指揮 サー・エドワード・ダウンズ
監督 ソニア・フリセル
ドン・カルロ ラモン・ヴァルガス
ロドリーゴ ドウェイン・クロフト
フィリッポ二世 パータ・ブルチュラーゼ
王妃エリザベッタ ウェロニカ・ヴィラロエル
エボーリ公女 エリザベス・ビショップ
宗教裁判長 ダニエル・スメギ
1867年にパリのオペラ座で初演された「ドン・カルロ」は5幕の仏語版と改訂した4幕のイタリア語版があるが、今回のはイタリア語版。シカゴ・リリック・オペラのプロダクションで、セットはスペインのお城ぽい石壁が基調でサン・ジュスト修道院、宮廷、フィリッポ二世の書斎、宗教裁判、牢獄など全ての場面でシンプルだが大きな十字架が威圧的なシンボルとなっている。コスチュームはトレヴィゾで作られたオリジナルの生地でヴェニスのアトリエが縫製したもので、フィリッポ、エリザベッタ、カルロスの衣装は黒いビロードに金の刺繍がほどこしてあり、大変にゴージャスだった。例えばフィリッポの衣装は帽子や毛皮でトリミングしてあるベストなどヘンリー八世の有名な肖像画を想像していただければイメージが涌くと思う。
コヴェント・ガーデンで指揮して49年目を迎えるダウンズは今回がワシントン・オペラでのデビュー。オーケストラが歌手達を圧倒して声が聞こえない箇所が数ヵ所あったが、全体的にはしっかりした指揮ぶりで、ドラマチックな場面ではゆっくり、それ以外の所はテンポよく進めてベテランは流石。
ヴァルガスもワシントン・オペラ初出演で、ドン・カルロ役も初挑戦。この役は軽いネモリノ役のテナー(パバロッティ)からヘビーなラダメス役をこなすテナー(ドミンゴ)まで幅ある声質のテナーが歌える役だが、ヴァルガスのはリリカルな声。ちょっと小太りで背は低く、あまりハンサムとは言えないのが玉に傷だが、ちゃんとしたテナーを聴けたのは久々だ。チェチリア・バルトリお気に入りのパートナーだというのも判かる気がする。
しかし、何と言ってもこのプロダクションで輝いていたのはロドリゴ役のドウェイン・クロフト。素晴らしい張りのあるダークなバリトンを堪能した。彼のバリトンはヴァルガスの声質とぴったり合っていて第一幕のカルロとのデュエットもとてもよかったし、最後に牢獄で銃殺される場面でも、最後のアリアを歌った後に生命果てて数段階段を転げ落ちるところなどとてもリアリティーがあった。
ブルチュラーゼのフィリッポ王も貫禄があり、威厳を示す一方、書斎でエリザベッタは自分を愛したことなどなかったと嘆く場面など憐れさがにじみ出ていた。来シーズンはメトでレイミー様のフィリッポ王に対して宗教裁判長を演じる予定だが、その演じ分けぶりが楽しみだ。
ヴィラロエルは美しくとても気品あるエリザベッタ役を見せてくれた。この人はとても演技力があり、数年前のドミンゴと共演した「道化師」でははすっぱなネッダ役をそれらしく演じていたし、大変に幅がある。本当はカルロと同年代のはずのエリザベッタ役だが、ヴァルガスに対してちょっと年上の義母になってしまったのはしょうがない。ヴェルディの作品はドラマチックさ、コーラス、デュエット、トリオ、クアルテットが本当に素晴らしい。このプロダクションはワシントン・オペラの中でもベスト5に入る出来で、メト並のキャストだったので思わず2度観てしまった。
尚、今シーズン、ワシントンではシェークスピア劇場が粋な試みでヴェルディの「ドン・カルロ」の叩き台となったシラーの「ドン・カルロス」をオペラに先立って上演した。おかげで我々は芝居とオペラを比較する稀なチャンスに恵まれた。台詞より歌うのは時間がかかるので、どうしてもオペラの筋書は芝居より簡素化される。従って芝居にあるカルロスとフィリッポが親しい幼馴染だという背景や、カルロスがファザコンで「父上は自分を一度も愛してくれたことがなかった」と愚痴る場面や、カルロスやロドリゴを陥れようとするフィリッポの側近達等、色々省略されていることが判かった。逆に芝居では一般市民の宗教裁判の場面はない。
シェークスピア劇場のニュースレターを見ると実際のフィリッポ、エリザベッタ、カルロスの肖像画を見るとけっしてハンサムでも美人でもない。カルロスはせむしで鳩胸で右足は左足よりずっと短く、少女のような高い声の持ち主で、残忍で食欲旺盛で、馬と若い女性を鞭打つことを好んだとのことだ。そしてカルロスは投獄されたのではなく、自室監禁され、ある日高熱を出し23歳で死亡した。フィリッポは1559年にフランスとスペインの65年戦争を終結する条約でエリザベッタと結婚。エリザベッタがカルロスの許嫁だったことはないが、両人は親しく、カルロスが死んだ時エリザベッタは連日、泣いていたとのことだ。そしてその後まもなく、エリザベッタが出産時に死亡してしまったので、フィリッポはカルロスの許嫁だったオーストリアのアンナと再婚したとのことである。
1867年、ヴェルディの「ドン・カルロ」がパリで初演された時にビゼーは「ひどい。妥協した作品だ。メロディーも表現もない。全くの失敗だ。」と酷評したとのことである。しかし、ヴェルディの作品の中でも宗教、国家、親子関係、権力者の公職とプライベートのコンフリクトと大変に興味深い作品だし、音楽的にも優れていると思う。「アイーダ」「オテロ」「フォルスタッフ」と並ぶ優れた後期の作品なのでは。