秋季彼岸会

川施餓鬼 

平成21年(第百貳回)法要

九月二十六日(土) 

 

今年もお陰様で好天に恵まれ盛大に円成しました!

 

スナップ

当日早朝から現地(原鶴)への祭壇設営準備に大忙し。

     

前日大テントを私達弟子が張って、当日はその法城を整えていきます。

 

   

   

参拝者が座れるようマットを敷き詰め、出来上がり。 船も準備万端です。

 

 

午前11時 大法要開始 

 

花火の合図で式衆が泰泉閣(旅館)から入堂してまいりました。

   

 

御前様のお導きによって進む法要には多くの僧侶が出仕。テントを埋めた沢山の参拝者の中で厳粛に執り行われました。

     

荘厳に行われる大法要の模様。

 

一年間お世話になったお札やお守り、塔婆や位牌など様々な仏具を払い、御前様によって塩・米・神酒が撒かれ報恩の誠を捧げました。

     

提婆品の読経途中から…長蛇の列となってお焼香をされる参拝者。 足下が悪くてすいませんでした。

    

 

川辺にお題目が響き、全員で水難の殉死者を弔いました。

     

 

法要の後、御前様のご挨拶。

 

       

今年も皆様の信仰のお陰で、素晴らしい好天に恵まれ、有縁無縁の精霊を弔う川施餓鬼が出来ました。心から御礼申し上げます。

さて、昨今、メンバーチェンジ的発想が跋扈していますが、私はその一つの事柄に対しちょっと待ったと考えています。それは、

先輩を排除すると申しますか、若返りこそが活性化だとする意見に対してであります。私もご覧の通り若いですし、宗会議員にも

最年少で当選し今を懸命に努力しております。当初は張り切って如何なる難問にも取り組み自分の手で解決しようなどと横着な姿

勢でおりましたが、仕事をしていく中で、「この世には1才から百才以上の方々が生きている」という当たり前の事を知るように

なりました。そしてそれぞれが一生懸命生き、更に何かを考えている。悪いことでなく良くなるように考えている。信仰がまさに

それですね。ならば、年を重ねた先輩を敬う体制を整えなければ、世の中が求めている社会とは何かを発見出来ないのではないの

か?という着目点の転換です。「老人介護」とか「ケア」などの文言そのものを、「尊敬」「敬意」に切り替え、心からお年寄り

を「給仕」するとう表現にする。そうありたいと思うのです。それこそが、先祖への供養の意味を明かす最も大切な社会活動だと

言えるのではないでしょうか。先祖があるからこそ自分がある。先輩があるからこそ今の社会がある。否定ばかりするのではなく

肯定する社会。「たられば」でなく、今を生きるのです。川施餓鬼にあたり、そんな心中を披瀝させて頂き御礼と致します。  

 

沢山のご参詣、誠に有り難うございました。

尚、10月5日午後2時より「潮師法縁大会」がございます。本佛寺の歴史的1ページとなる法要です。ご参詣下さい。

また、10月14日は報恩御会式です。こちらは全山あげての大法要。ご参詣をお願い致します。合掌

 

御前様のご挨拶の後、花火がなり、船に乗り込んでの塔婆供養がありました。

       

今年は、お参りが多く、七船が出航。穏やかな秋風にゆられ、楽しくご供養をいたしました。

 

  

  

ご覧戴き有難うございました。

 

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