可燃物な日々

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5月31日(土)

 また時計の話。(粘着質)

 かつて「時計を合わせる」という行為は、日々の雑事の中でも特別な地位を得ていたと思う。
 小説の中でも、今の振り子時計のねじを巻いて時計を合わせるのが習慣だった祖父の話や、ねじ巻き係に任命されて得意げな子供や、学校の正面玄関にある巨大な時計のネジ巻き当番が名誉だった話などのエピソードによく出会う。

 ちょっと前に読んで「大爆笑&ちょっと泣いちゃったわ」だった、アメリ・ノートンの「畏れ慄いて」という小説では、仕事を干された主人公アメリーは、「会社中の時計を毎日全部合わせる」という仕事を自分で勝手にやりはじめ、それが大受けしてしまったために、トイレ掃除を命令されてしまっていた。
 実際にそんなことをしたのかはわからないが、でも、「時計合わせパフォーマンス」が彼女の上司をキレさせたのはなんとなく理解できる。「時計合わせ」は「くだらない仕事」かもしれないが、でもなにげに「神聖な儀式」っぽいので「神棚の掃除」くらいの意味はあると思う。

 「時計合わせ」とは違うけど、時計はよく観光名所にもなっている。ロンドンに初めて行った人は、「生ビッグベン」を観るとそれなりに感動するし、時を告げるあの音を聞くと「このおなじみの時報のネタ元はこれだったのか!」と、感激したりするし、ドイツでも、定時になると時計から人形が出てきて踊り出すような仕掛け時計は観光客に人気があり、パフォーマンスの時間に合わせて人が集まってくる。

 日本でも、決まった時間になると、パフォーマンスしてくれる時計があるが(有楽町マリオンとか)、あれに「時間合わせ」も演目として取り入れてくれたら、さらに臨場感が出て面白いかもしれない。
 「時の受信者」役の人形が厳かに登場し、その頭からアンテナがニョキニョキっと生えてきて、瞳の輝きが点滅して「受信中」を表現する。そして、受信者が告げた「正確な時」を従者の少年が恭しく運び、時計職人に渡すと、職人が重々しく時計の時間を修正するのだ。
 そういうド派手な電波時計があるといいなあ〜。

 私はわりと地味でシンプルなものが好きであるが、わりとそういう「意味もなく派手」なものに心ひかれるときも多い。
 街でゴージャズな車などが普通に走っていると、なぜか興奮する。きっと、田園都市線に叶姉妹が乗っているのを目撃したらテンションあがるだろう。
 ゴージャスな車といえば、その昔、六本木で働いていたときには、よく麻布警察署の横の抜け道を通った。今は無いけど、昔はあの脇にレッカー移動された車が置いてあったのだ。「自動車の拘置所」だったのだろう。ときどき事故車も置いてあって、無残に凹んだ姿が観察できたが、あるとき、フェラーリが置いてあったのでびっくり。
 それも、お約束通りに「真っ赤なフェラーリ」である。バブル後期だった当時、六本木界隈では路駐しているポルシェはよく見かけたが、さすがにフェラーリはなかなか目撃することはなかったし、そもそもそんな至近距離でフェラーリを見るのは初めてだった。
 しかも、その「真っ赤なフェラーリ」は、前方部分が見事に潰れていたのである。何かに衝突してグシャっとなっちゃったらしい。車のことはよくわからないが、シロート目で見ても、「これはもう廃車だな」とわかった。しかし、たいそう高価らしいフェラーリであるが、ボディがひしゃげてみると、金属部分の中になにやら繊維質なものが入っていることがわかり、「これは、もしかしてハリボテなのか?」と疑ったが、でも、あれだけ見事に潰れてはいても、運転席には被害がなかったようで、「きっと、フロント部分を柔軟に作って、中身を守る構造なんだろう」と、シロートなりにあれこれ考えていた。

 しかし、「見事に潰れた真っ赤なフェラーリ」など、そうそう出会う機会もないはずで、すっかり興奮した私は、「これと一緒に写真撮っておこうかな」と、かなり真剣に考えたのであるが、でも、事故車を好奇心から撮影するのも不道徳な気がしたし、なによりも、この車の持ち主の落胆ぶりを想像すると、あまり楽しんでもいけないような気がしたので、一週間くらいそこに置いてあった間、毎日のように拝んで楽しむだけにした。

