可燃物な日々

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6月15日(火)

 今週は出張者が多く、ただでさえ人が少ないのに、上司と同僚K嬢は揃って3日間の研修だというのに、「社内ボーリング大会」が開催され、5時には私だけがフロアにポツネンとお留守番で取り残された。  それは予定内のことだったので「今日は、6時半くらいまでは電話番してないとな」と思っていたのだが、フロアにもう一人取り残されていた人がいた。
 社長である。

 「こりゃ、社長が帰るまで帰れないじゃん」と、嫌な予感はしていたのだが、5時半ごろ、社長が「なんだ、誰もいないなあ」と言ったので、「今日はボーリング大会なんですよ」と言ったらワハハと笑っていたが、「じゃあ、飯でも食いにいくか?」というので「へ?私?・・・・だけしかいないんすけど」とシドロモドロになっていたのだが、「今日はFが来るんだ。あと、Tと、まあジジイばかりだけどな」

 どちらも、会社に出入りしている古い業者で、社長とはお友達である。
 なんで、私にまで声がかかるんだ?

 まあ、誰かいたら誘おうと思っていたが、私しかいなかったので「言ってみただけ」かもしれない・・・・・と、思っていたら、6時ちょっと前になったら「おー、これから行くけど、どうする?」
 なななななな、なんだかわからんが、一人で行きたくないらしい。
 しょーがないので、「帰り支度したら、すぐ追っかけます」と言って、10分後くらいに待ち合わせのホテルのバーまで行くことになった。

 あー、なんかやっぱ、あたし、「単なるOL」というよりも「単なるサラリーマン」だなあ(笑)

 というわけで、ドタバタと同席したのであるが、たしかに初老のオジサン二人(もう一人はキャンセルになったらしい)でご飯食べててもつまらないわよね。
 でも、別にあたしじゃないとってわけでもなく、誰か相槌打ち係りが必要だったみたい。
 でも、ワインを2本空けさせて、わたくし的には元はとった。
 そんで、たまたま、社長のお友達の業種が、昔、私がいた業界だったので、元いた会社名を言ったら「あ、仕事したことある!」と向こうがノッてきたので(業界内では、そこそこ有名だったので、共通の話題になるだろうと思ったのだが、まんまとそうなった)業界話で花が咲き、「社長随行の総務部社員」としては正しかったのかよくわかんなかったが、まあ、先方は楽しく過ごしてくれたようで、よかったよかった。

 でも、ボーリング大会に参加したほうが、気楽だったかもしれない。

 サラリーマンはいろいろ辛いよ。
 でも、酒が飲めれば「ま、いっか」と思っちゃうお気楽な性格なので、かなり得をしているともいえる。(単なるアル中ともいえるが)
 そんで、私がもしも男サラリーマンなら、芸の一つも披露しないと許してもらえないのかもしれないが、女だというだけで、黙々と飲んでいるだけで「ミヤノさん、いける口だねえ」という芸として成り立つようなので(50歳以上のオジサンにしか通用しないが)よかったよかった。
6月14日(月)

 5年ほど前にお金を貸した友人に「そろそろ返済しませんか?」なメールを送ったら、「ずっと気になっていたんです。すいません。まとめては返せないけど、返済開始します」との返事が返ってきて、「あー、よかった」と胸をなでおろす。
 まあ、ほんとにホっとするのは、実際に返済してもらってからだが、向こうに「悪気」はないのがわかれば、それで満足できる「お人よしさん」なんですよ、あたしゃどーせ、と開き直り、今日は約束通りにKM君と会って、借用証書をもらう。

 向こうはどうしても「借用証書」を渡しかかったようだが、何回か痛い目に遭っている私にとっては、それはただの紙切れなんだってことがわかるけど(法的に意味があっても、こっちが「法的手段に訴える」ことはまずない。だって、そのわりには大したことない金額だし、法的手段に訴えたほうがコストがかかる。それに、いくら法的手段に訴えたって、相手に返済能力がなければ無駄だし)まあ、向こうの気持ちもわかるので素直に受け取る。まあ、貸した金額を忘れない程度のメモ的な意味はあるし。(実際、5年前に別の友人に貸した金額が正確には思い出せなかったし、相手も「○万くらいだっけ?」と言うので、慌てて借用証書を探した)

 まあね、今まであんまし「寄付」とは無縁な生活を送っているけど、考えてみれば、身近な「困っている人」には、けっこう用立てていたのかもしれない。もっとも、それは自分のメリットも考えてのことだったんだが・・・・
 でもね、やっぱし10万超えると大金だから、「寄付したつもりで」というわけにもいかない。

 そんで、自分がお金を貸した人が、自分より「いい物」を持ってたりすると「なぜ?それを買うお金があったらなら、少しでもいいから返してくれても・・・」と何度思ったか。
 でもさ、携帯の新機種を買うという行為は、向こうにとっては「最低限の生活レベルの確保」であり、私が携帯を持っていないのは、「ただの道楽」なわけなので、そういうことになるらしい。

 うちの親もそんなんだったから、父が大学時代の友人に100万円貸していて、それがいつも夫婦喧嘩のネタになっていた。父としては起業した友人に「出資」したつもりらしいが、その友人が我が家に遊びにきたときに、食後にコーヒーを出したら、「あれ?インスタントなんだ?奥さん、やっぱりコーヒーはちゃんと豆でいれないと」と言ったので、母がキレたのであった。(まだレギュラーコーヒーがそれほど普及してない時代)
 それで「まだ高校生を頭に子供が3人いて、生活に余裕がない我が家が、なけなしの貯金を貸しているというのに、なんで、その人にそんなこと言われないといけないんだ!」と怒った母は、カリタだかメリタだかのドリップ器を買い、つつましい我が家ではその後、フィルタードリップのコーヒーを飲むようになったのであった。

 という逸話は夫婦喧嘩の後に、母が「大人の話が通じそうな」長女の私に何度も繰り返した「笑い話」であるので、「脱インスタントコーヒー秘話」は、私の心にも焼き付いているのであった。
 最近では、その話を聞かされたことはないが、あのお金が返ってくるわけもないので、母は今だに恨みに思っているはずである。その恨みは、娘である私にしっかりと受け継がれているのだが、でも、なんかやっぱり私って父親似なんだよ、性格がさ〜〜〜〜〜〜

 と、こんなとこで鬱憤晴らしてます。やっぱし人間が小さい。
6月13日(日)

 今週は風邪で一日お休みしてしまったので、替わりに今日出勤。日曜でも、けっこうチラホラと人がいた。
 まだ有給はたっぷり残っているが(まだ6月だし)、来週はまた「涙の社員旅行」なので有給を二日間使用することになっており、一月で有給を3日間も使うと後で(年末年始等)苦しくなるので温存。
 いつも繰り返しているが、有給を全部消化しても、普通の会社よりも休みが少ないのである。

 そこそこ仕事はあったのだが(とある支払先の請求書を2年分コピーとか。超メンドー)、昨日なんだか寝つきが悪く、「冬ソナ」観たあとも、なんかすっきり眠れず、(めったに食べない極上のウニを食べたので、興奮してしまったか?)、てゆーか、もしかしたら、久々にちゃんと観た「冬ソナ」の「なんじゃこりゃ〜」な展開に腹がたっていたのかもしれない。

 婚約者をホテルに無理やり連れ込んだことを家族の前で謝らないといけないのは、まあ「文化の違い」で済みますが、結局、婚約解消になったら、拒食症で入院とは・・・・・ああ、じれったい。
 でも、これでやっと中盤らしいんですよね。
 あたし、ちゃんとついていけるかしら?てゆーか、なんだか「こんな恋愛したくねーよ」「こんな友達いらねーよ」「こんな親もいらねーよ」と、人間不信が助長されるので、「負け猫」の教育上よろしくないのでは?

