指揮 カルロ・リッツィ
セット&コスチューム ポール・ブラウン
レオノーラ ミシェル・クライダー
ルーナ ヴァレリー・アレクセエフ
マンリーコ リチャード・マージソン
アズチェーナ イリーナ・ミシュラ
メトの久々の新プロダクションをポール・ブラウンが担当したというので今シーズンのワシントン・オペラの新プロダクションと比較しようと楽しみにして観に行った。
ブラウンは94年にショスタコビッチ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」のセットとコスチュームを担当して大評判だったが、この時の斬新的なデザインはショスタコビッチの作品にマッチしていてとても気に入っていたし、今回のプロダクションの事前のインタビューでは時代に忠実にするより、印象的な作りにするとのことだったので期待していた。しかし、しかし!!! 幕が上がると上部に薄雲が描いてある白と黒の2つ壁があってこれが開いて人物が登場したり、月が上がったりという具合。最初は興味深々で観ていたが、教会シーンではこの壁から何故か横に何個も十字架が飛び出している。最後にマンリーコとアズチェーナが投獄されているシーンでは白い壁が半分、崩れ落ちた上でデュエットしていた。ワシントンの投獄シーンでは別々の牢やに入れられており壁をはさんでデュエットしたのがとても憐れみがあった。
メトのコスチュームはトラディショナルでセットのシンプルさを補って、スカートなどやたらにボリュームがあるし、兵士達のよろいはピカピカでジッポーのライターに足が生えたようだ。がっかり。これならワシントンの新プロダクションの方がずっとインプレッシブだった。
さて歌手の方はどうかというとミシェル・クライダーはちょっと中域、低域がハスキー、高音がとてもクリアな黒人らしいソプラノで、声量もあり、テクニックもある。でもワシントンでキャロル・ヴァネスのレオノーラを観た後ではミスキャストという印象を受けた。別に人種的にステレオタイプするつもりではないのだけどクライダーはアイーダを唄った方が似合いそうだ。。
ファビオ・アルミリアートがワシントン同様に演ずるはずだったマンリーコは、NYタイムズのオペラ・チャット情報によるとあまりに不出来の為、リハ中に降ろされたとのことで、リチャード・マージソンが演じていた。なるほどアルミリアートの声量ではメトでは厳しいかも知れない。マージソンはクリアなテナーなのだけど、何かつまらないし、でくのぼう。この人はオペラ歌手になる前はフォークシンガーだったそうだけど、そのままフォークシンガーしていた方がよかったかも???
ルーナ役のアレクセエフは「マクベス夫人」の時と同様、マニヤックな感じがうまかった。マージソンとアレクセエフは同じ背丈、小太りで同じ髭をはやしていたので、最初にレオノーラがマンリーコだと勘違いしてルーナに愛を歌う場面や、実は兄弟だったというおちなど大変に真実味があるのがおかしかった。
このプロダクションで一番、よかったのはイリーナ・ミシュラ。今シーズンにダリラ役でメト・デビューした後、カルメンとアズチェーナを歌っている。低音がちょっと汚ないのが気になるが、なかなかドラマチックなメゾで、ふけメークをとったら結構美人そうだ。
コーラスはオケとリズム合わず、全体的に不満が残るプロダクションだった。私が観た晩も"This Production Sucks"と叫んだ観客がいたし、オープニングの晩にはブラウンが最後に舞台に出て挨拶した所、ブーイングされて早々に引っ込んでしまったとのこと。いつもヴィスコンティやポネルのようなセットばかりではつまらないから、時には斬新なセットも歓迎したいのだが、折角の新プロダクションがこれではトラディショナルな作りを好むメトの観客はますますトラディショナルなものを要求するようになってしまいそうで残念だ。
ところでこの作品はヴェルディがオペラ歌手ストレッポーニとの間にできた赤ん坊を病院に捨てた年に作曲されたとのことだ。そしてストレッポーニは他にも自分が生んだ子供達数人を見捨てたとのことで、この子供達はルーナとマンリーコのように互いに兄弟だということを知らずに育ったということになる。現実はオペラより奇なり?