風の松原を歩く   これまでの足跡 04年8月前半

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最終更新 04/8/22


04/8/1(日)
 風の松原を歩き始めて3ヵ月目に入った。相変わらずカメラを持ち歩いてバチバチ撮している。日曜日だけ出会う友人から「一日何枚くらい撮すか?」と聞かれた。「ホームページに載せるためにたくさん撮している」と答えたが理解してもらえたか。
 今日も100枚以上撮した。毎日見ている風景なのに気付かないでいることも多い。「いこいの広場」の中に時計台があるが、今日初めて撮影した。何気なく撮影したのだが、写真を見てスピーカーが付いていることに気付いた。どこからどんな放送を流すのだろうか?デジカメデータを見ると、2004/08/01 5:47 と出ている。写真では5時36分だ。カメラの時計表示を調べると狂いはないから、10分ほど遅れているのだ。この遅れは誰が直してくれるのだろうか。このいこいの広場の管理は誰がやっているのだろうかと疑問がわく。写真をもう一度見直すと、時計は表裏2枚になっている。表裏とも同じ時刻を刻んでいるのだろうか。明日確かめてみよう。

いこいの広場の時計塔 いこいの広場東側入り口(7番地点)にある標識

山本地域振興局 オリジナルプラン
守ろう 風の松原 除伐作業実施地域
風の松原に守られる人々の会

 毎日、散歩を始める前に「今日はどんなコースで?」、とか、「今日の撮影テーマは?」などを考えている。歩き始めるとコースが勝手に変化したり、あとからインデックス印刷をした写真を眺めてもどんなテーマだったか分からなくなっていることが多いが、「家から風の松原までを歩く」「風の松原の周辺の寺院を撮す」などもあった。最近は、午前7時頃に歩き終えるとTシャツが汗まみれになってしまうので、風の松原まで車で行くことが多い。

 今日、100枚以上の写真を撮した目的は「散歩を始めて2か月経過した。この2か月で風景にどんな変化があったか?」を比較するためであった。
 初めのうちは、「これが松原だ」という先入観で歩いていたのだが、最近は「これは松原だろうか、雑木林ではないか」と思うことが多い。そのため7月30日に作成した暑中見舞いはがきにもそんなことを書いてしまった。
 20年程前に三保の松原を見たことがある。散歩道の松の大木の間から砂浜が見える、まさに「白砂青松の地」という印象だった。ところが風の松原の中心部にはそれがない。スタート地点から海側に向かって歩くと10分ほどで松原を抜けるが、そこにあるのは港湾道路際の防風ネットであり、その先には1万五千トン岸壁や四万トン岸壁が遠くにある。目を少し東に向けると、木材工業団地の建物が幾つか、更に東には石炭火力発電所の大きな煙突が見えてくる。

 今日歩き始めた13番地点から22番地点の道路脇に目立つのはニセアカシヤはもちろんだが、桜の若木が多かった。また道路の片側は見通しがよいのに、反対側は雑木のために見通しがきかない場所もある。これはその時々の営林署、森林管理局、森林管理所の方針によるのだろうか。
 今日の午後は、大森神社脇の散策路を真っ直ぐ海に向かい、35番地点の休養広場から更に泊地に進んだ。道幅が狭いのは良しとしても、大森神社の裏側は全くの雑木林であった。朝と違って半ズボンで来たことを後悔したほどである。休養広場から泊地に向けては、最初は松の木も高く、木の間の見通しが良いのだが、泊地が近づくにつれて松の木はまだ低木なのに、その高さに迫るような勢いでニセアカシヤが繁茂している。

 風の松原の中にはいろいろな看板、標識類が設置されている。これらを後からまとめて紹介する予定であるが、一枚だけ上に載せた。何年に建てられた標識であるか、裏面を確かめなかったので分からないが、「風の松原に守られる人々の会」があること、「いこいの広場」は除伐作業実施地域になっていること、除伐作業は営林署や森林管理所ではなく、(秋田県)山本地域振興局が独自の計画を立てて実施していること、秋田県の出先機関が「地域振興局」となったのはここ2〜3年のことだからオリジナルプランが実行されたのもここ2〜3年の間だということがわかる。