 それで、また「アボンリーの道」で癒されながら眠りに就こうとしたのですが、うっかり最後まで観てしまいました。午前1時から4本くらいまとめて再放送なので、終わったのは多分3時過ぎです。
 なので、朝起きるのが辛かったのですが「早く出勤して、早く帰るのよ」となんとか気持ちを奮い立たせて会社に行きましたが、ほとんど死んでました。

 今日はAさん宅に、先日、晴れて入籍したらしいアエラさん夫妻(ダンナは北アイルランド人C君)が来るので、「結婚のお祝い」&「C君の誕生日」なので、私はケーキを持っていく係りに任命されたので、夕方、会社を抜け出してバースデーケーキを買って、6時ちょっと過ぎにAさんちに着いた。

 AのダンナO君(フランス人)は、外出していたようだが、7時前に帰宅。
 夫婦が二組揃っているので、負け猫な私としては「双方のダンナは外人だし、そういう場合は、ブリッジをやるのが正しい過ごし方なのでは?」という、よくわからない嫌味は、先にAに述べておきました。(でも、欧州人カップルはブリッジやらんのかね?アメリカ人夫婦だったら、ぜったいにブリッジのはずなんだが。

 つーわけで、英国人(北アイランドだけど)のC君は英語ペラペラ、その奥さんのアエラさん(長野県人)も、かなり流暢。A(神奈川県出身)は、まあなんとか日常会話シドロモドロだけど喋る気はある。そのダンナのO(フランスのリヨンのあたり出身)は、フランス語はペラペラだが、他に誰もフランス語を理解しないので、中の下くらいの英語と、ちょびっと日本語。私(東京都出身、千葉県育ち)は、英語レベルは下の上くらいだが、最近ほとんど英語を喋る機会もなく、頭が英語に切り替わらないので(切り替わっても犬レベルなのだが)、全然英語喋る気もなくて「ここは、日本だ!」とばかりに、日本語で押し通す。

 という、かなりバラケた語学能力を持つ5人+まだ人間語を話せないご子息の6人で、なごやかに雑談しておりました。
 私が一番話しが通じたのは0歳児だったかも。まだハイハイはできないようですが、つかまり立ちするようになり、体つきもガッシリしてきたので、抱っこして、頭を下に向けて倒してあげると、「ケハハハハハ」と嬉しそうだったので、ずっとヘッドバンキングしてあげました。「君はパンクスだな〜〜〜」と洗脳しながら、縦ノリ(とにかく縦方向に揺する)もしてあげました。

●負け猫の爪研ぎシリーズ(大人編)

 「ルースターズだからねえ」を合言葉に、フジロックに一緒に行く予定のT嬢より「どうしましょう?」というメールが届き、「どうしたんだ?」と思ったら・・・・

 「こんなものが出るようです。」

 うーん、負け猫にもいろいろな試練が・・・・・
 Tさん曰く「大人としていろいろ試されているような気がします」であるが、「まさかの再結成」の便乗商品に素直に乗るのが「大人」なのかどうか、たしかに迷うところです。

 まあ、ここはTさんにまた「大人買いの真髄」を発揮してもらって、仲良く「レア映像集」DVDの上映会でも開きたいところであります。

 しかし、これって、どのくらい売れるもんなのかね?
6月12日(土)

 昨晩はまたKM君から電話があり、借金の相談。
 うーん、なかなか友達にお金を貸すのも勇気のいることである。
 過去に友達にお金を貸して、すんなり返してもらったことが無いので、KM君には「まあ、事情が事情だから、しょーがない」と一応快諾してはみたが、でも、そういえば、昔お金を貸して、今までずっとそのままになっている別の友人のことを思い出し、勇気を出して「少しづつでいいから返済しませんか?」とメールを出してみた。

 そっちが返済してくれたら、KM君にも前向きな気持ちでお金を貸すことができると思うので、良い返事が返ってくることを期待している。
 でも、やっぱり、とても気の重いことだなあ。ふー

 そして、昨晩は久々に「アボンリーへの道」をつけっ放しにしたまま寝たのだが、いつのまにか、フェリシティの彼氏だったガスが死んでいたらしい。
 「アボンリーへの道」は、タイマーかけて半分寝ながらみると、なんか雰囲気が「冬のソナタ」とクリソツでおかしい。

 さて、今朝はなんか妙な音で目が覚めた。
 「は?今何時?」と気がついて慌てたが、「そっか、今日は休みだよ」と思い出すと同時に、その「変な音」が、うちのベランダでカラスが「アー アー」と鳴いている音だとわかった。
 カラスなど珍しくもないが、こんなに近くに来るのも珍しい。しばらく「うるせーよ。せめて平日のこの時間だったら、いい目覚ましなんだが」と思っていのだが、そのうちどこかに行ってしまい、静かになったので寝直した。

 夕方、九州に留学中(私にとっては未踏の海外ですから)の新井君から電話があり、羽田に着いたので、下北に5時半集合にしたので、支度してから外に出ると、お隣の神社からカラスの鳴き声が聴こえたが、それは別に珍しくもないのだが、カラスの鳴き声とはちょっと違う鳴き声も聴こえたので「なんか、珍しい野鳥でも舞い込んだのかな?」と思っていた。
 カラスの「アー アー」という鳴き声よりも、もっと周波数が短いかんじの「けけけけけけけ」っていう鳴き声だったのだ。
 そのまま下北沢に向かって歩いていたら、さっき聴こえた「けけけけけけけ」とカラスの「アー アー」がまた同時に聴こえたので、思わず鳴き声のする方向を探したら、すぐ真上の電柱の上に止まっているカラスを二匹発見。
 「けけけけけけけけけ」もカラスの声だったことがそこで判明した。

 なんなんだ?あの変な鳴き声は?
 ひょっとして、恋の季節?
 カラスの繁殖期は、5月〜7月らしいけど・・・・・

 そんで、新井君が「東京に帰ったらあそこに行きたい」と切望していた「とぶさかな」に6時前に入ったが、6時を過ぎるとすでに満席。決して安い店ではないのだが、人気あるねえ。今日は家族連れも入っていた。
 そんで、鮎の塩焼きやウニやノドクロの塩焼きなどを食しながら、日本酒をガンガン飲んで、7時にはすっかり酔っ払ってました。モルジブでコーヒー買って、旧丸井前の「どうぞご自由に」のオープンテラス(あそこで、みんな溜まって見苦しかったので、とうとう椅子を用意して見栄えがいいようにしたらしい。いい策略である。「ここで座らないでください」なんて看板出してたのはダサいと思っていたから)で座ってアイスコーヒーをすすっていた。

 今日は蒸し暑かったが、日が沈むと急に涼しくなり、無料スペースでのお茶は格別。
 新井君は、その後、今回の来日(九州も日本ですが)の主目的である、外国から来たお友達と会うために携帯で連絡をとりあっていたが、まだ少し時間があるので、いつも行く線路脇のバーに行ってみたら、「買い物に出かけてます」という張り紙が・・・・

 たしかに、まだ8時前だし、ちょっと早すぎたか、と思って「どうしよう」とウロウロしていたら、マスター(でも、たぶん、私より年下)が買い物袋ぶら下げて戻ってきたので「待ってました!」と店を開けてもらった。
 マスターも福岡県人だし、ときどきお店に立っている奥さんは、新井君が住んでいる町の出身らしい。「かしわご飯がおいしんですよね」などと、北九州話に花が咲いていたが、そのあとの待ち合わせの時間が迫っていたので、一杯だけ飲んで店を出た。

 新井君は、渋谷に向かい、私は「冬ソナ観るから〜」とそのまま帰宅。

 下北に行く途中に、ちょっと気になっている犬がいて、顔の一部分がブチで、いい味出しているのだが、行きに姿が見えず「散歩中なのかな?」と思っていたのだが、帰りは暗くなっていて人目もなかったので、思い切って他所様の敷地に侵入して犬小屋の中をのぞきこんでみたら、その中にちゃんといた。
 私が覗きこんだので、なんかモソモソ動いたが、でも出てきてくれなかった。

