可燃物な日々

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6月15日(日)

 昨日の土曜日は、K子さん宅で「手巻き生春巻きパーティ」。KSさんも参加。
 具は、はるさめ、えび、パクチー、きゅうり、にんじん、にら、万能ねぎ、焼き豚、スモークサーモン、アボガド、しいたけ、みょうが、蕎麦の芽(かいわれ大根みたいなやつ)であった。
 それらの具を各自のお好みで、春巻きの皮の上に載せて、テキトーに巻くのである。手巻き寿司とちがって、春巻きの皮の水分を調節するという手間があるが、野菜中心で超ヘルシーであった。

 3個も食べたら、けっこうお腹いっぱいになったが、時間をおくとまた食べられるようになったので、ダラダラと夜中まで食べていたのだが、私は一人でワインを飲みながら食していたので、夜中にはすっかり酔っ払ってしまい、いつの間にかソファで沈没していた。

 明け方に目が覚めたので、慌ててコンタクトレンズを外し、また寝て起きたら、もう11時だった。昨日使った食器を洗っていたら、K子さんも起きてきたので、カプチーノを作ってもらってからブランチの支度。
 そのあと、インド・エステごっこしてから、2時すぎに帰宅。

 洗濯しながら、だらだらしていたら、下の階から大家さんの奥さんと誰かが会話しているのが聞こえた。
 「こういう小さいのばかり出てくるんです」
 「これは、ここだけやっても他に行くだけだから、全部やらないといけないわねぇ」

 ゴキブリの異常発生を大家さんに報告しているらしい。下の住民もやはり「ベランダが特に多い」と話していた。
 それからしばらくして、大家さんが訪ねて来て、「ゴキブリ出ませんか?」と言うので、私も「ベランダで大量に見かけたので、ベランダを掃除したが、また出るので、どうも自分の部屋だけの問題ではないと考えていた」ということを報告。
 大家さんは「対応策を考えますので、よろしく」と言っていたので、駆除業者などが出動するのかもしれない。

 ちなみに、私の部屋で保護観察処分を受けているゴキちゃんは、5匹に減った。

6月13日(金)

 13日の金曜日。(なぜか書かずにはいられない)

 昨日はすっかりフテクサれてしまったので、早寝したのだが、あまりすっきりと寝られなかった。
 それでも、起きたら、かなりすっきり。やはり睡眠は重要である。
 「とくだね」で小倉キャスターが「僕は寝る時間がもったいないので、4時間くらいしか寝ない」などと言っていて、ムっとする。いや、睡眠時間など、個人の好きでいいのだが、私はぐっすり心地よく眠れていると「起きるのがもったいない」と思うので、「寝てる時間は無駄」という考え方があまり好きではないだけだ。

 もっとも、私の場合は「起きていても、ロクな活動をしていない」ということもあるので、立派な活動をしている人は寝ないでがんばってください。
 「クレオパトラの鼻がもし低かったら」というセリフがあるが、ナポレオンがもし「睡眠は一日8時間以上。休日は起きるまで寝る」という人だったら歴史は変わっただろうか?

 ところで、昨日はまたベランダで幼稚園の運動会が開かれていたので、せっせと捕獲作業に勤しんだ。ショッカーみたい。
 年長組もいたので、そいつらはけっこうすばしっこく、ひととおり捕獲したり抹殺したりしていたら、いい汗かいた。湿度が高いので、ちょっと動くだけで汗が出るので、達成感がある。
 話は違うが、今日も蒸し暑かったので、外回りから帰ってきた人は汗だくだった。なんかすごく「仕事してるぜ」って感じだった。ちなみに、親会社から書類を受け取って帰ってきた同僚は、「紙がヨレヨレになっちゃった」と嘆いていた。書類を剥き出しで持って歩いたので、すっかり湿気を吸ってしまったらしい。

 で、ゴキブリであるが、昨日は13匹捕獲した。そのうち7匹の生存を確認。
 そして、朝起きると、すぐさま点呼。
 やはり7匹生存。
 そんで、帰宅してから、またすぐに点呼。
 ちゃんと7匹生存。
 よし、なんか軌道に乗ってきたぞ。ベランダで捕獲した幼児達であるからして、地雷にやられていないんだな。

 と、マジで「トップ・ブリーダー」を気取ってますが、大きな声では言えないけど、ここだけの話ですけど、そもそもこれは、マーフィーさん(?)を欺くためにやっているんです。
 タクシーを捕まえようとすると、タクシーは来なくて、交差点の向こう側ばかり通るとき、思わずそっちに行ってしまい、今度はそっち側にタクシーは来なくて、さっきまで自分が立っていたところを数台の空車がまとまって通るようなことは、誰でも体験したことがあると思います。
 そんなときに、「わたしは、タクシーなんて乗らないも〜ん」と自己催眠にかけて、自分で本当にそう思い込めれば、きっとマーフィーさんは騙されて、タクシーをそっちに誘導するのではないか、と思ったので、「わたし、ゴキブリ大好き!たくさん飼って増やすんだ」と擬態できれば、マーフィーさんが騙されてくれるのではないか、と思っているのです。ほんとうです。

 しかし、まだ自己洗脳が足りないようで、全然減りません。・・・・などと、ここに本音を書いた時点でもうダメなのかも・・・・ついに、今日はアパートの入り口で、大人のゴキブリを2匹も見つけてしまいました。踏み潰そうとしたら、ゴキは私の靴の影に隠れようとしたらしく、靴の周りをグルグルと回っていました。そこで「わんわん物語」を連想してしまった私は、ディズニーに訴えられそうですが、でも、「わんわん物語」で二匹の犬が足元を回転するのは、飼い主同士をくっつけるためだったはず・・・・私の周囲には誰もいませんでした。
 ちっとは役に立てよ、ゴキブリ君たち。

 それはいいとしても、アパート全体で発生しているのは間違いないので、これはやはり大家に文句言ったほうがいいのかなあ。私は別に大丈夫なんだけど(今のところ)、もしかしたら、すでに他の部屋からはクレームが出ているのに、私だけが何も言わないと「あの人が犯人だ」と疑われるかもしれない。うーむ、しかし、私は一人暮らし暦13年ですが、大家に何か文句を言ったことが無いので、ちょっとおよび腰である。

 ゴキブリ話ばかりなので、ちょっと気分を変えて、先日から「自由を考える」という東浩紀と大澤真幸の対談集を読んでいる。自分自身が最近「自由って、でも、結局なんなのさ」と思っていたので、考えるヒントとして手にとってみたのだが、残念ながら自由の定義についてはあまり語られていなかったのだけど、こういう「思想系」の本を久々に読んだ(まだ途中だけど)ような気がして、用語などが懐かしい。

 私が大学生のときには、「ポストモダン」という言葉が流行していたし、大学生はそういう本を読まないといけないという思い込みがあった。フーコーとかデリダとかドゥールーズとか、どれもブ厚いし、何書いてあるのかよくわからなかったが、「でも、これを押さえておかないと、坂本龍一と西麻布のカフェ・バー(笑)で偶然知り合っても、ちゃんと話ができない」という程度の強迫観念があり、私も何冊か有名なのを読んだが、全部忘れた。

 そのこととはあまり関係が無いが、この本の中で東浩紀が、大澤真幸の発言を受けて「弁証法ですね」と言うのだが、私はこの「○○法」というのが、昔からとても苦手だったのを思い出した。
 「弁証法」というのも、なんだかよくわからないが、並べていいのかもわからないけど「帰納法」とか「演繹法」も、どれがなんだか全然わからなかった。モー娘の誰が誰だかよくわからないのにも似ているくらいわからない。
 そーいや、ハイリハイリフレ背理法も苦手だった。

 他にもなんかありましたっけ?

