風の松原を歩く   これまでの足跡 04年9月

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最終更新 2004/9/30


04/9/1(水)
 8/20に台風15号、8/30に台風16号に見舞われた。能代では16号の被害はほとんどなかったが、2学期早々臨時休校の措置をとった小中学校も多かった。
 風の松原でも16号の被害はなかったが、15号の後かたづけがまだ済んでいない。済んでいないというよりも、アカシヤの倒木はそのままの状態にしておくのかもしれない。というのは、今日の散歩の際に、トリムランニングコース1550m付近の「小鳥のみず場」の下草が刈り取られて、みず場の仕組みが分かるようになっていたからである。それとも、みず場の下草刈りは計画されていた事業だが、アカシヤの片付けは予算がないのだろうか。

ジョギングコースとトリムランニングコースの
三叉路にあるサルスベリが満開だった。
街中のものより半月も遅い。
野鳥のみず場 空色のタンクが8個並んで
いる。それぞれに蛇口がついていた。もっと
近くで撮さなくっちゃ。

<9月1日の項に9月9日追記>
 台風16号の被害はほとんどなかったと書いたが、インターネット版北羽新報に、萩の台で交通規制が行われ、立木を伐採している写真が掲載されたので、「貴社のインターネット版を見ていますが、9/1の台風16号についての記事に載っている写真は台風15号の写真を間違えて掲載したのではないですか。本文を見ても能代市での倒木による交通規制は書いていないし、写真は萩の台のようです。ペーパー版の北羽新報(9/1付)も確認しましたが、写真は「強風により倒れかかった杉の木」が掲載されていました。」と9月8日に問い合わせていたが、その回答が今日着信したので追記する。
 回答は 「いつもご購読ありがとうございます。さて、ご指摘の件ですが、紙上とホームページどちらも台風16号被害の写真で使い分けました。ホームページの写真は萩の台です。記事が十分ではありませんでしたが、一時交通規制が敷かれました。」 とあった。
 私の写真を調べてみたら、9月4日午前5時45分撮影の写真に、6番地点付近に丸太を細かく切って置いてある写真があった。風の松原の内部から運び出したものと思って撮したが、7番地点付近のシロヤナギの丸太はそのまま置かれてあり、不思議な気持ちだった。これで、台風16号の時も倒れた大木(ニセアカシア)があったことが分かった。


04/9/2(木)
 昨日、野鳥のみず場について書いたので、今日もっと近づいて撮した。どのような仕掛けになっているかは分からないし、蛇口が付いているわけではないが、タンクから水が出ている。上部の真ん中には直径5センチ程の蓋のようなものがあった。


04/9/5(日)
 昨日、能代市立図書館に行って風の松原に関係したことを書いている図書を捜した。さすが「木都能代」と言われた能代市、木に関係した書棚は何本もあった。今回読んだ本は次の7冊。
  1,パンフレット『風の松原 −中心部散策マップ−』(2002年3月 風の松原に守られる人々の会作成、印刷:大潟印刷)
  2,『中學社会 能代市』(能代市社会科研究会著、平成13年3月20日 能代市教育委員会発行)
  3,『森を歩く −国有林(秋田・山形ガイドブック)−』(秋田営林局監修、平成5年7月 (財)林野弘済会秋田支部)
  4,『私たちの風の松原物語 −語り継ぐ能代海岸砂防林の近代−』(浅野ミヤ著、1999年11月 「秋田のこだま」編集部発行)
  5,『風に学んで』(発行:平成13年3月 東北森林管理局米代西部森林管理署)
  6,『松に聞け −海岸砂防林の話−』(畠山義郎著、1998年7月 日本経済評論社発行)
  7,『松樹千年翠 海辺に愛を植える女たち』(岡本顕実著、はかた夢松原の会発行、第一書林発売)


