X1/20
 60年代終わりに、フィアットは850と124に続く、新しい2シーター・スポーツカーを計画すべく、X1/8(ピニンファリーナ)とX1/9(ベルトーネ)のコードナンバーでプロジェクトが始められた。先にベルトーネ・ボディーのX1/9が72年発表された。それはある意味市場の反応を見るためでもあった。X1/9の発表を機に、X1/20にコードナンバーを変えX1/9の上級版として開発を進められることになる。だが、翌73年秋のオイルショックで、スポーツカー市場が大きく冷えこむ事になり、そのためピニンファリーナとアバルトで検討されてきたエンジンは、コストを抑えるため既存のベータ・シリーズから選択されることになった。
 そして、いよいよフィアット X1/20の名で発表される最終段階にきて、フィアット ブランドでなく、ランチア ブランドでの発表となった。それは、ラリーでのストラトスの活躍によりスポーツイメージの向上と北米で定着してきた高級イメージなどがあげられる。それと、オイルショクによるスポーツカーマーケットの縮小で、フィアット製品との競合を避けるためでもあった。
 1975年3月のジュネーブショーにてベータ・モンテカルロと正式発表された。このネーミングはランチア・ストラトスが前年度のチャンピオンに続き75年のモンテカルロ・ラリーでの優勝を記念して命名されたものだ。
 正式発表から同年5月のデリバリーまでの間、恐らくすでに組み上がっている車両に、フロントグリルとリアのバッジ、あとカムカバーを急いでランチアの物に替えたのであろう。
 その制作段階のX1/20の名残りはシリアルプレートによっても解る。通常ランチアは、800番台からの型番号だが、モンテカルロはフィアットと同じ100番台だ。それと余り知られてないがイエガー製メータのプリント基盤にX1/20の文字が見られる。(写真参照)

カロッツェリア・ピニンファリーナ 
1980年当時の組立てライン風景。総生産7578台のモンテがこうして組立てられていった。

ライン工の茶目っ気なのか、ヒーターボックスのカバー裏にサインが入ってるのを見つけてしまった。貴方のモンテカルロはどうですか?もしかしたら同じサインが入ってるかも。


US仕様のスコーピオン
 モンテカルロは当初よりアメリカのマーケットを意識しており、連邦安全基準に適合した設計を目指していた。それなのにへッドライト位置も形も法則に合わないため、丸目で少しだけポップアップするライト。衝撃基準を満たすための金属製で無骨な5マイルバンパー替えられた。名称もすでに登録されていて、スコーピオンとなる。やはり販売が伸びなかったのか輸出台数も少なく1801台だった。本気でアメリカ市場を考えていたのかと疑問になる。イタリアンジョブってところか。

モンテカルロ・シリーズ2
 販売の不振などから一時的に78年に生産中止に。その後デビュ5年目の80年ジュネーブショーでシリーズ2にフェイスリフトを受けた。名称もベータがとれ、ランチア・モンテカルロとなる。外観の変更箇所は、ノーズに新しいランチアファミリ共通のグリルとリアのバッチ、三角窓から生えたドアミラー。ホイルがベータシリーズと同デザインとなり、サイズも14インチに。77年からの変更点であるリアクォーターパネルにガラスがはめ込まれ、斜め後方の視界を確保するなどだ。メカニカル部分では、ブレーキ系の見なおしでブレーキサーボがはずされ、ローター径を227mmから251mmにサイズアップ。圧縮比が9.35に高められ、トルクが17.4mkgに。トレッドを前後それぞれ10mm広げられた。室内ではモンテ専用だった2本スポークのステアリングからモモ製の一般的なデザインの3本スポークの物に、メータースケールも新たに260kmまで刻まれいるなどがあげられる。 その他細かい所でもいくつか変更が行われたが、これらの変更点で車重は1040kgから970kgにダイエットしている。70kg分の見直しとはどこなのか、ちょっとあやしい数字だ。
 シリーズ2は81年までに結局1940台しか生産されず生産を終えた。
 シリーズ2になり、ようやく日本でも正式輸入される様になった。東邦モータスにより21台が売り出され、価格は518万円。オプション27万円でエアコンが付けられた。


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