風の松原を歩く

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これまでの足跡 04年12月

最終更新 04/12/31

04/6  04/7  04/8前半  04/8後半  04/9  04/10  04/11


04/12/1(水)
 今日は、用事や雨などのために風の松原には出掛けず、家でホームページの更新をしていた。ジョギングコース0番から45番くらいまでのページに11月25日の写真を付け足した。

 夕方から会議で出掛けたが、久しぶりで出会った人が、「何年か前のことだが、天台寺に行きたいと思ってインターネットで探したら、出てきた情報のアドレスには<shirakami.or.jp>と付いていた。これは能代の人に違いないと思ったら、<kappei>ともある。もしかしたらこれを作ったのは私ではないか」と話していた。そこで家に帰ってから昔作成したホームページを探して「天台寺へ行ってきました」を再生した。
 昔のホームページを探している途中で、「校庭(能代高校)の松が危ない」というページも出てきたので、それも再生した。リンクがつながらないページもあるが、どうかこちらからご覧いただきたい。


04/12/2(木)
 今日はスタート地点から6番地点までは歩道裏の小径を歩いた。ここでも今回折れたクロマツがあったが、杉林でも折れたのがあった。ニセアカシヤも何本も折れたのか、それともニセアカシヤの伐採が始まったのか、以前よりも空間が広々していると感じた。

04/12/2 何度か掲載した場所だが、6月の写真と
比べると、舞台裏を見ているようでがっかり。
04/6/4 緑が濃かったのだが、松の緑はほとんど
なかったとは意外だった。

 春から夏にかけて、0番から6番地点までの「風の松原通り」を歩いて、『ここは素晴らしい景色だ』と思う人が多い。私も6月始めはそうだった。しかしその素晴らしさはクロマツではなく、雑木やニセアカシアによる偽の素晴らしさなのかもしれない。

04/12/2 ニセアカシヤの切り株が目立ち、
広い空間ができている。
04/12/2 42番地点から55番地点に抜ける小径
ニセアカシアの倒木が目立つ。

04/12/3(金)
 このところジョギングコースやトリムランニングコースの画像に秋の画像を加える作業をしている。今日は50番地点からゴールまでを作成した。このページを作成して、6月や8月の画像と11月の画像を比較していると、17−19地点20−29地点30−35地点が春から秋までほとんど変わらない風景なのに対し、スタートから6番地点43−4950−56地点のように風景ががらりと変化してしまったところがあってびっくりした。
 この変化はクロマツの木が多いか、雑木が混じっているかによって異なる。クロマツ中心の地区では春も夏も11月も同じ風景であるが、クロマツの少ない地区で変化が多いのだ。今後はトリムランニングコースや他の小径も作成する予定である。
 下の12月2日の写真もその一例である。


04/12/4(土)
 曇り空だったので、雨を心配して雨合羽のズボンを履き、ヤッケを着て散歩を始めた。しかし今日はやけに暑い。シンガポールから台湾に向かっている台風27号の影響だろうか。0番地点をスタートし、10番地点でもう汗ばんできた。そこで13番地点から27番に抜ける小径に入り、スピードを緩めたがいっこうに汗は止まらない。そこでそのまま30番地点でジョギングコースに戻り、昨日、写真不足で完成できなかった、下浜からの入口の写真を撮ったりしておよそ1時間でスタート地点に戻り、そのまま急いで帰宅してシャワーで汗を流した。


04/12/6(月)
 今日は午前9時過ぎに家を出発、0番地点から順調に歩いたが8番地点で雨、そこでトリムランニングコースを一周してスタート地点に戻り、雨具を着て今度は逆回りに歩き始めた。結局8キロ近くあるいたが、36番地点と37番地点の中間でクロマツの皮が剥げて白い幹がむき出しになった細い木を1本発見。この木には黄色や青のハチマキは見られなかった。長靴を履いていなかったので、ニセアカシヤのヤブの中には入っていかなかったが後で確かめてみよう。

真ん中のクロマツ1本が下部と
上部の2箇所それぞれ30センチ
ほど皮がはげている。04/12/6
枯れて皮の剥げたクロマツがあるのは右側の
道路に面したクロマツの奥の方。道路から見える。
 04/12/6

04/12/8(水)
 午前中に6日に写真を掲載したクロマツの確認に行ってきた。地上1メートルあたりに黄色いハチマキがしてあった。道路からカメラにも収めたのだが、ちょうどその時は陽が差し込んで、肝心の部分が白く写っていて判別できない。今日撮した写真よりも6日に撮影した下左の写真をもう一度見ていただきたい。真ん中の皮がはがれた木の、下の白い部分から下のちょうど半分のところに黄色いテープが巻かれているのが見えると思う。

 明日は一日中晴れとの予報だが、今日の天気は不安定で、私が家に帰ったあたりからは小雨、その後は午後もずーっと小雨交じりの不安定な天候だった。

 今日の北羽新報に風の松原に関する記事が出ている。一部を引用すると、見出しは、

15日アカシアの枝除去ボランティア  風の松原に守られる人々の会

 能代市の風の松原に守られる人々の会(梅田市美会長)は、15日午前9時30分から風の松原内でニセアカシアの枝の除去作業を実施する。
 市民の憩いの場として親しまれている風の松原内には、相次ぐ台風でニセアカシアの木が倒れる被害があった。主立った倒木は処理されたものの、まだ搬出できない枝もあるため、同会が今回、米代西部森林管理署に枝除去のボランティアを申し出て実施することになった。
 当日は午前9時30分に同市後谷地の大森稲荷神社入り口の鳥居付近に集合し
(以下略)

