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活動交流と情報のコーナー 2006~2005年の記事

交通事故絶滅をめざし、交通犯罪を告発し、クルマ社会を問い直す

2006/12/29 北海道新聞
ひき逃げ犯よ 謝って 
真狩から 本紙連載「輪禍死」に寄せて
28年前、夫が被害 重い脳障害残る苦しみ、時効後も

【真狩】「私たち家族にとって、つらい気持ちが消えない限り、時効なんてないんです」。十二月中旬、北海道新聞で連載した「輪禍死 消えぬ悲しみ」を読んだ後志管内真狩村の女性から一通の手紙が寄せられた。二十八年前、夫がひき逃げに遭い、脳に重い障害が残り、その後の人生が一変。犯人が捕まらず時効となったことによる、やり場のない苦悩を便せん九枚にしたためていた。家族の夢まで奪った事件は、長い年月を経ても、一家の記憶から消えることはない。(報道本部 近藤憲治)

年の瀬も迫った二十六日、二○-三○センチの積雪に覆われた真狩村の住宅に、娘に付き添われた初老の男性が帰ってきた。「じいちゃん、元気だった?」。小学五年生の孫が笑って出迎えた。男性は北広島市の障害者授産施設に入所している気田幹雄さん(64)。妻光子さん(58)が待つ、長女直子さん(36)夫婦宅で正月を過ごすため、四カ月ぶりに真狩に戻った。幹雄さんは一九七九年一月、三十六歳の時、同僚と飲食し、歩いて自宅に帰る途中、車にはねられた。車はそのまま逃走した。搬送された札幌の病院で、医師から「助かっても植物状態だろう」と告げられた。

ある日、介護に疲れた光子さんが、小学二年生だった直子さんに「死にたい」と漏らした。直子さんは目に涙をためて言った。「何でも我慢するから。私、死にたくない」。その後、幹雄さんは奇跡的に意識を戻し、三年半かかって、つえをついて歩き、簡単な会話ができるまでに回復した。退院して自宅に戻っても、地獄のような日々が続いた。左半身と言語に重い障害が残り、二十年近く勤めた農協のでんぷん工場を辞めた。ひき逃げ被害者に対する政府保障金も、治療費と生活費に消え、中古住宅を買う夢もかなわなかった。幹雄さんは、感情を自制できず家族に手をあげるようになった。「お父さんが生きながらえたのが本当によかったのか、悩んだこともあった」。直子さんは打ち明ける。犯人も分からず、八四年に時効を迎えた。もう捕まることのない犯人への憎しみで、家族は絶望していた。そんな一家を見かね、担当医が幹雄さんを諭した。「このままだと、子供たちの心が離れてしまう。別れて暮らし、父親が自立して頑張る姿を見せてはどうか」

八六年に幹雄さんは、障害者授産施設に入り、今は施設内で洗濯物を整理する仕事をしている。光子さんも真狩村の高齢者生活支援施設で働く。間もなく事件から二十八年になる。幹雄さんは今も、寝る前に悔しさが込み上げてくるという。施設に入ってから、家族がそろうのは年に数回だけだ。それでも、光子さんは「離れて暮らすようになって、『お父さん、今、何しているかな』と思えるようにもなった」とほほ笑む。「犯人も事件のことを忘れたことはないと思う。だから、一言でいい。名乗らなくてもいいから、お父さんに謝罪の手紙を送ってほしい」。直子さんの言葉は、今年も全国で相次いだ、ひき逃げや飲酒運転の被害者や家族の思いを伝えているようだった。

道警によると、今年、道内で二十七日現在、死亡、重傷ひき逃げ事件は二十一件発生し、このうち十八件で容疑者が逮捕された。摘発率は八割を超えている。

<事件の概要>

1979年1月17日未明、後志管内真狩村の道道で、気田幹雄さんが倒れているのをタクシーの運転手が発見。気田さんは頭部をひかれていた。気田さんの着衣に、油や土が付着していたことから、警察は大型トラックによるひき逃げ事件として捜査したが、犯人を逮捕できず、5年後の84年に時効となった。【写真説明】正月を家族と過ごすため長女宅に戻った幹雄さん。この日、初めて28年前の事件のことを孫を前にして話した=26日、後志管内真狩村

