気を楽しみながらぶらぶらするのに適したところです。

その後は同じ上環(ションワン)の中環(セントラル)寄り(東)にある、卑利街(ピール・ストリート)をぶらぶら。ここは皇后大道中(クイーンズ・ロード・セントラル)から山側に上がる道沿いにある日用品・食品の路上マーケットで、ここはいかにも香港の横丁らしいところで、雑然として騒々しくて臭いところなのでお薦めです。やもりの開きや豚の頭とかが見れます。ちなみに上環(ションワン)にはへび屋街、はんこ屋街、海産物の干物街(日本製のふかひれと干しあわびが最も高い、日本の干ししいたけも高級品)、漢方薬屋街、冠婚葬祭道具屋街、家具屋街がありおもしろい庶民のエリアです。

その後、ホテルに帰ったら、畚野が近くのフルーツショップでマンゴープリンを買ってきてくれて、3日連続マンゴープリンを食べることができて幸せでした。
夜7時位に全員集合して、いよいよ海鮮レストランがある鯉魚門(レイユーモン)へタクシーで行きました。海鮮料理が食べれる場所は鯉魚門の他に新界の東海岸にある西貢(サイクン)、南Y島(ラマ島)、青山灣がありますが、鯉魚門が一番近いので気軽に行けます(故にすれてるとも言われている)。ど派手な電飾の水上レストランで有名な香港島の南側にあるアバディーン(香港仔)も有名ですが、おいしくない事でも有名です。
掘さんがEメールで入手した情報によると、
〜日本人観光客減少で水上レストラン、ブランド品店が人員整理〜[香港98年4月1日時事通信]
香港ドル高による影響で観光客が減少している香港で、代表的な観光名所になっているアバディーンの水上海鮮レストランや、しにせの有名ブランド品店であるデューティー・フリー・ショッパーズ(DFS)が営業不振に陥り、従業員の整理に乗り出している。特に大得意客である日本人客が大幅に減少したのが響いているようだ(この2ヶ所は日本人(ばかり)がよく行くところです=連れていかれる。水上レストランはツアーで連れて行かれるフロアはおいしくなく違うフロアだとまぁましらしいです。実際一回だけ観光として行ったことが大昔にありますが、全然おいしくなかったです)。
DFSは値段がちっとも安くなく、私は全然行きませんが日本人を乗せた観光バスがいつも横付けしています。ここの店員は横柄な日本語を使うので気分が悪くなります。ということで私にはほとんど関係ないことのようです。by掘)

鯉魚門(レイユーモン)は九龍半島と香港島にはさまれたヴィクトリアハーバーの南シナ海への東の出口(九龍サイド)に突き出した小さな岬にあり、ホテルからはヴィクトリアハーバー沿いの高速で20分位でした(50HK$/750円)。
ここは魚屋さんで魚や貝を買ってレストランで調理してもらう海鮮槽(槽=正しくは木辺に富)方式の海鮮レストランが並んでいます(飲み物以外は持ち込んだ食材のみを使って調理をします)。