 「なんだ、今日はヒッキーなのかよ〜」

 と酔っ払いに絡まれていた気の毒な犬であった。
 あのブチは珍しいので、今度写真に撮りたい。
6月11日(金)

 先日、クラブで会ったアメリカ人がジョージア出身というので「ああ、ジョージアね」と相槌を打つと、「ほんとに知ってる?」と食い下がられ、「だって、けっこう有名じゃん」と答えていたのですが、彼のつたない日本語によると、友達に「ジョージア」と言っても反応が薄いそうだ、ということは日記にも書きました。

 私もあんまし地理には自信が無いのですが、でも、缶コーヒーだって「ジョージア」だし、それになんたって「ジョージア・オン・マイ・マインド」があるではないか?と思ったのですが、でも、ジョージアがアメリカのどの辺にあるのかよくわかってないので、「名前だけは知っている」という状態だったのですが、先日のサミットの会場がジョージアで、「わー、フロリダの上(北)なんだ、よかった西部じゃないという自信はあったんだ」と喜んでいました。東海岸に面していて、どうやら「南部」のようです。

 なーんて、思っていたら、今朝のニュースでは「ジョージア・オン・マイ・マインド」で有名な、レイ・チャールズが亡くなっており、「私がやっとジョージアの位置を把握したというのに・・・・」と奇遇を堪能していました。
 そこでやっと、世界地図を広げて確認したところ、なーんだ、ジョージアって、アトランタがあるとこじゃん!

 わはははははは!すっかり忘れてた!

 そーいや、昔、アトランタ出身の子が知り合いにいたっけな。
 前にも書いたと思うけど、その子ともう一人、交換留学生で来ている子がいて、どっちも白人だったから、すっかり混同して、Aに「彼はイギリス人で、エジンバラ大学なんだって」と日本語で紹介してしまった。その後、英語を喋りたい気分だったAが彼と喋っていて、「イギリスから来てるんだって?」と言ったら、
 「誰がそんなこと言った?」
 「ミヤノさんが・・・・」
 「くーーーーー!オレはアメリカ人だ、アトランタなんだ、南部なんだ、友達はみんな黒人だ!オレのどこがイギリス人なんだ!」

 と怒りだし、なにも知らない私に向かってカツカツと歩いてきて、

 「あなた、ズルイ!」

 と、言うので、「へ?」ということがあった。いったい何がズルいのか、私がなんかズルしたのか、と問い詰めると、以上のような経緯をAが横から説明してくれて、彼が「ひどい」と「ずるい」を間違えているということが判明して、「私も君の国籍を間違えたが、あんたも日本語間違ってる〜〜〜〜」という和やかな会話に移行したのでありました。
 まあ、私にとっては、アトランタだろうが、ロンドンだろうが、そう違いはないのですが、私だって、中国人と間違われたら、「ずるい!」と抗議するかもしれないけど・・・・と思ったが、あまりそういうことで腹を立てたことがないので、よくわかりません。それよりも、アジアなどを旅行していると「日本人か?」と言われて「そうだ」と素直に答えると、いろいろ面倒なので、「韓国です」とか「台湾です」と言っておくと便利だった。(日本人は扱い易いが、他の東洋人女性はキツいという思い込みがあるようだ)

 友人とパリを歩いていたら、道端にいたヨレっとしたオッサンが「しのわ〜?」と声をかけてきて、からかっているようでしたが、私はそれに対して特になんの感情も動きませんでしたが、(パリでシノワ呼ばわりが、どういう意味を持つのかわからないし)、横にいた友人がプンプン怒っていて「バカにしている」と言ってましたが、声をかけられたことに腹をたているのか「中国人呼ばわり」されたことに腹を立てているのか、よくわかりませんでした。

 話は逸れましたが、日本で「ジョージア」の知名度がほんとに低いのかどうかわかりませんが、「アトランタ・オリンピック」と言ったほうがまだ通用しそうです。そして「風と共に去りぬ」を付け加えておけば、ある程度の教養を持っている人だったら(ジョージアの首都くらいすぐにわかりそうなもんだが・・・・)、「南部」であることがわかり、だいたいの位置が想像できるでしょう。「ジョージア」の知名度の低さを嘆いていた彼に、それを教えてあげられなかったのが残念でした。

 でも、サンプル数がたった2名なので、それで決め付けるのもなんですが、私が会った数少ないジョージア出身青年は、二人とも雰囲気が「お坊ちゃん」ぽく、私が勝手にイメージする「南部」とは違うものでした。
 でも、そーいや、二人とも、人懐っこくて、あの雰囲気が「南部」なのかね?友達もそーいや、南部で「挨拶攻撃」にあって、けっこうくたびれていた。「お願いだから、人種差別してほしいと思った」らしい。

 というわけで、話が繋がっているように見えて、飛びますが、世界地図を眺めるのが好きなくせに、記憶力が悪いので、人並み以上は「世界地理に詳しい」とは思ってますが、私の言う人並みとは、会社に揃っている「極上の地理音痴」さん達のことで、「フィジーって、スウェーデンの向こうほう?」って言うようなことなので、自分がそれよりはマシだけど、一般的にどの程度のレベルなのかよくわかりませんが、ともかく、わかっているつもりでいるけど、わりとヌケてます。

 こうして、日記を公開していると、ときどきその間抜けぶりも披露したりしちゃいますが(コスタリカがアフリカなのか中米なのかわからなかったり)けっこう「アメリカ大陸」は苦手な部類かも。
 というのも、先日、「マヤ文字解読」という本を頂いて読んでみたのですが、(山形浩生・朝日新聞書評委員が書評で好意的にとりあげていたのに気をよくした編集者の方が、なぜか山形ファンの私にも贈呈してくれました。ありがとうございます)それを読み始めて気がついたのは、

 「あたし・・・・マヤ文明とインカ帝国の区別がついてなかった・・・・・」

 という驚愕の事実でした。
 世界バカ地図を笑えません。(笑ってないけど。青くなってます)
 どうやら、自分にとって「メキシコより下(南)は遺跡(ナスカの地上絵)とジャングルしか存在しない!」らしいです。あと、リオのカーニバルとフジモリ元大統領と、チチカカ湖がどっかにあります。あと、ロナウドとロナウジーニョとリバウドとロベカルと・・・・・・あ、そうだ、レクター博士もあの辺で暮らしているはずです!

 というわけで、「ユカタン半島」と言われても、どこにあるかわかりませんが、でもそういや、その名前聞いたことあるぞ?
 名香智子の「シャルトル公爵家シリーズ」という漫画の登場人物に、アンリという公爵家の坊ちゃんがいまして、私が小学生のころから馴染んでいる寿命の長いキャラクターなのですが、彼の道楽が「遺跡の発掘」で(欧州貴族の伝統)、アンリがタイムスリップしてマヤ文明の時代に迷い込み、記憶を失って(少女漫画ですから)マヤ人の生き神様である「ククルカン」になっていたというお話がありました。

 よし、それで予習は充分だ!(笑)
 少女漫画はやっぱし役に立つなあ。マイケル・ムーアの新作映画「華氏911」にブラッドベリ御大が難癖つけているなんてニュースを読んで「もー、ブラッドベリ先生ったら〜お元気なんだからっ」とクスクス笑えるのも、萩尾望都のおかげです。