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2006/10/13 北海道新聞
亡き妻の願い 弁護士に
挑戦6度 交通事故被害者の会・内藤さん「同じ立場で悩む人、助けたい」

八年前に交通事故で妻を亡くした札幌市中央区の行政書士内藤裕次さん(44)が、「弁護士になって事故で苦しむ人々を助けたい」と六度目の挑戦で司法試験に合格し十二日、活動を始めた。北海道交通事故被害者の会副代表も務める内藤さんは「妻の死で私の人生は一回終わった。その死を無駄にしないためにも、仕事に全力投球したい」と誓いを新たにしている。内藤さんの妻志津子さん=当時(36)=は一九九八年二月、家族で住んでいた千葉県柏市内で道路を横断中、トラックにはねられた。内藤さんが病院に駆けつけた時は脳死状態だった。結婚前、看護師をしていた志津子さんは二人の子供に手がかからなくなったため、復帰を決め、張り切っていた時だった。息を引き取るまでの一週間、内藤さんは付きっきりで寄り添った。妻の顔を見つめていると、声を感じた。「あなたにはやるべきことがある。交通事故で困っている人を助けてあげて」トラックを運転していた三十代の男が過去に人身事故を起こしていたことは、悔しさを倍増させた。それなのに簡裁の判決は罰金約五十万円。「実刑ではないのか」。内藤さんは疑問を感じた。

内藤さんは「被害者という同じ立場で、苦しみ悩む人を助けたい」と弁護士を目指すことを決意したという。勤めていた機械メーカーを辞め、子供を連れて札幌の実家へ戻り、三十六歳で司法試験への挑戦を始めた。貯金を取り崩しながら暮らし、二○○一年に行政書士の資格を取得し事務所を開いた。○四年、ついに司法試験の合格証書を手にした。志津子さんの仏前に供え、「受かったよ」と報告した。  今月初め、司法修習を終え、札幌の弁護士事務所に就職した。死亡交通事故をめぐり、遺族には「裁判では加害者の供述が中心となり公正さに疑問がある」「自賠責保険の限度額が低くて十分な損害賠償を得られない」などの不満が強い。内藤さんは「運が悪かったからと被害者は軽視されている。社会の意識改革が必要」と訴える。

道交通事故被害者の会は十四日午後一時半から札幌市中央区の「かでる2・7」でフォーラム「交通事故被害者の尊厳と権利をめざして」を開く。内藤さんはそこで法律家の立場から意見を述べる。入場無料。問い合わせは同会事務局(電)011・233・5130へ。【写真説明】志津子さんの遺影の前で「交通事故を人ごとと思わないで」と話す内藤裕次さん

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2006年1月1日「北海道新聞」
道内交通死ワースト返上
娘失った前田敏章さん 願いは一つ「事故ゼロ」
調書開示、厳罰化求める

十四年ぶりの全国ワーストを返上した二○○五年の道内交通死。北海道交通事故被害者の会代表の前田敏章さん(56)=札幌市西区=は「ワースト返上が終着点ではない。悲惨な事故がなくなるまで、活動を続ける」と、あらためて長女の遺影に誓う。悪夢の日から十年余り。「娘の死を無駄にしたくない」との思いが、事故ゼロへの活動に駆り立てる。「娘のことを『思い出す』ということはないんです。この十年、一瞬たりとも忘れたことなどありませんから」前田さんの長女千尋(ちひろ)さんは一九九五年十月二十五日、帰宅途中に前方不注意のワゴン車に後ろからはねられ、亡くなった。十七歳、高校二年だった。

