ひとりあそび p.7

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飛びこみ
なおちゃん
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夏の雨
あっちゃんと...
転校生
カッパとはさみ

カッパとはさみ

はじめてひとを殺したいと思ったのは、5つのときだった。

あれから何度もそう思ったことはあるけれど、あれほど強く、頭が痺れるほど強く念じたことはない。



「あきちゃん、早くおきて」
ばあちゃんはいつもそういって、ぼくを起こす。

のそのそと布団から這い出すと、コタツの上に湯気を立てたカップがのっている。
中身はいつも同じ、うんざりするほど砂糖を入れた、甘い甘いホットミルク。
チン、と音がして、ばあちゃんはトースターの中からくるみパンを取り出した。
熱々に温めたくるみパンを、新聞の折り込み広告の上に置き、広告を二つ折りにして、ぎゅっと上から押す。丸いくるみパンの中の刻んだくるみとざらめが、ギシギシと音を立てて、油を染み出させる。
ふっくらと厚みがあったくるみパンは、ふちがギザギザに欠けて、せんべいみたいに平べったくなってしまう。

ばあちゃんは、こうして潰すと中身が全体にいき渡るからおいしくなるんだよ、といつも言っていた。

潰したくるみパンを、ふたりで半分にして食べる。これもいつものこと。
香ばしくて甘くて、口の中で溶けかけたざらめがじゃりじゃりと歯にあたる。
おいしいんだけど、とにかく甘い。それに甘い牛乳がついているんだから、いい加減気持ち悪くなってしまう。


5つの頃に思いを馳せると、ばあちゃんと2人っきりで過ごした濃密な時間が蘇ってくる。

かあさんはぼくが幼稚園の頃、大病をして手術・入院を繰り返していた。
今でこそ、ぴんぴんしてぼくを叱りつけているのだが、あの頃はかあさんがどこかへ消えてしまいそうで、心細くてたまらなかった。

とうさんはいつも仕事で遅いし、ぼくは当然のように近くに住むかあさんのかあさん、ばあちゃんに預けられて、そこから幼稚園に通っていた。



「あきちゃん、このカゴがいっぱいになるまで、拾わんと」

ばあちゃんから叱られることはほとんどなかった。
たったひとりの孫のいうことは何でもハイハイと聞き、いつもぼくの味方だった。
ただ、家の手伝いはよくさせた。
ぼくがいつもばあちゃんにべったり一緒だったから、出来ることは何でもやらせていたというのがほんとのところだろうが。

ご飯を炊くかまどの焚き付けに使う、杉の葉っぱ拾いも、カゴを背負ったばあちゃんにいつもくっついて行った。
油分を多く含んだ杉の葉は、乾いてさえいれば火付きがよく、薪に火を移すまで勢いよく燃えてくれる。
毎日、雨の日以外は、ふたりで近くの杉林に葉っぱを拾いに行った。チクチクする茶色の杉の葉を拾うのに飽きると、地面に蟻の巣を探したり、夏なら蝉や蜻蛉を捕まえて遊んでいた。

「あきちゃん、もうちょっと集めて帰ろ」

ばあちゃんが呼ぶまでは、いつまでもひとりで遊んでいた。



5つの夏の日。
毎年見に行く夏祭り。
まだ明るいうちから町内を練り歩く山車。道路から立ち昇ってくる熱気。
歓声、汗、お囃子の音。
縁日の店からは客引きの声が飛び交う。

あの夏の日もばあちゃんに手を引かれて、そんな中をきょろきょろしながら歩いていた。
つないだ手を離すのがこわい。
知らない人の真っ只中に取り残されてしまうのがこわい。
「お嬢ちゃん、りんご飴がいいかい、べっこう飴がいいかい?」
ぼくのこと?
きょとんとしたぼくの顔をじろじろ見て、屋台のおじさんはようやく思い違いに気がついたようだ。
「ああ、坊ちゃんかい。ごめんよ。あんまり可愛くてねー。」

女に間違えられることはよくあった。
背も低く、体も小さかったし、決して元気よく走り回っているような子じゃなかった。
前髪はまっすぐに切りそろえて、横の髪も耳が出るか出ないかぐらい。
坊ちゃん刈りというより、女の子がやるおかっぱ髪に見える。
おまけにいつも一緒のばあちゃんは、「あきちゃん、あきちゃん」とぼくを呼ぶ。

これじゃ間違えられてあたり前か。
でもほんとはそう思ってもいないくせに、可愛いなんていうのはやめてほしい。
ぶすっとして黙り込むぼくの気も知らないで、ばあちゃんはにこにこして、「あきちゃん、何がいい?」なんて聞いてくる。
いいかげんにしてくれ。