 世の中には、人がなんか「これはこうである」と演説したり証明したりしたときに「うむ、これは○○法での論法だな」と、すぐに分類できる人がいるということはわかるが、私にはそれが全然できないのである。「背理法」ってゆーのは、「私の頭には角が無い。だからあなたの頭には角がある」ってやつだったか?(引用元は「パタリロ」です)

 背理法や弁証法はともかく、「帰納法」と「演繹法」は高校レベルでも登場していたような気がするが、その当時も相当悩んだが、そのたびに親切な人が懇切丁寧に説明してくれて、そのたびに「なんかわかったような気がする」と説明には納得するのだが、その寝て起きるともうわかんなくなる。
 これも「任意の整数」と同じように、訳語に問題があるのだろうか?そもそも「演繹」って、いつも読み方わからなくなるもんな(笑)。日常生活で一度も発音したことがないのに、漢字の字ヅラだけ覚えているので読み方がわからないという例の一つだ。
 それは、俳優の名前でよく起こる。テレビ欄や、タイトル・ロールで文字は見ているが、友達などと、その人について語りあったことがないので、読み方を知ろうともしないで長い年月が過ぎてしまう。私の場合は「段田男」を頭の中では「だんだおこと」と読んでいて、それで済んでいたので(誰が「段田男」について友達と喋る?)、「ダンダ・ダン」だとわかったときには相当な衝撃を受けた。
 篠井英介のことも、ずっと「しのい えいすけ」だと思っていたのだが、ある日、道ですれ違ったので、あくる日、同僚に「昨日、シノイ エイスケとすれ違っちゃった」と自慢したら、「ササイ エイスケでしょ」と言われて、がっかりした。

 そういえば、私の中での「永遠の謎」として大事にとってあるのは、下北沢に住んでいたときに、駅のそばにある一軒家の表札に「○○ 東男」というのがあったのだ。「東男」という名前はいったい何て読むのだろう?
 古典にはよく登場する名前というか呼称であるが(「京女」みたいに)、いくらなんでも「あずまおとこ」ではないだろうし、「ひがしお」じゃ、麻雀な元野球選手だし(古い〜。今だとプロゴルファーの父かしら)、テレビ番組制作会社に勤務していたときには、時代劇の脚本家のセンセーたちが沢山出入りしており、彼らは皆、なかなかの博学だったので、思い切って「東男」について、想定される読み方を募ってみたのだが、誰もこれといったのを思いつかなかった。

 「東雲」と書いて「しののめ」と読むし、そういう地名もあったので、私は「東男=しのお」かな?という、仮説を立てたのだが、脚本家のセンセーたちにも「それは、けっこう、いいんじゃない」と誉められた。

 あの家の前を通りがかるたびに、呼び鈴を押して家人に「このお名前、なんて読むんですか?」と正々堂々と問い合わせる誘惑にかられたもんだ。
 たぶん、自分が死ぬ前には「東男の謎を解かないと、死ぬに死ねない」とか言い出して、親族に迷惑をかけると思われるので、東男さんが、この日記を読んでいたら、ぜひ秘密を教えていただきたいと思う。そのご親戚でもいい。友達でも知人でも取引先でも教え子でもいいのでよろしく。

 あれ?私、なんの話を書いていたんでしたっけ?
6月12日(木)

 二日酔い&寝不足。
 会社帰りにドトールに寄ったら、私の前に並んでいるオバサンが、どうやらミルクの入ったアイスコーヒーを注文したいようなのだが、「ラテ」という単語になじみがないようで、必死に店員に説明しているが、店員も中国人なのでオバサンのよくわからない説明がよくわからないようで、会話がとんちんかんになっていたので、しょうがないから、「普通のアイスコーヒーにミルクを足したのがいいんですよね?だったら、アイス・ラテですよ」と横から口を出したら、おばさんは、「どうもありがとう、なんか単語がよくわからなくて・・・・・」と言うので「たしかにややこしいですよね」と笑顔でフォローした。

 こういう、自分にはほとんど負担にならないような軽い人助け(という言葉を使うことすらためらわれるような些細なこと)で、きちんと感謝してもらえると、大変気分がいい。

 眠かったので、スポーツクラブで軽く歩いたが、ほとんどジャクジーかサウナにいた。風呂代わり。
 9時前には、クラブを出て、家に向かって歩いていたら、あまり人通りが無い道で、若い男性に「すいません」と声をかけられた。このあたりで道を尋ねられることも多いので(世田谷は迷路が多い)、振り返ると「火を持ってますか?」

 ナンパか通り魔だと思ったので、火を持っているけど「持ってません」と答える。かなり警戒。
 しかし、やはりナンパだったらしく、「仕事帰りですか?」「なんの仕事しているの?」などとしつこい。

 でも、どうやら通り魔やひったくりではないような雰囲気だったし、また9時なので、周囲も全く無人でもないし、車もときどき通るので、走って逃げるのもなんだし、でも黙っているのも辛かったので、

 「あの〜、最近は物騒なんで、こういう暗い通りで女性に話し掛けないほうがいいですよ」

 と教育的指導してやったら、相手はほんとだか知らないが「おれ、東京もんじゃなくて、田舎から出てきたばっかりで」とか言うので、だからなんなんじゃい、と思ったら「まだ、友達いないんですよね〜」って、田舎だと、夜道で友達ができるのか?
 「女性に声かけるのだったら、せめて昼間にするとか、もっと繁華街でやらないと、通報されますよ」
 と、さらに指導してあげたのだが、私が淡々とそんなことを言っても効果なしのようで、「おいくつなんですか?」とか聞いてくる。しかも「20代ですよね?自分は、26なんです」などと自己紹介するので、

 「あなたより、10は上です」と、きっぱり本当のことを教えてあげたんだが、
 「え〜〜、うっそ〜、22くらいだと思った〜〜」

 おいおい、田舎じゃそういうお世辞も通用するのか知らないし、百歩譲って86歳の女性に「70歳くらいだと思いました」というのは効果があるが、36歳が「20代前半」と言われても、ちっとも嬉しくないのだよ。