という内容の記事だが、「一般市民にも参加を呼び掛けている」とか、「雨天決行」とも書かれている。「一般市民にも参加呼び掛け」というが、今日も風の松原地内の掲示板には何も書かれていなかった。確かに掲示板は米代北部森林管理署のものだが、掲示板を見る人はすべて一般市民なのだから、活用をお願いしたい。
 そういえば、いこいの広場近くの池のほとりにあるバス停の待合所のような建物、あれはどこの所有なのだろうか? あそこには行事用ホワイトボードも備え付けられているのだが、あれにも書かれていない。いったいあの待合所は何のためにあるのだろうか?


04/12/10(金)
 昨日から今日にかけては小春日和の好天。北羽新報に「装着率90%超える 能代市内冬タイヤ」という記事が出ていたので、私も冬タイヤに履き替える作業を終えてから風の松原にでかけた。

 これは余談で、このページには関係のないことだが、冬タイヤ装着率調査について気付いたことに触れると、新聞には<この調査は午前7時30分から1時間、県内15カ所の国道、県道交差点で実施>と書かれている。
 この場所、この時間帯なら装着率は高いはずだ。私も昨年まで遠距離(40km)の早朝通勤(朝7時〜8時)だったので早めに(10月下旬)装着していた。秋田県では例年11月始めには初雪が降っていたし、雪がなくとも早朝、橋などの路面が凍ってスリップ事故が起こっていた。また勤め人は勤務時間に遅れるわけにはいかないので、雪が降ってからタイヤを履き替えるのは難しい。だから、朝7時半の調査と、朝10時の調査とではかなり違いがある。私が冬タイヤを預かっているタイヤ屋さんの話では、今年はタイヤの履き替えが遅い。雪がこんなに遅いのは30年ぶり程ではないかとのことだった。

 スタート地点から順番通りに歩き始めたら200メートル程前を歩いている人がいた。(写真左参照)ゆっくり歩いているように見えるのだが、なかなか追いつかない。27番地点まで来てもまだ100m程前を歩いている。途中で何度か100m毎の時間をチェックしたが、62〜63秒コンスタントだ。私のペース(65秒)よりもちょっとだけ早いのだが、追いつこうとするためか汗ばんできてしまった。この人は30番地点手前から右に曲がったので結局追いつくことはできなかった。
 今日はスタートする時に写真を撮らなかったのでスタート時間は不明だが、この写真の撮影時間は11:11と記録されているから10時40分過ぎにスタートしたのだと思う。なぜこの写真を撮したのかというと、最近は道路の踏みつぶされた部分ではなく、真ん中の芝生の上を歩く人が増えてきたことを示そうとした。最近は草丈が短いので真ん中の方が歩きやすいのだ。道路のあちこちに測量のあとが残っているが、この道路を直す場合には、アスファルトにしないで、昔のような砂地か細かい木片の道路にしてもらいたいものだ。

04/12/10撮影 27番地点付近
 真ん中の芝生を歩いている
04/12/10 11:26分撮影 38番地点付近

 27番地点を過ぎて38番地点付近まで来た時に反対方向から来た女性に声を掛けられた(写真右)。中学校の同級生だった。ここで20分近くも立ち話。
 彼女は勤め先を定年よりも1年早くこの春退職し、今は悠々自適の生活。勤務によるストレスがなくなったのが一番いいという。風の松原を歩き始めたのは5月始めから(私よりも1カ月先輩だ)とのこと。同時に三食以外の間食もほとんどしなくなったそうだ。体重が9キロもやせたという。私は6月から歩き始めたが体重はほとんど変化がない。私の場合、歩いた夜はその分アルコールを補充しているためか。彼女の場合は間食しなくなったのが体重減の最大の理由だと思う。彼女との会話の中で「風の松原の主みたいな人」という話があったが、その人の名前を間違えたのではないかと思う。会話の中で「その人はOさんではないか?」といったが、あれは私も6月に話をしたことのある鳥小屋在住のKさんではないかと思う。11月中旬から歩く時間帯を変えてからはしばらく会っていないが。
 
 彼女との立ち話の時間が長かったので、吹き出しかけていた汗がほとんど引いてしまった。その後ピッチを上げて57番まで歩き、更にトリムランニングコースを一周して、もう一度汗をかきなおしてからスタート地点に戻った。 


04/12/11(土)
 今日は朝から郵便物作り。午後には出来上がったのだが、別の用事もあって郵便局に出掛けたのは午後4時半過ぎてから。そこで郵便局の帰りは、そのまま風の松原に向かった。能代公園を抜けて能代一中職員玄関前を通過したのは午後5時15分を少し過ぎていた。10人ほどが何か作業をしていた。私はつい習慣的に腕時計を見て、勤務時間を過ぎても頑張っているなと思った。能代公園側から見た時には「植木の冬囲い」作業だと思っていたが、近くで見ると、クリスマスツリーのような電飾を施しているようだった。今日はカメラを持っていなかったので、あとから撮しに来よう。
 陸上競技場の第4コーナーを回ってトリムランニングコース入り口へ。

