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活動交流と情報のコーナー 2010~2009年の記事

交通事故絶滅をめざし、交通犯罪を告発し、クルマ社会を問い直す

2010/04/27 北海道新聞
<発信2010 輪禍を追う 交通死減少の陰で>上

24時間基準 統計の外で消える命

旅立ちの日を喜び合う同級生の中に、娘の笑顔はなかった。3月1日、札幌新川高校。札幌市北区の会社員寿崎(すざき)真さん(45)は校長室で、17歳で他界した長女の卒業証書を受け取った。「寿崎里奈 高等学校の課程を卒業したことを証する」-。一文字一文字に、娘の成長の記憶が重なった。「どうして里奈だけがいないんだろう」。妻美江さん(47)と2人、泣いた。

17歳の犠牲者

里奈さんは2009年6月22日、自転車で登校中に市道交差点で軽乗用車にはねられ、意識不明になった。「もって2週間。覚悟してほしい」。医師の宣告は非情だった。2人は、病院のベッドに横たわる里奈さんの手を握り、枕元にラジオを置いて新川高校の野球中継を聴かせた。次第に冷たくなっていく右足を必死にさすった。「覚悟なんてできなかった」。事故から12日後の7月4日、里奈さんは一度も目覚めないまま、脳挫傷で亡くなった。昨年の道内の交通事故死者数は、前年比10人減の218人。5年連続で全国ワーストも回避した。ただ、統計上、この数字は事故から24時間以内に死亡した人だけで、12日後に亡くなった里奈さんは含まれていない。「数字はただの記号かもしれない。だけど、12日間も苦しんだ里奈は、交通事故の犠牲者ではないのか…」。事故後、統計の仕組みを知った美江さんは複雑な思いを抱いている。道警によると、道内で昨年、里奈さんと同じように事故から2~30日以内に死亡した人は前年比10人増の31人。こうした「30日死者」は、過去5年間では計168人にも上る。30日を超えて亡くなった人たちもいる。真さんは「報道される数字以上に、交通事故で消えた命があることを知ってほしい」と言った。

刑の軽さに涙

卒業式翌日の3月2日。里奈さんをはね、自動車運転過失致死罪で起訴された男性(35)に禁固2年、執行猶予4年の判決が言い渡された。「里奈の命はこんなに軽いのか」。2人は法廷で人目をはばからず、泣いた。高校卒業という節目は過ぎ、判決も確定した。でも里奈さんが好きなハンバーグを作る時、お気に入りの歌手の曲を聴いた時、美江さんは知らぬ間に涙が流れる。真さんは、職場で事故以前の仕事の話が出ると、「まだ里奈が生きていた時だ」と無意識に確認する。今、2人は交通事故のどんな小さな新聞記事にも目を通す。人生を突然奪われた被害者と、残された家族たち-。苦しむ人の多さを想像し、願う。「私たちと同じ思いは、誰にもしてほしくない」と。(報道本部の田中瑠衣子が担当します)

◇道内の交通事故死者数◇

道警が統計を取り始めた1948年以降、年間死者数(24時間死者)は増加の一途をたどり、71年に過去最悪の889人を記録。2001年からは減少に転じたが、92年から04年まで13年連続で全国ワーストだった。09年は157人だった49年以来、60年ぶりに220人を下回ったが、93年に公表が始まった「30日死者」との合計は249人で08年と同数だった。
【写真説明】寿崎里奈さん
【写真説明】里奈さんの卒業アルバムを見つめる寿崎真さんと美江さん(右)。同級生たちとほほ笑む里奈さんがいる

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2010/04/29, 北海道新聞
<発信2010 輪禍を追う 交通死減少の陰で>中

見えない傷 脳障害7年判明せず

「仕事に就きたい。ただ、それだけなんです」。札幌市東区の佐藤隆樹さん(36)は丁寧な口調で話した。白いワイシャツに黒のズボン。働き盛りの普通の30代の男性に見える。でも、佐藤さんの脳には、15年前の交通事故で負った傷が今も残っている。「私は『普通』ではないんです。ただ、周りの人たちには伝わらないんです」

