10月初めにワシントン、ニューヨークへの出張があり、10月4日(土)、メトロポリタンオペラでマチネーの「サロメ」を観てきました。いま某メールのサークルでも話題になっているカリータ・マッティラが出演しているあのサロメです。ちなみに当日は会場に何台ものハイビジョンカメラが設置されており、小生の観た公演がライヴビューされていたようです。
今回はこの夏にNYに赴任した知人夫妻と3人で行ったため、メトロポリタンオペラ東京代表の井上女史にお願いして3連続の席を確保していただききました。(オーケストラ・バックのBB席ほぼ中央で@$150)この席は以前にも書いたかもしれませんが2階席がかかっているため、オーケストラの音が上に抜けてしまって間接音になり、オペラの交響楽的な部分も重視する(と武田さんに指摘されている)筆者にはちょっと迫力不足で不満ではあるのですが、巨大な管弦楽が容赦なく咆哮する今回の「サロメ」に限っては、歌手の声がかき消されずによく聞こえて(舞台の上の歌手の声は2階席にじゃまされずに直接音として届くので)、十分に楽しめるものでした。
もっとも、かつてカラヤンがウィーンフィルと名盤となる「サロメ」を録音していた際、ウィーンフィルの楽員たちがインタビューで「われわれは今、背筋がぞくぞくするようなエロチックな音楽を毎晩録音しているんです」と答えているのを読んだことがありますが、サロメの場合、オケの表現力が恐ろしくモノを言いますので、もう少しオーケストラ、特に木管と弦が豊かに響いてきてくれた方が楽しめたかもしれません。
さて、まずはユルゲン・フリムのプロダクションですが、そもそも紀元30年が舞台の「サロメ」を近代に置き換えているのは最近のオペラ演出の趨勢どおりということでしょうか。
舞台となるヘロデ王の館は中東のオアシスにある要塞か基地のようなつくりで、右手脇にはインディアナ・ジョーンズに出てくるような櫓井戸がおかれています。衛兵たちはやはりインディアナ・ジョーンズばりのアラブの兵士の衣装で、マシンガンをかかげています。また夜会の出席者たちはタキシードに蝶ネクタイ、イブニングドレスでシャンパンをガブのみしています。登場したサロメは白いドレスに身を包んで容姿端麗。コケティッシュなムード満点です。テノールのキム・ベグリー演ずるヘロデ王は巨大なお腹で白いタキシードを着た丸禿げ頭で、007に出てくる悪役のイメージ。一方ヘロディアス(イルキド・コムロシ)は嫉妬と狂気の紫のドレスをまとっています。聖者ヨハナーン(ウーハ・ウシタロ)はほぼ原作のイメージに近く、ぼろをまとい、鎖につながれた聖人として登場します。
オスカー・ワイルド原作の台本では「死んだ女のような」気味の悪い月が何度も言及されるのですが(ザルツブルグでのカラヤン演出では、本当に気味の悪い巨大な月が評判になり、CDのジャケットにも映っています)、本演出では青白い中東の夜空に月はなく、月が言及される場面では、黒子の衣装に真っ白い天使の羽を持った人物が数人、音もなく静かに岩山の上に現われ、腕を組んで舞台でのおぞましい劇の成り行きをじっと見下ろしています。
この「月」の役の黒天使はヨハナーンの登場する場面で基本的に舞台に現われますので、「聖人」を象徴する光背のような役割もあったのかもしれません。
ただ、この演出の中心はなんと言ってもマッティラのサロメの演技でしょう。井戸の中から出てきたヨハナーンに「キスして!」とひたすら迫る、妖しくもコケティッシュな演技はゾクっとくるものでした。マッティラ自身は決してもう若くもないのでしょうが、純白の薄手のドレスをひらひらさせながらヨハナーンの顔をなでたりしだれかかったりという演技で、まるでキャバクラ嬢のような雰囲気です。そしてなんといっても話題を集めているのが有名な「7つのヴェールの踊り」・・。そう、世界で最もゴージャスなストリップダンスです。
これがなぜか開始前にサロメが一旦舞台から姿を消して衣装を着替えて登場するのです。黒いパンツルックのスーツに・・。イメージ的にはミュージカルの「キャバレー」といったところでしょうか。リヒャルト・シュトラウスの絢爛な音楽にのせて、この黒パンツのサロメが2人の男性ダンサーと組んずほぐれつ、妖しいダンスを踊ります。
曲がすすむにつれて上着やパンツを脱いで下着姿になると、井戸の櫓のポールを使って、ストリップそのもののダンスも踊ります。椅子に座って凝視している義父ヘロデのひざの上にまたがって、まるで性行為そのものを模したようなピストン運動までしてしまいます。・・でもなかなかそれ以上脱ぎません。音楽が一旦静まって、チェロがワーグナーの「トリスタン」の「イゾルデの愛の死」のクライマックス部に似た、半音階で転調を繰り返してどんどん上っていくエロチックな音楽になっても、下着をつけたままひたすら艶かしく踊り続けます。