我々はずらっと並んだ魚屋さんの魚が泳いでいる水槽を見ながら歩きました。途中、松原にバカでかいロブスター(龍蝦/(50〜60cmはあった)を持たせて写真を撮ったり(写真左)、水槽の中の熱帯魚みたいな見慣れない魚を見物してからクーさんに書いてもらったメモを渡して魚を買いました。買ったのは「瀬尿蝦」(しゃこ)、「石斑魚」(白身魚のハタ)、「蝦」(海老、死ぬほど買った)、「膏蟹」(深緑色の蟹)。
レストランに入り買ってきたものを渡して、本来こと細かに言うべき調理方式もメモに書いてあったので、メモを渡して手間入らずでテーブルへ(今この貴重なメモを探すように畚野に依頼中)。
まず、ビールを飲んで、蒸し海老に挑戦。「白灼蝦」というメニューで、さっと蒸しただけの人差し指大の海老を唐辛子入りの醤油で食べますが、ぷりぷりしていて本当に美味。みなさん山盛りの海老に黙々としゃぶりついていました。1人20匹前後は食べたと思います(てことは合計100〜120匹あった事になります)。
手がべたべたになってしまい困っていると、タイミング良くフィンガーボウルが来て中にはウーロン茶が入っていました。手先を入れて洗ってみるとこれがなんとも気持ちよく油がとれるではありませんか。さらーっととれてしまうのです。油を落とすと言われていたウーロン茶の効用は本当だったのです。
2皿目は私が一番気に入ったしゃこ。「椒宣瀬尿蝦」という名前の料理で、素揚げしたしゃこを塩とこしょうで味付けただけの料理ですが、これがまた美味。味は海老に似てますが、香ばしくてこしょうの風味がアクセントになっていて大変美味。しゃこは日本の寿司屋さんのものに比べ長さは3〜4倍、体重は10倍位はありそうで、食べるところが充分ありました。魚屋さんで見たものの中には体長が20〜30cm位の巨大しゃこもありました。
この後は白身魚(ハタ)の蒸し物(はりネギと香味野菜=シャンツァイ乗せ=みんなでまさにピラニアみたいにつついて食べた。by松原)、ぶつ切りのかにとネギを一緒に炒めた料理(かにとネギの風味炒め)が出ました。かにもしゃぶりつく料理なので、みんなでむしゃむしゃガリガリと食べました。
この日の夜も、食って食って食いまくったのでした。

レストランを出て、タクシー乗り場まで歩いて行くと、屋台でドリアンを売っていたので私からみなさんへのおごりで買いましたが、みなさん「臭さーーー!」と言ってまともに食べてくれませんでした、少し若いドリアンだったので臭さは今一歩だったのですが、みなさんには充分臭かったようで不評でした。高木だけが「臭いけど、想像よりまし」と言ってくれました(これが「果物の王様」だなんて信じられません。私もセブ島みやげにドリアンキャンディーを買って帰って、みんなに大ヒンシュクをかった経験があります。by松原)。
タクシー乗り場の近くで、高木は屋台の駄菓子屋さんを発見。何を買うのかと思ったら、台に並んでいる駄菓子を全部を指しながら指先で小さく円を描き、一言「オール」と言って、なんと屋台に乗っていた駄菓子を全て買い占めてしまったのです。駄菓子についているおまけのおもちゃを、おたくのお友達用のお土産に使うそうなんですが、その屋台のおじさんは「きょうは終わりや!」とばかり店終いしてしまいました、こんなラッキーな日があるのかと思ったんでしょうね。

私がドリアンを買った屋台と高木が駄菓子を買った屋台のおもちゃ屋さんについては、高木から「私の記憶ではドリアンを買ったのも、私が駄菓子を買ったのも屋台ではなくてちゃんとした店だったと思うのですが、(少なくとも駄菓子を買った店は普通に日本でも見られる駄菓子屋そのものでした)」と異論が出ています。松原も「私も屋台ではなかったような気がします。でもドリアンは屋台だったかも」と言ってますが、屋台じゃなくて駄菓子屋の駄菓子を全て買い占めたとしたら、もっとすごいじゃないかと思います。

ホテルに帰ってきてからも田中・松原組はHMVに行き、松原は閉店を知らせる警備員を無視してCDをあさっていました(HMVには3回行ったんです、Deep Forest with Peter Gabrielの映画ストレンジデイズのサントラのシングル、DENIMというイギリスのニューウェイブ系インディーズバンドのCDを買いました。他にも買ったものがあったと思いますが、よく憶えていません。フェイ・フォン=香港の歌姫のCDがやたら並んでいたのを憶えています。by松原)、私は中国独自の楽器の二胡(Erhu、二弦の細身の弦楽器で膝にのせてチェロのように演奏する。もの悲しい調べが特徴)のCDを買いました。ホテルに帰ってからはパッキングして寝ました。