 以前、「トリムランニングコースになぜ洋風の街灯がついているのか」と話題にしたことがあった。いこいの広場の周囲の道路には100mか50mおきに洋風の街路灯が建っている。どんな雪の多い時でも歩いている人がいるというから、夜でも歩いている人がいるものと思っていた。ところがトリムランニングコース入口から59番地点に向かう道路は真っ暗。入口付近のぬかるみも見えない。アスファルトの部分が他の場所よりも暗さが薄い感じだったので、歩くことができた。58番地点の先の三叉路の案内板がねずみ色に存在感を示していた。同じような状態が1400mまで続いたが、1400mの三叉路は車留めのゲートが白く光って見えた。この付近は松の本数が少ないから少しの光でも見えるのかもしれない。

 1300m付近からは大森稲荷神社の街灯が見えるようになった。それと同時に汗ばんできた。いつもと同じ速さで歩いているはずだが、真っ暗な中を歩いているので、普段よりは速く歩いていたのかもしれない。後町や公園脇を歩いていた時には冷たい風を感じていたが、林の中は冷たい感じはない。大森稲荷神社の参道との交差点から明るくなった。やはりいこいの広場の周囲だけが点灯されていたのだ。しかし、能代公園入口から風の松原を出るまで、今日は歩いている人には一人も会わなかった。夜だからだろう。風の松原を歩いて誰にも会わなかったのは今日が初めてだった。


04/12/12(日)
 久しぶりに家内と一緒に風の松原ジョギングコースをフルコース歩いた。 といっても、フルコース歩いたのは私だけ、家内は13番地点から29番地点に抜ける短絡コースだ。13番地点を通る時には私の方がリードしていたし、その後も100mを60秒というハイピッチで歩いたのだが、1100mのハンディは補いきれない。27番地点について彼女を発見した時には32番地点で腕を振り回して体操をしていた。私が28番地点に着いた時にはまだ32番地点付近にいた。距離400mで撮影した写真が左の写真だが、黄色い影は見えない。コンピュータ画面上で大きく拡大してもようやくそれとわかる程度だ。右の写真は30番地点付近から撮す。彼女が33番地点への坂を上っている途中だから、距離は250m位。こちらはコンピュータ画面上では坂の頂上付近を歩いている彼女の黄色いコートがはっきり見える。推理ドラマなどで監視カメラの画像を拡大して犯人を特定しようとする場面がよくあるが、私が使っている Canon Power Shot S45 (2年以上も前のカメラだ)でもよく写るものだと思った次第である。


04/12/14(火)
 昨日はまた大曲市に行く用事があって歩かなかったので、今日はスピードに挑戦して歩く予定でいた。陸上競技場前から59番方向へ逆回りでスタート。久しぶりにジョギングシューズを履いた影響もあって、歩き始めから身体が軽く100m60秒のペースで歩いていた。時間のロスを防ぐため、写真は1000メートル刻みの時だけとした。下の数字が写真に記録された撮影時刻である。

   スタート地点 09:50:15  50番地点 10:00:05  40番地点 10:09:57  30番地点 10:19:59
     20番地点 10:30:15  10番地点 10:40:16  ゴール地点 10:50:14

 結果を見ると偶然であるが、ほとんど10分刻みで歩いていた。6月始めに55番から42番まで直行した短絡コースで約1時間だったことを思うと一定のペースで歩けるようになった。6月は短絡コースでもかなりの汗をかいていたから、それだけ今は寒くなったのだと思う。これまでは4キロを過ぎるとペースが落ちるのが自分でもわかっていた。今日スピードが落ちなかったのは別の理由もあった。(そのことはあとで書く)
 今日は、歩きながら、「ジョギングコースを歩く時に、私のように時計回りでなく、逆回りに回る人が多いのはなぜだろう?」と考えていた。
 1番から2番と時計まわりにまわっていると、どうしても42番地点から陸上競技場に直行したくなったり、43番地点以降の右側の歩きにくい道路でスピードが鈍ってしまう。それに、42番地点から54番地点までは風景がよくない。松の本数が少なく、松の色に若々しさがないのだ。それも42番地点から右折したくなる気持ちを誘惑する。
 逆回りだと、景色のよくない部分を最初に通過してしまう。短絡コースを通る場合でも、30番または27番から入る小径も両側のクロマツがよい。10番あたりからの下り坂や6番からの道路沿いはぶらぶらと歩いているわけにはいかない。ひとりでに早足になる。
 もっと心理的な理由があるかもしれない。陸上競技場近くに駐車した場合は、車道沿いの歩道を歩くよりも、早くクロマツ林の中に入ってしまいたくなるのだろう。

 さて、なぜ最後までスピードが落ちなかったかというと、いこいの広場近くまで来た時に、トイレに行きたくなったのだ。いこいの広場のトイレに入ったのでは記録が立ち消えとなる。そこで陸上競技場トイレに向かった。ところが、1番地点まで来た時にトイレのドア前に立って何か読んで立ち去った人がいる。トイレを見ると「3月下旬まで閉鎖」の貼り紙。この近くには大型店などはないので、あわててストリームで帰宅。

スタート地点 9:50 50番地点 10:00 40番地点 10:09 30番地点 10:19
20番地点 10:30 10番地点(11番方面を見る) 1番地点付近トイレの貼紙 ゴール地点 10:50