 「それは、暗くてよく見えてないからじゃないですか?」
 と、言ってやったが、だって、プール帰りで、頭は乾かしっぱなしだし、化粧もしてないのである。(だから、なるべく裏道を通っているのだ)明るいところで、こういう状態の女性に声をかける人なんていない。キャッチセールスくらいなもんだろう。

 しかし、ぴったりくっついて歩いてくるので、さすがに怖くなり、「私、こっちなんで」と家とは違う方向に歩き出し、しばらくグルグルと遠回りして、後をつけてこないのを確認してからやっと家に帰ることができた。

 街灯は、小じわが見えるくらいハッキリクッキリ灯してほしいものである。

 あと、夜の住宅街でのナンパは、女性に大変な恐怖心を与えるので、それがいけないことだと学校でちゃんと教えてほしい。
 前にも、家の側で後ろから声をかけられ、「よかったら一緒にどっか飲みに行きませんか?」って、頼むからそーゆーのはもっと駅の周辺の店のたくさんあるあたりでやれって。
 しかも、顔も見ずに声を掛けてきたことにもムカついたが、その日は金曜日で、私は透明なスーパー袋に入った缶ビールをぶら下げていたので「金曜日に一人で晩酌する寂しい女性」だと思われたということに気がついて、さらに怒り心頭だったのでありました。

 というわけで、また被ナンパ記録が更新されたが、ナンパ避けと防犯のために、ゴキブリ飼育中ペットボトルを持ち歩こうかな。

6月11日(水)

 会社の人たちと中華屋でサッカー観ながら飲んでいた。
 ジーコは、監督としてはテレビ映りが悪いと思った。ベンチに華が無い。

 すっかり酔っ払って帰り、酔い覚ましに「自由を考える」を読んでいたら、また赤ちゃんゴキを3匹捕獲。どれも元気だ。
 それで、ニュースを観ながら、本を読みつつ、水も飲みつつ、ゴキブリも眺めていたら、S君から電話。
 ダラダラと喋っているうちに、ふとまたビンを眺めると、「あれ?たしか、3匹いたはずなのに・・・1匹消えた!」
 共食いか?しかし、いくらなんでも、たった30分くらいで完食しないだろう・・・・なぜだ、どうしてなんだ、クスリのビンの蓋には、そんな隙間があるのか?それとも、瞬間移動したのか?

 と、パニック状態になっていると、ふと、ビンの蓋に開けた空気穴(直径はワインオープナーのスパイラルな針の太さです)から、小さな触覚が覗いてピクピクしている。「まさか・・・・」と思いつつ、じっと観察していたら、明らかに自分の体より狭い穴にグリグリと頭を突っ込んで、グリグリと這い出してきた。

 やつらの身体能力の高さを侮っていたのだ。彼らの薄いボディは思ったよりも柔軟らしく、あんな小さな穴でも簡単に抜けることができたのだ。先日「共食いしたのだな」などと思っていた私は、まんまと騙されていたわけだ。
 これだから、シロウトがゴキブリを飼育するのは難しいのだ。高校生のときにも、Y(のちにH大理学部に進学した女子)と「ゴキブリを飼育しよう」と思い立ち、やはりなんかの空き瓶に入れてみたが、すぐに逃走されてしまったことを思い出した。

 というわけで、急遽、飼育器を変更して、ペットボトルに移す。ペットボトルなら、素材が柔らかいので、もっと小さな空気穴が開けられる。 

 という、作業をしながら電話していたら2時を過ぎてしまった。
6月10日(火)

 昨日、社内で小耳に挟んだ会話。

A 「昨日、マトリックス観に行っちゃった」(解説:彼女は「ハリー・ポッター」も公開直後に観にいっていた)
B 「えー、そうなんだ。混んでたでしょ」
A 「うん、でも10時の初回に行ったから、そんなでもなかった。次の回は行列してたよ」(感想:話題の映画のために早起きするなんて偉いなあ)
B 「で、どうだった?面白かった?」
A 「うーん、まあねえ。つまらなくはないんだけど、アクションだけってかんじだった」
B 「そうなんだー。でも、前のやつも、アクションは面白かったけど、話がよくわからなくなかった?」
A 「まあね、たしかになんかね」

 いったい何がどうわからなかったのか知りたくなり、首をつっこみそうになったが、忙しかったので我慢した。

 昨日、ゴキブリの共食いについて書いたが、寝てからふと、「清水玲子の漫画に、そんな話あったな」と思い出した。
 あまり清水玲子のファンでもないので、一回読んだきりで、たぶん友達に借りたはずなので、題名も思い出せなかったが、「22XX」という作品だったらしい。

 アンドロイドが主人公なのだが、彼はずっと自分が人間ではないということを知らなくて、一緒に刑務所に入っていた友人と少ない食料を分け合った結果、友人は餓死してしまう。
 その後、自分が「食べなくても死なない存在」であることに気がつき、そのことで餓死した友人の妹に責められていた。
 というような、ストーリーであったような気もするが、あまりちゃんと憶えていない。
 とにかく、食べるということにこだわったシリーズで、そのアンドロイドはその後、ある星に住む人食い人種の少女と出会う。
 その人食い人種の生態がかなりゴキブリなのである。
 女は妊娠すると男を食って栄養をつけて出産し、子供は産まれると母を食って大きくなるのだ。
 そして、彼らの考えでは「食べること」=「食べられた者の命を引き継ぐ」ということになっていて、愛する人に食べられてこそ本望。ってゆーか、食べてもらわないと困るのである。

 そして、食べることはできるのだけれども、それがただの「見せかけ」であるアンドロイド君は、食べることこそが命の繋がりである人食い人種とどう接していいのか迷う。自分がその命の連鎖から完全に切り離されていることを告白できないでいるうちに悲しい結末を迎えたんじゃなかったっけ。

 しかし、ゴキブリの観察から清水玲子作品を連想するとは、ファンから殴られそうだ。

 でもさ、昨日、日記を書いたあとに、やっと一匹生きてる赤ちゃんゴキブリを発見して、またビンに入れたのよ。上手く育ったら「晩酌しよーね」と思ってさ。(まだ懲りてないらしい)
 そしたら、窓辺にちょうどご遺体も発見したので、「これを食って命を繋げ」と思って、それも入れたわけですよ。
 そしたらですね、今朝見てみると、やはり死んでたんっすよ。でも、遺体は一匹だけ。

 つまり、私が仕掛けた「地雷」こと「ホウ酸ダンゴ」を食って死んだ死体をきれいに食ったために、生きているやつも死んじゃったわけですよ。
 もしかしたら、生きていたやつもすでに毒に犯されていたのかもしれないが、でも、汚染されているとは知らずに「お前を食って俺は生き残る」とか誓っていたのかもしれないのに・・・・・