 その昔、「スーパーカー・ブーム」が巻き起こったときに、うちの弟も夢中になっていたのだが、姉は特に興味もなかったのに、そのときに無意識に洗脳されているらしく、「カウンタック」とか「ランボルギニー」などという単語に今だに反応してしまう。特にあの、ガルウィングってゆーのが好きだ。あれは、なにか意味があるんだろうか?どう考えても、デパートやファミレスの駐車場で乗り降りするときに不便だと思うのだが、でも、ガルウィングの開け閉めだけは一度操作してみたい。(免許がないから運転はできない)
 「知らない人の車に乗ってはいけません」と厳しく教育されたが、でも、ガルウィングなスーパーカーが横に停まって、ドアがガル〜〜っと上がって、運転手に「道がわからないんだけど、一緒に乗ってくれないか?」と言われたら、ちょっと自信がない。まあ、そんな派手な車で誘拐する人もいないとは思うが・・・・(車に興味ない人でも目撃証言できそうだ)

 そういえば、免許持ってないので車の運転をしたことがないはずだが、一度だけ遊びで運転したことがある。
 知り合いと海に行ったときに、シーズンオフだったので砂浜には他に人がいなかったので、4WDで砂浜をちょっとだけ走らせてもらった。しかし、マニュアル車の発進ってなんであんなにややこしいのでしょうか?昔のことなのであまり憶えてないが、助手席で知人が指導してくれて「まず、こっち側を踏んで、それをゆっくり離しながら、こっち側を踏んで」というような、難しい動作だった。慣れちゃえばどうってことないんだろうけど、どうしてあんなに難しい動作なんだろう?構造上必要な動作なのだろうか?どうして、最初からオートマ車のような造りにならなかったのかよくわからない。
 中学校にあった足踏みミシンでも苦労したが、マニュアル車はそれ以上に難しかった。

 雨が降っているので、洗濯もできず、ダラダラと日記を書いて午後を過ごしてしまったが、ふと思い立って台所の流しの下の棚を掃除することにした。あそこらへんが、ゴキちゃん多発地帯なのである。
 流しの下を掃除するのなんて久々だったが、あちこちにゴキちゃんの排泄物が散乱しているので、ここがオアシスになっているのは間違いない。中のものを全部出してから、ホコリや糞を掃除して、殺虫剤を隙間に振りかけてみたら、ボトっと白いものが落ちてきた。

 さすがの私も、「ギエ!」と悲鳴をあげそうになったわさ。
 それは、真っ白なゴキブリだった。
 「アルビノか?」と一瞬マジで思ったが、これはきっと「脱皮直後」なんだろう。
 殺虫剤を撒いたあとに、しばらく扉を閉めて蒸しだし作戦したら、成虫を2匹、幼虫も2匹捕獲。

 成果が上がったので調子に乗って、数年ぶりに冷蔵庫の裏も掃除。巨大な綿ボコリのほうがゴキブリよりも恐ろしい。

 しかし、台所の大掃除の結果、凄まじい状態になってしまったので、料理ができない。お腹すいた。お菓子は沢山ある。この間の社長宅パーティーで残っていたのを貰ってきたのだった。「パンが無いなら、お菓子を食べればいいのです」状態。
5月今日こそ本当に30日(金)

 また日付間違えてました。電波時計が正確な時間を刻んでも、私の頭が狂ってちゃしょうがないですね。
 脳に時計を組み込んで、ロボコップみたいに視界に時刻表示できたらいいな〜、なんて思っているのですが、そんな便利な機能ができても、やはり書き間違いは防げないだろう。

 電波時計のことを書いていて、さらに考えたのですが、電波時計に心トキメクのは、時計のくせに「なんか頑張ってる」ような気がするからです。時計って普通はマイペースじゃないですか。何事にも動じないで、ただひたすらチックタックしているような気がします。そんなマイペースな時計を眺めて、私などは「うおお、電車に遅れる〜」とか「サンダーバードが始まっちゃう〜」などと、ドタバタと振り回されているわけですが、そんな人間に時計は全く興味が無いようです。

 でも、電波時計は、ちゃんと外の世界とコンタクトしていて、1時間に一回だけ「あたし、なんか間違っているかしら・・・・あ、やっぱ、0.1秒違ってたみたい」と、エスカレーターの片側通行に気がついて、そっと左側に寄るような(国際標準は右側らしいが)ことをやっているわけです。「世間に迎合して生きていこう」という志がよいですよね。