 公衆トイレについては調べてみると、「広報のしろ」の11月25日号(1062号)に「公園の水洗トイレを閉鎖します」という記事が載っていた。「利用者の皆さんにご不便をおかけしますが、凍結防止のため下記の水洗トイレを12月1日から翌年3月下旬頃まで閉鎖します。」として11箇所のトイレが掲載されている。その中に「陸上競技場本部裏」という記載があった。その中に、いこいの広場トイレと陸上競技場一中側トイレが含まれていない。あす現地で確かめてみよう。


04/12/15(水)
 今日は風の松原に守られる人々の会による「アカシアの枝除去ボランティア」の日。朝7時にはものすごく強い雨が屋根を打ち、この雨の中で行うのだろうか、・・・しかし、雨天決行と書いていたからなあ・・・と心配していた。

 午前9時、曇り空ながら雨の心配はなくなり、昨日確かめようと思った陸上競技場第4コーナー近くのトイレを確かめながら出発。

 写真は第4コーナースタンド後の建物が公衆トイレ。後は能代一中の校舎。昔(昭和35年頃)はこの付近に相撲の土俵があった。
 トイレは右の男子用も、真ん中の車いす用もドアが開いて、中の蛍光灯が点灯している。前にモップ掃除用具らしいものがあるので、左側の白い車で来た人が掃除しているのだろうか。
 昨日私があわてて引き返した陸上競技場本部裏トイレとの距離は150m位だ。このトイレが冬でも使えるのだったら、昨日のトイレにそうと表示してくれればいいのにと思いながら、陸上競技場本部裏トイレに行くと、「お知らせ」として、「凍結防止のため冬期間(3月下旬まで)閉鎖します。ご不便をおかけしますがご協力下さるようお願いいたします。都市整備課 公園緑地係 TEL89−2198」と書いてあるだけだった。
 枯れ枝除去作業のあとで、いこいの広場のトイレに行ってみたが、ここも営業(?)していた。水洗でないトイレは冬も利用できるのだろう。

 大森稲荷神社入口鳥居付近では既に枯れ枝を縄で束ねる作業が始まっていた。営林署OBの人たちが9時集合で始めているのだという。そのため開会行事も9時半よりも少し早く始まった。開会行事開始時の人数は数えたところ35名ほど。遅れてくる人もいるから新聞記事では50〜60人と書かれるだろうと思いながら聞いていた。

  事務局長佐藤さんの司会、副会長福司さんのあいさつ、米代北部森林管理署長さんのあいさつ、今日の作業内容、時間のめどなどの説明のあと作業に入った。作業中の写真を入れようとしたが9:45から11:15過ぎまでの写真が全然ない。私は主に特製タンカ?、ハンモック?で枝や切った幹をトラックまで運ぶ作業をした。タンカも5台ほど動いていたはずだが、そういう作業は全然写っていない。それだけ熱中していたともいえる。

 作業中 9:23  作業中 9:44
 作業中 11:25  作業中 11:35

 当初の予定では市役所の2トン車2台で2回、バイオマス発電?(旧ハードボード工場付近?)に運ぶ予定だったが、結局3回ずつ運んでもらってなお余りが出た。トラックの台数が不足だと感じたが、トラックが増えても人がいないとどうにもならない。ほとんどの人が休憩なしで汗まみれになって働いたのだから、参加者数を増やさない限り今のトラック台数で十分ということになる。

作業終了のあいさつ 11:35 手前は残った枝

 予定時間を5分オーバーして終了したが、トラックに積みのこした枝は、午後から市役所の人たちが運んでくれるとのことだった。私は被っていた帽子も汗でびしょぬれになってしまった。急いで帰宅し、シャワーを浴びて終了、お昼のニュースには間に合わなかった。


04/12/16(木)
 まず始めに書いておかなければならないことは、昨日実施した「アカシアの枝除去ボランティア」で枝を除去した場所はどこかというと、上の地図を見ていただきたい。大森稲荷神社に向かう(海に向かう)緑の道路と、6番地点、7番地点、「いこいの広場」という表示の下(東)で囲まれたホンの僅かの地域である。
 (右の写真に写っている地域だ。この写真は17日午前の撮影だが、枝を纏めたものの、トラックに運ぶことができずにそのまま残されているものもある。)

 その僅かな部分のクリーンアップだったが、今日の北羽新報では1面で次のように報じられている。

風の松原 50人が枝の除去作業
  守られる人々の会  
台風被害のニセアカシア
 能代市の「風の松原」の大森稲荷神社入り口周辺で15日、官民約50人が力を合わせてニセアカシアの枝の除去作業を行い、約2時間ですっきりとした景観を取り戻した。
 風の松原では8、9月に相次いで接近した台風で、多くのニセアカシアが倒木。危険だったり、市民の散策やランニングに支障がある個所は、管理する米代西部森林管理署が倒木処理に当たったが、散乱する枝の処理までは手が回らないのが実情だ。
 このため、風の松原を活動の場とする市民ボランティアグループ・風の松原に守られる人々の会(梅田市美会長)は、枝の除去作業を初めて企画、官民に参加を呼び掛けてこの日実施した。
(以下略)