 というわけで、すっかりゴキブリとの「ふれあい」を深めてしまっている日々ですが、おかげさまで部屋の掃除は強制的に進んでいるし、「命って何?」という深い問題と真剣に対峙しているというわけで、私という人間の精神的な向上のために君らは立派に役立っている、だからこんな酷い仕打ちをする私を許してくれ、君たちの魂は私の魂に吸収されて、うまくいけば、あと50年くらい生きる。だから、それで勘弁してほしい。

 などと、マジメに懺悔している自分がとても面白いのでありました。(「ひとり上手」と呼んでください)

 ちなみに本日は、ベランダで3匹捕獲しました。
 私はあれだけベランダをきれいにしたので、やはり外から侵入しているのだ。そう確信して、ホっとしている自分は、まだまだ人間が小さい。
6月9日(月)

 ロックの日。渋谷陽一の誕生日でもある。そして、我が弟の結婚記念日でもあったりする。

 さて・・・・と、昨日は日記をお休みしたが、それはなぜかと言いますと、東京競馬場に安田記念を見物に行き、ついでに馬券も買ったがしっかり負けてしまい、しかもシロートにありがちな「帰りの電車賃まで賭けてしまう」をやってしまい、徒歩で帰ってきたので帰宅したのが夜中になってしまったから・・・・・では、なくて、

●続・ゴキブリ戦記

 この企画(?)、どうやら週刊になったらしい。

 うちの父はわりかし無感動で感情表現が下手な人であるが、それでも1966年9月22日のあの日、長女が誕生したときには心の奥底のすみっこのはしっこのさらに3センチくらい掘り下げたあたりで、こう思ったかもしれない。

 「この子が大きくなったら、きっと悪い虫が群がってくるんだろうなあ」

 お父さん。やっと、その通りになりました。

 土曜日の夜に、ベランダに沢山の赤ちゃんの姿を発見し、すかさず化学兵器を使用した。しかし、ベランダの明かりは暗いし、泥や枯葉や綿ボコリが散乱しているので、どういう状況になっているのかよくわからず、そのうちに激しい雨というかバラバラとヒョウが降ってきたので、あまり観察することができなかったのである。

 翌日曜日の朝。というか、昼だったけど、「さて、ベランダの掃除をするか」と思って、窓を開けると・・・・・

 大量破壊兵器の恐ろしさを堪能した。
 化学兵器を持ってるか持ってないかで大騒ぎする気持ちわかるわ。
 狭いベランダいっぱいに散乱する死体。
 数える気にもならなかったが、一応、ざっとカウントしてみたら、40〜50はあったと思う。
 自分が指揮して爆撃した街の翌朝の様子を見た指揮官の気分ってこんなかな。

 まあ、とにかく、ベランダで卵が孵化したのは間違いが無いだろう。やはり洗濯機の裏が怪しい。
 とにかく、死体処理しないことにはどうしようもないので、「そーいや、南京大虐殺かなんかの映像では、銃殺するときに穴の前でやってて、そのまま埋められるようになっていたなあ」などと思いながら、まずサルトルとボーボワールに出動してもらって、死体とゴミを掃き掃除。実存主義カップルを死体処理に使うとは・・・・
 ざっとゴミを掃除したら、重たい洗濯機を動かして、洗濯機のホースを抜き、風呂桶に水を溜めてベランダの端から水を流す。
 洗濯機の排水口が、ベランダの排水口も兼ねているのである。とにかく、ジャボジャボと汚れを洗い流す。
 水仕事にはちょうどいい気候であったので、やっているうちにだんだん楽しくなってきた。ベランダの「本当の色」が現れてきたのにも感激。風呂場掃除用ブラシでゴシゴシこすりながら磨く。

 ベランダがきれいになったら、今度は窓の汚れが気になってきた。内側はたまに拭くけど、外側はどうせすぐ汚れるので滅多に掃除などしない。透明なガラスではないので、汚れがそれほど気にならないのだ。
 桶に水を溜めて、バケツ代わりにして雑巾を絞り、何度も何度も繰り返し拭いた。ドロドロだった。桟もドロドロ。

 ようやく、窓がきれいになり、部屋に戻ると、心なしか部屋が明るくなったように見えた。
 そうなると、今度は窓辺にある低い棚がホコリだらけなのが気になる。棚は枕もとにあり、その上に沢山の象の人形が展示してあるのだが、象もホコリだらけだ。まず、棚を動かして、その後ろの掃除。綿ボコリをバキュ〜〜〜〜ム。
 そして、棚から象を全部下ろして、丁寧に乾拭きしてホコリを落とす。棚を戻して、象を並べ直して、ああ、すっかり見違えた。

 その時点で、すでに日が傾いていた。さて、窓辺に積んである洗濯物を片付けようと、山を崩していると、山から焼け出されたかのように、赤ちゃんが飛び出してきた。昨日、ベランダで大量発生した残党がこんなところに隠れていたらしい。

 必死に捜索して、処刑していたが、だんだんコツをつかんできて、生け捕りすることができるようになった。指でそっとつまむのです。ふと、机の上に転がっていた空きビンのことを思い出し、捕獲した赤ちゃんをその中に入れてみた。
 先日飲み終えたクスリのビンで、透明だし、わりと大きめなので、赤ちゃんを入れるのには丁度よかった。でも、やはり捕獲するときに潰してしまうようで、中に入れるとそのまま動かなかったりした。

 それで考えた。ここはいっちょ、マーフィーの法則を利用してみよう。退治しようとするから、いつまでたったも絶えないのであって、「飼おう」と思って必死に探すと出なくなったりしないか?
 我ながら、ナイス・アイデアである。

 洗濯物を畳ながら、部屋を監視していると、やはりまだ部屋を横切ったり、壁を這ったりするのがいる。クローゼットというか押し入れからも出てきたので、そこも掃除して化学兵器を撒いてみたら、数匹出てきた。赤ちゃんばかり。いったい我が家で何個の卵が孵化してしまったのだろうか?

 そのあとも、しばらく掃除と捕獲を繰り返しているうちに、ビンの中には20匹近い赤ちゃんが捕獲された。その大半は死亡してしまったが、5匹くらいは元気そうだ。中に一匹だけ、他より一回り大きいのがいて、どうやら「一回脱皮したもん」らしいが、それは走るのも速かったし(つかまえるのに苦労した)、最初の脱皮までこぎつけただけあって生命力も強いらしく、元気いっぱいに・・・・・共食いしちょるようだ。

 うーむ、話には聞くが、実際その様子を観察すると、なんとも言えない気分。でも、なにしろ微小な世界であるから、たぶん、死体にくっついて離れなくて、なにやらやっているような動作が「お食事」なんだろうけど、あまりグロなかんじもしない。
 しかし、ゴキブリっていうのは、恐竜がいたころとあまり形態が変わっていないという噂だが、ほんとに合理的だもんな。まず大量に生まれるが、その大半は兄弟のエサになるわけで、卵一個につき、一匹でも成人式を迎えられれば御の字なんだろう。しかも、成人はボッコボッコ卵を産むらしいので、出産自体が「エサの供給」にもなっているわけで、各個体が満足なエサを得られなくてもいいようだ。