千尋さんをはねたのは当時三十代の女性だった。業務上過失致死罪で、禁固一年、執行猶予三年の刑を受けたが、「バイクを盗んだより軽い刑」と知り、納得できない思いが残った。苦しみ、悩んだ末、「事故をなくすことが供養になるのでは」と思うようになった。九九年に交通事故遺族らによる「被害者の会」の結成に参加。二○○○年から代表を務め、会員らと交代で免停処分者講習や高校、矯正施設などに年五十回ほど出向き、約五万人に交通事故の悲惨さを訴えてきた。「残された親」の思いを伝える地道な活動だが、死者減に少しでも役立ったのなら、うれしいと思う。ただ、「事故件数や負傷者数がもっと減らなくては、もろ手を挙げて喜べない」と話す。

近年、死には至らないものの、脳外傷が原因で記憶力や思考力が落ちる高次脳機能障害などの後遺障害者が増えている。児童・生徒の交通事故負傷者数も九七年以降、年間二千人台(道内)から減っていない。「道路を歩き、自転車に乗るという普通の生活が危険にさらされている」被害者の会は○二年、道と道警に、交通安全運動の目標を「被害ゼロ」とする要望書を提出した。「遺族にとって、交通事故は通り魔殺人と同じ。『車社会だから、死者がいても仕方がない』との風潮を改め、事故をゼロにするための対策を考えるべきだ」と語る。

昨年は「犯罪被害者等基本法」が施行され、事故被害者や家族の尊厳の保障が権利として認められた。法の趣旨を生かすためにも、被害者の会として、事故調書の送検前の開示や、原因特定に向けた衝撃記録装置の車への装着義務化、加害者の刑罰や免許制度の一層の厳格化などを望んでいる。千尋さんが生きていたら、今年で二十八歳になる。「結婚していれば、孫と一緒に正月を迎えていたかもしれない。交通事故はそうした夢を奪った」。月命日のクリスマスから年末年始のにぎわいがつらく、年賀状に「おめでとう」とは書けなくなった。

○五年の道内交通死は三百二人。全員に未来があり、夢があった。それぞれの遺族が前田さんと同じような気持ちで新年を迎えた。【写真説明】事故前年に千尋さんがボーイフレンドから譲り受けた愛犬「サム」と前田さん。散歩に出るたび、千尋さんを思う

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2005年11月28日「北海道新聞」
「犯罪被害者週間を」基本法成立1年、東京で大会
札幌の団体代表が講演

犯罪被害者等基本法が昨年十二月に成立して一年になるのを機に、制定記念全国大会が二十七日、東京・丸ノ内の丸ビルホールで開かれた。被害者同士が支え合う活動などに取り組むグループが集まり、北海道交通事故被害者の会(札幌)の前田敏章代表も講演を通して被害者の人権保護などを訴えた。

被害者支援の国や地方自治体の責務を定めた同法は四月に施行され、政府の検討会が二十一日、同法に基づいて支援策の基本計画案をまとめた。大会は犯罪被害者自助グループネットワークなどが主催し、全国から十七グループが参加。被害者同士の交流会や、医師や弁護士を招いた勉強会といった活動内容を紹介した。また、殺人や飲酒運転事故などで突然子供や配偶者を奪われた苦しみを訴え、同法に基づく被害者への物心両面の支援や警察の捜査情報開示などを求めた。前田代表は講演で、被害者が権利を主張することに対し「自分本位だ」「賠償さえされれば済む」といった偏見が一部にあることを指摘。「(啓発活動に取り組む)『被害者週間』を創設すべきだ。誤解や偏見をただすためにも自助グループの活動は重要」と訴えた。【写真説明】講演で「犯罪被害者に理解を」と訴える北海道交通事故被害者の会の前田代表

2005年11月27日 (日) 「朝日新聞」
犯罪被害者ら全国大会

全国17の犯罪被害者自助グループと、全国被害者支援ネットワークが27日東京・丸の内で、「犯罪被害者等基本法制定記念全国大会」を開いた。「北海道交通事故被害者の会」の前田敏章さんが「会で初めて、心おきなく話せる仲間ができた」と、自助グループの大切さを講演。犯罪被害者等基本計画に関しては、被害者の知る権利をさらに求める意見や、警察発表についての意見も出た。
交通遺児だった東京・日野市議の菅原直志さんは「自分がもしこの世を離れなければならなくなったとき、その理由を家族に伝えてもらうのは、人間の最後の人権だ」。また、被害者の実名・匿名問題について、大阪教育大付属池田小事件の遺族・酒井肇さんは「警察が判断するのは好ましくない。被害者の意向を踏まえてほしい」と話した。「被害者も一人の人間として尊厳があり、名前はその象徴の一つ。匿名はその価値や意味を奪う。私たちの娘も小2女児でなく、愛情を込めた名前がある。実名で報道されてもその尊厳が尊重される社会になるべきだ」という。