 うちの電波時計パコちゃんは、デジタル時計なのですが、ジャストタイム(って言うのか?)が近くなると、携帯電話のアンテナ表示のような「電波受信度」を表現するアイコンを点滅させて、「さてさて、また世間と足並みを合わせなくては」と、そわそわしはじめます。
 でも、「あ、やっぱちょっとズレてたみたい。よっこらしょっと」と修正している様子は観察することができません。時計表示は分単位なので、パコちゃんの中ではなにやら修正しているのかもしれませんが、分単位で時間修正することは無いからです。「23:01」となっていたのを「えいやっ」といきなり「23:00」に直す可能性は限りなく低い。

 私の趣味としては、パコちゃんに毎時「0:00」で点滅してもらってから、「23:00」などになってもらうほうが、派手でいいと思うのだが、そういう仕様にはなっていないので、パコちゃんは私にわからないように静かに時間を合わせてしまっている。つまらん。
 というわけで、会社の電波時計スカラー君には、もっと派手にパフォーマンスしてほしいものである。実は、スカラー君のパフォーマンスを鑑賞する作戦を密かに計画中である。他に誰もいないときに、スカラー君をマニュアル操作で、とんちんかんな時間に設定してしまえば、「電波受信時」にまた「ユリゲラーも真っ青」なパフォーマンスを見せてくれるのだろうか?ドキドキ。

 それよりもですよ、電波時計が受信している電波を送信しているところ(日本に二箇所しかない)が、全然違う時間を放送したらどうなるのだろう?
 日本中の電波時計が一斉に変な時間になるわけだ。それこそ、ユリゲラーも真っ青だろう。デジタル時計だとありがたみ少ないが、アナログ電波時計が一斉に発狂する様を想像するとかなり楽しい。パニックになるだろう。

 パソコンネットワークで時計を合わせるソフトもあるようだが、あれも前に入れてもらったが、いったいいつどうやって時間を合わせているのかがわからなかったので、あまり楽しくなかった。働いているなら、働いている様子をアピールしてもらわないと有り難味が無いのである。
 それは人間でも同じで、私などはあまり感情が表に出ないので、かなり忙しいときでも、外から見ると「通常モード」に見えるらしく「損しているかも」と気がついたので、ヒートアップしているときには「くっそ〜〜〜〜」などと呟きながら、頭を掻きむしってみせることも大切である。

 家電製品では、冷蔵庫などは、ときどき「ぶぉぉぉぉぉん」とハミングして「ちゃんと仕事してます」とアピールするので「働き者」という印象を与えるし、会社のパソコンも重いファイルをいじっていると「ブーーーーー」とファンが動き始めたりして、「いっぱいいっぱいです」と言っているようで「あ、ごめん」などと思うけど、そう考えるとデジタル時計などは汗水流している感じが全くしないので、その仕事ぶりがあまり評価されてないような気もするので損しているよな。

 時計や家電製品を擬人化してみるのと逆に、人間を「擬時計化」してみると、大まかに「デジタル型」と「アナログ型」に分類できて、会社の同僚を当てはめて考えてみると、むふっと笑ってしまう。
 10人に一人くらい「振り子時計」というか、ボーンボーンと鳴ってうるさい人がいますよね。
 さらに「鳩時計」な人もいますよね。「わかった、わかったから、いいから静かにしてくれよ」ってな感じ。
 そんで、鳩時計な人が「ポッポ ポッポ」と鳴きはじめても、「ああ、11時だからいっぱい鳴くな」と慣れているのでそのまま鳴かしておく・・・・

 昔の実家には、いわゆる「ボンボン時計」があって、1時間おきに「ボーン ボーン」と時を告げていたのですが、それに慣れきっていたので、たとえば夜中の3時に「ボーン ボーン ボーン」と鳴っていても誰も目を覚ましたりしなかった。
 その当時、祖父母宅には「半」には「ボーン」と一回だけ鳴る時計があったのですが、祖父母宅に泊まると、その半時の「ボーン」で一瞬だけ目が覚めたりしてました。