 書棚の中には1の『風の松原』というパンフレットまであった。これは貴重なパンフレットだ。表紙には『緑の長城 白雪青松 能代海岸砂防林 風の松原』というタイトルと、「風の松原に守られる人々の会 作成」と書いてあり、さらに「当会が秋田県の助成を受けて作成しました。概念図としてご利用ください」と書いてある。
 私がこのホームページを作る動機になったことが皆ここに書かれているのだ。私の地図も修正しなければならない箇所もある。概念図では高齢林、中齢林、若齢林の区別が分かるようになっている。「風の松原小史」という歴史も載っている。これらの本を読みこなして私のホームページを充実させていこう。


04/9/8(水)
 前夜から台風18号と付き合い、我が家で風が強く吹き始めたのは8日午前1時半頃だった。
  (NHK総合テレビで午前0時15分頃から、前夜から二日連続の番組があった。番組名は覚えていないが、あとから新聞の番組欄をみたら<こども>とだけ書いてあった。パソコンで作業を進めながら聞いていたが、重松清や義家弘介なども参加し、子どもの気持ちについて論じていた。インターネットやFAXで子どもたちも参加しており、親が子どもの気持ちを理解しないことに対して痛烈な意見が寄せられていた。その番組が終わったばかりの頃だった。)
 NHKニュースではいつものように台風18号の現在地を報じていたが、台風が九州・中国地方にいた時と違って、テレビ画面の台風位置には、さりげなく(推定)という文字が添えられていた。8日夜の報道ステーションでは司会の古館一郎が「以前は台風報道を見ていると九州や近畿地方の報道は詳しいのに、台風が日本海に抜けてしまうとあまり報道しないことを不思議に思っていた」と前置きして、北海道の被害の甚大さを報道していた。
 よけいなことを書いてしまったが、いかにも台風の風という強風になったのは午前五時過ぎだった。それから長い時間強風が続き、午前中は時に強風が吹くので外出できなかった。午後になってもなかなか外出の許可が下りず、風の松原を歩いたのは午後3時ころになってから。北海道の被害は、北大ポプラ並木が倒れる(実は倒壊寸前で観光客に公開されていなかった)など、かつてないほどの大きな被害だったが、能代では左側写真にあるように小枝が折れる程度だった。右側写真の雑木の色の変化は今回の台風のせいではなく、15号、16号と10日に一度ずつの台風のために、例年よりも早く変化してきたのではないかと思う(昨年までのことは全くわからないが)。路上に折れた小枝が多かったのは44番地点付近だった。 

10番地点付近 小枝が散乱している 休養広場(35番地点)付近
葉が赤くなっているのは桜等の雑木

04/9/9(木)
 今日は久しぶりで5時台から歩いた。8月13日の朝は5時40分頃まで街灯が明るかったが、今日は5時45分なのに街灯の明かりは消えていた。昨日35番地点付近の風景を載せたが、昨日の写真の西側に折れた松の木が1本あった(写真左)。幹が裂けるように折れているのだから、昨日の散歩の際に気付いてもよさそうだが、昨日は反対側の雑木に目を奪われていたから分からなかったのかもしれない。道路から見ただけだが、松くい虫にやられた訳ではなさそうだ。しかし、この写真では分からないが、樹冠の枝はほんの僅かしかなかった。
 今日は、0番地点から6番地点までの内側の小径も歩いた。15号台風の際にニセアカシヤが多数倒れた小径だ。今回は1本だけニセアカシヤが倒れていた。この小径は営林署では直してくれないらしく、15号の倒木を避けて、新しい小径(ケモノミチ?)ができつつあるが、今回は誰かが切ってくれるだろうか。
 ほかに傾いてしまった木の写真を2枚載せたが、それらの木の海側に松の木が1本倒れていた。写真を撮さなかったが、あの松は今回倒れたものか、それとも以前から倒れていたものか。東に向かって倒れていたから15号台風の被害ではないと思うが。