記憶力が低下

交通事故や転倒により大脳などが損傷したことで記憶力や注意力が低下し、日常生活に支障をきたす「高次脳機能障害」。佐藤さんの後遺症だ。厚生労働省によると、全国の患者は推計6万8千人。外見では症状が分かりにくく、「見えない障害」とも言われる。佐藤さんは大学生だった1995年5月、札幌市内でバイクを運転中にマイクロバスと衝突。昏睡(こんすい)状態となり、右目の視力は失ったが、1カ月半後には意識は戻った。「異変」に気づいたのは、退院から約3カ月後。アルバイト先の同僚の名前が、何回聞いても覚えられず、買い物先で何を買いに来たか思い出せない-。「人と話すのが面倒になり、雑談でもイライラした」。神経科でもらった薬では、症状は改善しなかった。
高次脳機能障害と診断され、3級の精神障害者手帳が交付されたのは、2002年4月。事故から7年間も異常の原因が分からなかった。その間、コンビニエンスストアの店員や地下鉄の車内清掃などのアルバイトを転々とした。障害が原因で、同時に複数の仕事を頼まれるとパニックになってしまう。次第に厳しくなる周囲の視線に耐えきれず、どこも1年以内で辞めた。
道が高次脳機能障害の「拠点医療機関」に指定している北大病院リハビリテーション科の生駒一憲(かつのり)教授は「事故直後に運ばれた病院で、障害の可能性についての説明がなく、原因が分からないまま何年も苦しむ患者は少なくない」と話す。道は、高次脳機能障害者の家族会が運営するNPO法人「コロポックル さっぽろ」に相談や就労支援などの業務を委託するなど、患者や家族を支える体制整備を進めている。ただ、札幌など都市部と地方との格差解消が課題となっている。

「普通」を望む

佐藤さんは今、コロポックルの支援を受け、障害を隠さずに働ける新しい職場を探している。「また同じ失敗をするのでは」という不安はぬぐえないが、「今度こそ、いい仕事をして、長く勤めたい」と強く思う。働き、稼ぎ、自分の力で暮らす「普通」の生活を始めたいから。【写真説明】「コロポックル さっぽろ」でパソコンを学ぶ佐藤隆樹さん(手前)。「新しい職場では、少しでも役に立ちたい」

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2010/05/01, 北海道新聞
〈発信2010 輪禍を追う 交通死減少の陰で〉下

家族の苦悩 息子の介護 将来誰が

稚内市の米内隆輔君(13)は7年前に乗用車にはねられ、今も同市内の病院のベッドで眠り続けている。111センチだった身長は33センチ伸び、体重も17キロ増えて35キロになった。「ひげが生えてきたよね」。母裕美さん(45)が、隆輔君の顔を優しくなでた。父隆俊さん(52)が「声変わりもしたかも。どんな声だろう」と続けた。体は成長していくのに、一度も声を聞かせてはくれない。

毎日付き添い

隆輔君が事故に遭ったのは小学1年生だった2003年6月。登校途中、横断歩道上を歩いていた。稚内市内の病院に搬送された時点で意識はなかったが、外傷はほとんどなく、医師は「退院まで1カ月」と言った。ところが、3週間後に首の脱臼が判明。脳に酸素が届かない「低酸素脳症」と診断され、意識は戻らずに寝たきりになった。「りゅう、熱は下がったかな」。裕美さんは毎日、面会時間ぎりぎりの午前11時から午後8時まで、隆輔君に付き添う。床ずれができないよう、2時間ごとに体を抱えて位置を変え、顔の汗をふき、人工呼吸器の作動を確認する。事故後、稚内を離れたことはない。隆俊さんも出張のない部署に移り、仕事帰りや週末は病室で過ごす。「命が助かっただけでも幸運だった」。死亡交通事故のニュースを見るたび、裕美さんは思う。でも「寝たきりの隆輔と向き合っていることが、どうしようもなくつらくなる時がある」。事故の直後、札幌の大きな病院に搬送していたら、結果は違ったかもしれない。もっと早く検査していたら。学校まで付き添っていたら…。答えの出ない「もし」を繰り返す。

実情伝えたい

隆俊さんは1年に2回だけ、札幌へ出掛ける。交通事故被害者の遺族や家族らでつくる「北海道交通事故被害者の会」の会合に出席するためだ。「私や妻が年をとったら、誰が隆輔を介護するのか」。同じように後遺障害に苦しむ子供のいる会員に不安を打ち明け、互いに励まし合う。少しだけ気持ちが救われる。隆俊さんは昨年11月、同会が札幌市内で開いたフォーラムで講演した。人前で話すのは得意ではない。緊張で言葉に詰まった。でも、どうしても伝えたいことがあった。隆輔君の事故の日のこと。容体は変わらず、ずっと介護が必要なこと。隆俊さんと裕美さんの声は、きっと聞こえていると思っていること。そして、こう結んだ。「事故が起きたことは新聞で紹介されます。でも、その後の経過は知らない人が多い。交通事故はその時だけでなく、後々まで多くの人を巻き込み続けているのです」
【写真説明】眠り続ける隆輔君を見つめる隆俊さん(右)と裕美さん。事故後も家族の苦悩は続く

