練習日誌(2001年)

作成日:2001-01-02
最終更新日:

2001年、自分が歌ったり弾いたりしたときの練習の記録です。最近は練習をさぼっているので 練習以外の単に聞いた記録もここに入れることにしました。現在から過去に向かっています。 2000年の練習日誌2002年の練習日誌もあります。


オクターブ

この「オランダ人」の伴奏をきのうと今日練習した。当たらない。たぶん、こうなっていいだろう、 と頭ではわかるが指が動かない。もつれる。こんなことなら、 学生時代にもっとリストやトランスクリプションものを練習しておくのだった。 後悔先に立たず。


オランダ人

突然のことであるが、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」から "Die Friest ist um" (期は満ちた)のピアノ伴奏をすることになった。私はワーグナー音痴である。 多少なりとも知っている曲でさえ五指に満たない。タンホイザー序曲、 ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲、ワルキューレの騎行、ジークフリート牧歌という、 すべて器楽の曲だけである。

楽譜を見た。大変である。きちんと指使いを考えることにしよう。


タンゴ

K さんから借りたタンゴを聞いている。 K さんは玄人はだしのタンゴバンドでヴァイオリンとヴィオラを弾いている。 今回バンド結成 25 周年を記念して CD を出したので、その CD を借りた。 うまい。なによりタンゴの味が出ている。こういうのを聞くと、 タンゴをもっと聞いてみようかなと思う。

追伸:なんと K さんはバンド(キンテート)の面々と一緒に、アルゼンチン大使館に来たアストル・ピアソラの前で (御前?)演奏をしたことがあるという(2014-03-29)。


F vs K

去年、福井知子さんという作曲家と川島素晴さんという作曲家の曲対決(F vs K)があった。 その結果が郵便で来た。 なんと「引き分け」であった。すばらしい。 そして、この2人の第3回目の対決のチラシが折り込まれて来た。 行こうか行くまいか少し迷ったが、甲斐史子さんが出ないので行かないことにした。 申し訳ない。せめてのおわびの印に、F vs K に関する情報があるホームページを紹介する。
http://www2.ttcn.ne.jp/~fk-p/

実は、上記ページは既にリンク切れとなっている(2010-06-12)


合唱団の演奏会

先頃、合唱団で合宿を行った。どうやら、来年(か再来年)に本格演奏会をやることになった。 予定曲目は次の通り。

私はプーランクこそ真面目に練習しているものの、メンデルスゾーンはドイツ語が面倒だし、 マスカーニはイタリアの明るさがなじめない。どうも好き嫌いが激しくていけませんね。


アマデウス

八重洲の練習のあとで酒を飲み、その翌日の師匠の結婚式でさらにしこたま酒を飲んだ。 そのせいかはわからないけれど、今週前半は体調がよくなく、試験の勉強がまるでできなかった。 きのうなど、つれあいに「あんたも人がいいんだから」とけなされる始末である。 「もう合唱団をやめようかな。」と弱気なことを言うと、「でもやめないんでしょ」という。 いったいどっちなのだ。まあ、合唱団もピアノが弾ける私を重宝に使って下さるのは 確かである(いやあ、うれしいのですけれど)。 関係者がこの部屋を見ていないことを祈る。

というわけで、昨晩は八重洲の D 氏が貸してくれたビデオ「アマデウス」を最初だけ見た。 いやあ、モーツァルトは聞くぶんにはいいですね。


師匠の結婚式

14 日は私のピアノの師匠の披露宴があったので、のこのこ出かけた。 その師匠の披露宴らしく、新郎・新婦どちらも友人が数多くネタを披露して、 「クラシック・ジャズ対抗紅白歌合戦」のようだった。2次会はジャズのスポットで行なわれ、 ここでも新郎である師匠のピアノが暴れまくっていた。

さて、披露宴ではもう一人の師匠が、新郎を指して、 「ここにいる面々(新郎に招かれた男ども、俺も含まれる)は、 音楽が(ピアノが、だったかもしれない)ないと生きていけないカスであるから、 ヨメさんはそこのところをわかってもらいたい。うちのところは教育に10年を要した」 といってやんやの喝采であった。振り返って考えると、俺のところは音楽がなければ、 ピアノがなければ、というのはその通りなのだが、 ヨメさんの教育となると考え込んでしまうのだった。