 新聞には「周辺は2時間ほどで美しさを取り戻し・・・」ともあるが、50人の力は風の松原の大きさに比べ、本当に小さい面積しかクリーンにできなかったという思いが強い。また新聞は「官民約50人」の中味について「行政側から同管理署と市、民間は能代火力発電所のボランティア団体、同管理署のOBで組織する国有林退職者協議会能代支部関係者など」と報道している。その通りだ。営林署OBと能代火力関係者(きっと時間年次休暇で来てくれたのだろう)と市役所のダンプカーがなければクリーンアップは難しかった。風の松原に守られる人々の会は今回の枝除去作業では音頭をとったというところか。
 風の松原に守られる人々の会の人々はほとんど毎日松原内を歩いているわけだから、各自が毎日少しずつでも、林の中から枯れ枝を車の入りやすい場所に運び集めることをしてみてはどうだろうか。

 今日は、午前10時過ぎから午後4時近くまで、ある研修会のために能代山本広域交流センターにいた。ここは風の松原の一角にある。上の地図では左下に「木材高度加工研究所へ」とあるが、その「木材高度加工研究所」の隣にある。ここは風の松原では一番の高台にある上に、三階に展望台があるので風の松原の大部分を見下ろすことができる。昼休みは今にも雨が降り出しそうな天候だったので、写真もうまく写りませんでした。その後、研究所内を通って風の松原方面に向かいましたが、雨と時間のため途中でもどってきました。

展望台から木材高度加工研究所を見る。手前に
見えるバスは、研修会に二ツ井町から来た人たち
を乗せてきた二ツ井町のバス。右手奥は石炭火
力発電所。
風の松原の向こう、右から画面1/3近くの水平
線上に「はまなす展望台」が見える。
研究所に下りて行く右手土手の松 この土手の
向こうは広域圏民センターの駐車場になっている。
研究所敷地内を西(海)側に進むと研究所敷
地と風の松原の境界線に出る。このまま進むと
風の松原からロケットセンターに向かう道路に
出るか?

04/12/19(日)
 あと今年も10日余りだというのにまだ雪がない。17日も18日も朝は雪があったのだが、私が風の松原にでかけた9時半から10時頃にはすっかり消えてしまっている。年賀状の差し出しも始まっているのに雪が降らないものだから年賀状のデザインが決まらない。今年は暑中見舞いも残暑見舞いも風の松原の風景を入れたので、当然今回も「雪の風の松原」とするつもりなのだからクリスマスまでには降ってほしい。

12月17日朝 部屋の窓から見た外の様子
遠くの児童公園の地面も真っ白になっている
04/12/17朝 「いこいの広場」隣の池の付近には
僅かに白いものが残っていた。

 今日19日朝は全く雪がなく、52番地点付近には道路脇にニセアカシアの枯れ枝がたくさん集められていた。これは森林管理署で除去するために集めているのではないだろうか。
 右の写真は前に何度か登場したいこいの広場の時計塔。久しぶりで見たら10時48分なのに、表示は10時43分。5分の遅れ。更に反対側の文字盤は故障中なのか紙を貼っていた。


04/12/22(水)
 風の松原もようやく冬らしい風景になってきた。実は昨日から雪景色になったのだが、昨日は市内を回る仕事や、大館市に行く用事があり、松原を歩く時間がなかった。昨日、午前中市内を歩いている時や昼食後大館に向けて出発する時には雪がチラチラと舞いはじめた感じだったが、途中、二ツ井町のきみまち阪を過ぎたあたりからは全くの雪道だった。普通は1時間で着くところを倍近く時間を費やした。

 今日は午前中に風の松原へ。市内へ出掛ける別な用事もあったので1番地点から時計回りに歩き、42番地点から陸上競技場へ戻る5キロ弱のコース、防寒着で長靴履きなので約1時間だった。どの地点でもこれまでと同様に歩いている人たちを見かけた。
 42番地点で右折する時に足跡を見たら、ほとんどが私と逆方向、つまり反時計回りで歩いている人が多いことを示している。

1番地点 午前9時55分 8番地点 いこいの広場脇の池 凍りかけている。
13番地点 歩いている人が2組4人見える。 23番地点 この雲がなければ白神の山々が
見えるはず
29番地点 いつも出会うお二人 
防寒着とマスクと長靴
34番地点海側 午前10時34分 
休養広場から海側に下りていく小径  42番地点と55番地点の中間 
クロマツの少ない場所は殺風景な景色だ。

04/12/27(月)
 ちょっとこのページの更新を忘れていた間に5日間も過ぎていた。歩かなかったわけではなく毎日歩いていた。22、23日の雪は少しだけだったが、24日の雪景色は年賀状作成にふさわしいものだった。
 昨日午前中に歩いた時には大森稲荷神社前に自動車が4台も停まっていたので、何かあるのだろうと思っていたが、今日27日に大森稲荷神社近くをとおったら、幟が見えたので、境内に行ってみた。小雪の中の幟や鳥居の風景がいかにも冬らしい。鳥居の後の木は、クロマツではなく杉である。神社の周りは高齢のクロマツばかりなのだが、ニセアカシアの勢力に押されて見るも無惨な状態である。夏の間はアカシアや他の雑木の葉のおかげでクロマツも多いように思っていたのだが、秋になるにつれて次第に現状が見えてきた。

「風の松原を歩く」の中の大森稲荷神社入口(5番地点)から休養広場(35番地点)への小径というページを見ると(このページは10月30日に撮影した写真だが)、クロマツの少なさに気付くだろう。