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毎日新聞 2010年1月13日
語り継ぐ  車優先社会、変えるため行動
前田敏章さん(60)=北海道交通事故被害者の会代表【報道記事切り抜き

娘の誕生日が一番つらい。「北海道交通事故被害者の会」の代表を務める前田敏章さん(60)=写真=は、95年に交通事故で亡くなった長女の千尋さん(当時17歳)の誕生日には毎年、泣きながらケーキを買いに行く。「傷はずっと癒えないですよ。つらくてアルバムも開けない。未来だけじゃなく、過去も失う」千尋さんは下校中、ワゴン車に後ろから約5メートルもはね飛ばされて即死した。ワゴン車の運転手はカーラジオを操作中で、ブレーキ痕はなかった。だが、加害者は禁固1年・執行猶予3年の「軽い判決」(前田さん)。現場は広い道路だったが、歩道はなかった。「娘が亡くなった原因は、加害者だけじゃなく、危険な運転に寛容で歩行者の安全は後回しという車優先社会にある。このままでは娘の死が無駄になる」。99年に仲間と会を設立。会員は約110家族に増えた。前田さんは、交通事故を「交通犯罪」と呼ぶ。「事故だから仕方がない」「運が悪かった」の言葉で片付けられる問題ではないと思うからだ。道内の学校や少年院などで講演し、歩行者優先の道路環境の整備や加害者の厳罰化を訴える。「娘の分まで生きよう。娘を生かそう」。強い思いが前田さんの行動を支える。【中川紗矢子】

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2009/12/05, 北海道新聞
重度障害者に逸失利益
死亡事故賠償訴訟 札幌地裁案で和解

生きていれば得られたはずの収入「逸失利益」を加害者側の保険会社がゼロ円としたのは不当だとして、交通事故で死亡した自閉症の長男=当時(17)=の札幌市在住の両親が、加害者の運転手らを相手取り、逸失利益約4千万円を含む約7300万円の損害賠償を求めた訴訟は4日、札幌地裁(中山幾次郎裁判長)で和解が成立した。約1563万円を逸失利益とみなし、加害者側が計約4013万円を支払う内容。(関連記事33面)弁護団によると、損害賠償訴訟で、軽・中度の障害者の逸失利益が認められた判決や和解はあるが、重度障害者で逸失利益が事実上認められたのは全国でも初めて。

札幌地裁は、和解案の算定根拠として、当時の道内の最低賃金(時給641円)を基に、週休2日で1日8時間労働できたものと見込み、生活費等を除いた約1131万円を提示。さらに20歳から65歳までの障害年金計約431万円を加え、逸失利益とみなした。これに慰謝料などを合わせて約4013万円とした。支払いについては、すでに原告は自賠責保険で3千万円を受け取り済みのため、加害者と事故当時付き添っていたヘルパーが計約1千万円を支払う。訴状によると、重度の自閉症だった長男は2005年8月、ヘルパーとともに路線バスを利用して札幌市内の公園へ出かけた際、乗用車にはねられ死亡した。加害者側の損害保険会社は、長男が受け取るはずの障害年金も将来の収入と認めず、逸失利益をゼロ円と算定した。原告代理人の児玉勇二弁護士は「最低賃金を算定根拠に逸失利益を認めたもので、極めて画期的な内容」と評価した。

重度障害者に逸失利益 生きる価値 認められた 全国初 両親「画期的な判断」

「画期的な和解だ」。交通事故で死亡した自閉症の長男=当時(17)=の逸失利益をめぐり、札幌市内の両親が札幌地裁に起こした損害賠償訴訟。事実上逸失利益が認められ、和解が成立した4日、両親は同市内で記者会見し、「重度障害者の可能性が認められた」と喜びを語った。(1面参照)「なぜ人の命を『働いて残すお金』で価値判断するのか、ずっと納得いかなかった」。母親(49)は両手でハンカチを握りしめながら「『生きている』ということ自体に価値がある。その思いを裁判所はくんでくれた」と話した。息子「たっちゃん」を亡くして4年、裁判を闘い始めて2年半。両親は、たっちゃんが描いた色鮮やかな絵や友達と笑い合う写真、通信簿など100点近くの思い出の品を裁判所に提出した。「たっちゃんは一生懸命、生きていた」と何とか伝えたかった。結果、最低賃金と障害年金などを逸失利益とみなし、和解が成立。

