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「ずいぶんコミック」の時代



「ずいぶんコミック」は、1978年頃作られた吉田秋生のファンクラブ「下宿人の会」が出していた会報です。
「ふゅーじょん ぷろだくと」1982年2号の「特集 吉田秋生」を読むまで、私はその存在を知り ませんでした。何ヶ月か後、今は森脇真末味の承認ファンクラブ「桃色軍団」の会報M2の発行人で、 元「下宿人の会」のメンバーだったハラさんが、所有していらした「ずいぶんコミック」NO.2から NO.10までを送ってくださいました。ハラさん、ありがとうございます!!
このページは初め、創刊号の内容については不明のままスタートしたのですが、 その後、このページを読まれたしもママさんが、創刊号を送ってくださいました。 インターネットの威力です。しもママさん、ありがとうございます!!

「ずいぶんコミック」は、漫画図書館で も何冊か読めるそうです(asagiさんに聞きました)。

このサイトに来ていただいた皆さんにも「ずいぶんコミック」の内容を紹介したいので このページを作りました。なかなかまとまった時間がとれず、少しずつしか紹介できません。

リアルタイムで読んでいた私にとっては、「ずいぶんコミック」の中に出て来る映画の タイトルはじめ、この時代自体が懐かしく、また少女マンガの黄金時代でもありますので、 1978年から1982年に私が読んで好きだったマンガのタイトルも横に記載したいと思います。 ハラさんに送っていただいた「ラ・カレシータ」2号と「桃色軍団」、しもママさんに送って いただいた「der Flügel」4号の中にも、この時代を偲ばせるおもしろい記事がたくさん ありますので、「ずいぶんコミックの時代」の中で紹介させていただきます。

最初に1つ、おクチ様からいただいた情報をご紹介します。 STUDIO VOICE 81年6月号掲載の吉田ルイ子さんのインタビュー中に出て来た エピソードで、吉田ルイ子がNYのイースト・ビレッジで知り合った美少年娼夫がイーヴと 重なります。アッシュのことも思い出します。

「モデルになりたいと思うんだけど撮ってくれますか?」と声を かけてきたので連絡先を書いた名刺を渡したそうです。その後何回か会って 写真を撮った。しばらくして警察から「プエルトリコ人の少年がヴィレッジの ホテルから突き落とされたか自殺したかで地べたに落っこちて死んでいた けれど身元がわからないんで調べたらあなたの名刺を持ってたんで連絡した」 と電話がかかってきて死体確認に出向いたそうです。
その時に警察から聞いた話によると、彼はプエルトリコ人の母とスウェーデン 人の父の間に生まれたハーフで自国で9歳の時からアメリカ人観光客の相手 をして11か12歳のときにアメリカのポン引きにニューヨークに連れて来られて チャイルド・ポルノやSMショウなどオキマリのコースを辿った。ルイ子さんには 16歳と言ってたけれど本当は14歳だった。ということです。

おクチ様いわく、「そして彼の写真が載っているのですがあどけないけど色気のあるキレイな子 です。栗色の髪で色が透きとおるような白い肌をしていた、というから父親の 血が強かったんでしょうね。」

入会案内

しもママさんには入会案内も送っていただきました。この入会案内には 吉田秋生のカットが入っています。入会金200円、半年分の会費が1000円で、 これを現金書留か定額小為替で送ること、となっています。会報は2ヶ月に1度 発行します、と書いてあります。(実際の発行は年2冊くらいです) 
しもママさんがお持ちの入会案内は多分第1期の入会案内で、出たのは1978年と 推測します。 らすくさんにいただいた情報では、第4期入会申込書では締切が 1980年1月、この時の入会金は1000円、一期分年会費1200円を 定額小為替で送ることになっていて、会誌「ずいぶんコミック」24〜32Pを 1期につき2冊発行。Paper「Sarah−サラ−」を会誌の遅れているときに発行と なっていたそうです。。
しもママさん、らすくさん、ありがとうございます!