 それはいいとしても、昔読んだ少女漫画のおかげさまで、「マヤ人は天文学の天才だった」という予備知識はバっちり。(って、全然エバるようなことではありません)
 その程度の前知識で読んだのですが、けっこう分厚い本なので、マニア向けなのかもしれませんが、最初にケナしておきますと、この著者の方はあまり「エンターテイナー」ではないようなので(ちゃんとした学者さん)、サービス精神がちょっと薄かった。
 マヤ文字というのは、なぜか最近まで解読されなかったようで、そうなった過程をかなり詳細に描いていますが、「ああ、このあたりが面白そうなとこなのに!」と私が思ったような箇所はわりとあっさりと描いてしまっています。
 著者が会ったとこもない、昔の学者さんについては、わりと淡々とした描写になるのは仕方ないけど、かなり個性的なメンツが揃っているので「もっと、あることないこと想像して大袈裟に書けば面白いのによ」と思いましたが、逆に言えば中立的な良心的な記述とも言えるけど、でも行間に「もっとブッチャけて言いたいんだけど」という気持ちが匂うので、「言っちゃえ、言っちゃえ、もう相手は死んでるし」と思ってしまいました。

 そして、著者がその人となりをよく知っている人たちについても、やはり多少歯切れが悪い。もっとも、そっちは存命なので、あまり書けないという気持ちはよくわかります。でも、大御所として君臨して、結局解読を遅らせた学者さんとか、それに楯突いた亡命ロシア人女性研究者とか、学者の両親を持ち中学生のときにすでに天才的解読力を示した人とか、かなりキャラが立った人が多く登場するので、もっと生き生きと書いてあげてもよかったんじゃないかなあ、と思いました。

 まあ、けっこうよく書けているのですが、「解読」そのものよりも、そういう「人間模様」を重視してしまう読者の立場としては「もっと、もっといけ〜〜〜」と思ってしまったのでありました。
 この著者からの聞き書きで「マヤ文字学会になんの関係もありません」っていう人がこの話を書いたら、もっとエゲつなくて面白いぞ。多分。この著者は、あまりにも中心にいるので、そのあたりの毒がちょっと弱かった。

 という不満はさて置いて、アルファベットで生まれ育った西洋人が「絵みたいな文字?」に対して、「これは話言葉とは別のものだ」とう固定観念が、古代文字解読の支障になったという説明は大変興味深かった。
 先にエジプトなどの象形文字はとっくの昔に解読されていたというのに、南米で発見された遺跡に刻まれているのが同じように「言葉をそのまま書いた文字」だと思われなかったというのも不思議な話です。

 たしかに、マヤ文字は、西洋人からすれば「絵」にしか見えない「漢字」を操る自分にとっても「かなり絵」です。
 これ見て、「文字」だとは最初は思わなかっただろうなあ。
 ただの神殿に刻まれたレリーフにしか見えません。

 でも、暇な人(失礼)がじっと観察していると、「おや、なんかパターンがあるぞ」と思ってはみたものの、やっとその「絵」と天文学的なパターンがわかり「マヤ人は天文学の天才だった!」ということになり、神秘的な未開の土人というイメージが先行しちゃって、しかも神殿に刻まれた文字しか発見できなかったために「これは、なにか抽象的な文字なんだろう」ということになってしまったみたいです。

 たしかにね、日本人にはこのあたりの経緯が、わかるような、逆にわかんないような、なんですが、中国語の漢字って「意味」だけはわかるので、読めなくてもなんとなく意味がわかってしまったりするじゃないですか。
 ほんとは、あんまし読めないのですが、杜甫の有名な「サンガリア」の詩とかちゃんとした意味はわからなくても、「国破」とか「草木深」くらいはわかるし、途中に「涙」って漢字もあるので、なんとなくわかった気になるのは、私が「ちゃんとした教育を受けた書記」ではないからで、古代の書記なら、この漢字ひとつひとつの意味をちゃんと理解できるので、この「絵」の「意味」をちゃんと理解できたであろう、というのが、マヤ文字研究家さんたちがハマってしまったところらしいのか、な?

 だから、笑えないのは、アルファベット文明人である西洋の学者さんたちが「こういう碑紋を見ても、一般市民は読めなかったであろう」と推測していたあたりです。そのとーりでございます(笑)日本の文化財でも、どっかに字が書いてあっても「あー、なんか、ありがたいお言葉が書いてあるんだろーなー」と思うだけだったりする。
 そのあたりで、マヤ文字の学者さんたちが陥った迷宮は、それほど的外れでもなかったと思えるのも、世界的にみても珍しい文字を持つ日本国民の特権でありましょう。

 そういう意味でマヤ文字研究の過程がこれほど楽しめるのは、日本人だけかもしれませんぞ。
 まあ、中国人もそこそこ楽しめるかも。
 なにせ、マヤ文字の造りは、かなり漢字に似ているらしいのです。
 漢字に馴染みの無い民族には「絵」にしか見えませんが(彼らにとっては、どっちが上だかわからない)、「意味」を表す部分と「音」を表す部分があるのは、使ってる本人達はあまり意識してないけど、でも、だからこそ「意味がわからなくても読めたりする」わけです。逆に「読めなくても意味がわかったり」もする。

 なので、たとえば、日本文明(ぷっ)が鎌倉時代で滅びたとして、その遺跡と対峙した学者さんたちが、パズルを解くように「日本文字解読」に挑戦したら、マヤ文字と同じような苦労をするに違いない。(まあ、中国文明が健在なら、すぐにわかるでしょうけど)
 まあ、他の文明は滅びても、中国文明は今だに健在なので、それだからこそ、西洋人にも「表音的要素」という概念が浸透したと思うので、これで中国も土の下だったら、どうなってたんでしょうか?(中国漢字も昔はただの表意文字と思われていた時代があったらしいし)

 というわけで、なんだかまとまりませんが、他の国ではどうだか知りませんが「マヤ文明」が日本でわりと人気があるのは、文字の構成が似ているから「なんか、わかり合えるかも」という親近感もあるんでしょうかね?
 マヤ遺跡にも中国系や日系の研究者がもっと早くかかわっていれば、こんなに解読に時間がかからなかったでしょうに。

 日本語は、基本的には「ひらがな」や「カタカナ」で音の表示ができたので、最初に英語に触れたときには「なんなんだ、このスペルってやつは?」とカルチャーショックでした。
 でも、だんだん「アルファベットの組み合わせで、いろいろな音を表現してるんだ」とわかるようになりました。

 フランス語は発音しない文字が多くて、その昔(そんな昔ではないと思う)、「スペルをもっと簡易化しよう」という運動があったようですが、「それをやっちゃうと、意味がわからなくなる」という反対が多くて、実現しなかったようです。たしかに、merci bouquet(訂正: beaucoup の間違いです。ぼけぼけ。ご指摘のメールをいだきました) の「ぼく〜」のスペルって「et」はなんだよ、読まねーのかよ」っていう余計なシロモノですが、でも、日本人というか漢字を使用する身になってみれば、それは読まないけど「へん」とか「つくり」に相当するもんなんだろうなあ、たしかに日本語だって、ひらがなだけにしても通じるけど、読みにくいもんなあ、と思いました。

 言葉とか、文字っておもしろい!