八重洲の練習

13 日は情報処理の試験まであと10日もないが、 この日は合唱団の有志の合唱の伴奏の練習と八重洲の練習があったので都内に行った。 ちなみに、合唱団の伴奏は、モーツァルトのフィガロの結婚からの二重唱と、 魔笛の二重唱と三重唱。わたしはオペラに疎いから標題が言えない。 八重洲の練習は、バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」と、 グリーグの「ホルベルクの時代から」。


合唱の伴奏

きのうは合唱練習の伴奏をするために都内に出ていった。 「聞こえる」という日本の合唱曲である。 これから疲れることも多くなるだろうが、私が伴奏をすれば、 みなさんのやりたいことが実現できるのだ。ありがたく思わなければ。

心配事は、少人数で歌うのでピアノを大音響で鳴らせないことだ。ごく落としてやろう。


本番

八重洲室内アンサンブルの本番を迎えることになった。まずはバッハ。 私ごときが独奏をしていいのかという問題はあったが、開き直ることにした。

第1楽章、2, 3 個所、楽譜が白くなってしまったところがあった。 こういうときバッハというのはいい。それらしく弾いておけばそれらしく復帰できるからだ。 協奏曲という形式もありがたい。弦楽に合わせて弾けばいいのだから。 かくして問題の個所は時間とともにかき消されたと思いつつ、楽しませてもらった。 ただ、小ミスは平均して1小節に 1 個所の割合で必ず出た。 プロのピアニストはミスを出さないのは当然として、 さらに細かな個所の陰影付けや全体の構成の計画を音楽で作るのだから、 今さらながら偉いものだと感心してしまう。

第2楽章は、以前の述懐で書いた通り、即興のノリで行うことにした。 大体こんなもの、でなんとかしてしまった。最後の64分音符の走句は見事にはずれたが、 そこを除けばまあまあではないか、と思った。

第3楽章は、リハーサルで走って速く突っ込みがちになることを指摘された。 それはそれで仕方がない、と指揮者の方も覚悟していたので、 ブレーキを少しかけながら行くことにした。 こちらも難所がいくつかあったが、なんとか通過した。ほっとした。

あとで前任のプロピアニストに言われた。 「チェンバロの曲は、暗譜なんかしなくていいの。」。 そうとわかれば譜めくりをたのんだが、その譜めくりを一番頼みやすい某氏は、 「譜めくりなんか絶対いや」といっている。そのくせ、この某氏は前任のピアニストには 「(この人は)妙な意地を張っているんです」とのたもうている。 譜めくりを探すのも一つの仕事であろう。

そのあとの「マドリガル」と「ラシーヌの雅歌」は癒しの際たる曲であろう。 「ラシーヌ」の力は誰もが認めるものであるが、「マドリガル」は軽めで現代に通じるところが あるのでは、と思っている。後フォーレの癒し系といえば「パヴァーヌ」であろう。 こちらも弦楽合奏にするのは難しくないが、ピアノがうまく入るか心配である。 入れないのが正解かな。

ヴィヴァルディの Op.3-10 は2度目の演奏になる。最初の演奏は4人のヴァイオリンの独奏者は 腕達者ばかりだったが、勢ぞろいしたのがリハーサル当日という綱渡りであった。 今回は4人が揃って練習できた機会が多かったため、安心できた。当日の演奏も気迫が漲っていて、 私は非常に楽しい気持ちで伴奏ができた。

モーツァルトは、はたから見れば?だったかもしれないが、私たちは充分楽しんだ。 やはり、いい音楽を書いたものだと思うし、ポピュラー名曲の強さというものをひしひしと感じた。


疲れた

8/18 は翌週に控えた八重洲のコンサートの練習を行った。 バッハの協奏曲の第2楽章も暗譜できたのは望外の成果だった。しかし、 第3楽章の最後のあたりで指が疲れのために回らなくなってしまったのには驚いた。 いわゆる年なのではないか、 と思ったが、やはりこれはただの練習不足であろう。悩みは尽きない。


ピアノコンサート

知人の koike さんから誘われ、ピアノコンサートに行った。場所は朝霞の小さなホール、 (体育館みたいなつくり、満員)。ピアニストは若手。 プログラムは次の通り。