一番身近のばあちゃんに、いつもぼくは怒りをぶつける。
なんとかぼくの機嫌を直そうと話しかけてくるばあちゃんに対して、ずっと黙り込んだままなんてよくあること。
ばあちゃんは、さぞかし扱いにくい子だと思っていただろう。



ばあちゃんはいつも手を動かして、何か仕事をしていた。
ぼおっとしているのは、大好きな缶入りのゴールデンバットをふかしているときだけ。
むらさき色の煙の向こうのばあちゃんの顔は、いつもとは全然ちがうひとに見えた。

ばあちゃんは洋裁が得意で、ぼくの寝巻きやシャツやズボンも縫ってくれた。
ばあちゃんの作ったものより、デパートで売っているプリントのついたやつの方が、ぼくは欲しかったんだけど。

雨の日はどこにも行けなくて、家で絵本を見たり、ブロックやミニカーで遊んでいた。
そんなことにも飽きた時は、ばあちゃんが大きな裁ちばさみで布を切ったり、色とりどりの頭がついたマチ針を布に刺していくのを、じっと見ていた。
ばあちゃんは「手を出したら危ないよ。」とぼくが覗き込んだり、裁縫箱に触ろうとすると、ひどく叱った。
いくら叱られても、ばあちゃんが魔法の箱を開けて作業をするのは、見ていて飽きることがなかった。
はさみが布を切り裂いていくときの音。
シャーっと、布の上にへらをすべらせて印をつける音。
カラカラと糸巻きが転がって、糸を繰り出す音。
ばあちゃんがいないとき、こっそり箱を開けて、中のものに触ってみたことがある。
おもちゃなんかじゃない、実際に使われてる道具たち。
油紙に包まれたずっしりと重い塊があったので、取り出して開いてみた。
中からは大きな裁ちばさみが現われた。
おもわず、にぶく銀色に光るはさみの刃を頬に押し当ててみた。
ひんやりとそれは冷たくて、背筋にぞくぞくするものが走った。
それほど、本物のはさみは綺麗ですてきだった。



夏といえば花火。
夜空に打ち上げられる花火を、首を痛くしながら見上げるのもいい。
でも、バケツに水を入れ、ろうそくとマッチを用意して、庭や道路でする花火は楽しかった。
ロケット花火、ねずみ花火、線香花火・・・。

あの夏も駄菓子屋で買ってもらった、袋詰めになった花火で遊んだ。
夜になって、近所の子たちを家に呼んでやった。
みんな思いおもいに、手に持った花火を火のついたろうそくの炎の中に突っ込んでいき、火花が出ると歓声をあげた。
ぼくはいくつかの棒花火を試してみたあと、ひょろひょろの線香花火を手にとった。
火がつくと、そうっと移動してしゃがみこむ。
いかに長く持たせるか、が勝負の花火だ。
ふっと気がついたら、火の玉が消えていた。
思いもかけず、早くに玉が落ちてしまったのだ。それも裸足にサンダルを引っ掛けただけのぼくの足の上に。

それは熱いというより、千枚通しを突き刺したようなするどい痛みだった。
声を張り上げて泣き出したぼくに、周りの子どもたちは何が起こったのか分からず、呆然とするばかりだった。
一番早く動いたのは、ばあちゃんだった。
家の中にぼくを抱き上げてつれていき、お風呂場で水を張った洗い桶の中にぼくの足を突っ込んだ。
ばあちゃんは、痛さと冷たさに泣き喚くぼくを抱きしめながら、「だいじょうぶ、だいじょうぶ。あきちゃんは強い子だから、泣くんじゃないよ。だいじょうぶ、だいじょうぶ。」と呪文のようにいつまでも繰り返していた。


右足の甲に残る、丸く薄茶色になったやけどの痕を見るたびに、あの5つの夏の日の記憶がよみがえる。

あんなに強くひとを殺したいと思ったことは、あれからまだない。
「死んでしまえ」ではなく、
「自分の手で、殺したい」なのだ。
自分がどんなに相手を憎んでいるか解らせたい、解ってほしいのだ。

でも、ぼくにはあの時、できなかった。



それは本当に些細なことがきっかけだった。

前の夜、夜更かししてTVを見ていたぼくは、朝いつもに増して寝起きが悪かった。
ばあちゃんが何度、ぼくの名を呼んでも、いつまでもぐずぐずと布団から出ようとしなかった。
やっと起き出したときには、ばあちゃんの用意していたパンもミルクも冷め切っていた。
自分のせいで、そうなったことはよく分かっていたけど、そのときはなんか自分が取り残されてしまったような、切ない気持ちで一杯になってしまった。