 で、その中でもやっぱし日本語の表記って特殊だと思うので、愛してやまないのです。
 そんで、そういうプライドがあるので、外人さんが流暢に日本語を「書く」と、ちょっとムカつくのでありました。(心が狭い!でも、マヤの人たちも、ほんとは西洋人なんかに解読されたくなかったと思うぞ)
6月10日(木)

 なんか調子が悪いので「またプチ鬱か?」と構えていたのだが、火曜日に会社でお昼を食べたあと、だんだん熱っぽくなってきて、鼻が一気に詰まってしまい、慌てて会社の常備薬箱にあった鼻炎薬を飲んで様子をみたが、鼻水は止まったものの、頭がボーっと熱くなり、もはや集中できないというよりも、パソコンの画面を見たままじっと10分くらい経過していしまうという「なんの役にも立たない集中力」を発揮してしまい、「こりゃ、仕事にならんわ」と諦めて、5時前に早退して、さっさと家に帰り早寝した。

 翌、水曜日、目が覚めると、まだ鼻はグズグズ。しかも、そのせいか頭痛もする。熱を計ったが、平熱をやや上回る程度だったが、その割には節々が痛い。
 「この程度だったら休むほどでもないな」と思ったが、起き上がってもなんだかユラユラするので「この状態で仕事に行っても座る屍である」と見切りをつけて、休むことにした。
 熱があるわけでもないので、いつもの風邪のときみたいに「昼間から昏々と寝込む」ようなことはなかったが、頭がボーっとするので、ずっと寝転がって、昼間のテレビを観るともなくつけっ放しにしていた。

 昼になって、なぜか猛烈にお腹がすいたので、がんばって外出して韓国料理屋で「石焼ビビンバ」を食して精をつける。
 もしかしたら、ほんとに日本の景気は回復しているのか?平日の1時過ぎだというのに、満席だった。会社員グループもちらほらいるけど、三茶はあまりオフィスが無いので、ほとんどの客が「主婦のグループ」であった。その韓国料理屋は、石焼ビビンバ定食が800円だし、店内は「元・潰れたフレンチレストラン」の面影を残して、席もゆったり作られているので、女性グループに人気があるだろうとは思っていたが、でも、何回か平日や休日のランチに足を運んでいるけど、こんなに混んでいるのを見たことがない。

 私の隣のテーブルには、オバチャンの5人組が座っており、食事は終わっていたが、食後のアイスコーヒーを飲み終わってもまだケタタマしくお喋りしていた。
 オバサンたちが帰ったあと、そのまた横で一人で焼き肉定食を食べていた初老の男性が、食器を下げにきた店員(明るい接客が気持ちいい若い韓国人女性)に、
 「まったく、ああいうオバサンはなんとかならんのかね?うるさくって、食事が不味くなるよ」
 と文句を言っていた。店員は、ちょっと困った顔になり「すいません」と軽く謝って立ち去った。

 まあ、なんか言いたくなる気持ちもわかるが、ランチが600円〜1200円くらいの焼き肉屋である。
 ラーメンと同じくらいの金額で、石焼ビビンバ+キムチ+小皿のおかず+スープ+アイスコーヒーがつくようなお店で、「やかましい」という文句言っているのも、なんだか感じ悪いと思った。

 感じが悪いといえば、今週とっても反省してしまったのは、先日、この日記にも書いた「ドカドカと花が咲く月下美人の鉢」であるが、例年どおり、あっという間に花はしぼみ「美人もこうなるとねえ」と、いつもと同じ感想を抱いて己の優位(目立つ美人ではないので、水平飛行して中年を凌ごうとしている)を確信していたのだが、その鉢がすぐに片付けられていたことに気がついたのだ。

 すいません。鉢も花もデカくて「室内に置いておくのが邪魔だから外に置いてある」なんて勝手に思ってました。
 つかの間の美である月下美人の花を道行く人たちにも楽しんでもらいたい、という飼い主(?)の心遣いがわかりませんでした。(まあ、自慢もあるのだろうけど)
 ピースでラブなバイブを感じとれなかった自分が「感じ悪う〜」でございました。反省。

 ちなみに、観察が細かくてすいませんですが、その月下美人の家のお向かいの家にも、株分けしたと思しき鉢が置いてあって、そちらもややレベルは落ちますが、花を何個も咲かしていました。で、そっちの「分家」は、今だに、しぼんじゃった後の醜い姿を外に晒しており、「本家」が「見ごろにサっと外に出し、しぼんだらサっと中に入れ」と、凛々しくやっているのに、「分家」のほうは、まだまだのようです。
 イライラしてるだろうな、本家の奥さん(笑。勝手な想像で、勝手に楽しい)

 そういえば、私が臥せっている間にも、窪塚君関連の報道はチンタラと進んでおり、私と同じあだ名を持つ、奥さんの「のんちゃん」も報道陣の前に出て、「これじゃ買い物にも行けません」と静かに凄んだつもりだったようです。
 どうでもいいのですが、あいかわらずの「のんちゃん」連呼に、また不愉快になっていたのですが、どうやら奥さんの名前を公表していなくて「のんちゃん」としか紹介してないようなので、マスコミもそうとしか呼びようがないのはしょうがないとしても、同じマンションに住んでいるオジサンにまで「のんちゃんが飛び出してきたが、いつもの、のんちゃんと全く様子が違っていた」と言われていると、かなりムっとします。

 いつものノンちゃんじゃなくて悪かったわね。
 そりゃ、ダンナがベランダから落ちて、地面に横たわってたら、「いつものノンちゃん」でいられるわけないじゃないですか。
 だいたい、「いつものノンちゃん」って何よぉぉぉぉぉぉぉぉ!

 だから、どうでもいいのですが、どうも、自分の幼名「のんちゃん」(家族や高校以前の友人だけが私をそう呼ぶ)が絡むと冷静ではいられないようです。
 だいたい、親しい人にだって「いつものあなたではない」と言われたら、「あたしの何を知ってるってゆーのよ」とかなりムっとしますが、挨拶程度の知り合いにそんなこと言われたら、ブチ切れますね。

 そういえば、先日、日記に「祐天寺から三軒茶屋に帰る道でまた迷った」ことを書きましたが、迷路で名高い世田谷区ですが(戦争で焼いてもらえなかったので、昔の農道がそのまま残って、そこに住宅が密集したのでこうなってしまったらしい)東横線沿線は自分にとって馴染みが薄いせいもありますが、あっちから三軒茶屋(田園都市線)に抜けるのは、私にとっては「難易度の高いパズル」なのです。

 あの付近の「マーブル模様かコリャ?」がよくわからない方は、こちらの地図をごらんください。ほら、ぐにょぐにょでしょ?

 直線での最短距離は「祐天寺」なのですが、あそこはほんとに住宅街で、なんにも目印が無いので、一度、学芸大学からの道に挑戦したのですが、そのときはなぜか「環七」まで出てしまい、たっぷり夜の散歩をすることができました。
 とにかく、なるべく近道しようとすると、道があちこちに曲がってますから、昼ならまだしも、深夜だとすっかり方向を見失い、いつも狐に騙されたようなところにポツネンと出るのです。

 しかも、そんな「超ウルトラ迷い道」をいつも泥酔状態で挑むから、よくないのですが、でもなぜか東横線で帰宅するときには酔っ払っているのです。酔っ払ってなければ、素直に渋谷まで行って田園都市線に乗り換えます。

 先日の失敗(気がついたら、出発点の祐天寺に戻っていた)を振り返りますと、まず、作戦としては「最短距離はあきらめて、世田谷公園を目指そう」というものだったのです。世田谷公園に行けば、いつも行く図書館はすぐ近くなので、大丈夫です。

 そして、けっこういいせん、いってたんですよ。
 「蛇崩」(すごい地名。好き)の信号までたどりついたのです。

 「あ、蛇崩ならわかる。ここから世田谷公園はすぐだ」と何度か中目黒方面からの散歩で歩いてきたので、楽勝だと思ったのですが、「泥酔状態」だったので、そこにつくまでに、すでに進路を北にしていたのを忘れていたのでした・・・・・
 まだ自分が西に向かって歩いていると思っていたので、私が「北方面」だと思ってとった進路は東・・・・・それで、また元来た方向に戻ってしまったのです。
 あの付近には、絶対、富士山樹海と同じような力が働いてると思うね。

 というわけで、私はこれからもあの樹海の中を最短距離で歩くのを目指すつもりです。
 富士樹海と違って、「もーわけわかんねー、足が棒だよー。死ぬー」という事態になれば、タクシーが助けてくれます。

 けっこう余計な出費を生む、変な趣味です。(でも、せいぜい2000円)
6月7日(月)