 「風の松原に守られる人々の会」という名称がすばらしいと思った。能代市は賀藤景林などの先達の努力により飛砂の害から守られてきたのであるから、風の松原で森林浴をして健康を保持している人たちだけでなく、すべての市民が風の松原に守られてきたのである。だから、今回は雑木林に変貌しようとしている松原の松をニセアカシヤから守らなければならないのではないか。ここは森林管理局が管理する国有林なのだから、基本的なプランを国にお願いしなければならない。


04/8/2(月)
 ようやく「風の松原 散歩コース略図 第4版」を完成した。この画像をご自分のパソコンの適宜のフォルダに保存し、それをA4判の用紙に印刷していただくと、持ち運ぶことの出来る、およそ1センチが100メートルの略図ができあがる。A4判の印刷では文字や数字もはっきりと読むことが出来た。
 私も明日からは散歩の際にこれを持ち歩いて正しいかどうかを確かめたい。但しトリムランニングコースの形や方角がこの通りであるか、日和山付近の散策路がこんな形をしているかどうかは自信がない。日和山付近の散策路は先週何度か歩いてみたが、まるで雑木林のため方向感覚がまるでなかった。
 散策路の場合は、雑草の多い今の時期は歩けない場所でも、雑草が少ない春先には歩くことが出来るかもしれない。そのため、破線で「今は散策には不適」としたが、私が歩き始めたのは6月1日だから、来年の春先まで様子を見ないとはっきりしたことは分からない。


04/8/3(火)
 今日、米代西部森林管理署の方にお会いして2万分の1の地図をいただいた。私の第4版コース略図と比べると、私の略図のトリムランニングコースがまるで違っていた。第5版を作らなければならない。また、42番地点から54番地点までも直さなければならない。
 また、私が疑問に思っていた「風の松原の範囲」については、国有林としては向能代地区も含まれているのだという。いただいた地図にも向能代が含まれていた。私の地図よりも南側については、港湾道路までしか書かれていなかった。ロケットセンターも含まれていない。私の予想では黒岡地区までが風の松原に含まれており、八竜町の境界までだと考えていたが、そこは国有林ではなく、県有林や民有林も含まれているとのことだった。

 今朝は6月に作成したジョギングコース改訂版作成のための取材でゆっくり歩いた。写真を撮りながら歩くのと、メモを取りながら歩くのとでは勝手が違う。これまでは、ただ歩くだけでコースの風景をよく見ていなかった気がする。
 視点が異なると新しいことが見えてくる。今日は16番地点までしか取材が出来ず、汗もかかなかったが焦らずやっていこう。


04/8/4(水)
 昨日いただいた地図の写しを作って歩いてみたが11番地点から15番地点にかけて変だ。いただいた地図には11番地点から15番地点に直進する道路も表示されているのだが、現在はない。疑問に思って松の木の上の方を見ながら歩いていたら、昔は直進路もあったのではないかと思えてきた。秋になって松以外の木々が落葉したら分かるかもしれない。13番地点の手前は、カーブミラーが付いているほどの曲がりなのだから。ということは、いただいた地図は30年以上も前に作られたものではないかと思えてきた。
 この6番地点からロケットセンター方面に向かう道路を進むと、ロケットセンターの手前に屎尿処理場があった。そのためこの道路はバキュームカーも通行していた。そのためこの道路は舗装されていたし、カープミラーもあった。港湾道路が出来るまではこの道路は一般道だった。30年前というのは、そのころ子供たちを乗せてこの道路を通り、ロケットセンターの先の浅内浜までドライブしたことがあった。その時、砂浜に乗り上げて車が動かなくなった・・・。

13番地点手前の様子、真ん中にカーブミラー 何本も見える桜の枝は紅葉を始めている。

04/8/6(金)
 今日は朝から雨。そこで8月3日から始めたジョギングコース改訂版の作業を開始。毎朝、写真は一杯撮ってくるのだが、パソコンに向かうのが夜なので、歩いている時に考えていたことがページに反映されない。その日の分をその日の内に作成すればよいのだが、日中は暑さでパソコンに向かう気になれない。