バッハ平均率クラヴィア曲集第1巻より 第8番変ホ短調
ショパン子犬のワルツ
ピアノソナタ第2番変ロ短調
スカルラッティソナタニ短調 K.141, L.422
シューマン謝肉祭

朝霞のような小都市で行われた小規模なコンサートにしては、熱の入った演奏が聞けた。 ピアノが小さく(C3クラス?)音響も必ずしもいいといえない環境で、 よく集中力が落ちなかったと思う。もっとも、礼奏の「エリーゼのために」は少しちょんぼしていたから、 やはり大変だったろうな。

休憩後のスカルラッティとシューマンという、 私の好きな人と嫌いな人の組み合わせには笑ってしまった。 演奏はともに立派なものであったが、 やはりスカルラッティの音楽はよく、シューマンの音楽はださいということを再確認した。


プーランクを歌う

今、川崎製鉄東京混声合唱団で練習しているのは、 メンデルスゾーンのいくつかの合唱曲とバードの4声のミサである。 そして最近、指揮者の意向によりプーランクの「悲しみの聖母」(スターバット・マーテル)が加わった。

以前、この合唱団でプーランクを歌ったことは一度ある。 無伴奏の「クリスマスの4つのモテット」で、私は好きだったが、合唱団の人たちには 受けはよくなかった。音をとるのが古典音楽に比べて難しいこと、 そして頻繁に飛び出す不協和音の流れを快感として受け取れないからだろう。

そこへ行くとバードのミサは評判がいい。難しいと団員はいうけれど、楽しんで歌っている。 私も同様だ。 メンデルスゾーンはどうか。皆に評判がいいのはバードと同様だ。 ドイツ語の発音には四苦八苦しているけれど、音楽は気に入っているようだ。 しかし、私はメンデルスゾーンの音楽が嫌いだ。凡庸で、ひらめきがない。 楽しいけれど、その先を突き抜けるものがない。シューマンが嫌いというのとは意味合いが違う。 シューマンは気に入らないことおびただしいが、毒があることだけはわかる。 メンデルスゾーンは毒にも薬にもならない。何かを論ずるに足るだけの閃きがあるのかどうか。


アムランのコンサート

久しぶりなのか、そうでないのかよくわからないが、コンサートに出かけてきた。 マーク=アンドレ・アムランがブゾーニのピアノ協奏曲を弾くというのだった。 実は目的は別にあって、そちらはコンサートが始まる前に済んでしまった。 しかしそれだけではなんなので、ついでにコンサートも聴くことにした。

このブゾーニのピアノ協奏曲というのは音楽史上有名であるそうで、 ピアノ協奏曲のなかで最も長くかつピアノの困難なことで知られている。 実はブゾーニのことをよく知らない。知らないまま聴くことにした。

曲は思ったより聴きやすかった。70分以上もかかったが、 途中を目を休めながら(眠ってはいない)なんとかもちこたえることができた。 私は向かって左側(端から2列め)にいたのでピアノの音はシャープには聞こえなかった。 それでも、アムランのピアノの音がオーケストラに埋もれることはなかった。

アムランを生で聴くのは初めてである。驚いたのは、無駄な動きがないことだった。 日本のピアノ弾きはどうしてああ手首をまわすのかと思うほど妙な振りをつけるが、 アムランには全くそれがなかった。おもしろかったのは、 反動で右手を上げたとき、たまに指揮をするかのように拍子をとることだった。

曲そのものについては何もいう資格はない。 第4楽章の途中で妙にリズムがのりのりになってきたときに、 つい腰を浮かしてしまったことを覚えている。 指揮者の沼尻さんもおしりを振っていたので、それがおかしかった。 ちょうどショスタコーヴィチの交響曲のある楽章みたいで、 きっとピアノの師匠の Y さんなら「赤旗まつり」と称するのだろうと思うところだった。

このコンサートには、学生時代のサークルの知人がけっこう多く来ていた。 その中のひとり、 U くんの感想によれば「ビゼーのようでもあり、サン・サーンスのようでもあり」ということだった。 同じサークルの先輩 T さんは、なるほどサン・サーンスの折衷様式に近いものがあるかもしれないと おっしゃっていた。 T さんの知人 M さん(その筋の有名人)によれば、 この曲は「ラフレシア」(ある種の植物)なのだそうだ。数年に一度、数日だけ花をつける、 誰もまずその花を見たことがない。そんな比喩だった。 ところが、音楽史上有名だからだろうか、 この曲の録音はアムランをはじめ5種類以上あるのだそうだ。これは Y くんの情報による。 Y くんはブゾーニのトッカータをかつて弾いたことのある猛者である。