 友達の部屋に泊まりに行ったら、時計の無い部屋で、「時間は電話機で見ているし、目覚ましにもしている」とのこと。アナログ時計の秒針の音が気に障るので置けないのだと、友達は説明してました。でも、その友達は「環7」沿いに住んでたんですよ。環7こと、環状7号線は、都内でも有数の交通量を誇る道路で、昼夜問わず交通量は多いし、緊急車両の通行も多いので、交通騒音はひどいのですが、友人はそれには慣れていたようですが、時計の「チクタク」騒音には敏感だったらしい。
 しかも、そのアパートのすぐ裏手には、どこかの会社の物流センターがあって、朝早くからフォークリフトが動き回り、ダンプカーが入ってくる音で私は目が覚めてしまったのですが、友達は熟睡してました。
 環7の騒音と、物流センターの騒音のほうが、時計のチックタック音よりもよっぽどうるさいと私は思いましたが、何を騒音とするかは人それぞれなんだなあ、と思いました。

 私は体調が悪いと、やや騒音に敏感になるみたいで、やはり幹線道路の近くに住んでいたときに、風邪気味で具合が悪いときなどに緊急車両のサイレン音が気に障ったりしました。今でも不眠気味のときなどは、冷蔵庫のモーター音がとても近くに感じます。
 でも「慣れる」っていう人間の仕組みは凄いなあと思います。
 今いる部屋でも、数年前までは上の階に住んでいる大家さんちが大所帯で、子供の足音が賑やかでしたが、私は全然気になりませんでした。でも、妹や友達が宿泊すると「大運動会だ!」と気になったみたいで、特に休みの日にのんびりと寝たいときなどに午前中からドタバタされると「うるさくて寝てられなかった」などと文句を言われましたが、私は平気でグースカ寝てました。

 だって、しょせんは「子供の足音」なわけで、慣れてしまった私にとっては「子供の足音は悪意が全く感じられない幸せの音である」といいうものでした。
 そういえば、ある友達の部屋に宿泊したときには、そこにも定時で鳴る時計があり、「なんで、鳴る時計なの?貰いもの?」と聞いたら、その友達は風水にはまっており、「この方角に音がする時計を置くのがいいらしい」というわけで、わざわざ買ったものらしかったのですが、案の定私は夜中に何回か目が覚めてしまったのですが、家主の友達にしてみれば、それは「幸せを呼ぶもの」であるからして、全然気にならなかったようです。

 騒音問題ってゆーのも、そういうわけでなかなか難しいですよね。

5月30日(木)

 BGM「大きなのっぽの古時計」(←実はカラオケ得意曲であった。あれを歌いながら涙ぐむのが好きだったのに・・・・平井堅のバカ・・・)

 ♪ おお〜きな ま〜るい ただの時計 会社にある〜時計〜

 これは今日のことではないのだが、少し前に、私はなぜかいつもより早く出社した。
 いつもだと、10:00〜10:15の間に出社するのだが、その日に限って特に理由もなく、9:40には会社に着いていた。フロアは9:30出社契約になっている派遣社員の他には誰もいなかった。

 ♪ 会社が内装工事したあとに 得意先がくれた時計さ〜

 席につくと、まずパソコンのスイッチを入れてから、机の下に置いてあるサンダルに履き替え、給湯室でコーヒーを汲んでから席にもどると、ログオンして・・・・・というのが、毎日の日課である。
 そして、ふと時計を見ると、まだ10時前であった。
 さらに、グループ・ウェアにログオンして、メールや伝言をチェックし、今日のスケジュールをチェックして、経理ソフトを起動させながら、コーヒーをすする。そして、またふと、時計を見上げた。

 まだ、10時になっていなかった。
 「あら、私ったら、ずいぶん早く来ちゃったのね」と思いつつ、パソコンの時計を見てみたら、10:05だった。
 あれ?っと思って、腕時計を見たら、やはり10時5分過ぎだった。
 念のため、電話機の時刻表示を見てみたら、10:05だった。
 さらに念を押して、壁にかかっているもう一つの時計を見ると、やはり10時過ぎてた。

 ♪ 今は もう 動かない その と〜け〜い〜

 (要するに「会社の時計が止まっていた」という話を書くのにずいぶん文字数を使っているね)

 たぶん、電池が切れたのだと思ったが、時計は壁の上のほうにかけられているので、手を伸ばすとやっと下のほうに手がかかるくらいであった。踏み台があれば届くが、もうしばらく待っていれば誰か背の高い人が出社してくるだろうと思って、そのまま放置していた。火急の事態でもないし、急ぐことはない。