 上の2枚は大森稲荷神社右脇を休養広場に向けて10mほど歩いた地点から撮したものだが、クロマツの緑はほとんど見られない。地面が白いだけに10月30日の写真と比べて、はっきりわかる。

 そんなことを思いながら家に戻って北羽新報を読んだら、1面コラム「渟城雑記」に「3県の水際作戦」という題で、17年度の国家予算に「松くい虫防除対策費」が1億5千万円上積みされたことに関して書いている。このコラムは北羽新報のwebページにも出ていないので、一部分を引用する。

 風の松原も数年前から枯れ木が目立ち、昨年と今年、薬剤散布と伐木・薫蒸処理を行った。700万本が群生するクロマツ林は一時、風景が変わるほど、大木も例外なく切り倒された。最近はクロマツの葉もいきいきと青さを増し、素人目にも精気が戻ってきた。

 私は今年6月から風の松原を歩き始めたばかりで、それ以前の様子を知らないが、素人目にも精気が戻ってきたとは思われない。また、

 今秋の調査では被害が約6千本。昨年の3分の1に激減した。まだ一掃には程遠いが、それでも「薬剤散布の効き目があったようだ」と森林管理署の担当者。ひとまず危機を脱したのか。それならうれしいが、油断大敵。

 とも書かれている。この部分は、11月26日の北羽新報でも報道されていたので、その通りだと思う。私が思うには、この新聞報道が頭にあったから、先に引用した700万本が群生するクロマツ林は一時、風景が変わるほど、大木も例外なく切り倒された。最近はクロマツの葉もいきいきと青さを増し、素人目にも精気が戻ってきた。」と表現したのではないだろうか。これが、14年度や13年度との比較であればよいのだが。
 15年度調査の被害木はすでに切り倒されたのだろうが、16年度の約6千本はまだ切り倒されておらず、赤く枯れた葉もそのままである。11月26日の記事にも、「(被害木は)来春までに駆除作業」という見出しがついている。毎日のように歩いているが、ジョギングコースの内側では作業をしている様子が見られない。クロマツの大木といえる高齢林はジョギングコース内部でもトリムランニングコース周辺に限られるはずだから、作業が始まっていれば気が付くはずだ。赤や黄色のハチマキをしたクロマツ被害木はまだそのまま立っている。

 コラムは、 これ以上広がらず、完全に抑え込まないと、安心できない。ここ数年が正念場だろう。 と結んでいる。

 ここからは北羽新報へのお願いだが、風の松原が、北羽新報社で発売している『海岸林を守る』が発行された2001年11月から更に悪化していることを知らない人たちが多い。松原を毎日歩いている人でも、歩き始めの私がそうだったように「風の松原は素晴らしいところだ」と思い込んでいる人も多い。自分が好きな広葉樹を風の松原内に持ち込んで植えている人もいる。以前、森林管理署の仕事を手伝った人に聞いた話では、「松林内に自生した桜などを切ろうとすると、それが伐採の許可を得ている木でも、散策している市民からクレームが付いて切ることができなかった」ということを聞いたこともある。泊地近くの若齢林ではニセアカシアが大敵なのだが、そのまま放置されている。松にからみついたツタや下草を刈り払ったり、ニセアカシアの根を除去する作業を行わないと松林を守ることが難しい。ここ数年が正念場なのだから、北羽新報が先頭に立って、風の松原を守るためのキャンペーンを実行してほしい。


04/12/28(火)
 今日は午前中に来客があったことと、お昼にJOMOウインターカップバスケットの決勝戦があったことで散歩の機会を失った。ウインターカップバスケットは風の松原のすぐ近くの能代工業が2年連続20回目の優勝を飾って終了したが、全国大会なのにテレビの実況放送はなし。数年前までは決勝戦だけ深夜に録画放送があったが、現在はそれもなし。あるのはインターネットでのスコアボード(実際にスコアボードが写るわけではなく、得点のみが更新されるもの。しかも更新も自動ではなく、手動で更新ボタンを押し続けるもの。昨日の高校駅伝とはエライ違いだった。高校駅伝の場合は実況放送だけでなく、インターネットでも自分の知りたい学校の順位がポイント毎に自動で更新されるしくみになっている。)そんなことはこのページと関係ない。「日々の記録」に書くべきことをここに書いてしまった。後から移動するので、ひとまずここに記入。

 というわけで、今日は久しぶりに風の松原に行かなかったが、風の松原のニュースがひとつ。
今日の「秋田さきがけ新報」朝刊21面に

全国の「歩きたくなるみち500選」 県内 田沢湖畔など10ヵ所

という見出しの記事が載っている。リード文は

 全国知事会などでつくる「美しい日本の歩きたくなるみち推薦会議」(会長・観光立国懇談会木村尚三郎座長)は27日、自然と地域の魅力にあふれ、心豊かに歩ける「歩きたくなるみち五百選」を発表した。本県から田沢湖町の「神秘の湖・田沢湖畔のみち」など十カ所が選ばれた。

本文を読んでみると、東京都多摩市の「多摩丘陵・よこやまのみち」、奈良県天理市の「ヤマトタケルが歩いた山の辺のみち」、山口県萩市の「時色の町・萩の歴史を訪ねるみち」、鹿児島市の「火の島桜島・溶岩なぎさのみち」などと並んで、本県からは田沢湖畔のほか次の9つが選ばれている。