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2005年11月13日「毎日新聞」北海道版
妊娠9カ月 交通事故被害 赤ちゃん死んだのに・・・「致死」適用に法の壁
札幌地検 苦渋の立件断念

妊娠9カ月で交通事故の被害に遭った女性(30)が事故の影響で胎児を失った。加害者を業務上過失致死罪に問えるか否か--。札幌地検は検討を重ねた結果、致死罪での立件を断念し、けがをした女性と夫(31)に対する業務上過失傷害罪で加害者を起訴した。胎児は帝王切開で生まれ、11時間の命だった。「胎児に人権はないのか」。夫妻は釈然としない思いを抱き続けている。【真野森作】

◇ 帝王切開 わずか11時間の命

胎児は女の子。仮死状態で取り出され、人工呼吸で息を吹き返したが、翌朝、夫妻の目の前で息を引き取った。「手の中でどんどん冷たくなっていった。それが子供に触れた最初で最後。何もしてあげられなかった」。夫は無念の思いを口にする。妻は意見陳述書に「苦しい思いだけさせて死なせてしまい、涙を流して娘に謝りました」とつづった。2人の初めての子供。春に生まれるからと名前を「桜子」と決め、ベビーベッドや服も用意していた。
事故は03年12月、札幌市東区で起きた。年末の買い出しに出かけた帰り道、凍結路面でハンドル操作を誤った対向車が中央線を越え、夫妻の車に衝突。運転席の夫は鼻骨骨折、妻は左手骨折の上、下腹部を強く圧迫された。
事件を自ら担当した札幌地検の依田隆文交通部長にとっても初のケースだった。法務省刑事局にも照会したが、致死罪での立件は困難との結論に達した。「刑法上、『人』として扱われるのは母体から胎児の一部が露出した時点から。今回のケースは母体内で危害を受け、生後11時間で死亡したため、『人』として扱えない。過失規定のない堕胎罪とのバランスも考えた」と説明する。「私たちは法の範囲でしか動けず、感情で押し切れない。しかし、医学の進歩に法律がついていっていないのかもしれない……」。依田部長は胸の内を語った。
加害者の男(35)を今年9月、起訴した。論告に「十分人間と呼ぶに足りる状態だった胎児を死に至らせた結果は極めて重大」と記載し、禁固2年を求刑した。判決は11月末に言い渡される。夫は地検の配慮に感謝しつつも、「今の刑法は胎児の人権を担保していない」と悔しさをにじませる。事故後、精神的に不安定になった妻を支えるため仕事を辞めた。現在は小児医療に携わろうと大学に通う。
交通事故の影響で早産で生まれた女児が36時間後に死亡したケースで、秋田地裁は79年の判決で「刑法上、女児は『人』になったと言えず、胎児の延長上にある」として業務上過失致死罪を適用しない判断を示した。

◇ 幅広い視点が必要

北海道大大学院法学研究科の小名木明宏教授(刑法)の話
 胎児は生物学的には「ヒト」だが、刑法上の「人」として扱うのは難しい。現行刑法を変えるとすれば、全体のバランスをとるために大手術が必要だ。「ヒト」はいつから「人」として扱われるか、どのように扱われるべきかを幅広い視点で考えるべき時期に来ているのは確かだ。

◇ 【ことば】胎児への加害行為

第三者による胎児への加害行為に対しては、妊婦の同意を得ずに自然な出産の前に胎児を母体から分離する行為を罰する「不同意堕胎罪」(懲役6月~7年)が刑法にあるが、一定の条件下で人工妊娠中絶を認める母体保護法との関係もあり、事実上死文化している。適用は故意犯に限られ、過失規定はない。

