シリーズ部落差別 6

 

狭山事件と部落差別

差別裁判

  裁判が始まった1963年いらい今日に至るもすべての裁判官は部落差別を全く認識しえていない。それどころか差別者だと言いたい。確定判決となった東京高裁の寺尾裁判官は「私は部落問題についての本を数冊読んだ」などと言って、部落問題を理解したかのような言動を行いながら、弁護側の申請した証人、証拠調べをすべて却下した。そして実質的な審理を一切せずに無期懲役の判決を下したのだ。弁護側は部落差別を立証しようとしていたのであり、それを寺尾は踏みつぶすという暴挙を行ったのであり、まさに差別裁判官と言わねばならない。長期にわたる第2審を結審させ石川さんをあくまで犯人とすることを自らの使命としていたのが寺尾裁判長だ。

 また、最高裁(吉田裁判長)は上告に対して、全く審理も事実調べもせず「記録(警察の作り上げた、でっち上げも含むもの)を調査しても、捜査官が、所論のいう理由により、被告人に対し予断と偏見をもって差別的な捜査を行ったことを窺わせる証跡はなく、また、原判決(寺尾判決)が所論のいう差別的捜査や第一審の差別的審理、判決を追認、擁護するものではなく、原審の審理及び判決が積極的にも消極的にも部落差別を是認した予断と偏見による差別的なものでない」と決めつけ、寺尾の差別判決を肯定したのだ。そして、不当逮捕、「自白」、第1審判決、の全過程をとおして、最高裁の裁判官は、部落差別はなかったと言い切って、自ら部落問題を全く認識していないことを露呈している。さらに事実関係、大規模な部落に対する見込み捜査はなかったことにし、別件逮捕と保釈、本件による再逮捕が何を意味するのかは、何の問題もないとしている。弁護側の言っていることはすべて否定して警察の側の言い分はすべて認めるという判決であり、はじめに結論=有罪ありきといってもいいのだ。そんな裁判官に狭山事件を審理することなど絶対にできない。石川さんを裁く資格はない。この判決によって石川さんは被告から受刑者となって、千葉刑務所に収監され、仮出獄までの長期にわたり獄舎につながれたのだ。

 そして、最高裁判決は、部落差別はなかった、部落差別をしても問わないというもので、部落差別は合法という判例となった。第1次再審、第2次再審ではこの判例にのっとって部落差別についてほとんど触れない、意識的に触れないのである。それでかまわないというのが裁判所の見解となっている。

  01  02  03  04 05 06  07