次第に音楽がテンポを上げ踊りも激しさを増していきますが、その頂点に達する直前、舞台奥にたったサロメは後ろ向きにブラジャーをはずします。そして最後のカタルシスのような弦の下降音形のところで客席正面を振り返り、胸もあらわに手を高く振り上げると、脇のアシスタントが一瞬にしてパンツを引き下げて全裸をさらすと同時に、別のアシスタントが黒いガウンをまとわせて踊りが終わります。その間数秒。でも確実に全裸を見せるというショッキングな(というか歌手にとっては大変勇気のいる)演出です。
さらにすごいのはその後、ヘロデ王に対して、「ヨハナーンの首を頂戴!」とひたすら言い続ける時の神鬼迫るサロメの駄々のこね方です。
何か他のもので代えられないかと嘆願する王に対して「私が欲しいのはヨハナーンの首!!」と、ドスの効いた地声で叫びます。そしてエンディングの長大なソロ歌唱。あれだけ激しく踊ったあと、よくこんなにスタミナが持つものだと感嘆するくらい力強く、巨大なオーケストラを突き抜けてヨハナーンへの愛と征服の歌(?)を絶唱します。最後にヨハナーンの首の口にキスをすると、サロメの口の周りには赤い血がついて狂気の顔に変わり、そのまま「もしかして血の味?いいえこれが恋の味なのね・・」と絶唱します。
幕切れ、ヘロデ王が「あの女を殺せ!」と叫ぶと、兵士が槍を持って駆け寄るというのがト書きですが、ここでは衛兵は槍ではなくてマシンガンを持っているので、代わりにヨハナーンの首を切りに行った首切り執行人が、長い剣を掲げてサロメの方に静かに歩み寄るところで幕が下がります。音楽は強烈なティンパニが三連打を繰り返す、劇的なエンディングです。
筆者は15年ほど前にボストンで、小沢征爾が指揮するボストン交響楽団の定期演奏会で、セミステージ形式のミニ演出による「サロメ」を観た事がありますが、このときの幕切れはボストン交響楽団の名物ティンパニスト、エヴェレット・ファース(サイトウ・キネン・オーケストラでもティンパニを叩いています)が、渾身の強打でこの三連符をたたいた印象が今でも耳に強く残っており、メトロポリタンのオケの音はかなり甘かった印象でした。前述の通り1階後ろの、オケの音が通りにくい席だったせいもあるかもしれません。
ちなみにこのボストンのサロメはヒルデガルト・ベーレンス。カラヤンが満を持してザルツブルグで起用した理想のサロメです。舞台上のフルオーケストラを突き抜ける強烈な声で圧倒された印象があります。もっとも「7つヴェールの踊り」は、セミステージということもあり、ちょっとしたダンスという域をでるものではなかったと記憶していますが・・。
ベーレンスはさすがにもうこうしたドラマティックソプラノの現役から引いてしまいましたので、マッティラはおそらく現在最高のサロメでしょう。1幕もので短いとはいえ、ほとんど歌いっぱなしで、難しい演技を含めて出ずっぱり。最後に強烈かつ長大なソロをうたわなければならない難役「サロメ」はそうだれもが歌える役ではないと思います。
しかも昔のビルギット・ニルソンのように、鋼鉄の声を持ちながらも、ルックスはビヤ樽みたい・・というのでは、ライヴビューを含めた最近のビジュアル要素重視の演出には耐えられないでしょう。ベーレンスも、素晴らしいドラマティック・ソプラノでありながら、容姿端麗かつスリムなスタイルで、カラヤンが「待っていたサロメにようやくめぐり合えた!」と言ったという逸話がありますが、マッティラも容姿端麗でスタイルも良く(ちょっと足が太いのが気になりましたが・・)次世代の理想のサロメだと思います。正直言って彼女の声は、他のどの歌手よりも力強く、巨大なメトの会場の隅まで響きわたっていました。
ヘロデ王は性格テノールも聞かせどころではあるのですが、キム・ベグリーの声はいささか弱く、奥に引っ込んだ感じで、この狂気をはらんだ王を演じきるまではいきませんでした。終演後のカーテンコールではやはり正直なもので、ブラボーは出ず、いまいちだったと評価されていました。それにくらべてマッティラは初めから総立ちのスタンディングオベーション。ずば抜けた歌唱と捨て身(?)の演技に対する惜しみない賞賛を一身に集めていました。
エピローグ
このサロメはマチネーでしかも1幕ものだったので、午後4時前には終演したのですが、実は同じ10月4日の晩、今度はご一緒した現地の夫妻の招きで、カーネギーホールに行きました。コンサートのハシゴです。
実はこの晩、日本でテレビCMなどにも出ている女性ヴァイオリニストの川井郁子女史のカーネギーデビューコンサートがあったのです。これがまたモデル並みの飛び切りの美女。スタイルも抜群で、ヴァイオリニストにしておくのはもったいないくらい・・。しかも終演後には、カーネギーの向かいにある日本クラブで、川井郁子を囲むレセプションというのがあり、間近でご本人に挨拶する機会にまで恵まれました。ということで、今回のニューヨークは、昼も夜も、ヴィーナスの微笑みに恵まれるという貴重な経験をさせていただき、印象深い滞在となりました・・。