 10:20 上司が出社 
 「すいませんけど、時計を下ろしてもらえますか?」
 「なんで?」
 「止まってるんです」
 「あ、ほんとだ」

 上司は身長175センチくらいあるので、案の定、踏み台を使用しなくても時計を下ろすことができた。ほんとは、180センチの総務課長に頼む予定であったが、いつも私よりも早く出社する彼は、そういう日に限って、どこかに直行してしまったようである。
 派遣社員は給湯室で麦茶の準備をしていたので、フロアは私と上司だけであった。

 上司 「どうしたんだろう?壊れたのかな?」
 私  「さあ?たぶん、電池切れだと思うけど・・・とりあえず、電池換えてみます」

 乾電池のストックを探したら、すぐに見つかったので、さっそく電池を入れ替えてみた。
 「これで動くかなあ」としばらく秒針を見守っていたが、すぐに秒針が動き出したので、

 私  「やっぱり電池だったみたい・・・・うわ! なにこれ〜〜〜〜〜」

 私がなにやら叫んでも、上司は平然とパソコン画面を睨んでいた。私の悲鳴は、残念ながらいつも、殿方の関心を集めないのである。(ほんとに助けてほしいときには不便というか、命に関わるのではないかと心配である)
 しょうがないから、上司のほうに時計を見せて、「なんか変です〜、ほらほら」と必死にアピールした。電池を入れたとたんに、秒針だけではなく、長針までもが動き出したのである。

 「うわ、うわ、気色わる〜〜〜」と大きな独り言を言う私に向かって、上司は「自動的に時間を合わせるんじゃないの?」 と冷静なお答え。
 たしかに、高性能腕時計ではそんな機能もあると広告で見たが、この時計は「ただの壁掛け時計」である。そんな機能があるとは思えない。
 しかし、勝手に動く針を眺めていると、意外なことに気がついた。
 今まで、時計は見ることはあっても、その盤面に書かれた文字などちゃんと見たことがなかったのであるが、よくよく近くで眺めてみると「RADIO CONTOROL」という文字と、電波塔を表現していると思しきマークが描いてあったのである。

 私  「これって、これって、今更気がついたけど、電波時計なんですね!」
 上司 「そうなんだ・・・・・」(いかにも、どうでもよさげ)
 私  「ってゆーことは、ゆーことは、Oさんが言うとおり、勝手に時刻を合わせるんですよ!」
 上司 「すごいじゃん」(かなり、どうでもよさげ)
 私  「そうだったんだ・・・・・私も家では電波時計使っているんですけど、アナログのもあるんですね」

 私が愛用している電波時計も、会社で貰った「粗品」である。誰も欲しがらなかったので私が貰って帰った。
 名前は「パコちゃん」である。「波子」と書いて「パコ」と読む。
 パコちゃんは、デジタルな液晶表示の目覚まし時計であるが、会社の時計は、ほんとにシンプルな壁掛け時計なので、電波時計だなんて気がつかなかった。

 そもそも、なんで自分が「電波時計」を前にすると、これほど興奮するのかよくわからないが、周りの人が「電波時計」という言葉に全くときめいてくれないのも悲しいものだ。
 それはさておき、私は黙々と長針を回転させる電波時計をじっと眺めていた。自動的にばっちりと時刻を合わせるに違いない、と期待に満ち満ちた瞳で見守っていた。しかし、9:50くらいで停止していた時計は、現在時刻である10:20をあっさりと通過してしまった。

私  「あれ?通り過ぎちゃった・・・・・」
上司 「昨日の夜から止まってたんじゃないの?」

 うーむ、そうなのか?でも、アナログ時計が10時と22時の区別つけてくれてもなあ・・・・・
 などと思っていたら、時計は12時ジャストでピタリと止まった。

 なんのことはない、スタート位置に戻ったのである。そういう仕様になっているのであろう。
 私はしばらくの間、ドキドキしながら時計を見守っていた。

 ♪ 百年休まずに チックタック チックタック 電波受信してチックタック チックタック

 しかし、秒針も長針も短針もピクリとも動かない。
 なぜだ、なぜなんだ!