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2005/11/28, 北海道新聞朝刊
胎内時に事故 赤ちゃんは11時間生きた
過失致傷で起訴 父母は「なぜ」札幌地裁きょう判決 地検 求刑に重大性反映

二年前の冬、交通事故が原因で、一人の「赤ちゃん」が命を落とした。事故を起こした男性会社員はこの秋、在宅起訴された。罪名は業務上過失致傷。赤ちゃんは妊娠九カ月目の胎児だったため、母親の体の一部とみなされ、死亡事故とならなかったのだ。「なぜ、致死罪ではないのか。胎児は一人の人格ではないのか」。赤ちゃんの父母である札幌市内の夫妻は釈然としない思いを抱えたまま、二十八日、札幌地裁で男性の判決を迎える。
事故は二〇○三年十二月二十七日、札幌市東区で、夫妻が年越し準備のために出かけた帰り道で起きた。凍結路面でハンドル操作を誤った石狩市内の会社員(35)の乗用車が対向車線から飛び出し、夫妻の車に正面衝突。運転していた夫は鼻骨骨折、妊娠中の妻は左手や肋骨(ろっこつ)を折り、胎盤剥離(はくり)も。搬送先の病院で、緊急帝王切開により出産した。女の子だった。体重は千四百グラムで仮死状態。懸命の治療もむなしく十一時間後に亡くなった。「桜子」。既に決めていた名前を出生届と死亡届に書き込み、同時に提出した。
刑法では、胎児は体が一部母体の外に出るまでは人ではなく母親の体の一部とされる。夫は札幌地検に訴えた。「業務上過失致死で立件してほしい」。地検も検討したが断念した。一九七九年の秋田地裁判決が事故による早産の後、三十六時間生存した子に対する「致死」の成立を否定、母親への「致傷」と認定していた。札幌地検の依田隆文交通部長は「夫妻の感情は理解できるが、法的判断は厳格にせざるを得なかった」と話す。同地検は出産後十一時間生きた子供を「人」ではなく「胎児の延長」と判断した。
ただ、刑法は業務上過失致傷罪と同致死罪を条文中では区別せず「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は五年以下の懲役もしくは禁固または五十万円以下の罰金に処する」と定めている。依田部長は「事案の内容に応じた適正な求刑は可能だ」とする。地検は論告で「十分人間と呼ぶに足りる状態の胎児を死に至らせた結果は極めて重大」と指摘し、禁固二年を求刑した。
夫は「人一人を死なせたという認識を持たせたい。そのためにも罪名にこだわりたかった」と語る。事故後、精神的に参ってしまった妻を支えるため、勤務先の会社を退社。事故などで障害を被った人たちのケアをしたいと、昨春から大学に通う。

*期間での区別議論を

首都大学東京の木村光江教授(刑法)の話 今回のケースで致死の立件は難しい。地検は起訴事実などでかなり踏み込んだのではないか。母体から生まれ出た後の生きた期間によって胎児が「人」かどうかを区別してもよいのか、議論があってもいいと思う。

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2005/11/28, 北海道新聞夕刊
交通事故直後に生まれ死亡 胎児 人と認めず
札幌地裁判決 被告の会社員有罪

二○○三年十二月、札幌市東区で乗用車の夫婦が負傷、結果的に妊娠九カ月の胎児が死亡した交通事故で業務上過失致傷の罪に問われた石狩市内の男性会社員(35)の判決公判が二十八日、札幌地裁であった。川田宏一裁判官は被告男性に禁固二年、執行猶予四年(求刑・禁固二年)を言い渡した。
判決理由で川田裁判官は「必要な注意義務を怠った事故で、酌量の余地はなく、新たな命の誕生を待ちわびていた夫妻の心痛は筆舌に尽くしがたい」と指摘。胎児については起訴状通り、人ではなく母親の体の一部と認定した。執行猶予の理由については「あまり無謀な運転ではなかった」などと述べた。
判決によると、被告男性は同年十二月二十七日、札幌市東区東雁来町の道路でハンドル操作を誤り、札幌市内の男性(31)の乗用車と衝突。男性と同乗していた妊娠九カ月の妻(30)に骨折などのけがを負わせ、妻の胎盤剥離(はくり)を誘発。搬送先の病院で出産した女児は十一時間後に死亡した。
検察側はこの事件で、胎児の死亡についての責任を問う業務上過失致死罪での立件はしなかったが、起訴状に「妻の体の一部である胎児に胎盤早期剥離に起因する傷害を負わせた」との一文を加えていた。判決後、被害者の男性は「判決は子供の死亡についても配慮してくれたとは思うが、執行猶予にする理由は(納得できる部分が)なかった」と語った。