36番地点西側の松が裂けるように折れている 4番地点内側の小径で倒れているニセアカシヤ
折れてはいないが、小径を塞ぎそうなニセア
カシヤ
5番地点内側の小径で極端に傾いてしまっ
た松の木

 話題が変わるが、今日の北羽新報に風の松原関連の記事が載っているので紹介する。

風の松原 守られる会が環境大賞
 
25日に表彰式 保護、保全活動を評価

 県は、今年度環境大賞(知事表彰)の受賞者・団体を決定した。能代山本からは能代市の風の松原の保全活動を行っている「風の松原に守られる人々の会」(梅田市美会長)が選ばれた。
 環境大賞は、県民の環境保全に対する自主的な取り組みを促進することを目的に10年度に創設。毎年、自他薦を問わず活動事例を募集し、選考委員会の結果を踏まえ表彰している。
 今年度は13件の応募の中から1個人・3団体・2企業の受賞を決めた。
 このうち、風の松原に守られる人々の会は、13年3月に発足し、会員は現在115人。風の松原の恩恵を享受し、理解を深めるため市民向けの観察会や松原の歴史を知る講演会を開催したり、ガイドマップを発行。また、松くい虫被害の調査や間伐、かん木除去など松原の生育を助け、保護・保全のための活動を展開していることなどが評価された。(以下省略)

 この会についてはネーミングがすばらしいことを前に書いた(8月1日の項)。また、私のホームページの「風の松原とは?」に、この団体が作成したガイドマップを紹介したばかりであった。

昨日北羽新報社に問い合わせていた件について、先ほど回答があったので、9/1の下に追記しました。


04/9/12() −13日に距離・所要時間等一部訂正−

 11、12と秋晴れのさわやかな好天。道路からは白神の山々がくっきりと見えた。昨日は岩館まで行ってきたが、昨夜は深夜就寝とあって午前6時に起きたものの、朝の散歩は中止、二日続きで風の松原は行っていない。
 ところで今朝(9月12日付け)の北羽新報にはこんな記事があった。

松原や港をテクテク
 JR・駅からウオーク 夜はおなごり満喫

 JR東日本主催の「駅からハイキング・ウオーキング」が能代で行われたのだという。「おなごり」とは今年で17年目になる「おなごりフェスティバル」のこと。記事によると、「リゾートしらかみ」の到着時間に合わせ、能代駅を発着点に行われたという。

(9/12付けの記事から引用)
 参加したのは50人余で、約3分の1は東京など県外からの参加者。風の松原に守られる人々の会のガイドで参加者は松原内を散策し能代港へ抜け、はまなす画廊やはまなす展望台を見学した後、再び松原を歩き、柳町やおなごりの日中イベントの物産展などを見学して能代駅に戻った。歩行時間約2時間50分、距離約9.6キロのコース。
 この日は天候にも恵まれて参加者はさわやかに能代の名所や街を散策。秋田市から参加した女性(76)は「風の松原は気持ちが良く、松の保存状態もいい。夜はおなごりを見学してから秋田に戻ります」と話していた。

 この新聞記事には納得できないところもあったので、実際に「はまなす展望台」まで行ってみた。能代駅から真っ直ぐに風の松原まで行くと3番地点に出る(ここまで実際に時間を計って歩いたことはないが、距離は1.4キロ。信号が4箇所あり、歩きのベテランたちが歩くとすれば20分くらいか?)。0番地点から入るのが良いと思うが(駅から畠町と柳町、能代工脇を通って1.7キロ)、はまなす展望台までの最短距離だと5番地点と6番地点の中間から入るのが最短距離。ただし、この小径は大森神社脇から休養広場までの道路状況が良くない(松林に入ってからここまで52人が一列で歩くのに10分くらいか?)。休養広場からはまなす展望台までは狭い小径があるが、松林を抜けると歩道もついているので歩きやすい。途中横断歩道が2つあり、日中はトラックも通るので注意が必要(ここは15分くらい)
 展望台は朝9時から夜7時までの開館なので、何年も上ったことがなかった。入ると「入館者数台帳」があり、9/11日に「JR駅からハイキング 52名」と記入されていた。