 昨日は一日中ぐったりしていたが、今日は睡眠充分ですっきり。
 喉が痛かったので風邪気味なのかとも思ったが、結局ただの二日酔いだったみたいだ。
 あと、多分、バーベキューのときに頬張った肉にスジがあって、それが喉に引っかかったので、モゴモゴと格闘してやっと引き抜いたのだが、あれで喉を傷つけたのかもしれない。

 窪塚洋介の「飛び降り?」が話題になっているが、事件(事故?)そのものよりも、ワイドショーの遠まわしなコメントのほうがおかしい。
 「何年か前から、周囲の友達に影響されちゃったのか、なんか雰囲気が変わってきたのよね。それで、その周囲の影響で、なんかパーっと鳥になったような気分になっちゃったのかしら?」というようなことをピーコが言ったのでその「必死に言葉を選んでいる」姿に大笑いしてしまいました。

 昨日はずっと雨が降っていたみたいでしたが、今日は晴れたり雨が降ったりを一時間ごとに繰り返す不安定な陽気だった。会社でも皆、外出のタイミングを計っていた。
 昨日、芋虫ゴロゴロで過ごした私は、今日は懺悔のために、掃除洗濯。明日の朝まで雨が降らなければいいのだが。

 ああ、でも、なんだかやっぱし眠くなってきた。湿度が高いので、まだそれに体が慣れなくてダルいのだろうか?
 まあ、そういうことにしておこう。
6月6日(日)

 昨日の土曜日は社長宅の庭で恒例のバーベキュー大会。
 けっこうお子様の参加が多くて、盛り上がっていた。
 いつものように昼から買出しと準備をしていたので、夕方にはぐったり疲れてきて、9時ごろにはおいとましようと思っていたのだが、なんかズルズルと10時くらいまでいた。
 「これから帰れば、冬ソナに間に合うか?」と思っていたのだが、東横線の祐天寺から歩いて帰ろうとしたんだけれど、道を思いっきり間違えて、気がついたらまた祐天寺の駅に戻っていた。
 祐天寺と三軒茶屋の間は、道順がかなり難易度高いので、いつもけっこう遠回りになってしまうのだが、こんなことは初めてだった。しょうがないから、祐天寺からタクシーに乗って帰ったのだが、家に着くともう12時近かった。

 それで、なんとか冬ソナの最後のほうだけ観たのだが、あれだけ歩いたというのに酔いがさめてなくて、あまり憶えていない。そんで、またふと気がついたら、テレビもコンタクトレンズもつけっ放しのまま寝ていた。
 なんか、先週もこんなことやっていたような気がするが・・・・・

 というわけで、二日酔いで気分最悪だったし、梅雨入りのため蒸し暑く、一日中ゴロゴロしてしまった。
6月4日(金)

 小6女児の殺人事件で、自分が過去に友達に大して不愉快に思ったこととか、逆に友達から「それは不愉快だ」と言われたときのことを思い出してしまい、書いてみたのだが、やっぱし、なんか自分でだんだん不愉快な気分になってきたので、消してしまった。
 そういうのは自分の中での「教訓」として心の中に残しておけばよい。
6月3日(木)

 アクセス解析をしていないので(一度やってみたい気もするが、でも「携帯電話くらい持っててもいいかも。最近、公衆電話少ないから不便だし」と思いながら数年放置しているくらいなので、その強烈な「ものぐさ理論」により導入は難しいと予想される)、この日記の読者が増えているのか、減っているのかよくわからないのですが、でも、ここんとこよく同じ質問が来るので、どうやら「ここ最近」というお客さんが増えているようです。

 で「同じ質問」とは「ペットのアンダーソン君ってなんですか?」というものです。

 というわけで、あまり一般的には好意をもたれない生き物であるからして、アンダーソン君の生物学的名称をはっきり書くのを意図的に避けているのですが、いい機会なので、「アンダーソン君と私のお付き合い」をおさらいしておこうと思います。
 そろそろ一年経つんじゃないかな?

 2003年5月19日 予兆 
 2003年5月25日 子供達との交流の日々
 2003年5月31日 頽廃と驕奢の町ゴモラの発見(&破壊)

 2003年6月1日 専制女王様による大虐殺
 2003年6月2日 逆ストックホルム症候群なのか?なぜか敵の真似をする女王様。日本を憎みながら、「日本の米はおいしい」などという北朝鮮のことが他人ごとではない)
 2003年6月9日 続・大虐殺 &なぜか捕虜と酒を酌み交わす(このあたり、アブグレイブ刑務所事件が他人ごとではないな)
 2003年6月10日 深まる交流
 2003年6月11日 深まる理解
 2003年6月13日 しかし、また戦闘再開。今度はちゃんとジュネーブ条約に基づいて捕虜を丁重に取り扱う。
 2003年6月15日 国連査察団(大家さんの奥さん)の介入

 2003年8月4日 国連が活躍したが、他国の駐在員はほとんど退避済み?
 2003年8月6日 命名 エージェント・スミスとミスター・アンダーソン
 2003年8月11日 スミス君とアンダーゾン君のスナップ写真

 2003年9月12日 スミスの死

 2003年12月20日 アンダーソン君のお引越し(マトリックスの容量が3倍になる)

 2004年1月9日 マトリックスごっこ


 他にもあるけど、主だった事件はこんなもんかな。だんだん日記を拾うのが面倒になった。
 というわけで、冬を越せると思ってなかったのだが(その前に夏を越せるとも思ってなかった)、6月で一周年です〜〜〜パチパチパチ。
 やはり、3億年前から同じ形態で生きているといわれる「地上最強の生物」の一つであると感心するのは、環境の悪さを「成長しないで体力温存」という技で生き抜いたところだな。なので、冬の間はずっと子供だったのですが、最近になって、メキメキ成長しはじめ、今はたぶん思春期まっさかりの難しいお年頃です。

 だから、「恋の季節」までもう少しだと思ったのですが、残念ながら、昨年の国連の介入により、今年の我が家にはアンダーソン君(性別不明。それができるようになったら私もおしまいだと思う)の恋人候補が全く訪れてくれないようなので、外に逃がして、勝手に恋愛してもらいたい、と計画しているのでありました。

 でも、ほんとに「箱入り育ち」だからなあ〜
 外でちゃんと生きていけるのか心配。

 いや、あたし、別にそんなに「あの虫」が好きなわけではないのですが、ただ全然平気なだけです。(私が苦手なのは、ミミズとか毛虫とかヘビ。足が無いのがダメ。6本足や8本足は概ね平気)

 でも、一年も飼っていたわけだから「かなり愛好家」と言われても、反論できませんけどね。
6月2日(水)

 会社を休んで、美容院に行った。
 平日だというのに混んでいて、美容師二人助手一人で一度に4人の客をさばいていた。
 美容院が繁盛する時期なんだろうか?
 1年2回しか行かないのでよくわからないが、前回行った10月の平日は、夕方4時過ぎるまで私以外に客はいなかった。

 終わったのが6時過ぎで、軽い昼食しか食べてなかったので、お腹が猛烈にすいており、初めてココイチのカレーを食べた。けっこう美味しかった。

 家に帰って、いつもそんなことしないのだが、虫の知らせだったのか、ペットのアンダーソン君に「ただいま」と言うと、やややや!死体が!

 せっかく大きくなってきたのに(1年がかりで)、ついに・・・・・
 ここで、泣くべきなのか、笑うべきなのか、少し迷っているうちに、「あれ?これ、死体じゃねーぞ?」と気がついた。
 あまりにもスカスカな死体なのである。
 ルームメイトがいると、死体がご馳走になってしまうので、こういう状態になることはあるが(詳細な描写ですいませんが、飼育しているうちにいろいろ詳しくなってしまった)、アンダーソン君は寂しい一人暮らしである。誰も彼の死体に手をつけたりしない。

 「ということは?」とマトリックス内をキョロキョロする間もなく、丸めていれてある紙切れが補色となっていて、死体のすぐ側でヒャラヒャラと触覚を震わせていた白いものに気がつかなかっただけだった。
 脱皮直後だったのだ!