 そうだ、うちのパコちゃんは、1時間に一回しか電波を受信してなくて、ジャストな時間にしか時間調整をしてないはずなのである。
 するってーと、この時計も、次の11時になるまでは12時のままで止まっているに違いない。そもそも、ここがちゃんと電波受信できる場所なのかもよくわからないし・・・・・

 そのまま放っておくのもなんなので、仕方ないから、また裏返して、時間合わせの丸いダイヤルを探して、地道に時間を合わせた。そもそも手動で時間を合わせやすい構造になっていないようで、12時ジャストになっているものを10:25にするのには、かなりチマチマと回さなくてはならなかった。

 「なんのための電波時計・・・・・」と、思いながらも、やっと時間を合わせて、上司に頼んでまた壁にかけてもらった。

 その時計のことを私は密かに「スカラー君」と名づけた。フロアにもう一つあるのは「スカーレット」と命名した。
 電波をじゃんじゃんばりばり受信して、正しい時を刻んでいただきたいものである。

 でも、勝手に動く時計って、けっこう怖かったですよ。自分が何か怪しい超能力で時計を動かしているのではないか、ユリゲラーと同じような能力があったのか、とビックリしました。
5月28日(水)

 泳ぎました。がんばってます。単に暇なだけとも言えますけど。暇にしてくれたハイジには感謝してます。

 しかし、昨日はがんばりすぎて、体重1キロあたり10キログラムの配当金などと、大判振る舞いをしておりました。(ご指摘ありがとうございます)
 資本金の10倍の配当・・・・・それは、もはや配当金とは呼べず、「債務超過」かもしれない。
 正しくは「100gの配当」です。「1キログラムは1000グラムだから、えっと、えっと、その10分の1は・・・っと」と苦手な度量衡と格闘していたら、わけわかんなくなってしまったのであった。こんなんでよく小学校を卒業できたと思う。

 というわけで、自分の体の代謝を法人の営業活動に例えているうちに、布団に入ってもそのことが頭を離れず、「文章で日記を書くよりも、日々の活動を全て振替伝票で表現してみるのも面白いかもしれない。それこそ、経理のお姉さんの日記っぽいぞ」などと考えていたらハマってしまいました。

 人生を複式簿記で表現し、財務諸表で自分という人間を分析してみたら・・・・
 しかし、これ、思ったよりも難しい。普通にやると、「単なるおこづかい帳」になってしまいそうです。
 それに、「体が資本」というのなら、まず資本を形成しているものはなんだろう?
 普通だと出資者が出資金を出して、それが資本金になるというのが会社の始まりです。

 <貸方> 現金 300万円  <借方> 資本金 300万円

   それを「法人」ではなくて「個人」に応用すると・・・・・

 <貸方> 遺伝子 受精卵  <貸方> 遺伝子 卵子+精子 

 なのか?
 するってーと、「みやの」の株主は、うちの両親?
 そう考えると、親の「説教」って、あれは「株主総会」だったのか?

 そうなると、体脂肪率を自己資本率に例えてる場合ではありません。親はそんな配当が欲しいわけではなく、「孫」が欲しくて出資していると思われるからです。ナイキやマクドナルドのように繁殖しなければなりません。

 うーん、そうじゃなくて、体脂肪率を自己資本率にするためには、いったいどういう伝票をつくればいいんだろう・・・
 などと考えているうちに寝てしまったのであった。(てゆーか、それをつきつめると、二酸化炭素の排出量のような話になってしまい、「私という人間が儲けているのは、自然界から搾取しているからだ!」という結論になりそうだったのでやめた)

 話は変わるが、某所で「伽藍」が連呼されているのを眺めていたら、

 伽藍 がらんどう ギャランドゥ 

 という三段活用が暴走して止まらなくなってしまった。
 「がらんどう」は「伽藍」から出来た言葉のような気がするが、「ギャランドゥ」と「がらんどう」は何か関連しているのだろうか?そもそも「ギャランドゥ」ってどういう意味?

 ♪ くやしいけれど おまえに夢中 と頭の中で口ずさみながら、さっそく検索。インターネットができてほんとによかった。これがなかったら、友達に「ギャランドゥとは何か?」と電話しまくって、笑われていたであろう。
 とりあえず、「ギャランドゥ」に明確な意味がないことがわかった。

 しかし、頭の引き出しから「ギャランドゥ」を引っ張り出してから気がついたのだが、「ギャランドゥ」と同じ引出しの中に「ザナドゥ」というお友達がいた!