 と、小さなビンの中で、元気なやつが死んだやつに群がる様子を観察して、ニヒヒと笑っているのもなんだったが、ふと「空気が入らないな」と思い、ワインオープナーの先っちょで、なんとか蓋に穴を開けた。

 掃除しまくったし、汗だくだったので、シャワーを浴びてからサッカー中継みつつ、「くはーーーっ、肉体労働の後はまた格別」とビールをガボガボ飲んでいた。
 そのときに、また、魔の光明が差しました。
 「動物のお医者さん」で、スナネズミと晩酌してた先輩のエピソードがあったが、「ゴキブリと晩酌っていうの、どお?」

 ビンの中にはエサも充分、空気穴も二箇所空けて完璧だったが、「そうだ、水分もいるよな」
 やつらはよく水を飲みに来ていて、そのまま溺死してたりするくらい水が好きである。

 しかし、狭いビンの中に水飲み場など作れないので、ティッシュの切れ端にビールを浸してから、中に入れてみた。

 大人気。
 元気なやつらは、ビール漬けティッシュによじ登ったまま微動だにしない。ときどき揺すると動きはじめるが、ティッシュの上でモクモクしているかんじ。ひょっとして、動きが不活発になったのは酔っ払ったせい?
 らぶりーーーー!

●ゴキブリと晩酌する孤独なOLの週末

 我ながら、かなり壮絶な光景である。
 アルゼンチンにボッコボコにされてる日本代表を横目で見つつ、ゴキブリに釘付け。

 そこで、やめておけばよかったんですが、孤独なOLさんは汗を流したあとにビールをかっくらったので、思ったよりも酔いが回っていたらしく、「そうか、ビールは好きか、じゃあ、日本酒はどうかな?」と思い、スポイトで日本酒を吸い上げて、すでにビールが染み込んだティッシュに垂らしてしまったのでした。

●孤独なOLと晩酌するゴキブリの壮絶な終末
 
 お酒を召される方はよくおわかりでしょうが、酔っ払うとどうしても動作が大雑把になります。というわけで、思ったよりも大量の日本酒を流し込んでしまったようで、ビンの底は水浸し、じゃなくて、酒浸しになってしまいました。あ、しまった、と思ったときにはすでに、元気なゴキちゃんまでも酒浸りになってしまったのでありました。あそこで水洗いして、また乾かせば、何匹か救助できたと思うのですが、さすがにそこまでする気にもならず、放置して寝てしまったのでありました。

 朝起きてから、念のためビンを揺すってみたのですが、ピクリとも動きませんでした。見事な「ゴキブリの酒漬け」が出来上がってました。

●突然甦る幼いころの「お医者さんごっこ」

 というわけで、小さな命を酒で失ってしまったわけですが、そういえば、私が小学生低学年だったころに大好きだったのが「蟻のお医者さんごっこ」でした。
 最近は、蟻も害虫扱いされているようですが、私が子供のころは「コンパニオン・アニマル」じゃなくて「コンパニオン・インセクト」だったんですけどねえ。蟻にはずいぶん遊んでもらいました。行列を妨害したり、巣を掘り返したり、巣の穴から水を入れたり・・・・・
 ですから、自分が死んだら、「蟻地獄」に落ちるだろうと観念しているのですが、でもまあ、蟻資源に恵まれていた地域の子供は皆大量に蟻を殺していることでしょうけど、「蟻のお医者さんごっこ」はその中でもわりとオリジナリティー溢れる蟻との遊び方だったと思ってます。

 「蟻のお医者さんごっこ」

 用意するもの
 ・天気が良くて暑い日
 ・バケツ
 ・ドブ板(コンクリート製の平たいもの。安藤忠雄が愛用する「打ちっぱなし」が板状になっているものがベスト)
 ・蟻の巣(ドブ板に近い側溝と家の土台の隙間などにあり、できれば大型蟻の巣)

 ちなみに、ミヤノさんが育った地域では、下水道が完備されたのが中学生のときだったので、小学生の頃はドブがちゃんと現役でした。
 さて、まず、バケツに水を6分目くらい汲んで、ドブ板の上に置きます。
 そして、巣から出入りする蟻をそおっと指で捕まえます。
 空いている手で、バケツの水をかき混ぜます。回転させて、洗濯機の水流のようなものを作ります。
 バケツの中に蟻を入れます。
 回転する水流が止まるまで待ちます。
 動かなくなった蟻を取り出します。そおっと優しく。
 ドブ板の上に蟻を並べます。
 フーフーと息を吹きかけて介抱します。
 天日干された蟻は、水分が抜けるとヨロヨロと歩き始めます。

 というわけで、蟻を水責めと回転によってフラフラにしたのを看病するという遊びでした。
 中には回復せずに、お亡くなりになる患者さんもいたので、手厚く葬りましたが、病み上がりなのに元気に歩き出す患者さんがいた場合には、また入院していただきました。(もう一回、洗濯された)入退院を数回繰り返すと、ほとんどの患者さんがお亡くなりになってしまいました。

 この遊びは、ブールの授業で見学だったときに、プールサイドで暇を持て余し、たわむれにプールサイドの水溜りに、そこらじゅうを元気に歩き回っている蟻を入れて泳がせてみたら、撥水作用があるみたいで、けっこうちゃんと泳いで向こう岸にたどりつくのが気に入らず、水にしっかり漬けてみたらグッタリしたので「溺れたか」と観察していたら、乾いたらすぐに平然と歩き出したのがさらに気に入らず、「もっと、しっかり溺れさせてやろうじゃねーか」という、子供の純真無垢な魂の叫びを応用して発明したのです。 

 あのころの5倍くらいの年になりましたが、虫を見ると虐待したくなる、この残酷な魂は健在なことがわかったのでありました。
 私の本性がやっとわかったのか、今日はゴキちゃんたちは、全然姿を現してくれません。ねえ、遊ぼ〜よ。ねえ。(怖い)
6月7日(土)

 出勤。(水曜日に休んだから)

 「飲む 打つ 買う」というが、私の場合は「飲む 飲む 飲む」かな、とか考えていたのだが、でも、今はちょびっとだけ鬱なので、「飲む 鬱 飲む」かもしれないが、でも、最近ちょびっと「いい馬が観たい」と思っているので、ここはいっちょ競馬にでもハマってみれば、「飲む 打つ カウ」になれるかも。ちなみに、カウというのは牛のことです。部屋にいるときの私は牛に似ている。

 あ、タレ流しているテレビから、聞き覚えのある声が聞こえたので振り返ったら、アド街ック天国の「高田馬場」に大崎2万発が・・・・・、12チャンネルだからか・・・・「打つ」を目指すのなら、弟子にしてもらおうかしら(笑)。

