歌舞伎座は、建て替え工事の休止に入るため、昨年1月から「さよなら公演」と銘打って特別公演を延々16か月にわたって行ってきました。いよいよ現在の建物での興行は今月が本当の「さよなら」。そのまさに掉尾を飾るのが、第3部の最後に上演される「助六所縁江戸櫻」(すけろくゆかりのえどざくら)でした。
ところで、全くの余談ですが、上で「掉尾を飾る」と書きましたが、Wordで「とうびをかあざる」と入力しても漢字が出てきません。おや困ったなと思って国語辞典を引くと、「掉尾」をを「とうび」と読むのは通俗読みで、「ちょうび」が正しいのだそうです。さっそく「ちょうび」と入力するとちゃんと出てきました。では「洗滌」はどうか、と試しに「せんでき」で入力すると一発で出ますが、「せんじょう」では出てきません。Wordというソフトは妙なところで頑固に「正しい」読み方にこだわっている、ということがわかりました。因みに日経新聞に掲載された中村芝翫の記事では、わざわざ「とうび」とルビが振ってありました。
歌舞伎の名作には上方の文楽・義太夫の台本からとったいわゆる「丸本もの」が多いなかで、この「助六」は純粋な江戸歌舞伎の代表作(市川家の「歌舞伎十八番」の筆頭)。しかも、「花の吉原」のまさに桜の季節を舞台にした華やかな演出で、祝祭的演目のお約束である「曽我もの」でもあるわけですから、歌舞伎座の記念公演にこれ以上のものはありません。
この日の公演では冒頭に、市川海老蔵があらわれて、口上を述べました。二代目市川団十郎が創始し、江戸の町衆によって育てられた芝居で、特に築地魚河岸、蔵前札差、新吉原遊郭の三大パトロン組合からは、公演の都度、祝儀の品々が届けられたといった由来と挨拶を述べたあと、後ろの三浦屋店先格子の御簾内側に居並ぶ河東節連中にも一礼して「なにとぞお始めくだされましょう」と呼びかけてから引っ込みます。
河東節は、歌舞伎のパトロンでもある素人の旦那衆が演じる浄瑠璃で、市川宗家の役者が助六を演じる時にだけ、出演します。他家の役者が出演する場合は長唄や清元などプロの伴奏となります。今回の助六は市川団十郎ですから、もちろん河東節。プログラムには河東節十寸見会(かとうぶしますみかい)の名簿が掲載されており、なにしろ素人衆ですから毎日出演というわけにはいかないのでしょう、その日出演するお歴々の名札が正面ロビーに貼り出されているのも、お祭り気分を盛り上げます。もちろん素人とは言っても名取の方々ですから、声音、節回しとも本格的なもので、プロの演奏と遜色なく聴こえます。なお、当日の三味線の方々は全員女性で、御簾内ですからはっきりはわかりませんが、着物の着こなし、撥さばきからいって、お師匠さんか、粋筋のお姐さん方といった方々のように見受けられました。山彦千子という人間国宝になった人もいるそうですから、三味線方はプロといってよい人たちなのでしょう。
市川宗家が「助六」を演じる場合の特別扱いは、この河東節だけではありません。「助六所縁江戸櫻」という外題を掲げられるのも、団十郎か海老蔵(成田屋)が主演する時だけで、他の役者が助六になる時は、成田屋に遠慮して別の外題にする慣わし。たとえば、仁左衛門(松嶋屋)の場合は「助六曲輪初花櫻」(くるわのはつざくら)、幸四郎(高麗屋)は「助六曲輪江戸櫻」、菊五郎は「助六曲輪菊」(くるわのももよぐさ)といった具合です。もともと市川家の番頭格だったという流れにある高麗屋が一番近い外題であるのも、成田屋との距離を現しているようで面白い、と思います。
とにかく、江戸歌舞伎の総帥、市川団十郎が、ご贔屓の旦那衆のサポートを得て、江戸のスーパーヒーローを演じる町人文化の粋、というのがこの「助六」であるわけです。今回は記念公演の「大トリ」ですから、配役も超豪華。主演の団十郎と相手役の玉三郎に加えて、普通の公演ではありえない大物が脇役で多数出演しました。白酒売り(実は助六=曽我五郎の兄の十郎)に菊五郎、くわんぺら門兵衛に仁左衛門、通人里暁に勘三郎、福山かつぎに三津五郎といった座頭級、意休の左団次、白玉の福助、満江の東蔵、三浦屋女将の秀太郎なども幹部クラス。同じ第三部の「実録先代萩」に回った芝翫、幸四郎および第1部・第2部を連投した吉衛門・藤十郎をのぞく大幹部全員集合の大一座となりました。