 9月12日と13日の記録については、 はまなす展望台 と はまなす画廊 として独立させました。 → こちら


04/9/13()
 昨日作ったはまなす展望台までの記録が不十分だったので、今朝もう一度同じコースに挑戦した。あとでこのページを「はまなす展望台・はまなす画廊」として独立させたい。

 私のお薦めコースとしては、

能代駅 → 畠町 → 柳町 → 一小と工業高の脇 → 陸上競技場脇のスタート地点。 ここまで1.7キロ(20分)
0番地点 → 55番地点 → 42番地点 → 35番地点(休養広場) 1.4キロ(今朝の所用時間 15分) 松原の中も歩きやすい
休養広場 → はまなす展望台  キロ数不明(今朝の所要時間 12分)
展望台内部の見学と、隣接するはまなす画廊の見学 (所要時間は適宜)

 展望台内部の見学は、100段の階段の登り降りと眺める時間を入れても10分あれば十分か。
 はまなす画廊は400〜500メートルの長さがあると思うので、時間をかけて見ることも出来る。また同じ地域内にアスレチックの遊具や、今は目立たなくなってしまったが、勝田香月「出船」(今宵出船かお名残惜しや〜)の歌碑、広い芝生があるのでゆっくり休息することも可能。今回驚いたことは、駐車場の中に、プレハブのさかなつりのエサ販売所が出来ていたことだ。朝6時半頃だが既に開店していた。


04/9/17(金)
 このところ留守にしたり朝早く外出したりで、風の松原に行っていないが、9月16日の北羽新報にこんな記事があった。

能代山本の観光を点検 首都圏の代理店、マスコミ関係者
県の招待事業 
風の松原や酒蔵巡る

 県のエージェント・マスコミ招待事業で県北入りしている首都圏の旅行代理店・マスコミ関係者は15日、能代市の風の松原や藤里町の岳岱自然観察教育林を訪れ、観光地としての可能性などに理解を深めた。
 (中略)
 風の松原では、市観光振興室の戎屋鉱希室長の案内で約30分間散策。近畿日本ツーリスト首都圏メイト事業部の松本融さんは、「風の松原の規模は日本一と聞いたが、虹の松原(佐賀県唐津市)などと比べて観光地化されていない。しかし、松原だけでは誘客は難しいのでは」と語り、また白神山地を含めた能代山本については「白神とほかの観光地をセットにしたツアーは多くなっている。温泉もいいと思う。ただ森岳温泉に宿泊したが、食のメーンがジュンサイだけでは弱い。あと何かが必要」と指摘した。 

 と書かれていた。私が今日、秋田市で手にした能代市の観光パンフレットにも「風の松原」の写真が出ている。説明文は次の通りだ。

 果てしなく続く松林は幅1km、長さ14kmに及ぶ日本最大級の黒松林です。かつて、能代一帯は飛砂の被害がひどく、先人たちは多くの苦労を重ねて黒松の植栽に挑んできました。時を重ねてようやく根付き、今では大樹に成長し、その数は700万本という見事な松林になりました。
 昭和58年には「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれたほか、数々の権威ある百選に選ばれています。散策路や憩いの広場等があり、風の松原は癒しの空間となっています。