 ところで、毎日のように処刑しても、次々と現れる我が臣民ゴキブリ諸君であるが、冷静な観察により、「どうも私がブリーディングしているわけでもないようだ」とわかってきた。
 なにしろ、アパートの廊下にも沢山いるのである。それに、ベランダで姿を見かけることも多い。玄関のドアの下には、赤ちゃんだったら抜けられそうな隙間があるし、ベランダ側の窓には網戸がないので、これじゃあ、いくら国内で処刑しても、国外から簡単に亡命できてしまうではないですか。

 とりあえず、明日はベランダに置いてある洗濯機の裏側を掃除しよう。枯葉などが溜まっていたりするので、あそこが悪の温床になっている可能性もある。
 しかし、国の治安維持ってほんとに大変ね。女王様は殺虫剤片手に大忙しですこと。

 ゴキブリのことばかり書いているのもなんだから、昔出合った小さな虫の話。

 ずいぶん前のことになるが、私は地下鉄で新宿御苑を目指していた。新宿厚生年金ホールでのコンサートに行くためだ。たしか、アズテック・カメラか、キング・クリムゾンのライブだったと思う。キング・クリムゾンだとしたら、あの「ロバート・フリップ御大を中心に、ダブル・トリオバンドを配置」というやつだったと思う。

 さて、地下鉄の中で座っていて、ふと自分の腕に目が止まった。なにやら微小だけれども、動いているものがあったのである。たしか、アニエスbの黒いカーディガン(あのころは定番だったが、今は無いので悲しい)を着ていたので、目にとまったのであろう。それは、糸くずのように見えた。目が悪いので、腕を目の近くに寄せてみた。糸くずが静電気か、エアコンの風で動いているのかと思ったのである。

 全長2oくらいのその物体は、驚いたことに「しゃくとりむし」らしかった。全長2mmくらいなわけだから、太さはほんとに糸くず程度。しかし、きちんと尺取・尺取・尺取と歩いていた。
 しゃくとり虫のこともあまり好きではないのだが、あまりにも小さいので、「多足類に腕の上を這われている」という嫌悪感もなく、ただ「ひえええ、こんなに小さくてもちゃんとシャクトリムシしてる〜」ということに驚いていた。よく庭にある向日葵などに生息していたシャクトリムシは大きいもので5センチくらいあった。体長1センチくらいの小さなものもたまに見かけたが、こんな小さいのは初めて見た。

 持っていた切符をシャクちゃんの進路にあてて、切符に乗り移らせると、シャクちゃんは元気に切符の上で尺取していた。
 小さくても、けっこう早くて、あっという間に切符の表を走破してしまった。そして、切符のへりに出て、前足というか前身をキョロキョロさせて「どっちに行こうかな」と丹念にリサーチしてから、今度は切符の裏側を尺取尺取。そして、また端までたどり着き「さて、今度はどっちかな〜」というのをずっと観察していた。
 私には、しっかりとシャクちゃんの姿が見えたが、周囲の人からすれば、切符を凝視して、裏にしたり表にしたり横にしたり縦にしたりしている「妙な人」であっただろう。

 あまりにも小さくて可愛いので、「これは家に連れて帰りたい」と思ったが、しかし、どうやって育てればいいのかわからないし、コンサートに行く途中であったので、シャクちゃんをそっと指に移らせて、改札までの雑踏の中で見失わないように注意しながら(指先から目を離さない妙な人)外に出て、道路沿いの植え込みの中にそっと放してあげた。
6月6日(金)

 イマイチ、頭の調子が悪いのは「オーメンの日」だからだろうか?
 頭の調子というか、精神状態がどうも下向きである。
 こういうときには、自分の精神波の届く範囲が非常に狭く感じる。
 調子に乗っているときには「世界は私のために」という気分になるのだが・・・・

 別になにが原因で「やや憂鬱」というわけでもないようだし、いつも調子に乗ってばかりいるので、たまにはこれくらいのほうが落ち着いていていいのかもしれない。
 でも、夜、早い時間に眠くなるので、早めに床についても、なかなか眠れなくて、やっと眠れたと思ったら、2時とか3時に目が覚めてしまったりするのは、「プチ鬱」なのかもしれない。

 めったにこんなふうにダラダラと落ちない性格であるからして、たまにこういう風になると、ついうっかり一人遊びをしてしまう。
 「伝説の大波」にやっと出会えたサーファーのように、私は「めったにない凪」をこうやってサーフィンする。

 「どーせ、わたしなんて、わたしなんて・・・・・きっと、みんなに嫌われてるんだ。そんで、ほんとは誰にも相手されてないんだ。みんな、ニコニコ笑顔で接しているようにみえて、陰で悪口言ってるんだ・・・・」

 軽度の鬱のときに、こういう思考を続けていると、けっこう楽しい。「みんな」という言葉は、こういう遊びのときにこそ使用すべきである。(見えないお友達みたいなもん)
 ただし、あまりやりすぎると、ほんとーにどん底に落ちる可能性もあるので、ほどほどのところでやめておくのが大人の遊びであろう。

 などと、くだらないことを書いているうちに、また眠くなってきた。
 湿度が上がってきたのに、体が順応していないからだと思われる。
 要するに「季節の変わり目」ってわけだ。

 風邪も流行っているようで、うちの会社でも「体調不良でお休み」が多い。
 「熱は上がらないが、頭痛がひどい」のが特徴らしい。
6月5日(木)

 先日、A嬢がとうとう派遣の仕事をクビになったと怒りのメールを送ってきたが、昨晩はKM君が「クビになりました」と電話してきたので、しばらくその話で盛り上がった。

 朝のワイドショーで、レニー・ゼルウィガーが「ブリジット・ジョーンズの日記2」に出演するという話題をやっていた。また10キロくらい増量しないといけないらしい。楽しみである。

 そんで、増量しても高額のギャラを貰えない私は、今日もプールで黙々と泳いだ。

6月4日(水)

 会社をお休み。
 二日酔いで休んだわけではなく、休みの予定を入れておいたのである。まあ、どうせ、昨日はとことん飲むだろうから、朝起きるの辛いだろう、という堅実な計画だったのだが、さらに「水曜日は女性1000円」を狙ったという、そうとう堅実な計画である。

 なんとか昼には起き上がり、せっかくだから六本木ヒルズまで行ってみた。「チャーリーズ・エンジェル」も「マトリックス」も、公開間近になって盛り上がっているが、私はやっと今ごろ「シカゴ」を観てみました。いつも、話題作を観るのが異常に遅いのだが、今回はわりかし早いほうだろう。いつもだと、三軒茶屋の二本立て名画座に下りてくるのをじっと待っていたりするのだ。

 さて、「シカゴ」がアカデミー賞の作品賞に輝いたとか、ミュージカル舞台が原作であるとか、そんくらいの前知識で観にいったのだが、観た後の最初の感想としては、「三茶で二本立て上映するときには、カップリング作品は『ボーリング・フォー・コロンバイン』にしたらどうだろう?」
 観たあとに相当頭が混乱すると思われる。

 感想2
 レニー・ゼルウィガーといえば、私にとっては「ブリジット・ジョーンズの日記」であるが、あのときと随分違うではないですか!知らないで観ていたら、気がつかなかったと思う。「どっかで観たことのある笑顔だな。そういえば、こんな唇の女優他にもいたな」と思っていたことであろう。
 「ブリジット・ジョーンズの日記」で冴えない30代女性を演じるために、体重をかなり増やしたらしいが、それにしても胸のサイズが全然違う。いったいどっちが「本当のレニー」に近いのだろうか?それとも「すっごく太った」のと「とことんまで絞った」という両極端を鑑賞させられたのだろうか?