この大一座で団十郎は別格として、もう一方の主役(ヒロイン)の「揚巻」を演じたのが坂東玉三郎です。既に、故六代目歌右衛門なきあと、現代歌舞伎女形の第一人者であることは自他ともに認められたものでありましょうが、こうして改めて大舞台での晴れ姿をみるのは、永年のファンである私としては喜ばしくも感慨の深いものがあります。
玉三郎は、若い頃から注目されて人気がありましたが、クロウト筋からはしばしば「美しいが、大成駒(歌右衛門)に比べると芸はまだまだ」といった辛口の評が書かれ、ファンとしては口惜しくも腑に落ちぬ思いがすることも多かった時代がありました。篠山紀信の写真集などで外形的な美しさが歌舞伎界を超えて世間一般に広く喧伝されてしまったために、かえって旧い世代や伝統を重視する人たちからは反発を食らう面もあったかもしれません。私は、その頃から、彼は単なる「時分の花」ではない美しさと天才的な表現力がある役者であり舞踊家である、と思ってきました。上の世代がまだ歌舞伎座で活躍していた間は、あえて歌舞伎以外の舞台にも数多く挑戦しています。
なかでも私の記憶に残っているのは、「サド侯爵夫人」「黒蜥蜴」「マクベス」「ナスターシャ」「海神別荘」「夜叉が池」「天守物語」などです。歌舞伎にせよ、その他の舞台にせよ、彼が登場するだけでこの世のものならぬ美しさに、観客席にいわゆる「ジワ」が波紋を広げていくのを何度も目の当たりにしました。また、「虚実の境界の皮膜にある」といわれる舞台芸術ならではの妙味を実感する瞬間を味合わせてくれる演技者でもあります。そうした舞台人としての凄みは、むしろ歌舞伎以外の舞台でより強烈であったようにも感じますが、それもつまるところ、男が女を演じる女方としての演技の積み重ねという基盤があってのことだと思います。その彼も、最近は、立女方(たておやま)としての立場を自覚してか、あるいは単純にスケジュールの余裕がなくなったのか、中国の昆劇を別にすると歌舞伎の舞台にほぼ専念するようになっていました。
そして、迎えたこの日。玉三郎の花魁姿は今までにもこの揚巻をはじめとして八ツ橋、夕霧、阿古屋など何度も観てきましたが、これほどまでに光り輝いているのを観るのは初めてかもしれません。もともとこの人は、赤姫や町娘よりも悪婆、芸者、遊女などの色っぽい女がよく、今まで観た傾城姿も類まれな美しさを持っていたのではありますが、今回の存在感は特別なものがありました。やはり役者として、これだけの大一座のプリマドンナ役を勤めるということでの高揚感と気合の入り方が違うのではないでしょうか。
爛漫の桜花が垂れ下がる吉原の大見世三浦屋の店先。金棒引きの先導のあと、紅格子の前に五人の「並び傾城」が居並ぶと、花道から揚巻太夫の登場となります。高下駄をはき、提灯持ち、傘持ちなどの若い衆、二人の禿(かむろ)、大勢の新造、遣り手などの行列を従えた花魁道中。花道の出のところで、酔った風情で一度よろけてみせる。この光景にもう観る方もふらりとなり、夢見心地の非日常の世界にどっぷりと入っていくことになります。 この場の揚巻は、背中に奉書紙の紙垂れをつけ派手な金糸の注連縄(しめなわ)をめぐらしたお正月模様の打ち掛けをまとっていて、まさに神が降りてきたような姿なのです。この衣裳は、あるいは、助六(実は曽我の五郎)という荒ぶる神に捧げられる供物としての美女を意味するのかも知れませんが、この玉三郎による揚巻は自身が女神となっているかのように見えます。