 記憶に新しい5日の散歩の分から書いていこう。
 5日、1日取り上げた「いこいの広場の時計塔」を見た。表示は5:28分。表裏2個の時計があって、南側の方が1分ほど進んでいる気がするが、定刻通りの誤差の範囲内。いこいの広場付近は芝生の草刈りもよく行われているから、定期的に管理している人がいるのだろう。

いこいの広場の時計塔 いこいの広場南側の池 草刈りが行われたばかり

 ジョギングコース38番地点でメモを取っている時、男性から「営林署の人ですか」と声を掛けられた。35番地点から38番地点までは海側が低地になっていて、松も小さい。カメラを持って散歩しているだけでも珍しい存在なのに、この日はカメラのほかに画板を抱え、立ち止まってメモを取っているのだから、朝の散歩ではないと映ったのだろう。この低地は昭和19年頃に火災に遭った場所で、小松原という地名だと言うことを教わった。


04/8/8(日)
 画像が多く、ホームページ容量をオーバーしたため、画像の大きさを縮小するなどのメンテナンスを行いました。そのため画像と枠とが合わない場合があるかもしれません。

 今朝、いこいの広場に着いたら、青い色が目につきました。サイクリングで能代にやってきた人がキャンプ(野宿?)していたのでしょう。杉林の前にかわいいテントが1張りあって、その脇に自転車がありました。また、毎日散歩のためにこの広場まで自転車で来る人もおります写真右のように自転車が何台も置いてあります。


 今朝、ジョギングコース15番地点の20メートル先から左に入る小径を通ってみました。出口は砂留山にありました。そこでコース略図への加筆をお願いします。15番地点の2ミリ先から砂留山の近くの破線の端に向けて、緑の実線を引いてください。コース略図は第5版で訂正します。帰りは墓地公園を通ってきましたが、一般道から風の松原に入る小径は3カ所ありました。

04/8/12(木)
 散歩ホース略図を第5版に改訂しました。今回の改訂は、米代西部森林管理署からいただいた地図をもとにコース図の一部手直しと、15〜砂留山への小径を書き加えました。

 小径についても写真を掲載しようと、メニュー欄に小径も掲載しました。それぞれの小径に呼び名を付けた方が整理しやすいのですが、おいおい歩きながら考えましょう。そして画像も加えていきましょう。


04/8/13(金)
 今日はお盆(盂蘭盆会)ということで墓参り。私の父母の墓と家内の父の墓、それにおばあさんの両親の墓と三カ所墓参りするのだが、いずれもお寺は異なるが、風の松原に隣接した墓地公園内にある。墓地公園が出来たのは昭和24年以降、昭和30年頃までだと思われる。きっと風の松原の一角の土地を国から払い下げを受けて造成されたのではないか。そう想像した理由は、墓地公園内には黒松の高木がたくさん残されているからだ。。墓地公園内に残された黒松を見ていると、こういう姿こそ、黒松本来の風景なのではないかと思う。そこで写真を一枚撮った。

 今日の写真を整理していたら、今朝の散歩の様子があった。今朝は0番〜58番〜1700M〜900M〜9番〜12番〜27番〜29番〜12番〜9番〜900M〜1700M〜0番という4500M程のコースを約1時間で回った。写真の記録を見ると、0番出発が5:33分、0番帰着が6:27分だ。その中のトリムランニングコース1000M付近の写真に街路灯が点灯している写真が3枚あった。撮影時刻は5:45分。街路灯が点灯しているのを始めて見たので撮したのだった。その写真も掲載する。

 現在の風の松原の黒松もある程度の樹齢に達したら、左の風景になるように間伐して残すべきではないかと感じた。右の写真(1000M付近)の場合は、現在は良さそうに見えるが、雑木が多すぎ、雑木の成長につれて黒松の枝に葉が付かなくなり、近いうちに雑木林とか雑木並木に代わってしまうのではないかと心配する。
 7月15日の項に、1000M付近に倒れていた松の木の写真を紹介したが、あのとき、幹はあんなに太いのに、葉の茂った枝が周囲に落ちていないこと、幹の太い割に枝の散乱が少ないことを不思議に感じていたが、松の木の下の方に雑木が生い茂ると、松の枝や葉が育たなくなってしまうのではないか。