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2005/10/23 「北海道新聞」
交通事故被害者どう守る 札幌でフォーラム

今年四月に施行された、犯罪被害者やその家族を支援する犯罪被害者等基本法について考えるフォーラム「交通事故被害者の尊厳は守られているか」が二十二日、札幌市中央区のかでる2・7で開かれた。北海道交通事故被害者の会(前田敏章代表)の主催で、約六十人が参加した。
同法の意義や内容の説明に続き、交通事故で家族を失った遺族や事故に遭った被害者三人が体験談を交えて、同法の問題点などを指摘した。
このうち、二年半前に交通事故で長男=当時(19)=を亡くした山下芳正さん(旭川)は「警察の事故説明は簡単で、こちらの疑問に対する答えはあいまい。被害者である息子が悪いような言い方もされ、ストレスで心身ともに疲れ切った」と振り返った。
これを踏まえ、国が同法施行に伴う具体的な基本計画を策定する上で、供述調書の開示や行政による遺族への精神的ケアなどを重視すべきだと訴えた。(嶋田直純)
【写真説明】交通事故の被害者の立場から犯罪被害者等基本法を考えたフォーラム

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2005/7/14 「毎日新聞」
交通事故撲滅求め道に要望書

「北海道交通事故被害者の会」(前田敏章代表)は13日、被害者支援と事故撲滅を求める知事あての要望書を道に提出した。国だけでなく道独自でも対策を進めるよう訴えた。
同会は「私たち被害者のせめてもの願いは、命と人権が大切にされる社会が作られること」と強調。事故撲滅の具体策として、▽ドクターヘリの普及など救命態勢の充実▽交通犯罪の厳罰化▽歩車分離信号の普及などを提案した。被害者遺族のケアに関しては、「犯罪被害者支援センター」の設置や被害者団体への財政支援などを要望した。要望書を受け取った前田晃・環境生活部長は「安全と安心は道政の重要な課題なので、しっかり対応したい」と述べた。
同会は02年に知事あてに、先月は漆間巌警察庁長官あてに同様の要望書を提出している。【丸山博】

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2005/06/14「北海道新聞」夕刊 <ひと語り もの語り>
車に未来奪われたわが子よ-16のパネル 命の叫び「交通犯罪」ただす遺族

心からの声がある。
「たくさんの未来があったのに、二十一歳と五カ月で、その生命を絶たれてしまった。娘の笑顔が見たい、声が聞きたい」
「たまには、私たちのところにも、ひょうきんな顔を見せに来てほしいなあ。とっても寂しいんだから。お願い」
「車は凶器です。お願い誰も殺さないで!誰にもこんな思いをしてほしくないのです」
写真が添えられている。車に命を奪われた人たち。こちらを見て、ほほ笑んでいる。「いのちのパネル」という。縦五九・四センチ、横四二センチ。北海道交通事故被害者の会((電)011・233・5130)の実行委員会が作った。会の副代表を務める小野茂さん(56)=札幌市白石区=が提案した。小野さんは六年前の夏の朝、長男善◆(よしのり)さんを亡くした。居眠り運転の乗用車にはねられた。二十六歳だった。「息子と顔を合わせる時間を増やそうと思っていました。あの朝も、同じ六時に起きて、見送ったんです。でも、八時に警察から電話で事故を知らされた。後はもう、悲しみと怒りと苦しみの記憶しかありません」
小野さんは二十九歳のとき、屋根から転落して脊髄(せきずい)を損傷し、車いす利用者になった。「なにくそ」という気持ちで、車いすマラソンを始めた。善◆さんは、そんな父親の練習に付き添い、傍らから励まし続けた。