ミルクを温め直そうとするばあちゃんに、
「いらない。」
と言葉を投げつけると、冷えたパンとミルクを無理やり喉に流し込む。
それから、ぶすっとしたまま着替えて、幼稚園にいく支度を済ませた。

「あきちゃん、幼稚園から帰ったら、お焼き買いにいくよ。あ、お焼きよりしょうゆ団子のほうがいいかね。」
ぼくの機嫌を取ろうとしているのが見え見えの、ばあちゃんの言葉に腹が立ってしょうがなかった。

それから、どうしてそんなことをしようと思ったのか、よく憶えていない。

幼稚園から帰ってきたぼくは、ばあちゃんの裁縫箱を取り出した。
そして、ぼくの思いつく精一杯のいたずらをした。
黒のマジックインキで、裁縫箱にいくつもいくつも点々をつけた。
決して取れない染み、ぼくの悪意で満ちた汚れ。

でも、ばあちゃんはぼくを叱らなかった。
無残な黒い染みだらけになった裁縫箱を、見て見ぬ振りをした。

堪らなかった。
ぼくは爆発した。

泣き喚いて、ばあちゃんの背中をこぶしで叩いた。
悪いことをしたのはぼくなのに、叱らなかったばあちゃんをぼくは責めた。

鮮明に憶えているのは、ばあちゃんの丸めた背中。
いつの間にか、ぼくの手の中にあるのは洋裁用の大きな裁ちばさみ。
大きくて、冷たくて、重い。

「刺したきゃ刺せばいいよ」
その背中はそういっていた。

ぼくはこれだけおこっているんだ。殺したいほど憎らしいんだ。
そんな何でもないようにしていても、このはさみを刺したら痛いんだよ。
死んじゃうほど痛いんだよ。

はさみを背中に突き立てて、苦しがっているばあちゃんが目に浮かんだ。
血もどっさり、出るかな。
死ぬほど刺したら、ぼくがどれだけ怒っているかわかるでしょ。
ぼくは本気で怒っているんだよ。
わかってよ。

びっくりしてよ。やめてっていってよ。
そうしたら刺さないであげるから。

なんでそんなに平気でいるんだよ。
ぼくが刺さないとでも思っているの。

ぼくはいくじなしじゃないよ。
やるっていったことはちゃんとやるんだ。

ばか。ばか。殺してやる。
あとであやまっても、ゆるしてやらないんだから。

怒りで真っ赤になったほっぺたに、熱い涙がぼとぼと落ちる。

ぼくのほうがこわれちゃう。
みんな、ばあちゃんが悪いんだ。

ばかばか、死んじゃえ。
ぼくが思い知らせてやる。

そのときになって、あやまってもゆるしてやらない。



なぜ、その時ぼくは、はさみを突きたてなかったんだろう。

怖かったから?
勇気がなかったから?

ばあちゃんが血だらけで倒れている姿を想像したら、ぼくにはできない、と思ってしまった。

あの時怖気付いたことを、ぼくはずっと情けなく、くやしく思っていた。

でも今思うと、ぼくはばあちゃんを殺したいわけじゃないって気がついたから、はさみを置いたんだじゃないかな。
多分そうだ。
ぼくはただ、自分の怒りを受けとめてほしかっただけなんだから。



「かっぱ、何できのう休んだんだ?」
ひろきが聞いた。
「ばあちゃんの葬式だった」
ひろきはものすごく困った顔をして
「そうか」
とだけ言った。

ぼくが殺すはずだったばあちゃんは、病気であっさりと死んでしまった。
家族になるたけ迷惑が掛からないように、長患いしなかったのは、ほんとあのひとらしい。
と親戚のおばちゃんが、かあさんに言っていたのを聞いた。

あの時、はさみを握りしめていたぼくの目に映った、ばあちゃんの丸めた背中はとてつもなく広かった。
最期に見たばあちゃんは、病院のベッドの上でチューブに繋がれて、信じられないほど小さく見えた。

今でもぼくは小さいけれど、女の子に間違われることはない。

あれから、ひとを殺したいと思ったことは何度もある。
でも、5つのあのときほど強く願ったことはない。

ぼくを分かって、ぼくを受けとめて。

小さいぼくは、いつまでも叫んでいる。
いつもぼくの手にはずっしりと重いはさみが握りしめられている。




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