 35歳以上の方は、想像してみてください。
 頭の中のステレオスピーカの片側からは「ギャランドゥ」が、もう片方からは「ザナドゥ」が、同時に鳴ってしまうと、どんなことになるのか・・・・・
 オリビア・ニュートンジョンと西城秀樹が別々の唄をデュエットしているという恐ろしいことになったが、まあ明るくていいといえばいい。

 もし、双子を産んだら、ギャランドゥとザナドゥと名づけよう。そして「ギャラン」「ザナ」と呼ぶことにしよう。    
5月27日(火)

 スポーツクラブで筋トレのプログラムに参加。
 なかなか続けて行けないので、「体慣らし」から抜け出せない。
 体重も微動だにしないが、千里の道も一歩からであるが、「体脂肪率」と「自己資本率」を交換してあげたい今日この頃である。私も赤字決算してみたいものだ。黒字ばかりなので、余剰利益処分に四苦八苦しているではないか。体重1キロあたり、10キログラムくらいの配当金を出せば、かなりスリムになるのになあ。株主はいったいどこに逃げてしまったのか・・・増資する一方である。

 さて、昨日は「お子様ダッコしてご満悦」な写真を公開したけど、メールにて「子供からどう呼ばれてましたか?」という質問を受けたので日記にてお返事します。

 お子様たちは、私の名前なんておぼえてくれませんでした。

 私が抱っこしてたMちゃんのお母さん(と便宜上書いているが、実際は苗字で「Yさん」と呼んでいた。同僚だから。ちなみに、もう一人だけ「お母さん」がいたが、そっちは上司の妻なのだが「○○さんの奥さん」と呼ぶのに抵抗があったので、ファーストネーム+さんで呼んでいた。まるで、お姑さんみたいであったが、彼女とは同じ年だったので奥さん呼ばわりすることに抵抗があった)に、「Mちゃんピアノの才能あるみたいですね」などと話し掛けていたら、Yさんは、「でも、それよりも、驚いたんですけど、さっきあの子、ミヤノさんの膝に乗ってたじゃないですか?」

 Mちゃんは人見知りで、初対面の人に懐くことがほとんど無いらしい。ただ、同僚のK嬢には前に一度会ったことがあり、顔も名前も覚えており、けっこう懐いていたのだが、それでも膝に乗ったりはしなかったようだ。
 Yさんにそう説明されて、私としては「やっぱり私って子供の人気者なのね(女の子に限るが)」と浮かれてもいいところであったが、でも、そうではないことに気がついていた。

 「たぶん、私のことを椅子の一部だと思ってるんじゃないですか?」

 ドワッハハとYさんは豪快に笑っていたが、冗談で言ったのではなくて、だってMちゃんはピアノが弾きたい一心で、とにかく椅子に登りたかったのだ。そして、私には何の関心も示していなかったのである。残念ながら・・・・

 話は変わるというか、戻るが、大手銀行の決算報告が出揃って、どこも大赤字のようで羨ましいかぎりだが、たわむれにネットで某メガバンクの決算報告書を眺めてみた。数字が大きすぎて、なんだかよくわからないが、財務諸表を見てみると、銀行の貸借対照表ってわけわからん。
 見る前にふと思ったのだが、銀行ってゆーのは、「お金を安く仕入れて高く売る」という商売をしているわけであるが、でも普通の企業だと仕入が在庫になって資産になるわけだけど、でも銀行の仕入れって「預金」だよな・・・・それって・・・・と思ったら、やっぱり「預金」が「負債」になっている。そんで「資産」にも「負債」にも「預金」が一番上にあるのって、なんか変。そんで「売掛金」とか「買掛金」という科目が無いんだよな。そんでもって「売上高」というのも無いんだな。
 ヘヘヘヘヘ・・・・・変な財務諸表・・・・・・と、よくわかんないけど(よくわかんない勘定科目ばかりだし)、ちょっと楽しかったのであった。

5月26日(月)

 会社の同僚は、生後2ヶ月くらいの子猫7匹を育てているので大忙しらしい。
 隣人が拾ってしまった捨て猫を彼女のお母さんが引き取ってしまったらしいのである。
 本当は隣人の若夫婦が何匹か飼うつもりだったようだ。その家にもすでに猫が一匹いたし、同僚の家にも猫がいたのだが数ヶ月前にお亡くなりになったので、子猫を「3:4」で分配すれば、両家とも4匹の猫を飼うことになるはずであったが、同僚の母上が、
 「兄弟が一緒に暮らせないなんて忍びない」
 と言って、全部引き取ってしまったらしい。積極的に貰い手を探すつもりもないようで「本当に可愛がってちゃんと育ててくれる人がいれば・・・・できれば知り合いのほうがいいし」という状態。