というわけで、他力本願のページです。「ずいぶんコミック」11号以降は、発行されたのでしょうか。 しもママさんに見せていただいたデュオ1982年9月号の「吉田秋生新聞」の最後に、ずいぶんコミック のNo.9、No.10の表紙の写真もつけて吉田秋生FC下宿人の会発行と紹介しています。この時、残部は No.9、No.10のみで新会員募集は83年1月の予定とされています。
その後の事情をご存知の方は情報をお寄せください。

1978年

ずいぶんコミック 他の漫画家の作品

創刊号 

発行の経緯についてはNO.3に「下宿人の会の歴史」として説明されています。
・ 吉田秋生ファンの一人が吉田秋生に「公認ファンクラブを作りたい」と手紙を出した
・ オーケーの返事が来た
・ 「別冊少女コミック」誌上で会員募集を行った
・ はじめに手紙を出した方は会誌作成の時間がとれなかったため、あらたにスタッフを募集し、そのスタッフが創刊号を出した

発行年月日 1978.6.10
発行部数 不明

表紙を入れて12ページ(中綴じなので、4の倍数だが、白紙のページが2ページある。表2、表3と 呼ばれる、表紙の裏のページが白紙)
不思議なのは、創刊号だけ開き方が逆なこと。右開き、というんでしょうか、 縦書きの場合の開き方と同じで、内容は横書きです。
・ P2 上半分が「会長あいさつとおわび」、下には記事募集のお知らせ。
・ P3、P4 「インタビュー」
これは、「盗作」と断ってあります。どういうことかというと、吉田秋生が 忙しくてインタビューの時間がとれなかったため、担当の毛利さんに貰った漫研 (SIREN の?)「PSYCO」という会誌に載っていた「吉田秋生先生へ20の質(ママ)」 を拝借した、ということです。以下、抜粋。

その1 吉田秋生というのは?
A. 友人のつけたペンネームです。
その5 影響をうけたマンガ家は?
A. 手塚先生のバンパイヤですね。
その6 最近見た映画、演劇は?
A. アングラ劇の"サーカス ピエロ" 天井桟敷館かな。
その7 好きな作家は?
A. カフカとか・・・ 精神的には誰でも変身願望はあるのではないでしょうか。
その8 好きな食べ物は?
A. ラーメンとかお茶漬。
その9 お酒とかたばこは?
A. たばこはすいます。お酒は外ではあまり飲みません。
その10 プロになった感じは?
A. たまたまなった感じで・・・・現在はこれでいいのかなって感じでぬきさしならぬ 所へ足をつっこんだと言うか、高島平団地の上から飛び降りて、あ、しまった、やるんじゃなかったって 感じ。
その12 マンガに目覚めたのは?
A. 大学に入ってから・・・・たまたま少女コミックのまんが学園を見て、〆切が 間近だったので、これなら結果がすぐ分かると思って描いてみました。
その17 好きな音楽は?
A. 軽いアメリカンポップス、イーグルスとか。谷村新司、大好き!! あの方の声が素晴らしいでしょ。声の良い人には無条件でまいってしまう。
その19 ぺットは?
A. 母猫ミーコに娘のヒデヨシ、シマコと犬一匹。
その20 プロを目指す人に対して一言。
A. プロって大変ですねえ。人気商売ですし。なってみないとわからないと言うか。 人気商売っていうのはつらいですわ。芸者さんみたいに。

・ P5 「アンケート結果&作品リスト」
「あなたの好きな秋生くんの作品は?」 ベスト3は、「マダム・ブレルの人魚」、 「ホテル カリフォルニア」、「楽園のこちらがわ」。といっても、その下に書いてある 作品リストを見ると、この時までに出ていた作品はカリフォルニアをエピソード毎に別の 作品に数えても、全部で12。最新はカリフォルニアの「サークル ゲーム」。

・ P3、P4 「インタビュー」
こちらはオリジナル。右下に、スタッフの描いた吉田秋生が恭一風の犬を連れたカットが 入っていて、身長156cm、体重41kg、B82cm、 W58cm、 Hはからず・・・という数字が公開されています。 以下、インタビューより抜粋。

1 え〜まず・・よくみるTVなんかから・・・
A. 7:00のニュースです。
2 すきな俳優さんは?
A. 根津甚八、水谷豊
3 愛読書は?
A. anan
4 このみのタイプ!
A. やせ型、筋肉質、声のいい人
5 きらいなのは?
A. 不誠実な男
6 どこの球団のファンですか?
A. 南海
7 すきなおすもうさんは?
A. 魁傑
8 すきなまんがは?
A. あづまひでお作「2人と5人」& みなもと太郎著「ホモホモセブン」
11 秋生センセのキャラの中で映画俳優をモデルにしたものってありますか?
A. しいていえば・・・
ジーン・ハックマン → インディアン
ピーター・フォンダ → ヒース
13 好きな映画ベスト5を!
A. 「地獄に堕ちた勇者ども」「12人の怒れる男」「真夜中のカウボーイ」 「スケアクロウ」「狼たちの午後」

