これまでの足跡 04年6月

風の松原を歩く トップへ

最終更新 2004/8/22


04年6月1日(火)
 風の松原を散歩していて、ふと、「風の松原のホームページはどのくらいあるだろうか?」と考えていた。これまではホームページで見たことはなかった。そこでgoogleで検索してみると、694件検索できたが、最近の写真を多用したページはそんなに見あたらなかった。能代市の風の松原ホームページはこのようになっている。
 様々なページがある中で、私が気に入ったのは、「海岸林造成、森を作るということは・・・」というページだった。皆さんもこのページをクリックしていただきたい。<http://webclub.kcom.ne.jp/ma/yamasho/reforest-kaigan.htm >
 昭和31年といえば、能代市では3月に第2次大火のあった年。私は小学校6年生だった。私が、能代海岸の様子を見たのは翌年、能代一中に入学してから。本間君という友人から連れて行ってもらったのが初めてだと思う。本当に「森を作るということは・・・」にあるような光景だった。あの場所は、現在では能代火力発電所や「はまなす画廊」になっている


04/6/2(水)
 「ホームページがないのなら自分で作ろう」というのが私の考えである。インターネットを使い始めた1996年当時、法律を調べたいと思って、ホームページを捜したが、当時はまだGoogleなどの検索エンジンがない時代、なかなか見つからなかった。それなら自分で作ってしまおうと、エーアイ出版社発行エーアイムック156の『なるほどカンタンHTML』という本を買って勉強し、秀丸エディターでHTMLタグを書いて、憲法などの条文のページを作ったこともあった。
 今朝の散歩からはデジカメを持参し、ジョギングコースに100メートルごとに設置されたプレートとその前後の風景を撮すことから始めた。


04/6/4(金)
 今朝の散歩から戻ってから北羽新報を読んだら、一面に
「被害防止へ薬剤散布」(風の松原)
松くい虫 面積、昨年の3.4倍に
米代西部森林管理署 今月下旬から地上、空中で
という見出しで、記事が出ていた。風の松原の全体像が分かる航空写真入りである。
 この記事の概略は北羽新報社のホームページの中の「これまでのニュース」の6月4日のところで読むことが出来る。ただ、過去のニュースは一週間分位ずつで1ページになっているので、紙面を印刷する際には注意しなければならない。残念なことに航空写真は掲載されていなかった。米代西部森林管理署からネット掲載の許可が出ていないのかもしれない。


04/6/5(土)
 風の松原を歩いたのは中学校の時だが、そのころはこんなハイカラな名前も付いていなかった。下浜地区の生徒の通学路でもあったし、別段意識はなかった。この松林はすばらしいのだと最初に意識したのは大学卒業して1年目。北海道の小学校に勤務した友人が、仙台での結婚式に出席した後で能代に立ち寄ったのだ。在学中に別の友人がバイクで東北一周して立ち寄った時には飲むだけで終わってしまったが、北海道の友人には、せっかく能代に来てくれたのだから、どこか案内しようと思ったが、まだ自家用車もない時代だ。能代は木材の町だが、見せるものは何もないということで、松林の中を下浜まで歩いたことを覚えている。現在の50〜59の地点を59番から50番へと向かって歩いたのだった。下浜(今の浜通町)に着いてからはタクシーで家まで戻ってきたと思う。この部分は今よりも道幅は広かったと思う。


04/6/6(日)
 散歩の途中で知人と出会うことが多い。今日は日曜日のためか出会う人も多かった。今日は中学校の同期生に出会った。「退屈とどう戦っているのか?」と言われた。来年は彼も退職するのだから、その時には彼に「退屈と戦う方法」を伝授してやろう。


04/6/7(月)
 6月1日から歩き始めて今日で7日間歩いた。ジョギングコース(名前はジョギングだが健康のために歩いている人がほとんど)は一周6キロ。我が家から風の松原まで一キロくらいあるから、一日に8キロ位は歩いたことになる。家に戻ってから『北羽新報』を読んだら、風の松原関連の記事として、
貴重な財産後世へ
能代商議所が観察会
風の松原 松くい虫対策に理解を
という見出しで、「風の松原松くい虫対策観察会」が6日に風の松原で開かれ、市民約300人参加したことが報じられている。北羽新報社のホームページの「これまでのニュース」の6月7日の項参照。
 私は、そういう観察会があることを知らなかったが、昨朝は下左の写真にあるように、ジョギングコース100メートル地点に多くの人が集まっていることは記録していた。今日、その場所で、下右の写真の花壇が完成したことが分かった。末広町第一子供会の花壇であった。

ジョギングコース100メートル地点に集まっている人たち 6/6 完成した花壇 ブロックで地面に「末広一」 6/7

04/6/11(金)  


 昨夜この「風の松原を歩く」を作り始め、「100メートルごとの標識」の画像を入れたが、どの標識もほとんど変わり映えがしない。そこで今日はもう一度0番からスタートして進行方向に向かって写真を撮り直した。今日は曇り空で写真は写しやすかった。

 6月1日から歩き始めたが、雨模様は1回だけ、後は毎日が好天で朝6時から明かりが強かった。100メートルごとの標識の画像は、もっと小さくしよう。

 今日はスタート地点脇にこのような立て看板が立っていた。これは13日午前9時から「風の松原を守る市民ボランティア大会」があるので、その準備が始まっているのだろう。既に佐々木工務所のローダー1台がすぐ近くに停車していた。

 
このボランティア活動には約1000名の市民が集まった。この内容については、北羽新報社のホームページの「これまでのニュース」の6月15日の項参照。

04/6/19(土)