 と書かれており、そのパンフレットには、ほかに、「バスケの街」「能代港」「伝統の技と自然の恵み」「主な行事」、裏面(こちらがオモテかもしれませんが)には「能代のねぶながし」がカラーで掲載されています。そのパンフレットに載っている風の松原の写真は、下刈りを行っている地域(この部分はほんのわずか)だが、これらの写真に誘われて見に来た人たちの感想は「リンクのページ」に紹介したような失望感を伴っている。私は、パンフレットに載っている写真は誇大広告ではないかと思う。下刈りされている部分は、自動車道路に面した、長さ600メートル、奥行き40メートルの部分だけなのだ。観光資源としてではなく、松自体の生育のためにも、もっと多くの部分の下刈りが必要だと思う。国有林部分については本来は国(林野庁:森林管理署)がやるべきだが、国が出来ないとすれば、風の松原の恩恵を受けている能代市や能代市民が行うべきではないか。
 「風の松原に守られる人々の会」では、提言や具体的な申し入れをしていると予想する(私は「守られる人々の会」との接触がないので分からない)が、行政のすき間にある問題なので上手くいっていないのではないかと思う。


04/9/25(土)
 このところ旅行をしているため、1週間風の松原を歩いていない。「風の松原とは?」に使用した書籍を返却するために市立図書館に行って木に関する書棚を眺めていて、『松枯は森の感染症 −森林微生物相互関係論ノート−』(二井一禎著 文一総合出版2003/11/8発行)と『松枯れ白書 −松枯れの主因は大気汚染−』(松本文雄著 メタ・ブレーン1998/4/1発行)の2冊を借りた。ほかにも<森をつくる>といった内容の本が何冊かあって読んでみたかったが、二井氏の論文を読むのが先だと考えた。
 それは、私はこれまで4か月近く風の松原を歩いていて、そしてお盆に続いて、彼岸にもお墓にいって、生き生きとしている松の木々を見、どうして墓地公園の松はこんなに生き生きとしているのに、風の松原の松はそうでないのか? マツノザイセンチュウだけが松枯れの原因なのか、という思いにとらわれていた。その思いに答えてくれるのがこの2冊ではないかと思う。まだ感想を書くことが出来ないでいる『海岸林を守る −「風の松原」からの発信−』(伊藤忠夫・近田文弘著 北羽新報社2001/11/10発行)との関連も確かめたい。今、この文章を打っているうちにある考えが浮かんできたが、明日から数日別の仕事があるので、同じアイデアを持ち続けることが出来るだろうか。

風の松原の松はこんな風景になれるのだろうか?


04/9/28(火)
 26日に電車で新潟方面に向かった。何気なしに車窓を見ていたのだが、秋田市を過ぎたら車窓から見える松の様子が一変してしまった。幹だけになって、まるで火事で焼けたようになっているのだ。そこで車中から撮してみた。

いなほ8号で9:06頃撮す。
下浜か道川海岸付近。
9:43頃撮す。象潟付近。
こちらは松もしっかりしている。

 また、私の旅行中、28日付けの北羽新報に風の松原に守られる人々の会が、今年度県環境大賞を受賞し、豊沢市長に受賞報告に訪れたことが報道されている。ただし、この報道は受賞決定の時にインターネット版北羽新報に報道されているので今回はインターネット版には出ていなかった。


04/9/30(木)
 今日で今月は最後になるが、ここ2週間ほどほとんど風の松原を歩いていない。今朝は歩くはずだったが、台風21号による豪雨で家を出ることが出来なかった。午後から晴れてきたので夕方風の松原に行ってみた。

陸上競技場前案内板の後にはアカシヤの
伐採後があった
55番地点案内板前にアカシヤの木が倒れ、
散策道を塞いでいた。
54番から42番へ抜ける小径付近の野鳥の
みず場にもアカシヤの倒木があった。
41番付近には新しい測量杭らしきものがあった。
42番地点から34番地点への道路上にこのよ
うな標識鋲を打ち付けてあった。A分類とD93
といったD分類の標識も見られた。
路上に標識鋲を打ち付けた両側の林にもこの
ような標識が見られた。しかし、30番地点付近
には標識は見られなかった。

 今日は夕方だったために見えなかったかもしれない。風の松原について何かが動き始めたことを感じた。明日はもっと詳しく調べてみよう。


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