そして、花道の七三で立ち止まりふたたび酔った風情で形を決めてセリフにはいると、その前に並び傾城の若手役者たちが発した声、セリフ回しとの格の違いを見せ付けます。ご存知のとおり、女形の声は独特の甲高い声色で発声されますが、玉三郎はもともと地声が中年女性のような音質なこともあり、ファルセットになっても不自然さが少ない。それを確かな様式感と磨きぬかれた技術による絶妙なセリフ回しで発するので、特別大きな声ではないのですが、凛として響き渡り、満場の意識がそこに集中します。その後、髭の意休が登場して、揚巻の間夫(まぶ:遊女の情人)である助六の悪口を言うと、痛快無比の揚巻の啖呵が始まります。この場面での口跡の鮮やかさ、切れ味のよさはこの人ならではのもので、最高位の花魁らしい権高さの中に女らしい情感と命がけの覚悟を浮かび上がらせる表情も絶品です。
さて、また話は脱線しますが、遊女の商売上の名前を「源氏名」といいます。もともとは官女や奥女中などが使っていたそうですが、源氏物語に因んでつけられる女性の通称です。「あげまき」という名前も宇治十条のヒロイン、薫大将の恋人につけられたもの。しかし、その宇治八宮の姫君の名前、あるいはそれが因って来るところの和歌の「あげまき」にあてる漢字は通常「総角」であって「揚巻」ではないのです。もとは平仮名のはずですから、あて字はどちらでもよいようなものですが、源氏物語では難攻不落の姫君をあらわすのに固い感じの「総角」という漢字を使い、芝居の花魁役には柔らかい感じの「揚巻」という漢字をあてるところが、日本人の繊細な言語感覚をみるような気がいたします。
その揚巻の見せ場「悪態の初音」が終わったあと、いよいよスーパーヒーロー助六の出端となります。
江戸紫の鉢巻にむきみの隈取、黒羽二重の着流しの腰に尺八を挟み、傘を片手に花道の上で河東節にあわせて20分近く所作(踊りではなく語りであるとの口伝があるとか)をします。和事と荒事のミックスということで、優美な色男ぶりの柔らかい動きと下駄を踏み鳴らして踏ん張る力感的なストップモーションが入り混じります。この場面、2階席以上ですと、最前列以外は花道がよく見えないので、下駄を踏み鳴らす音だけが聞こえるというかなりフラストレーションが溜まるところですが、今回はツテをたよって平土間のまん真ん中、前から7列目のいわゆる「とちり席」(以前歌舞伎座の座席番号は前から「いろは」の順だった)を確保できたので、堪能できました。
当代の団十郎は、変声期に喉を痛めたとかで声音に少し難があるのですが、この場面では、それは関係ありません。白血病を克服して還ってきての大舞台。本家助六らしい貫禄の様式美を見せてくれました。大名跡を背負う重圧は大変なものでしょうが、それを感じさせないのがこの人の持ち味で、ゆったりとした芸風で格の大きさをみせてくれる役者です。男っぷりと口跡の良さは息子の海老蔵の方が上かもしれませんが、この大きさはまだまだ出せません。
この公演のあとで、テレビで団十郎の凄まじい闘病生活とカムバックの努力の過程を紹介する番組を観ました。芝居を観ている時には、そうした舞台裏の努力や苦労の跡を感じさせずに、夢を見させてくれる。そこが凄い、とあらためて感じ入った次第です。
脇役に大物が並んだ今回の公演では、やはり普段とは「役者が違う」面白さが随所にみられました。特に観客を大いに沸かせたのが、通人里暁をやった勘三郎。もともと当意即妙のセリフで笑わせる役ですが、通常の倍くらいの時間をかけてしゃべりまくりました。団十郎には「孝俊ちゃん(海老蔵)も落ち着かれて……」、菊五郎には「しのぶちゃん、おめでとう……」などと話しかけるものですから、喧嘩を売っているつもりの曽我兄弟も思わず苦笑しそうになるなど、観客は大喜び。この公演に来ているのは役者の家族までよく知っている通の観客であることを見越したくすぐり、といえるでしょう。
なかでも一番受けたのが、花道の七三に差し掛かってから、劇場内をしみじみ見回し「さよなら、さよなら、ってよく稼いだよね。」という松竹へのあてこすり。笑いながらも、16か月の長丁場もこれで終わり、これが本当の「さよなら」だ、という感慨を覚えたお客も多かったはずです。