 6月1日から風の松原を歩き始めたが、今日は初めて朝から小雨模様になった。これも台風6号の余波だろう。今日は傘を持って参加し、トリムランニングコース(2000メートル)を歩いたが、他の人たちはいつもと同じように歩いていたようだ。明朝は今日よりも本格的な雨になるようだが、他の人たちはいつもと同じように歩くのだろうか?
 トリムランニングコースは上のコース図の青で書かれたコースで、ジョギングコースの800メートル地点から5700メートルに抜けるコースなのだが、今日は600メートル地点に新しい看板が2枚立っていた。これも能代ロータリークラブの寄贈によるものだ。

 うまく出来たようなので、トリムランニングコース内にあるほかの看板も大きく表示できるようにしてみた(画像容量の都合で拡大は取りやめました)。


04/6/20(日)
 風の松原に初めて入ったのは、小学校の頃だったと思う。そのころ、能代では松の枯れ葉を集めて、ストーブやかまどの焚き付けにする習慣があった。おばあさんと松原へ出かけた。行く時は熊手と縄を持って行った。行った場所は現在の10番から22番の地点だったと思う。
 熊手で地面の松の枯葉(松葉)をかき集める。大きな雪だるまよりもまだ大きなかたまりができあがる。それに縄を掛けて背負うのだ。乾いた松葉は葉どうしが絡まってしまうので四方に縄を掛けただけで背負うことが出来る。それを一個ずつ背負い、疎開道路の家まで戻ってくるのだ。今にして思えば、片道2〜3キロ程の道のりだったのだろう。枯れた松葉は火の付きがとても良くて薪ストーブの焚き付けとしてはとても良かった。


04/6/21(月)
 ジョギングコースを作成中だが、途中でトリムランニングコースを歩いた日もあったので、トリムランニングコースもまとめておこう。
 ジョギングコースの写真を撮り直したのは6月11日だったが、台風6号の影響で雨模様になった19日にホームページを作り始めて、いったいどの場所なのか、なぜその写真を写したのか、理由を思い出せないことが何度もあった。幸い写真には、それを写した時刻も記録されているので、時刻から標識の場所を推定した部分もある。おおよそ標識から標識までの100メートルを1分20秒位で歩いていた。
 トリムランニングコースを写真撮影を目的に歩いたのは6月13日だったので、その分を早く作成しないと忘れてしまうかもしれないからである。とにかく写真だけはアップしておこう。 


04/6/27(日)
 今日の北羽新報の一面トップ記事は
歩道や野鳥の森整備へ  バリアフリーにも配慮
今年度から4カ年事業   保全林機能を強化

といった見出しで、東北森林管理局の「生活環境保全林整備事業」の解説をしていた。この記事は北羽新報社のホームページの中の。「これまでのニュース」にも簡単に掲載されているが、紙面にはこんなことも書いてあった。

    
 能代市によると、風の松原は東西約1キロ、南北約14キロで、広さは約760ヘクタールと東京ドーム163個分に匹敵
   する日本最大規模の松林。
    同局が同事業を実施するのは初めてで、松くい虫被害も深刻化しているため、同事業と並行して薬剤散布などの松
   くい虫対策事業にも力を入れる。

 私がこのホームページを作り始めて、知りたいと思ったのは、風の松原の範囲の南側がどこまでかということだったのだが、ようやく分かってきた。このページの一番上に航空写真を載せている。それによって東西(写真上では左右)が1キロということを基準にすれば、南北(写真上では上下、下が南)は写真右下の港湾道路までは米代川から4キロ程度しかない。南側にもう10キロ近くもあることになる。ロケットセンター脇を通って、風力発電のところまでは行ったことがあるが、その先まで続いているのだろう。黒岡までか、もしかすれば八竜町のメロン道路まで続いているのだろうか。あそこまでの間に小川があっただろうか。一度南端まで行ってみよう。


04/6/30(水)
 28日は森吉山ゴンドラに行くので風の松原は遠慮し、戻ってからホームページの更新をしたが、メールソフトの調子が悪く、もしやウイルスの侵入かと思った。29日は散歩もせずに、早朝からパソコンとにらめっこ。夜に飲み会のあと、いつものバーに立ち寄る。ママさん曰く「今朝は風の松原に入れませんでした」。ママさんとは風の松原で出会ったことがあった。そういえば、先日毎月1回血圧を測りに行っている病院で、お医者さんが「最近は毎朝歩いているようですね。やはり歩くのが健康に一番ですよ。」と言っていた。お医者さんの家は我が家から風の松原に行く途中にあったから、どこかで見ていたのかもしれない。あるいはお医者さんも歩いているのかもしれない。

 そこで今朝(30朝)スタート地点に行ったら、「立ち入り禁止」のロープが張ってあって、森林管理所の乗用車が何台か止まっており、ジョギングコースへの見張りをしていると思われる人が3人しゃがんで話をしていた。その傍らには右の看板が結わえ付けてあった。私は、「風の松原の外周を歩く−その3」用の写真撮影に変更してすぐ脇の自動車用道路を下浜まで歩いた。50番地点にもロープが張られており、監督の人が1人立っていた。ロープの内側には薬剤を積んだトラックが止まっており、スタート地点に戻ってきたら、松林の中からまだ薬剤散布の音が聞こえていた。帰りに5番地点では大森稲荷神社への入り口にも立ち入り禁止のロープと人がいたが、すぐ隣の6番地点はロープがなく、車止めが取り払われていたから、毎日別の場所を薬剤散布しているのだろう。
 
 後から北羽新報を見たら、29日の紙面に写真入りで紹介されていたのだった。パソコンパニックで、昨日は一日中ほとんど新聞を読んでいなかったことに今頃気が付いた。


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