・ P7 「おたよりコーナー」
「7月号を今日買ってきた。タイトルの絵を見たらヒースは白人のくせに あんまり足長くない。おれと大差ない。自信がわいた。だから秋生ちゃんのマンガ はいいのだ」で始まるおたよりを書いたのは、数少ない男性会員でスタッフの一人だ そうです。この方、他の号でもおもしろいこと書いてくれてます。今頃は立派な お父さんしてるんでしょうか。書き込みして欲しいものです。会社からでも。

・ P8 「ざ かっぷる」
架空のインタビュー。黄菜子と恭一、操とサル君の二組。

・ P9 「Akimi Information、編集後記」
「秋生くんはこの8月にヒースの生まれ故郷カリフォルニアに旅立ちます」「別コミ 9月号には秋生くんのよみきりがのっかります」等。



この年の吉田秋生の作品
「ヨナの百夜一夜」、「カリフォルニア物語」の連載開始(第1話「ホテル・カリファルニア」)、「ナサナエルの肖像」「夏の終わりに」


萩尾望都
「ゴールデン・ライラック」「ウは宇宙船のウ」「スターレッド」「左ききのイザン」

山岸涼子
「ドリーム」「ウンディーネ」「ハーピー」
(山岸凉子の「ハーピー」が載ったプチコミ12月号増刊で森脇真末味デビュー「OH! マイ兄貴どの」)

大島弓子
「バナナレッドのプティング」「ページ1」「ヒー ヒズ ヒム」「草冠の姫」「綿の国星」連載開始「パスカルの群れ」

西谷祥子
「サラダっ娘」

青池保子
「エル・アルコン」「テンペスト」

池田理代子
「コラージュ」「オルフェウスの窓第3部」

森川久美
「シメール」

(管理人の昔話)手塚治虫の「バンパイヤ」は高校の時に単行本を買って読みました。 「ずいぶんコミック」のインタビューの中では実は「ヴァンパイア」と書いてあったんですけど、 手塚治虫のは「バンパイヤ」なんです。吉田秋生は、この中の岩根山ルリ子さんの顔に影響を 受けたとか言ってますね。「バンパイヤ」はテレビドラマになりました。高校生の水谷豊が主役。 水谷豊は顔も悪くないし文句なかったけど、ロックが単なる悪役になってるのが致命的な欠点 で、この実写は面白くなかった。水谷豊はその後、つっぱりの高校生役をやったり、私達には 忘れられない「傷だらけの天使」のアキラ、「男たちの旅路」のガードマン、「熱中時代」の先生 などやりましたが、78年頃は、何に出てたのかな。島田洋子と近藤正臣が出るドラマで、おかまっぽい 日本舞踊の師匠の役やってて、あれはとっても好きでした。
しもママさんのスクラップブックの中に、吉田秋生がテレビのバンパイヤについて書いてる小さな カットと文があります。デュオに載ったのかもしれません。「手塚センセェのバンパイヤを水谷豊 がやってたのです。アニメと実写の合成で、あんまり人気なかったみたい」という文と、満月の下で 水谷豊が狼の顔としっぽになってるカット。
水谷豊については他に、「少女まんが魂」のインタビューの中で「あと、「傷だらけの天使」です か。「アニキィ」って、あの水谷豊のオツムの軽いおバカちゃんなキャラクターがすごく好きで、 イーヴっていうキャラクターは、もろ水谷豊ですよね」と言ってます。でも、「ずいぶんコミック」 の中にはイーヴ=水谷豊説は出てこないなあ。
森脇真末味は1年遅れでデビューなんですね。吉田秋生の初期からのファンはたいてい 森脇さんの作品も好きです。萩尾望都は私の一番好きなマンガ家ですけど、 「ゴールデン・ライラック」は大駄作だと思います。池田理代子の「コラージュ」は オルフェウスの窓の番外編。最後のオチが大好きです。池田理代子の作品を読んだのは セブンティーンに掲載された「オルフェウスの窓」第2部がはじめてです。ユスーポフが 素敵でした。

「ずいぶんコミック」の時代 1979年

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