シリーズ部落差別 7

 

狭山事件と部落差別

差別裁判 続

  第1審浦和地裁(内田裁判長)で石川さんは「自白」を維持した。その事実は狭山事件の真相、石川さん無実と部落差別を意味している。死刑判決という結果に至ったこの過程はまさに裁判所の部落差別であり、警察の部落差別を受けたものであった。「自白」をいいことに石川さんを凶悪犯罪者に仕立て上げたのだ。「実は石川さんが犯人ではないのか」という謬論は、この第1審とその判決がもとになっているのだ。

 「自白」の維持こそ警察の仕組んだ部落差別である。取り調べの刑事は「10年で出してやる、男の約束だ」と言って石川さんを追い詰め、それを信じ込ませるように仕向け、「自白」を誘導した。文字を奪われ、定職=生活の糧を奪われ、ごく当たり前な社会常識も奪われていた石川さんという人格に部落差別の実態があった。警察はそれを知り尽くし、利用し、石川さんを信じる以外にないところに追い込め、屈服を迫り、信じさせたのだ。石川さんが悪いのではない。警察が行った部落差別が悪いのだ。

警察は「自白」の維持に全力を挙げ、あることないことを総動員して、裁判にかけた。「裁判では何も考えずに、数を数えていろ」と言ったと言われている。石川さんが無知だから、という人がいるが、そうではない。警察と石川さんとの力関係、警察による部落差別がそうさせたのだ。第1審では裁判官が警察の部落差別を何ら問うことなく、まさに真理の追究を放棄し、自らその部落差別に加担した。判決文にあるのは部落民への憎しみである。部落民だからこんな凶悪犯罪をするのだと言っているのだ。怒りなしに読むことのできない判決文である。

 よく狭山事件はえん罪事件だ、部落差別にもとずくえん罪事件だと言われる。確かにそうである。だが、部落差別の問題を見ずに狭山事件の真相はわからないし、えん罪を晴らすこともできないのは事実だ。狭山差別裁判を徹底的に明らかにして糾弾していくなかにえん罪事件の勝利もある。

故青木英五郎弁護士はえん罪事件が避けられない日本の裁判制度と職業的裁判官を「裁判官のアイヒマン(ナチス、ユダヤ人を強制収容所に送り込んだ首謀者)性」と言った。どういうことかというと「他の人の立場に立って物事を見たり、考えたりする能力の欠如、意思の疎通の不可能性、想像力の完全な欠如」が職業的裁判官の特徴だというのである。決して被告の立場には立たず、想像もせず、「強要された自白」などない、不自然な「自白」の変遷も犯罪者の自己防衛によるものと信じ、「自白は証拠の王」という立場を変えようとしない。寺尾などはその典型である。石川一雄という部落青年=部落差別によって苦しめられてきた人間の姿を全く見ることもせず理解することなく、「無期懲役になってよかったですね」と石川さんに語って、それが無実の石川さんにとってどんなことなのか考えもしないのだ。石川さんに「聞きたくない!」と一喝されて驚いたというところにその正体は露呈されている。

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