 この文章を打ち込みながら右の写真を見ているうちに、街路灯のすぐ後ろにある松の木が異常に曲がっていることが気になった。あの松には葉の茂った枝がない。その手前にあるのは桜か何かだが、その桜の枝にじゃまされて、松の木の枝の成長が阻害されているのではないか。この異常に曲がった松も、そう遠くないある朝、倒れてしまうのではないかと恐れる。

 以前、赴任校の生徒達と藤里町の岳岱教育林にブナの植樹に行ったことがある。その時の自然観察指導員?の説明では、ブナの大木が朽ち倒れて空間が出来、太陽光が入り込むようになるとると、それまで倒れた大木の影で目立たなかった痩せたブナが、太陽光を受けて急に大きく成長するのだという。松もそうなのだろうか。

 右の写真のような状態では、松の木が朽ち倒れても、太陽光の恩恵を受けるのは(たとえあったとしても)その下にある小松ではなく、松の木に迫るように繁っている雑木なのではないか。そんなことを考えていると、70数歳になった私が雑木林の中を、木の葉の形や幹の手触りを感じて、この木は何という名の木だろうかと考えながらよたよた散歩している姿を幻視してしまう。風の松原はあくまでも松が主体の林であってほしい。


04/8/14(土)
 今日は、朝までオリンピックの開会式を見ていたので、トリムランニングコースをゆっくり歩きながら、昨日感じていた疑問を確かめようとしていた。8番地点から前方を見ると、トリムランニングコース入口付近の松は、葉をたくさん持った枝が見える。900M地点では海側に曲がった3本の松が見えるが、そのすぐ後ろにも海側に曲がった松が1本あった。なぜ逆方向に曲がっているのかを考えながら木のてっぺんあたりを見た。葉が茂っているように見えたが、よく見ると松の葉ではなく、隣の木の葉だった。大きく曲がった松の木は枝や葉が少ないことに気づいた。相関関係があるのかもしれない。

 続いて1000メートル地点に進んだ。7月15日頃に折れた松の付近から1000M標識を振り返った写真が2枚目である。その真ん中に写っているのが、折れた松のすぐ後ろにあった松だ。この松を見上げるとこの木にもほとんど枝や葉がない。周りを見上げていると、葉の色が黄色になっている松が1本あった。右側の写真である。その真ん中の松の木だけが他の松と色が違っているのがわかる。

海側に曲がった松 7月に折れた松の隣の木 葉の色が変色した松

 1300M地点で、標識の反対側に立っている松が松くい虫にやられているのを見つけた。上を見上げてもこの松にはほとんど枝がない。痛々しい限りだった。
家に戻ってから 『松林が危ない! 東北・松くい虫被害最前線』(河北新報社編集局編・無明舎出版・2003.11.30発行)を開いてみる。「消える海岸林」という表題で、宮城県金華山の様子が描かれている。

 道を抜けると一気に視界が開けた。島の最南端、東ノ崎。覆っているはずの緑が消えている。直径20センチほどのアカマツはすべて幹だけの姿。枝も葉もない。
 すき間だらけになった林越しに、太平洋の青い海が見渡せる。
 立ち枯れした木の樹皮には、直径1センチほどの円形の穴が多数開いていた。
 松を枯らすマツノザイセンチュウの媒介役、マツノマダラカミキリが卵からかえり、飛び出したあと。穴という穴にキノコが生えている木もある。
 『松林が危ない! 東北・松くい虫被害最前線』(河北新報社編集局編・無明舎出版・2003.11.30発行)12ページから。

 ここはトリムランニングコースの道端でわかりやすい場所だから、米代西部森林管理署や能代市役所でも分かっているはずだが、どうして伐採や燻蒸処理をしないのだろうか。
 今日も80枚程の写真を撮したのだから、もっと気付いた点があったはずだが、夜になってから書いているので、何のために撮したのか分からないものもある。更にオリンピックの実況を見ながら書いているので、集中できない面もある。今日は谷亮子と野村忠宏の金メダルを見たので安心しておやすみとしよう。女子サッカーは後半苦戦中。

1300M地点の標識 松くい虫の被害を受けた松 左の拡大写真

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