 喜んでいいのか、悲しんでいいのかよくわからないが、確実に成長しているらしい。

 でも、大きくなってきたら、さすがにあまり可愛くなくなってきたので、そろそろ外に放そうかな。
 嫁だかダンナだかも探したいだろうし。

 という愛憎入り乱れる気持ちに、胸を痛めているのであった。

 胸と言えば、今週の日曜日には珍しく「世界うるるん」を観ていたのだが、登場していたタレントが誰なのかわかっていなかった。どうせ、あの番組は売出し中の新人が多いので、誰だかわからなくてもあまり気にならない。

 そしたら、後になって、あれが「話題のスイカップ」の人だとわかった。どうりで、番組中でも、現地の人が「大きい胸ね〜うらやましわ。日本語ではそういうのを何ていうの?」と言っていて、「ええと、スイカ」と答えていたので、「スイカなんて言うか?巨乳じゃないの?」と思っていたのだが、その謎(というほどでもないが)が解けた。

 それでも、「スイカップ」のことを全然思い出さなかったのは、現地の人が彼女の胸のデカさについてそういう発言をしても、なんにも予備知識の無い私には「そんなにデカいか?」としか思えなかったからである。あの番組に彼女が出演することはそれなりに話題になっていたそうだが、私が見落としたくらいの表現だったわけだから、それを楽しみにしていた人たちが、がっかりしたのもなんとなく納得できる。

 ちなみに、ここでその足元にも及ばない私の胸(たかだかDカップ)について語るのも僭越であるが、20代のころは胸が目立たないような服装を好んでいたが、30代になってから、けっこう強調するようになった。
 他に自慢するようなものもないから、これくらい、いっか、とサバけてきたのも一因だが、最近ではもっと別の理由が大きい。

 スイカップなお腹に視線が行かないようにするためである。

 その甲斐あって、先日もよく利用する弁当屋のオバチャン2名に「スタイルいいのね」「細くてうらやましいわ」と誉められた。常連だから2割引だとしても、ささやかに「着やせ成功!」である。
 もちろん、謙虚な私の返事は「いや〜、そんなことないですよ。脱いだらすごいんですよ」であったが、私の発言の真意がちゃんと伝わったかは定かではない。

 それよりも、現実問題として、最近買い揃えた「ウエストゆるめのスカート」だったはずのものが、ちょっとキツくなってきたので、なんとかしなければならない。でも、今日の美容院でファッション誌を読んでしまったので「うーむ、塗るだけでサイズダウンか・・・・」と、ちょっと騙されそうである。
 最近の女性の敵は「セルライト」なんだそうだ。

 いろいろな敵が現れるので、大変だ。
 味方も「ヒロアルロン酸ナトリウム」「Lシステイン」など、化学の総力を挙げて抗戦。

 そーいや、その昔、その当時は「抗酸化」という概念が流行り、ある友人も「老化の原因は酸化なんだって」と熱く語っていた。彼女が仕入れた説によると、「だから有酸素運動はダメ」というものであった。そして、呼吸する回数を減らせば「小じわやタルみも減る」と力説されたのだが・・・・・・化学戦は年々高度になっているはずなのに、戦士の科学知識はそれに比例して向上しないのが、不思議な現象である。
6月1日(火)

 薄暗い部屋で立っていた。
 気がつくと、すぐ脇に遺体が安置されていた。霊安室らしい。
 そして、声は聞こえないが、とある指示を受けた。
 その遺体と「やれば」、かなりの報酬が貰えるという。正確な金額は思い出せないが、数億円だった。
 変な依頼であるが、なにせ数億円である、「そりゃ、がんばりますよ」と張り切った。
 なんだか、妙に冷静な自分だった。
 いや、金に目がくらんでいたわけだから冷静でもなかったのか?

 とりあえず、遺体とご対面してみた。老人と中年の中くらいのオジサンだった。
 遺体を冷静に観察しながら考えた。

 「うーん、やるのはいいけど、死体を相手にしたことないしなあ」

 そんで、ふと思った。

 「待てよ、これって、いったいどうやってタタせればいいの?」

 技術的に大きな問題である。

 しかし、すぐに思いついた。
 「そっか、死後硬直してるはずだから、大丈夫だ!」

 自分の冷静な判断に、自分で感心して、大変自己満足していたのであった。その後、どうなったのか全然おぼえてないが、目が覚めたあとでも「あたしってスゴい!」という感覚だけは残っていた。


 という、「夢占い」で診断してもらうのもオゾマシーような夢を見たのだが、朝の通勤電車でも、そんな奇妙な状態が続いた。

 電車の中って、特に空いている電車って、ふとした微妙な出来事で一気に雰囲気が変わったりする。
 満員電車でも、シーンとした中で「その手をどけてください」なんて毅然とした女性のセリフが聴こえたりすると、車内は一気に妙な緊張感に包まれたりするが、まあ、そんなかんじ。

 三軒茶屋で急行に乗り、ドアのすぐ横から二番目の席が空いていたので、そこに腰を下ろした。すぐに電車は動き出したが、動き出したとたんに、前の座席の一番端に座っていた中年男性が立ち上がり、隣の車両へと歩いて行ってしまった。
 私の考えすぎかもしれないが、その付近の人は、その人に思わず注目していたので、他の人も「なんかなあ」と、その微妙な違和感を感じたにちがいない。
 だって、普通は、電車が動き出してから車両を変えたりしないでしょ?
 次の停車駅である二子玉川の出口に近い方に移動したのだと思うけど、普通だったら、電車に乗ったときに場所を移動して、下車したときに都合のいい場所で座ると思う。もしくは、「そろそろ次の駅だ」っていうスピードを落としたときに移動する。

 だから、その男性が発車直後に席を立って移動したのはとても不自然に思えた。
 想像力逞しい私などは、「この車両に爆弾を仕掛けたのかもしれない」な〜んて考えちゃったもん。
 そんなドヨ〜ンとした気分のまま乗っていたのだが、ほどなく二子玉川に着いて、何事もなかったし、電車も地上に出たので視界も開けたので、ドヨ〜ンとした気分はすぐに消えた。

 まあ、私の勘なんてそんなもんだ。
 でも、今回は我慢したが、「そのうち勘が当たるかもしれない」という気持ちもあるので、ときどきこういう「第六感を微妙にくすぐる状況」に出くわすと、電車を降りてしまうこともあります。

 さて、第六感もピクピクしなくなったので、その後はのんびりしていたのだが、いつのまにか前に座っている人が入れ替わっていた。それに気がついたのは、二子玉川の次の溝口と鷺沼の間は、かなり距離があるので、電車もスピードを出す区間なのだが、私の正面に座っていた学生とおぼしき青年がコンタクトレンズを装着しはじめたのだ。

 車内化粧とかメール打ちには慣れてしまったが、「車内コンタクトレンズ装着」は珍しい。
 ってゆーか、ハイスピードで飛ばす車内は、かなり揺れるので、見ていてドキドキするのだ。
 実際、彼もかなり手間取っていた。
 「なんで、わざわざ車内でやるのだ。せめて停車中にやっておくとか・・・・それに、目的地についてからでもいいじゃん?」
 と見守っていた。

 やっとのことで片目が入った。
 ふーっと、正面でヒソヒソと見守っていた私もほっとした。
 そこで初めて、彼の横に座っている同じ年くらいの青年の姿が目に止まった。
 二人の足元には、メーカーは違うが、同じタイプのラケット型をしたバッグ(テニスなのか、スカッシュなのか)が置いてたった。「友達同士なんだろうか?」と思ったが、片方はコンタクト装着に必死だし、もう片方は、文庫本を読んでいて、言葉を交わすわけでもなく、視線を交わすわけでもなく、「知り合いなのか、赤の他人なのか」その時点ではよくわからなかった。

