春季彼岸会

平成23年3月21日

霊廟・霊園・納牌堂・各地域墓地・大震災被災

合同慰霊大法要

東日本大震災に遭われた方々にお見舞い申し上げ、本佛寺一同その諸霊に追悼の読経を致します。 合掌

今年の法要です。広報 前臣

スナップ

午前11時 大法要開始

  

多くの参拝者の中、お祖師様の綿が外されました。 これより秋のお彼岸まで、日蓮聖人様はいつものお姿です。

  

読経後、お焼香。今年も参拝が多いため、外に一度出てからのお焼香行列とさせて戴きました。   御前様ご挨拶。

  

今年も沢山のご参詣を賜りありがとうございました。さて約一週間前の15日法要でお話ししました通り、準備が整いましたので、このまま新潟に飛びます。

折角お参り頂きました皆様とゆっくり共に、お彼岸を過ごしたかったのですが、やはり東日本大震災の被災地にお参りに行かせて下さい。 こうしてお彼岸

が出来ることを当たり前と思っていた方々が、ご先祖供養出来ずに避難されていることを考えただけでも私は苦しいです。出来ること出来ないことございま

すが、僧侶として出来る事をやってきます。皆様、是非御供養が出来ることに感謝して下さい。決してそのような事はないと思いますが、寺の行事参加が、

めんどうとか、春分の日は休日なのでゆっくりしたいとか考える方があるならば、それは日常が安定しているからでしょう。当たり前が出来なくなった時、

初めて当たり前の有り難さが解るのではないでしょうか。こうして暖を取り、お焼香、お花を手向け合掌出来る事、神仏に感謝しようではありませんか。こ

れより私は、新潟からトラックで山形、そして宮城に向かいます。皆様の信仰も届けて参りますので、どうかお許し下さい。(略)  殉難者へ一同合掌。

      

 

法要後、御前様不在の中、励光閣で昼食をする檀徒の方々

  

励光閣と聖徳殿に分かれてお弁当を開く参拝者。

  

仏舎利塔法要

    

仏舎利塔にて、第二部のお彼岸法要がありました。ご苦労様でした。

 


被災地奉告

21日に福岡から新潟に向かい、宮城県を目指し,湾岸に入りました。  山首 佐野前延

      

宮城県日蓮宗宗務所長 日野教恵上人の顕妙寺様(塩竈市) やはり本堂等被災していた。地割れも目立った。

      

被害の足跡凄まじい鳴瀬川沿いを走り、石巻市に入った。そこには報道の映像とは違う現状を見せられた。被災の久円寺様に到着。

    

避難場所の石巻第二中学校に物資を届けた。  この二台のトラックで佐渡市の竹中上人、札幌の若松上人(何れも大銅像建立の法友)と入った次第。

尚、佐渡からの貴重かつ大量の物資を共に運んだ、堂谷氏(危険物)・川上氏・松塚氏(消防士)が同行された事を付記し、心意気と心強さに感謝する。

また物資も、全国各地に居住の上行講会員から短期で瞬く間に寄せられた喜びも、支えとして自らを振るい立たせた動機となった。人情の結集といえる。

  

カップラーメンから衣類やオムツ粉ミルクに至るすべての生活必需品を段ボール120箱の積荷を下ろす。

  

ドラム缶三本に灯油を詰め無事届ける事が出来た。 物資搬入や道案内に、被災の日野上人親子・谷川上人が過労の中、手伝って頂いたことには頭が下がる。

 

被災殉難者追善供養

   

石巻全貌が望める日和山公園で、読経、唱題…

  

花を手向け、法味を言上、御回向をした。読経中も胸が締め付けられる惨状に涙が止まらなかった。

  

団扇太鼓の音が響き、精霊が依って来られる気がした法要であった。

  

 

移動道中で見た被害の実態の一部

  

  

人間の力の弱さを見せつけられ、信心の原点を知らされた。

  

夢か幻か…。いったい何を私達に伝えたいのか。命ある限りの生涯課題。

  

 

松島下付近の海岸で読経、唱題

線香に火を付け、一心に拝ませて頂いた。

   

ここには、沢山の漂着物や車そして船やコンテナなどが沈み横たわっていた。

  

多くの命が奪われた場所でもある。

まだまだ復興には時間がかかるであろう。遺体安置所もお参りさせて頂いたが、私達は、決して命を無駄にすることなく、懸命に生きなければならない

と誓うことこそが供養であろうと体感した。今後も犠牲となった尊い命に合掌し続け、再度、ここで拝みたいと思った次第の形だけの救援活動であった。

 

今年もお彼岸ご参詣、誠にありがとうございました!

いつもご覧頂き感謝致しております。

広報 前臣

本佛寺での被災犠牲者供養を見る

平成22年を見る 平成21年を見る 平成20年を見る 平成19年を見る 

18年を見る  17年を見る   16年を見る