「秋田市街と公園散策路」(秋田市)  「松並木と清水の里を訪ねるみち」(美郷町)
「縄文文化と伝説のみち」(鹿角市)  「なまはげの男鹿半島のみち」(男鹿市)
「奥の細道・九十九島象潟のみち」(象潟町)  「のしろ・風の松原のみち」(能代市)
「きみまちの里・二ッ井のみち」(二ッ井町)  「大間越街道・松波公園へのみち」(峰浜村・八森町)
「仁賀保・由利原高原のみち」(由利町・仁賀保町) 

 全国で500というから様々な道が選ばれている。風の松原だったらジョギングコースが6キロくらいだが、「きみまちの里」はきみまち阪だけでいいだろうし、「大間越街道」と「松波公園」はだいぶ離れている。「九十九島象潟のみち」はまとまっているが、「なまはげの男鹿半島のみち」や「仁賀保・由利原高原」は範囲が広すぎるのではないかと思う。そのうちパンフレットができるだろうから待っていよう。


04/12/29(水)
 雪がたくさん降る前にやっておかなければならないことがあったのに、今まで忘れていた。それは上の地図「散歩コース略図 第5版」で緑の破線を書いた部分を歩いている人がいるかどうか確かめることだった。確かめ方は簡単。雪道に足跡が付いていれば私よりも先に、しかも最近歩いた人がいるということになる。

 私自身が雪が降る前に歩いた破線部も何箇所かあるが、今日歩いた道路を紹介しよう。と、ここまで書いて不便に感じたことは、破線で書いた小径には目印になる名前がないことだ。先日作成した年賀状の画像(27番地点から32番地点まで見える雪景色)には勝手に「風の松原中央通り」と名付けたが、上の地図に地点名や小径名を付ける必要がある。新年には新しい地図を作ろう。

 今日説明する部分は右に一部分だけ抜き出したので、そこを見ながら説明する。
 能代では、昨日の午後からは積雪がなかった。10番地点から右に入る小径に昨日か一昨日歩いたと思われるへこみがあったので、右に入っていった。200〜300m進むと、途中で道路が右に旋回している感じになる。そして東に向かったと思う地点で、T字路(A)に着く。標識が立っていて「真っ直ぐ進めば360mで休養広場」と読めるが、それでは北に進むことになる。標識の柱にまで赤いハチマキがあるのは変だと思い、向かいに立っている案内図と比較すると、標識柱が時計方向に90度ずれていることがわかる。
 この標識から西(B)に360m進むのが正解だと考えて歩いていったら、果たしてその通り、結果的にはC、Dと進むことになった。
 ※(このように書いたが、風の松原に守られる人々の会が作成した「中心部散策マップ」を見ると、AからBに左折しないで直進する道が書かれている。足跡がなかったから気付かなかったが、直進路があるのかもしれない。)
写真1 10番地点から右の小径に入る 写真2 小径の中央にも雑草が残っている
写真3 初めて見るこんな標識もある 写真4 A地点の標識 時計回りに90度曲がっている

 A地点とB地点の間は100mほどだが、A地点ではほとんど緑が感じられないのに、B地点に来ると緑が多くなったと感じる。これは高齢林と中齢林との違いだろう。高齢林は幹の高いところにしか枝がないのに中齢林になると、幹の比較的下の方からも緑の葉を持つ枝が出ているからだ。

写真5 B地点の標識 ここから緑が濃くなってくる 写真6 C地点から僅かにD地点へ向かう

 D地点まで来て、見慣れた休養広場の風景が見えてきた。しかしちょっと違う。休養広場入口三叉路の手前にもう一つ三叉路があって、休養広場まで出て、振り返ると、今来た道と反対側に進むと、いつも通る大森稲荷神社への小径なのだった。

写真7 D地点 三叉路になっている 写真8 休養広場入口から撮す 
左へ行くといつもの大森稲荷神社への小径

 そこで、今来た道をそのまま引き返し、写真6と同じ小径を反対側から撮してみた(写真9)。場所はCとDの中間地点。

写真9 写真6と同じ小径を反対側から撮す 写真10 C地点三叉路 
右に曲がれば20番地点に向かう

 C地点からB地点を通り、A地点から更に直進して東方向へ。写真4を直進する。するとニセアカシアの倒木で三角形のゲートができている場所が2カ所出てくる(?)。このあたりは記憶が定かではないので撮影時刻も表示したが、写真11をくぐり、写真12の手前を左に回りながらE地点に出たと思う。夏にも一度この道(当時は藪の中をこいで渡る感じだったが)を通って同じ場所に出たことがあった。

写真11 このゲートをくぐって進んだ 12:04:57 写真12 この手前を左に回ってE地点に出た
 12:05:37

これで今日の散策の報告は終了なのだが、今日は北羽新報に風の松原に関するものが2つ出ていた。一つ目は5面にページ全体をつかった論文。

台風による風の松原海岸林の被害  伊藤忠夫

 伊藤忠夫氏は、『海岸林を守る』の著者の一人、元静岡大学教授だ。今日の新聞には能代市万町出身と書かれている。写真8枚を掲載した論文だ。北羽新報のwebページにはどのように出るかわからないが、書き出しの部分だけ引用させていただく。