小野さんは言う。
「私たち遺族はいつも自問しています。愛する者の死はなんだったのか、自分は彼らの死を無駄にしていないかと。『いのちのパネル』は、その一つの答えです」

被害者の会は会員百二十人。パネルは、そのうち十六人分。かけがえのない人から引き裂かれた悲嘆に、ある程度整理がついた人たちだ。代表の前田敏章さん(55)=札幌市西区=も、失った人の「声」に突き動かされている。一九九五年の十月、長女千尋さんを十七歳で亡くした。前方不注意のワゴン車が「通り魔」のように命を奪った。

五年後、前田さんはホームページ「交通死-遺(のこ)された親の叫び」を開く。遺族の裁判を支援する。事故の現場に出かけて、遺族らに助言する。いのちのパネルにも、千尋さんの写真とメッセージを寄せた。 「娘は何の落ち度もないのに、一方的にすべてを奪われました。その無念を担えるのは、親しかいない。そう思って活動しています。でも、娘は喜んでくれているだろうか、と問いつづけています。心の中の娘とともに生きるのが、使命だと思い定めています」

パネルには、そうした人たちの願いがこめられている。
初めてのパネル展は二年前、札幌市内の地下鉄駅コンコースで開き、十三枚を披露した。そのうちの六枚は、札幌市手稲区の札幌運転免許試験場にある。被害者の会は、輪禍の多くを「交通犯罪」と呼ぶ。速度超過、飲酒・居眠り運転、前方不注意。人をはねれば命にかかわることを知りながら、そうした違反を犯したのではないか-。宮城県多賀城市では五月末、飲酒運転の車が高校生の列に突っ込み、三人が死亡、二十四人が重軽傷を負う事故があったばかりだ。
「こんなに人命が軽視され、人権無視がまかり通る世の中は、おかしくないですか。異常な『クルマ優先社会』といえないでしょうか」そう問いたくて、小野さんたちはパネルの常設をめざす。五月には、A4判の大きさにして、二十ページの冊子を作った。(編集委員 村山健)
(注)◆は「徳」の基本字

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2005/05/15「北海道新聞」
厳罰化など要望へ 交通事故被害者の会

道交通事故被害者の会(前田敏章代表)は十四日、本年度定期総会を札幌市中央区内のホテルで開いた。約三十人が出席し、事故加害者の刑事罰の厳罰化や被害者の権利拡大などを国や警察に要請していくことを盛り込んだ本年度活動計画を承認した。
要請事項では《1》実況見分調書など事故記録の被害者側への早期開示《2》被害者側が刑事裁判に当事者として参加できる制度の新設《3》危険運転致死傷罪の適用要件の拡大など刑事罰の厳罰化-などを盛り込んだ。
このあと「民事・刑事裁判」「被害者のメンタルケア」など四テーマに分かれ、交流会を開いた。参加者は家族を事故で失った体験を披露したほか、「真相を知りたくて民事裁判を起こした」「検察には被害者としての意向をはっきり伝えた方がいい」などの声が出た。

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2005/2/15「朝日新聞」
「科学的捜査を」交通事故被害者の会高検などに要請 透明性求める

交通事故で家族を失った悲しみだけでなく、捜査段階でもつらい思いを強いられている遺族らの声を捜査や司法に反映させようと「北海道交通事故被害者の会」は14日、遺族への捜査記録開示や科学的捜査手法の導入などを求める要請書を札幌高検などに提出した。
同会は99年9月に発足、交通事故被害者や遺族ら約110人からなる。02年7月に札幌市西区の小学6年真下綾香さん(当時11)がトラックにひかれ死亡した事故で、業務上過失致死罪に問われた男性は、走行速度について「時速30キロ」と供述した。しかし、遺族らの上申などを受け検察側は鑑定を実施。その結果、判決は「時速50キロ」と認定し禁固2年の実刑判決となった。判決でも事故の詳細は明らかにならなかったという。他にも、署名活動の結果、危険運転致死罪が適用された例や、刑事と民事の判決で事故状況が異なった例などもある。