 そして、コンタクト青年の隣で読書する青年が持っていた本は、文庫本の「アルジャーノンに花束を」であった。
 しかも、残りあとわずか、50ページくらいである。
 「これは・・・・そろそろ泣けるところではないか!」

 「世界の中心で・・・・」で臍で茶を沸かしてしまったワタクシでも、「アルジャーノン・・・」では熱い涙を流して感動できたような気がする。
 そんな本をカバー無しで堂々と読んでいる神経が素敵。

 私もそうだけど、何を読んでいるのか、周囲にわかるのが嫌でカバーかけたがるけど、欧米ではあまりそういう意識はないようだ。
 だから、電車内でも外人さんが読んでいるペーパーバックが何かわかると楽しいのだが、でも「なんの本だかすぐわかる」のは少ないのが残念。目が悪いのと、英語の原題がよくわからないのが相乗効果。

 話は飛ぶけど、その昔、ニューヨークに行ったときに、地下鉄の中で正面に座った青年が熱心に読んでいたのは「眺めのいい部屋」であった。あれは映画化されたし(というか、映画を先に観た)原題もそのまま「The room with a view」なのでわかりやすい。
 私か、同行のTさんのどっちかがそれに気がついて、堂々と日本語で(フォースターの小説読んでいるような青年は、せいぜい英文学科の学生で、日本語がわかる可能性は著しく低いと判断した)「ねえ、前の人『眺めのいい部屋』読んでるよ〜」と喜んでいたのであった。

 だって、日本では絶対見られない光景だもの。
 日本でフォースターの小説読む「若い男」というのが、まず希少動物であるし、もし存在したとしても、恥かしいからカバーかけると思う。なにせその映画は「イケ面好き」に支持されているし、フォースターの小説を好んで読む女性は、間違いなく「同性愛好き」である。「アナザー・カントリー」と並び賞されているシロモノなのだ。

 なので、海外旅行のサファリツアーで珍しい動物(黒サイとか)を目撃できたような嬉しさを感じたのであった。
 そんで、Tさんが「ははは、じゃあ、ビューティ〜〜〜とか?」と、ジュリアン・サンズの真似を始めたので、「それを言っちゃ、わかっちゃうよ〜〜」と制止したのであった。

 そんな旅のいい思い出もあるので、カバー無しの「アルジャーノン・・・」を読んでいる青年のことも、好意的に観察してしまった。

 その横では、その友達だか、他人がコンタクトレンズ装着に依然挑戦中である。
 本を読んでいる彼が、ふと本から目をそらし、遠い目になった。
 「あ、もしかしたら、ちょっとグっと来たのか?」
 と、ドキドキしながら、観察していた。

 「アルジャーノン・・・・」で涙ぐみそうになって、ちょっと視線を外している青年。
 そんなことも露知らず、必死にコンタクトと格闘している青年。

 と、勝手にキャラ設定をしてしまい、目の前に展開された些細な光景が、「シュールだ・・・・」
 青山真治とか黒沢清の映画の中の1シーンのようでした。(って、彼らの映画をロクに観ちゃいないのだが。なんか、たぶん、こんなかんじ)

 溝口−鷺沼−たまプラーザの間、たっぷり楽しませていただきました。
 こんなんで、こんなに楽しいなんてお手軽ねえ。
 二人はたまプラーザで下車して、そのときに少しだけ会話していたので、やはり友達同士だったみたいです。(たぶん、国学院大の学生)
 でも、並んで座っていながら、全く会話しないなんて、なんか「付き合い長い恋人同士」みたいで、それも胸キュンよ(笑。ごめん、おねーさん想像力豊かすぎて・・・・)

 ついでに付け加えると、コンタクト青年の横に座っていた若い女性も、本を読んでいて、その子もカバーかけてなくて、その本というのが、吉本ばななの「アムリタ」だったのも絶妙のアシストだったのですが、まあ、ちょっと自分の妄想の中に女の子いれたくない気分だったんで、無視させていただきました。

 さて、今日は午前中は雨が降っていましたが、午後には雨も止み、夕方、親会社に用事があって外に出たら、空気がひんやりしていてびっくりした。
 かなり上等な涼しさだった。夏の軽井沢というかんじの「避暑地の涼しさ」だった。
 二日連続で30度を越す蒸し暑さだったので、「避暑地の涼しさ」を堪能してしまったのだが、今日の陽気が6月初旬としてはフツーだったのかもしれない。

 さて、電車の中での「微妙な光景」を書き連ねてしまったが、こういうのって、ちゃんと文章にするのはとても難しい。それがちゃんとできるなら、小説家を目指してもいいかもしれない。

 前にも、もっと衝撃的な「微妙な光景」を目撃したのだが、それを文章化することがとうとうできなかった。
 でも、忘れちゃうかもしれないから、ちょっと虫干ししておこう。

 もう2年近く前のことだと思う。
 おなじように朝の通勤電車。土曜日だったのかもしれないが、でも平日だったような気もする。
 その老夫婦が目にとまったのは、礼服だったからだ。
 奥さんは紋付の和服。ダンナさんは黒の礼服に白ネクタイ。昼から親戚の結婚式なんだろうな、と誰もが納得する老夫婦。

 しかし、ダンナは私の横に座ったが、奥さんのほうは席が空いているのに座ろうとせず、ダンナのすぐ横の「ドア脇」に立って、外の景色をボンヤリと眺めていた。
 かなり異様な光景である。夫婦で正装しているというのに、目も合わそうとしない。出掛けになんかあったのだろうか?

 私の横に座るダンナも、ずっと下を向いている。どう見ても「これから結婚式に行こうとしている」人たちなのだが、「一人息子が事故で亡くなり、これから遺体の確認に行く老夫婦」という雰囲気なのだ。

 その重苦しいオーラは半径5メートルくらいを包み込み、私も「なんなのこれは?」とビビって、席を移動しようとしたが、好奇心が勝って、動くことができなかった。結界に閉じ込められたというか、なんかウッディ・アレンの「カイロの紫のバラ」のように、モノクロの映画の中に飛び込んでしまったような心地がしたのである。

 そうして硬直していると、ダンナがなにやらブツブツ呟きはじめた。
 「はー、なんか、わかんねーよ。なにもかも・・・・・」
 こ、こわいんですけどぉ・・・・・・と思っていたのだが、「わかんねーよ、もう、なにもかも、すぐに忘れちゃうんだ。もう、なんだかわかんないよ」と、ずっとブツブツ言っている。
 横で立っている奥さんにも、その呟きは聴こえているはずなのだが、彼女は「もう、たくさん」とばかりに、あえてダンナのブツブツを無視して、くたびれきった様子で窓の外をじっと見ている。

 そのおじいさんは、多分、ちょっとボケかかっていたのだろうけど、その「ボケの恐怖」が隣にいる私にもヒシヒシと伝わってきて、また、おばあさんの「もう、うんざり」という態度もそれを増幅して、ほんとーに血の気が引きました。

 でも、その二人は、私と同じ駅で下車して、電車を乗り換えるようで、ぼんやりと並んで歩く二人の姿は、それなりに美しかったのですけど・・・・・

 ちくしょー、せっかくこういう「おいしい光景」を見ても、それを表現する文才が無い!

 でも、いんんだ。他人に伝える能力は低くても、「自分だけで存分に楽しめる才能」には恵まれてるから。
 すいませんねー、一人で楽しんでて(と、誰に言うわけでもなく、ちょっとだけ自慢。電脳空間の真中で・・・・真中でもないか・・・・片隅で自己愛を叫ぶ)
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