 今年の日本列島は、まさに天変地異といった災害が重なった感がする。海岸地域については各地で暴風と高潮などによる被害が大きかった。秋田県の沿岸部では特に8月末の台風15号による果樹や農作物、関連の建物や施設などのほか、海岸林についても著しい被害が見られた。
 筆者は、たまたま「津波災害の防止に役立つ海岸林の造成」という内容の調査の手伝いで、11月には風の松原海岸林、次いで12月中旬には、和歌山県美浜町の煙樹ヶ浜海岸林に出かけた。その際に今回の台風被害の一端に触れることができたが、今後の風の松原の保全のためと考え、その折りに見られた被害の状況を写真を交えながら紹介させていただくことにした。
 写真1は、・・・・・
(以下は新聞をお読み下さい・・・新聞のPDFファイルができればよいのだが)

 2つ目は9面、見出しを挙げると

 黒松の樹勢回復へ調査 米代西部森林管理署  風の松原 広葉樹の混交進み 4カ所に試験地 5年ごとに検証し、施策検討 

と見出しを何本も使った記事。リード文を紹介すると

 米代西部森林管理署は、能代市の風の松原で能代海岸保安林整備調査を実施している。松林だった風の松原が広葉樹の混じった針広混交林へと変化してきているため、同署は「黒松の樹勢を回復させたい」と調査区域を設けてモニタリングを実施している。調査結果は5年間のスパンで検討する方針で、同署は「黒松が元気になるような結果を得たい」としている。

 記事では、調査は13年度から実施されており、風の松原のトリムランニングコース東側に試験地を設定している。試験地にはA、B、C、Dの4種類の区域を設け、各区域の広さは縦30メートル、横40メートル。と紹介し、各区域毎の試験内容を紹介している。
 この場所は陸上競技場からトリムランニングコースに入って200メートル程の場所である。私も春から見ており(たぶん平成13年度に設置されたものと思う)、立ち入り禁止になっている場所だが、ロープを張るなどの特別な措置は見られない。台風被害のあった8月、9月にはトラックが出入りしたような形跡があったこともある。試験地内立入禁止と書かれた看板は6月4日に撮影し、10月26日に私のホームページで紹介している。調査結果を5年間のスパンで検討するとしているが、もう4年目なのだから、そろそろ1回目の見通しが出てきてもよいのではないか。


04/12/31(金)
 今日も今まで歩いていないところを歩いた。0地点通過が7時30分だったから画面はまだ暗い感じである。
 地図は右に表示。陸上競技場前0番地点から入り、Fと表示した地点からG地点に向かう。ここはほとんど人の足跡がなく、路面には強風の時に落ちたと思われる松の枝などが散乱したままだった。G地点は40番地点から1400m地点に抜ける道もあるのだが、こちらも足跡はほとんど見られない。
 F地点からG地点に向かう道をふさぐようにクロマツが折れたままだった。米代西部森林管理署では、散策路をふさいでいる倒木は取り除いたと話していたが、ここは散策路になっていないから仕方がない。
 倒れたクロマツを過ぎてしばらく歩くと、右側(海側)に標識のある松が見えたので、林の中に入って見る。標識には「クロマツ精英樹 能代1号」の標識あり。松くい虫に強い松なのだろうか。「能代1号」にしては扱われ方が粗雑だ。写真10でもわかるように、手前のニセアカシアが精英樹の幹に触れており、松の肌が赤メロになっている。早くニセアカシアを除伐していただきたい。
 更に進むと今度は左側(東側)に幹の皮がべろっと剥がれた松が立っている。松くい虫のせいかどうかわからないが、これも早急に除伐しないと大変だ。
 H地点に着くと休養広場から大森稲荷神社への足跡が多い。B地点へ向かう足跡は一つもない。進行方向を見ると小高くなっており、行き止まりかと思いながら歩いて行くと、小高い丘の左へカーブしながら一昨日通ったB地点へ着く。そこからA地点まで行き、風の松原に守られる人々の会が作成した「中心部散策マップ」に載っているI地点に続く小径があるはずだと歩を進めた。

 昨日か今朝この道を通った人が一人いた。その足跡に従って歩を進める。ここは大森稲荷神社の本殿の後にあたり、高台のためか倒木が多い。しかもほとんどそのままである。ニセアカシアが多いが、クロマツも倒れている。ここは道幅も細く、小径ともいえない。「中心部散策マップ」には出ているが、私が作る地図には書くべき小径ではないと思いながらようやく通った。

写真1 F地点 直進は42番へ
 左折すればG地点へ
 
写真2 G地点へ向かう小径
 路面に松の折れた枝
写真3 F地点とG地点間には
まだ折れた松がそのまま
写真4 G地点の標識 写真5 また道路上に倒木 今度はニセアカシア 写真6 道路右手奥に標識が見えるので
近付いてみた  「クロマツ精英樹 
能代1号」と書かれている
写真7 精英樹の扱いを受けていない
 手前のニセアカシアが絡まって幹がこ
すれている 
ニセアカシアを早く除伐し
てやらないとかわいそうだ
写真8  真ん中のクロマツは皮が剥げている 写真9 H地点 ここは足跡が多い
写真10 遠くに山があって行き止まりか? 写真11 小高い丘の左を通り、B地点へ 写真12 足跡や標識を頼りに歩を進める
写真13 ちょうど稲荷神社本殿の後になる
地点だが、ここは高台だけあって倒木が多い
写真14 倒木を乗り越えたりしてようやく
山越え?

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