それ以上にびっくりしたのは、このコンサートに来た客の多さだった。 オペラシティのコンサートホールが満員だった。 私がこのコンサートに来た主な動機はそもそもアムランのピアノではなかった (もちろん、アムランのピアノには大いに感銘した)。そんな客は例外だろう。 みんなこんな曲が聴きたいのだろうか。もう世紀末だなあ、と思わずもらしたら、 サークルの後輩の S くんに「もう世紀末は終わって世紀始めですよ」とたしなめられた。 では、なんと表現すればいいのだろうか。

なお、私の知り合いが他にも来ていた。日本に始めてアムランを紹介し、 手弁当でアムランを招いた K くん、 イギリスでアムランの実演を聴き感激した一部始終をサークル会報に寄せた K くん、 アムランのページを立ち上げた T くん、パンフレットの解説を寄せた T くん、 そして今回の主動機を作ってくれた T くん、その他の若いひとたち。


バッハの練習

バッハの練習の続きである。実は毎日電車の中で楽譜を読んで暗譜をしようとしているのだが、 うまくいかない。当然である。昨日、今日は久しぶりに鍵盤に触ってみたが、 やはりまるっきりひけない。それでも鉛筆片手に弾けない音符にマルをつけてみたり、 和声を考えたりしている。気分は楽しい。なんといっても協奏曲ですからね。 (2001-04-01)


バッハの練習

きのう土曜日の弦楽合奏団の練習で、「今度の演奏会でピアノソロをやりませんか」といわれた。 いいですよ、と答えたところ、今合奏団として所持している楽譜があるのはこれだけだと示された。 ヘンデルのオルガン協奏曲(ハープで奏されることも多い)、モーツァルトの第14番、 バッハのクラヴィア協奏曲第1番である。私は正直に「バッハがいいですね」といったら、 本当にやることになってしまった。難しい。特に第3楽章は大変だ。 でも、弾く機会をくださるのはありがたいことだ。 これが十年前ならもっと指が動いただろうに、と後悔する。 しかし、この年でもできるだろう、という楽観(開き直り)もある。

その3楽章を弾いてみた。けっこう、平均率第二巻の類似のフレーズが多いのかな。 ニ短調の前奏曲、ト短調のフーガ、ト長調の前奏曲など。 それから、このリズムはバッハのどこかの曲であったなあ、平均率だったか、と思い出すこと十分、 インベンション(二声)の第6番ホ長調とわかった。でも、十分もかかるかなあ。


クラリネットのコンサート

3/17 に、購読新聞会社からもらったコンサートにつれあいと出かけた。 場所は埼玉会館である。 前半がムソルグスキーの「展覧会の絵」、後半がクラリネットの作品4曲である。 もっとも、最初は「ロンドンデリーの歌」(それも編曲は穏健なグレンジャーの版) というアンコールにあってもよさそうな導入の曲であった。 だから実質は3曲といっていいだろう。

2曲目の「椿姫パラフレーズ(といってよいのかな)」 はクラリネットの超絶技巧に驚いた。なぜ息継ぎしながら音を出し続けられるのだろう。 客席も(そして私も)おもわず曲の途中で拍手してしまったほどだ。 3曲目の、湯浅譲二の「クラリネットのためのソリチュード」には吸い込まれた。 今や、舞台でない限りこのような静寂は聞けないのだ。 4曲目、最後はプーランクの「クラリネットソナタ」。 これと彼の「フルートソナタ」、「オーボエソナタ」は三つ子のようで、 それぞれ旋律部分を取り替えてもいいのではないかと耳の悪い私は思う程だ。 私は自分で伴奏を弾いたという体験のみでこの3つの中では「フルートソナタ」を一番買う。 けれど、実演を聞くとこのクラリネットソナタもいいものだ。この最終楽章をつれあいに最初に聞かせた時、 「トムとジェリーみたい」といったが、 このとき聞いたつれあいは「そんなこと前にいったんだっけ」と忘れていたようだ。 ともあれ、クラリネットを練習するつれあいにとって、 このコンサートはいい励みになったことだろう。


