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戦後補償講座 法律編

第1回 「請求権放棄」問題とは,一体,どのような問題?(1)

 今年1月16日,朝日新聞朝刊一面欄に,西松建設による中国人強制労働事件訴訟で,最高裁が3月16日に弁論を開くことが決定した,高裁判決が覆される可能性があるという,センセーショナルな記事が掲載されました。最高裁は原則として法廷を開かず,高裁の判断をそのまま認めるときは,書面で結果を通知するだけで終わります。西松建設事件は,一審広島地裁では原告敗訴でしたが,広島高裁で原告の逆転勝訴となった事件です。したがって,最高裁で弁論を開いてもう一度両者の意見を聞くということは,原告の逆転勝訴を覆す可能性が極めて高いということになります。しかも,最高裁は,被告西松建設が負けた論点のうち,「請求権放棄」の論点に絞って,弁論を開くというのです。ということは,最高裁は,「請求権放棄」の判断で,被告側の主張を容れる可能性もありえます。そして,朝日新聞で南典男弁護士も述べているとおり,この問題は,西松建設事件一つだけでなく,全ての戦後補償裁判に影響する問題であるといえるのです。

 それではこの「請求権放棄」問題とは,一体,どのような問題なのでしょうか。

 中国人強制連行事件を例にとってみると,これまで法的な主張では,どのような法律を根拠として原告に損害賠償請求を認めるかがまず問題となり,これに対して国や企業は戦前の法理である国家無答責や,時間が経ちすぎたという時効・除斥を理由に,損害賠償を否定しようと反論してきました(これらの詳しい説明については後に譲ります)。このような法的論点をクリアーするのはそれぞれ難しく,これまで原告勝訴がなかなか認められなかった原因でもあったのですが,しかし,2001年の劉連仁訴訟一審判決以来,福岡強制連行事件,毒ガス一次事件,新潟強制連行事件などでは,これら法的な「壁」を突破する判決が続々と言い渡されるようになってきました。これまで圧倒的に不利だった原告が,だんだんと国や企業を追いつめるようになってきたのです。

 すると,このころから国は,「請求権放棄」論を主張するようになってきました。これは,「仮に原告のいうとおり,原告に損害賠償請求の権利があるとしたとしても,戦後の国と国との取り決めである条約などによって,すでにその権利は放棄されたのだ」という主張です。つまり,いくら請求権が認められたとしても,それがすでに放棄されてしまったとすれば,いわば「リセット」状態になり,結局は原告の損害賠償請求は認められなくなってしまうという論理です。

 それではこの「請求権放棄」論を,被告である国や企業は,中国人戦争被害者との関係で,具体的に何を根拠として主張してきているのでしょうか。

 これまで被告である国や一部企業は,1951年に日本とアメリカを中心とする対連合国との間で結ばれたサンフランシスコ平和条約と,1952年に日本と当時の中華民国政府,つまり台湾政府との間で締結した「日華平和条約」を根拠として,中国人の損害賠償請求権は放棄されたと主張してきました(実際には,「放棄」という言葉は使わず,「請求に応じる法的義務はなくなった」という言い方ですが,結果は同じことです)。

 第二次世界大戦終結から7年後,1952年に日本が対連合国との間で結んだサンフランシスコ平和条約では,その第14条(b)項で,戦争の遂行中の行動から生じた連合国及び国民の日本国及びその国民に対する賠償請求権を放棄するとしています。この条項が,対日賠償請求権の放棄条項といわれるものです(この条項自体について,後に日本政府は,「個人の賠償請求権を放棄したのではなく,国の外交保護権を放棄したのだ」と言い続けていました。)。

 ただ,この条項は,対中国との関係ではストレートに適用することはできません。なぜなら,1949年にはすでに中華人民共和国が成立していたのですが,当時の東西冷戦の影響から,正統な中国政府として中華人民共和国政府を支持するか台湾政府を支持するかで国際世論は別れ,結局,いずれの政府もサンフランシスコ講和会議には招かれなかったからです。

 サンフランシスコ平和条約締結当時,日本政府はアジアの「共産化」の防波堤として,アメリカと同盟を結ぶ関係上,当時は台湾政府を中国の正統政府として支持していました。そして,サンフランシスコ平和条約発効と時を同じくして,台湾政府との間で日華平和条約を結び,その第11条でサンフランシスコ平和条約第14条(b)項を対中国との間でも適用できるとしたのです。

 ただし,日本政府としても,すでに中国の9割9分以上の領土を実際に支配していた中華人民共和国政府を無視することはできませんでした。そこで日本政府は,台湾政府を押し切って,日華平和条約を当時台湾政府が支配している場所に「限って」適用できるものとしたのです(このような条約を「限定条約」と呼んだりします。)。したがって,いくら日華平和条約によってサンフランシスコ平和条約が適用されたとしても,それはあくまで台湾島などに限るものであって,中華人民共和国政府が実効支配地域まで拘束するものではないというのが,初期の日本政府及び国際法の専門家では一致した考え方だったのです。

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