この週末は金曜夜は「椿姫」、土曜の午後に「コシ・ファン・トゥッテ」、夜は「アルジェリアのイタリア女」とオペラを3つ観るというハード・スケジュール。でも2つは見慣れたオペラだし、もう1つもオペラ・ブッファだから気楽なもの。ご贔屓の歌手を見れるのも楽しみ。東京からレイミー様を観に来た友人2人とNYで落ち合いまず「椿姫」から観た。
これは98年11月に初演されゼフィレリのプロダクションでそもそもアンジェラ・ゲルギウが出演する予定だったのに例によって彼女のまがままでもめた為、パトリシア・ラセットがヴィオレッタを上演したもの。NYのオペラ気違いの友人は98年の初演を観ているのだけど、何でもラセットがゼフィレリのセットに圧倒されて目立たない為、ヘアに沢山、飾りものをつけたり苦労したとのこと。
今シーズンもパトリシア・ラセットがヴィオレッタなのだが、私が観た晩はズベテリナ・ヴァシレヴァというブルガリア人がこの晩にメトにデビューした。彼女は大変に緊張しており、ちょっと台詞を忘れてしまったりヒヤヒヤしたが、まあまあスマートでヴィオレッタ役には相応しく、声量はもう1つだが、歌唱力はあり、演技力もまあまあだった。楽しみにしていたアルフレード役のラモン・ヴァルガスがキャンセルして、ルイス・リマになってしまったのでがっかりした。この人は背が低いし、見栄えがしないし、声量も今ひとつ。しかし、ご贔屓のディミトリ・ヴォロストフスキーがジョルジオ・ジェルモンとして圧巻だったので、大満足。まだ30代なのに、背が曲がっているように見せ、ちゃんと年配者らしくゆっくりと歩き、素晴らしいバリトンを聴かせてくれた。当然、彼が一番、拍手喝采されていた。指揮はマンハイム国立劇場の音楽監督ユン・メルクル。日本人を母親に持つメルクルは甘いマスクで観客に受けていたし、ちゃんとしまった指揮をしていた。
セットはゼフィレリらしく第一幕のヴィオレッタのサロンは豪華で、第二幕のパリ郊外のアルフレートとヴィオレッタの愛の巣はシンプルながら、キャビネットにはお皿が飾ってあったりと手が込んでいた。パリのフローラ邸での「スペインの夕べ」パーティーのシーンではセットチェンジが終わって幕が上がると闘牛士のダンスの始まる前に下がっている黒い豪華なレースのカーテン(スペインみやげにフラメンコ人形の髪飾りのレースのようなの)がすぐに上がってしまうという贅沢さ。しかし、何と言ってもびっくりしたのは最後のシーンで通常ヴィオレッタは寝室で死ぬのに、このプロダクションではヴィオレッタが寝室の出口から去ると舞台がせり上がり、下のサロンが現われてヴィオレッタが階段から降りて来るというさすがゼフィレリらしい派手な演出。そこにアルフレードとジョルジオが登場するのだが、瀕死の病人が階段を降りて来るのはいかがなものか。
メトのプログラムによると「椿姫」はアレクサンドル・デュマの自伝的な物語だそうだ。15歳でパリに来て有名になった高級娼婦マリー・デュプレシスはリストが「初恋の女性」と言った女性で、デュマが1844年に会った時には既に結核で、吐血していたそうな。その後ペリゴー子爵と結婚し、療養に専念したが、1年内に23歳で死去したとある。ヴェルディも1852年にソプラノのジュゼピーナ・ストレポーニとパリで同棲していたが、この女性は19歳の時から一家を養っており、子供を生んでは見捨てていた問題女性だったとのことで、椿姫はヴェルディの自伝でもあったとのこと。
1853年のヴェニスの「ラ・フェニーチェ」での初演ではヴェルディが反対したにも拘わらず、マネージメントが130キロ(!)のソプラノを使った為、自分の意図とは違った結果となり、その後の初演後、上演を禁じたとのことである。しかし1年後には満足いくキャストで再上演され、大成功を納め、その後は世界中でよく上演される英語で言うWar horseになった。