シューマンの曲を弾く

わけあって、新年最初はシューマンの曲を少し弾いてみた。別のページで公言している通り、 シューマンの曲はあまり関心がないのだが、 掲示板でわさびさんという方が「全曲を通して弾いてみるといい」と書き込んでいたので、 腕が全然足りないにもかかわらず実行してみた。

まず、「子供の情景」を試してみた。 だいたい最初の曲「見知らぬ土地と人々から」で難儀した。 左手は絶えず三連符で伴奏し、右手は符点八分+十六分の組み合わせが出てくる。 ごく正確に弾いた時に、どのように聞こえるのかが未だに分からない。 おそらく私の弾き方では、右手が鋭すぎるのだろう。ここで鋭くなるというのは、 3:1 が 3 + α : 1 - αになるという意味である。ここでαは 0.2 ぐらいだろう。

この曲を昔、ダニエル・バレンボイムの演奏で聴いたことがある。 彼の符点音符の取り方には驚いた。上記のαがマイナスなのである。これには辟易した。

そんなこんなで、最初からしてすでにシューマンの曲とは相性がわるいことが判明した。 困ったなあ、と思いながら次の曲を弾いた。そして次の曲、と終わりまで弾き通した。 弾き通した感想は、自分で弾いてみると違う、ということだった。

次に「謝肉祭」に挑戦してみた。「子供の情景」以上に難しいのは承知の上である。 最初の和音を鳴らすところは気分が出る。これが電気ピアノでなくグランドピアノなら、 せめてアップライトピアノならどんなに気分がよいことか、と仮定法過去のようなことを考えた。 途中「パガニーニ」はこうなっているのか、と妙に納得したり、 どうも私の弾き方がおかしい、と思ったところが発想記号(速度指定)を無視していたりでこれは発見であった。 聴いていてどうも拍子が合わないと思っていた個所を確かめてみると3拍子に4拍子がしれっと混ざっている個所であったり、 同じ音型を繰り返しているはずなのになぜか一ケ所だけ音がおかしかったり、という発見もあった。

ただ、このような接続曲(というのでしたっけ)の完成度は「展覧会の絵」にはかなわないだろうし (どうも似た曲が多くて一つ一つの曲の性格づけが弱い。もっともどちらの性格に属するか、 ということを考えていたのなら似た曲があって当然である)、 気分の振幅の表現力という意味では「霧の中で」には遠くおよばない。 なぜ「謝肉祭」との比較にムソルグスキーやヤナーチェクの曲を持ち出したのかというと、 音楽のもつ気分が近い、というだけの理由である。

とはいえ、この「謝肉祭」を弾きたいという人の気持ちも少しはわかるようになったことは収穫だった。

次に何を弾こうかと算段した。私がもっているシューマンの楽譜は、 冴えない Dover 版の I 巻と II 巻である。「幻想曲」や「交響的練習曲」はこの両巻にはない。 おそらく私の持っていない III 巻にあるのだろう。 仕方がないので、「幻想小曲集」のなかからいくつかさらってみた。 「飛翔」はかっこいい。私のつれあいも「これは聴いたことがある」といったほどだ。 なるほど、多くの人たちが取り出して弾くわけである。 もっとも私がかっこいいと思うのは聴く機会が多かったから、という理屈もありそうだ。

森の情景も弾いてみた。シューマンのもつ漂う妖気があるのがこの曲集だと思っている。 しかし、全曲は弾けなかった。

クライスレリアーナの最初もおそるおそる弾いてみた。なるほどこういう音なのか、 と妙に面白くなってしまった。しかし、しょせんはアマチュアでしかも初見に近いのである。 腕が立ってこの曲の脂ぎった迫力が伝えられなければ魅力などないに等しい。 10 分くらい格闘してあきらめた。

わさびさんのいっていることはなるほど正しかった。しかし、これから進んでシューマンの曲を 練習しようとする気になるだろうか。このあたり、わたしにはわからない。 残りの気にかかっている曲は、Dover 版の III 巻を手に入れてから考える。

その後、Dover の III 巻も手に入れたが、まともに練習したことはない(2016-03-20)。

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MARUYAMA Satosi