 デニーロなんかは、そういう役作りで有名だし、そういうことするような役者根性とは最も遠いところに位置するキアヌだって「マトリックス」のために相当絞ったようだし、ハリウッド俳優たちは、大変ですね。それが仕事のうちなんだろうし、そのための専門家もがっちりとつくんだろうけど。

 じゃあ、私だって、そういう専門家につけば、あれだけのナイス・バディになれるかっていうと、無理でしょうね。すでに骨格が違うから・・・・(レニーったら、足長いしぃ)
 たぶん、実現可能なのは、看守長役のクイーン・ラティファだろうな。あれなら、努力すればなんとかなりそうだ。もちろん専門家の指導の元で。(ぢゃないと、腹周りだけ真似してしまいそうだ)

 感想3
 バンドリーダー役の人がハンサムだった。要チェック

 さて、「ああ、久々に、エーンターテーーーーメント!な映画を観た」と満足し、さて、お次は、東京都現代美術館に「舟越桂展」を観に行ったのである。
 美形の胸像が立ち並ぶ展覧会。前から「この人とは顔の趣味が合う」と思っていたが、やはり「甲田益也子顔」がいっぱいあった。
 関係ないが、甲田さんは自分のことを「父親似」と言っていたという噂。どんなお父様なんだ!会ってみたい!と思ったのも、今は昔。

 というわけで、今日は久々にしっかりと出歩いたので、かなりくたびれました。眠い。 
6月3日(火)

 目が覚めたら、ゴキブリになっているのではないかと心配したが、杞憂であった。

 この間も「焼酎の試飲」のために、いそいそと出かけたマチリンの店に、ミラノから帰国中のさくらさんが来るということで、またノコノコと出かける。
 焼酎飲み放題であったので、またかわるがわる飲んでいたら、最後のほうにはまたなにがなんだかわからなくなってしまったが、でもマチリンお手製の「シソ焼酎」はホントに美味しかった。

 すっかり酔っ払って帰り、途中で電車がなくなってしまったので、30分ほどヘラヘラと夜中の散歩を楽しんでからタクシーで帰宅。
 終盤にさしかかっていた「半落ち」の続きを読んだ。
 うん、うん、そうだね。「組織の中で揉まれながら、ボクちゃんたちこんなに頑張ってます」だよね。えらい、えらい。(終わり)
 ってゆーか(終わらないらしい)、これって、もしかすると、コメディーのつもりで書いたのかもしれない。シリアスを装っているが、こういう皮肉なテーマのものは、もっとお笑いで通したほうが面白いのだと思うのだが。それは個人的な趣味だしな。
6月2日(月)

 週末をゴキブリとの戦いに費やしてしまったために、今日はなんとなく「人間の世界」に馴染めなくて、久しぶりに「なんか、浮いたかんじ」を味わった。ときどき、このように周囲に馴染めなくなり、違和感を感じるときがあるけど、今日のは「ゴキブリ離人症」と名づけたいような感覚。
 具体的にどんな感じなのか説明すると、「視界に動く人間が見えると、思わず叩き潰したくなる」「電車に乗っていると、ゴキブリ・ホイホイの中にいるような気分に陥る」「食事をしている人の頭の上で触覚が嬉しそうにピクピク動いているような錯覚をおぼえる」等である。

 その中でも「頭の上で触覚が嬉しそうにピクピク」というイメージが気に入ってしまい、「私も触覚欲しいかも」と思い始めたら、その気持ちを押さえきれなくなり、家に帰るとさっそく実行してみることにした。

 モデルさんが自分なのがイマイチだが(また必死で顔を隠す)、この髪型かわいいぞ。チャーリース・エンジェルのプロモーションで来日中のルーシー・リューあたりにやってもらって、黒エナメルの衣装なんかに身を固めてもらったら、ゴキブリ・ルックがブームになるかもしれない。

 などとやっているうちに、また「あたし、いったい何やってんの?」と落ちてきた。

 素に戻って、やっと忘れたころに図書館から連絡があった横山秀夫の「半落ち」の続きを読もう。あらすじを知らずに読み始めたのだが、どうやら、この小説「落ちそうでなかなか落ちない」という筋らしい。受験生へのプレゼントにいいかもしれない。(まだ半分しか読んでいないのでわからないが)

 私も今日はブルー・マンデー症候群のため、眠くてダルかった(ブルーマンデー症候群の主な原因は週末の昼夜逆転である)ので、「半落ち」状態であったが、その状態から抜け出そうと、がんばったら「ゴキブリ・ヘア」まで抜け出てしまい、要するにジャンプしすぎて天井に頭を打ち、「激落ち」してしまったというわけでございます。
 人生を少しでも明るくしようというその姿勢は評価するが、明るすぎでコゲてしまってはいかんよなあ。
6月1日(日)

●ゴキブリ戦記

 つい先日には、エコエコ・エコロジスト気取りで偉そうに「ゴキブリとの共存共栄」などとのたまっていたのであるが、昨日の掃除の成果が思ったよりも上がってしまい、台所の裏側や風呂場の死角などに殺虫剤をせっせと振りかけていたのだった。
 結局、大きいのは1匹だけで、あとは脱皮直後の白い中くらいのが1匹と、中学生くらいのが3匹出てきたので、即死刑。
 ゴキブリに寛大だったはずの女王陛下は、急に人が変わってしまったのか、もしかしたら欧州王族の血(ハプスブルグ家とかそんなかんじの)がどこかに流れていたのを思い出したのか、「全員死刑じゃあ〜」とロンドン塔とギヨチーヌな気分満載の「血に飢えた女王」に変身してしまいましたとさ。

 前にも書いたが、産まれたばかりゴキちゃんは、私が手をくださなくても、勝手に死んでいることが多い。掃除したらそういう死体も多数発見された。そして、殺虫剤を撒いたために、それで死亡したらしき死体も多数発見された。残酷な女王陛下は、それらの死体を並べてみることにした。数を数えたかったのである。
 成人の死体はやはり不気味なので、赤ちゃんのだけティッシュ・ペーパーの上に並べてみた。それが10を超えると、かなりげんなりしたが、20を超えたら、「大虐殺」な気分になってきた。