弁護団によると、重度障害者で認められたのは全国初だ。「障害児を持つ多くの親や家族の礎になれたらと頑張った」。会見で母親は繰り返した。母親は昨年末、ヘルパー2級の資格を取り、今年1月から市内の高齢者施設で働いている。人の命を預かる仕事の「重み」を知りたかったからだ。「障害者も健常者も高齢者も若者も、命の『価値』や重さは変わらない。裁判をきっかけに、多くの人に分かってほしい」自宅では今も家族4人の晩ご飯が並ぶ。両親と娘は食卓、たっちゃんの分は仏壇の遺影の前に置く。「お父さん、お母さん頑張ったね」。写真のたっちゃんは、きっと笑顔でそう言ってくれると、母親は思っている。

<解説>賠償額算定に最低賃金

<解説>4日和解が成立した重度障害者の死亡事故をめぐる損害賠償訴訟は、札幌地裁が最低賃金などを算定根拠に事実上、重度障害者の逸失利益を認めた点で画期的な内容となった。労働の能力を重視した従来の賠償額の算定のあり方に一石を投じたといえる。逸失利益の算定は判例に沿って各保険会社が判断しているが、就労機会が限られる障害者の場合、著しく低く算定されるのが通例だ。神奈川県の養護学校のプール死亡事故で最低賃金を参考に賠償が命じられた判決などがあるが、軽・中度の障害者に限られていた。

これに対し、今回の訴訟で原告側は「重度障害者でも発達の可能性があり、著しく差をつけるのは不合理」と主張。少なくとも最低賃金を基に算定するべきだと訴えてきた。札幌地裁の和解内容は、原告の主張を相当くみ取ったもので、損害賠償論に詳しい立命館大法科大学院の吉村良一教授(民法)は「命の対価に差はない。人を働くモノとみなした賠償額の算定方法を見直す機会とするべきだ」と指摘している。(田中祥彦)

 たっちゃんのお母さんから(当サイト管理者に)届いた支援者あてのメッセージ

長い間、応援ありがとうございました。
12月4日に、和解というかたちで裁判が終了しました。
被告に過失があっても、今まで、重度障害児に逸失利益が認められた前例がないだけに、子供も親も傷つきながらの長い長い2年間半の闘いでした。重度障害者に、逸失利益が認められたのは、全国初だそうで「たっちゃん、やったね!かっこいいよ。」と、報告しました。命を奪われた上に、屈辱的な数字をあびせられ、裁判すらできなかった障害者。不法行為は不法行為で、ちゃんと責任を果たしてもらいたいと思います。 その第一歩になれた事を、誇らしく思います。
ありがとうございました。

2009年12月5日 豊岡淑子

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2009/11/18, 北海道新聞夕刊
「飲酒運転 厳罰を」 被害者の会がフォーラム

国連が提唱する15日の「世界道路交通犠牲者の日」に合わせ、道交通事故被害者の会(前田敏章代表)が事故防止策を考えるフォーラムを札幌市中央区のかでる2・7で開いた。13日に開かれ、交通事故被害者の遺族らが市民ら80人を前に講演した。2003年に飲酒運転によるひき逃げ事故で、当時16歳の次男を亡くした江別市の高石洋子さん(47)は「遺族は子供を失った恐怖を抱え続ける」と、飲酒運転とひき逃げの厳罰化を訴えた。千葉商科大の小栗幸夫教授も「脱・スピード社会を」をテーマに講演し、「設定以上の速度が出せない車の普及も必要ではないか」と提言した。(田中瑠衣子)
【写真説明】フォーラムで飲酒運転とひき逃げの厳罰化を訴える高石さん

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2009/06/14 北海道新聞【連載】命のリレーは今、臓器移植法改正を問う(中)
「提供」より みとりたい 脳死 家族の葛藤

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2009/06/07, 朝日新聞
[ 裁判員時代 @北海道] 交通事故で長女失った白倉裕美子さんに聞く
短縮化する審理 真相究明可能か