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2005/2/15「北海道新聞」
科学的捜査徹底を 輪禍遺族らが要請文-札幌高検などに 

道内の交通事故被害者や遺族でつくる北海道交通事故被害者の会(前田敏章代表)は十四日、札幌高検と札幌弁護士会に対し、交通事故の科学的捜査の徹底や情報開示などを求める要請文を提出した。また、法相と国土交通相に対し、ドライブレコーダー設置義務化などを求める要請文を同日、送付した。
高検への要請は《1》遺族や被害者に対し、調書などを捜査段階で開示する《2》事故原因の科学的捜査の徹底-の二項目。同弁護士会への要請は、加害者の供述主導で進められる一方的な交通事故調査の是正などに支援を求める内容となっている。
要請後、記者会見した前田代表は「事故の真実が明かされず、加害者の供述を基に司法判断が下された例は多い。過ちを繰り返さないためには、捜査資料の情報開示と科学的捜査の徹底しかない」などと訴えた。同会は二○○二年にも道と道警に対し、交通事故の科学的捜査の確立などを要請している。

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2005/02/15「北海道新聞」
捜査、遺族に開示を 娘事故死 南幌の白倉さん 真実求め運動 検事長にも手紙

北海道交通事故被害者の会が十四日、札幌高検などに提出した要請文は「当事者でありながら、真実を知ることができず、二重三重の苦しみを余儀なくされる」と指摘している。二○○一-○三年に発生した事故で、同会が交通事故捜査のあり方に問題があるなどとした例は十四件ある。○三年に空知管内南幌町であった白倉美紗さん=当時(14)=の死亡事故もその一つだ。遺族は、捜査の不手際をなかなか認めようとしない捜査機関に苦しみ続けた。
○三年九月一日午前七時すぎ。犬の散歩に出かけた美紗さんは、自宅近くの道道交差点を自転車で横断した。道路の制限速度は五十キロで、数キロ先も見通せる直線。そこで、運転手男性(44)のトラックと衝突した。即死だった。男性は両親に「美紗さんが飛び出し、ブレーキをかけたが間に合わなかった」と説明。両親と栗山署とのやりとりを記録したテープなどによると、同署もこの主張に沿った形で調べを進めた。
しかし、トラックは約三十五メートルのブレーキ痕を残し、対向車線の歩道を越えて交差点から路外に逸脱。さらに勢い余って約十二メートル畑を突っ切り、電柱を折って停止していた。両親は本当に美紗さんの飛び出しだったのか疑問を持ち、客観的で科学的な捜査を求め続けた。事故から二カ月後、両親の強い要望で行われた再実況見分では、同署がトラックのブレーキ痕の一部を「無関係」と判断していたことや、現場写真が十分に撮られていないことなどが分かった。調書や証拠などは遺族にもほとんど開示されず、捜査の行方に不安を持った両親は、複数の専門家や医師らを頼り、独自の鑑定を進めた。
その結果、トラックが事故直前に前を走る乗用車を追い越し、時速九十キロ前後で走行中、車両挙動が不安定になったことなどにより対向車線に進入、交差点を渡りきったか渡りきる寸前の美紗さんをはねた-と推測された。また美紗さんとトラックの衝突の仕方も、飛び出しや横断中ではあり得ないものだった。関係者は「初動の不手際がその後の捜査をゆがめたのではないか」と指摘する。男性は○三年十二月、業務上過失致死の罪で書類送致され、近く起訴されるという。しかし、事故がなぜ起き、誰にどんな過失があるとみているのか、詳細は両親も、分からない。
十四日、両親は札幌高検検事長あての手紙をしたためた。「私たちにとって一番重要なのは、真実を明らかにしていただきたいということなのです」。両親は「美紗に何が起き、どういう最期だったのか知りたい」と願い続けている。
【写真説明】白倉美紗さん。事故の2日前、自宅でのスナップ

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