 昨晩は「ER」が始まる前に雨が止んだので、スーパーに買出しに出たのだが、ついに「大量破壊兵器」を導入してしまいまいした。ホウ酸ダンゴなやつ。それを風呂場と台所中心にばら撒いた。地雷埋めてる気分満喫。こーなったら、ダイアナ妃に説教してもらおーじゃないの。
 しかし、スーパーに買出しに行くときに気がついたのだが、アパートの1階の出入り口のところに、成人の死体が転がっていた。「もしかして、うちで毒を吸ってしまい、なんとか逃げ出したが、ここで力尽きたのでは?」と不安になる。気になったので、アパートの廊下をよく観察してみると、あちこちに赤ちゃんの死体を発見。しかも、私の部屋のドアの前で赤ちゃんが2匹死んでいた。

 ってゆーことは、もしかして、うちって外部と出入り自由?
 今まであまりアパートの廊下をじろじろと観察することがなかったので(眼が悪いし、廊下はあまり明るくないし、そもそもゴキブリが怖くないので気にならない)よくわからないが、時期的に「赤ちゃんの死体」が多いのか、それともやはり「我が家で繁殖して、大量虐殺の憂き目に遭った」死体なのか・・・・・
 廊下に散らばる死体の死因を解明すれば、それが私の撒いた殺虫剤で死んだのかどうかわかるはずだが、それを調べる手段が無い。

 というわけで、すっかりきれいになった部屋は隠れ場所も少なくなり、板門店を警備する軍隊のように、私が目を光られているので、のこのこ出てきた罪もない赤ん坊が次々と殺されています。
 どんな生き物でも赤ん坊は可愛いとは言うが、赤ちゃんゴキブリもかなり可愛い。小さな触覚をふるふるさせて、「どっちに行こうかな?」と考えています。あんなに小さいのに、高価なロボットなんかよりはずっと高性能なんだろう。

 とりあえず、どこかで孵化してしまった卵が一個だけだと仮定すると、最大で40匹くらい産まれるらしいが、その大半は処刑したようだ。しかし、さっき風呂に行ってきて(昨日、流しの下を掃除したため今日は腰痛気味)帰ってきたら、また部屋の真中を堂々と横切っていた赤ちゃんを発見。まだまだいるらしい。

 でも、こういう事態になると、つくづく思うのは、「ゴキが苦手じゃなくてよかった〜〜〜」である。ゴキが超苦手な友達が、ゴキが出てきたので、慌てて掃除機で吸い取ってしまったが、怖くて掃除機を開けてゴミが捨てられなくて、しょうがないから実家に電話して弟を緊急招集したそうだ。夜中に電車で30分ほどの姉の部屋にそんな用事で呼ばれる弟君も気の毒である。そこで召集命令を拒否などしたら、姉から一生恨まれることがわかっていたのだろう。その話をきいて、私は「いい弟さんだね」と弟君を誉めたが、姉君は「(来て)あったり前じゃない。来なかったらコロすよ」とか言ってたっけな。全く感謝の気持ちが感じられなかった。そういう我がままな姉を持つ全国の弟さんたちの涙を誘う話であろう。

 今日の昼間に図書館に行った帰り道、久々に道を横切る毛虫を発見した。3センチくらいの真っ黒なやつだった。縦にうっすらと銀色の縞が入っていて、毛の長さは短くて、ベルベットのようだった。なかなかイケ面な毛虫なんだと思う。でも、怖い。
 「ゴキブリの代わりに、こんなのが我が家に数十匹生息していることがわかったら、即効引越しするな」と思った。
 毛虫があまり家の中で生息しないことを「我が幸運」と思う。
 でも、昔に比べると、毛虫を発見しても「どひゃーーー」と怯えなくなった。住宅街の道で遭遇することが少なくなったので、怖いと思うよりも先に「珍しい」と観察する心の余裕ができたらしい。

 というわけで、ゴキブリとの戦いのおかげで、今日は腰の調子がイマイチだったし、天気も悪かったので、部屋でゴロゴロしていたのだが、それでぼんやりテレビを観ていたら、「日本ダービー」が始まったので、久々に真剣に競馬中継を見た。
 今日のダービーをうっかり観てしまった、私のような普段はあまり競馬に興味のない独身女性が日本に何人いたのか、知る由もないが、その何人かのうちのかなりの割合の人が同じことを考えたと思う。

 「サンデーサイレンスの子供だったら産んでもいいなあ〜」

 ケンタッキー・ダービーでも勝利した、アメリカでも有数の名馬であった「サンデーサイレンス」は、なぜか日本で種馬業にいそしんでいたらしいが、その子供や孫の活躍が著しいようだ。今日のダービーでも1着から5着まで全部その血筋。
 やはり、遺伝子が全てなのか・・・・と、がっかりしてしまうが、もっとがっかりするのは、サンデーサイレンスはすでに去年お亡くなりになっているのである。
 今後、ママンに「そのままもう、子供も産まないつもりなの!」と苛められたら、「う〜〜ん、サンデーサイレンスが死んじゃったからねえ」と言うことにしよう。

 しかし、スーパーカーにも乗ってみたいが、G1馬にも乗ってみたいよ〜〜〜。あんなスピードで走る気分はどんななんだろうか?車はアクセルさえ踏めば、私でも200キロのスピードが出せるわけだけど、G1馬は私が乗っても、あれだけのスピードで走ってくれなさそうだけど、G1馬に跨った王子様が現れたら、王子様を蹴落として、私が馬に跨って走り去るわ。

 そういえば、ダービーで勝ったネオユニバースに跨っていたのは、外人さんだった。ミルコ・デムーロという名前で「どこの国の人?」っと思っていたら、イタリア人であった。しかも、かなりの美青年である
 こういうのを見ると、今まで「イケ面騎手」と呼ばれていた人が、ただの「騎手にしてはイケ面」であることがわかってしまう。しかも、このミルコ君は、レースが終わり、楽屋(?)に戻り、馬から降りるとき、馬の首のあたりに「ぶっちゅ」とキスしていた。ほんとに「ぶっちゅ」と音がしていて、テレビはちゃんとその音を拾っていた。
 女性競馬ファンは、「あたしもミルコにブッチュとキスされてみて〜〜〜」と悶えたかもしれないが、私は「私もG1馬にブッチュとキスしてみて〜〜〜」と悶えていた。

 サンデーサイレンスの子供も産めないし、ってゆーことは、私の子供がダービーで勝つこともないけれど、でも、アスコット帽子でばっちりキめて、優勝した馬に、ぶちゅっとキスすることは理論的には可能である。馬主の妻とかになればいいのか?いや、私が実業家になって、馬主になればいいだけじゃないのよ。そーよ、そーよ。っと、丙午な私は、競馬中継を眺めながら、ヒヒヒヒ〜ンとすっかり鼻息が荒くなっていたのでありました。
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