裁判員裁判では、裁判が長期に及ぶのを避けるため、事前に証拠や争点を絞り込む公判前整理手続きが行われる。
03年に長女(当時14)を交通事故で亡くし、業務上過失致死罪に問われた被告の裁判で公判前整理手続きを経験した空知支庁南幌町の自倉裕美子さん(39)に、被害者の立場で語ってもらった。
―― 裁判では公判前整理手続きが採用されました。
「手続きでは検察官と弁護人が証拠を出し合い、争点を絞り込む。裁判で最も重要なことを決めるのに、被害者や遺族は出席できない。知る権利が奪われたと感じました。手続きの内容は従来、法延で公開されていたのだから、全面的に可視化するべきです」
―― 手続きの内容を知らされなかったのですか。
「はい。初公判でいきなり事故現場の写真が法廷に映し出されたが、私たちは知らされていなかった。血だまりの写真で、私は頭が真っ白になり審議内容も覚えていない」
―― 裁判員も写真を見ることになります。
「裁判員は判決にかかわるのだから、残酷な映像もしっかり見るべきです。しかし、遺族としては、法廷で公開し、傍聴人にまで見せる必要はないと思います」
―― 公判前整理手続きで裁判は短くなるのでは?
「遺族が求めているのは真相究明であって、短縮化ではありません。人を死なせたり傷つけたりした重大事件を裁くのですから、時間がかかって当然。裁判はだいたい3日間で終わると言われていますが、十分な審理ができるか不安です」
―― 危険運転致死罪も裁判員裁判の対象になります。
「交通犯罪は『事故』と軽視されがち。(殺人や放火など)他の事件に比べ、裁判員は自分も加害者になる可能性が高いので、重い量刑に消極的になることを懸念します」
―― 刑事裁判への被害者参加制度も始まり、厳罰化を心配する声があります。
「被害者感情に惑わされるな、という論調が気になります。私は裁判を報復の場と考えたことはありません。裁判なら真実が分かると期待しました。裁判員制度の目的の一つは民意の反映。仮に厳罰化が進んでも、それも民意。厳罰化の原因を被害者に押しつけるのは間違いです。

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2009/05/11, 北海道新聞
<私の発言>  本田信一郎 (ノンフィクションライター)犯罪被害者の「復讐」は誤解

裁判員制度に反対や懸念を示す専門家は、理由の一つに「法廷が被害者の応報感情に支配される恐れ」をあげる。被害者の在廷そのものを否定しかねないが、ともかく情緒的に応報感情を被害者に押しつけ、あたかも法廷が復讐(ふくしゅう)の場になるかのように言うのは誤解を招く。少なくとも被害者は法廷を感情で支配しようとはしていない。
かつて被害者は「証拠品」として扱われ、予断と偏見にさらされる哀れみの存在だった。それを振り払うようにして実情を訴え、ようやく権利の主体になった。もしも応報感情や復讐心をあらわにして怨嗟(えんさ)の言葉を発し続けていただけなら、社会の理解や法整備は進まなかったはずだ。被害者は感情に期待せず、同情を求めない。求めるのは「なぜ、どうして」を知ること、そして正しい罰だ。
ある遺族は「判決が軽いから怒るのではなく、自分の正義が満たされないから怒るのです」と言った。正確な事実認定を前提に、正義を実現しようとするからこそ冷静に対応するのだ。後に続くであろう新しい被害者の労苦を思いやってのことでもある。
むしろ、傷害事件の被告が証人の被害者を脅したように、「逆恨みによる被告の応報感情」こそ、法廷を混乱させ厳罰化につながる。そして、社会の「集団的応報感情」が増幅するのは、犯した罪に被告を向き合わせようとしない姿勢が明らかな場合であって、単に被告を守るために被害者の応報感情を持ち出すのは疑問だ。(札幌)

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2009年3月6日「北海道新聞」
南幌中3死亡事故 運転手ら5800万円賠償 札幌地裁判決「重大な速度違反」

空知管内南幌町で二〇〇三年九月、同町の中学三年生白倉美紗さん=当時(14)=がトラックにはねられ死亡した事故で、業務上過失致死罪で禁固三年執行猶予五年の判決が確定した北広島市の運転手(48)と運転手が勤めていた運輸会社に対し、遺族が約七千五百万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が五日、札幌地裁であった。橋本修裁判官は「重大な運転操作の誤りがあった」として、約五千八 百万円の支払いを命じた。この事故は当初、美紗さんの飛び出しが疑われたが、両親が独自に調査して検察に働きかけ、札幌地検岩見沢支部は〇五年十二月、運転手を起訴した。検察は時速九十五キロ以上の速度と主張したが、一、二審判決は、時速約八十キロ前後で「暴走とまではいえない」として猶予判決を言い渡した。

橋本裁判官は判決で、加害車のブレーキ痕などから車両速度を時速約九十キロと認定。運転手側が主張した約八十三キロを上回る「重大な速度違反」と判断した。一方で、判決は「加害車両の動静に十分注意すべきだった」として美紗さんの過失も認め、過失割合を5%と認定した。五日記者会見した母親の裕美子さん(39)は、この日の判決の速度認定を評価しながらも、「美紗にも一部過失があるとされるなど、納得できない面もある。初動捜査の不備が今も影響している」と話した。

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