 というお話を聞いて、「ゴキブリの子供を飼っている」なんて言っている自分がちょっとなんか、ミジメである。
 やはり、もっとちゃんとした「ペット」を飼ったほうが精神衛生上いいのだろうか?
 いや、べつに、ゴキブリをペット代わりにしているつもりもないんだけど・・・・
 タイでは、ゴキブリがペットになっていたらしいけど・・・・

 そして、昨日はずっと窓を開けていたので、他の虫まで我が家に侵入していた。うちには網戸が無いのである。それもゴキブリが絶えない理由の一つであろう。
 昨日のお客さんの正式名称を存じ上げないのだが、私は昔から「かがんぼ」と呼んでいる。蚊を巨大化させたような、手足の長い、とても頼りなさゲに飛ぶ虫である。あの子たちがあまり丈夫ではないことも重々承知しているので、無闇に捕まえようとするとあっけなく手足をもいでしまうし、どうせ、すぐに死んじゃって床に転がっていたりするので、「いいや、放っておこう。別に害はないし、蚊みたいに刺さないし」と思ってそのまま壁に泊まらせておいてあげた。

 「虫愛ずる姫君」って呼んでくらさい。(毛虫は苦手だが)

 平安時代もそうだったろうけど、昭和40年代の家もかなり風通しがよかったし、特に我が実家は増築前の部分がサッシの窓ではなかったし、周囲には草ボーボーの空き地が多かったし、網戸もボロかったので、家の中には様々な虫が入ってきた。だから、わりと平気なのである。私のお気に入りは「うすばかげろう」であった。ずっと「薄バカ下郎」だと思っていたが、どうやら「薄羽蜻蛉」らしいと気がついたのは、そういう虫が少なくなってからである。

 そういう虫たちと共に生きていた我が家でも、蚊と毛虫だけは嫌われていたけど、そういえば弟はナメクジが苦手だったな。私もあんまり好きじゃないけど、どうも昼間に外に置いて、夜になると家の中に入れる観葉植物の鉢の中で生息していたようで、朝起きると「銀色の道」ができているのである。
 ナメクジ君は夜行性らしく(そういえば庭石の裏なんかにいますよね)、夜中に鉢を抜け出してお散歩し、明るくなるとお家に戻る。そして、彼らがお散歩した後には、朝日に反射してキラキラと銀色に光る筋が残るのである。弟はそれを見つけると「ナメクジが運動会したあとの絨毯など歩きたくない!」と大騒ぎするのだが、家族の他のメンバーは「いいじゃん、昼間はご挨拶に来ないから」となかなか対処しようとしなかったような記憶あり。
 そもそも私なんて、「銀色の道」に気がつきもしなかったのだが、あるとき母が「Sちゃんがまた道を発見して嫌がるから・・・」と言うので、「なにそれ?見えるの?それとも、私が目が悪くても毛虫だけはすぐに発見しちゃうような超能力の一種?」と言うと、「ほら、これよ」と見せてくれたのだった。ナメクジがどのようにお散歩したのかがわかって面白かった。しかも、数匹いたようで、嫌いな人にとっては恐ろしいだろう。

 また話が逸れたが、そういうわけで、カガンボさんには「うちで死んでもいいよ。畳はないけど・・・」というわけで、そのまま夜を迎えたが、カガンボさんはひっそりと壁に張り付いていた。
 昨日は久々にKM君から電話があり、新入社員として働いている苦労話を聞いた。私も後輩の指導で苦労しているので、互いに「こういう場合はどうなんだろう?」などと有意義な意見交換をした。KM君は今の職場は「修行」というか踏み台と考えているようなので、気に入らない上司がいるのなら、辞める前に真性おネエ言葉で攻撃してあげたら、いい置き土産になると思うが(わりと強面のガッチリタイプなので、その彼がおネエだとわかると男性の多くはビビる)それは半年後くらいに意見しよう。

 12時半くらいに床につき、電気を消したら、頭の上のほうでカサコソと音がする。すわっ、ゴキちゃんか?この音はお子様の音ではないぞ、デカいぞ・・・・でも、せっかく電気消したのに、退治するのも面倒だし・・・・でも、さすがに顔の上などを横切られると嫌だな・・・・と、しばし逡巡したが、カサコソという音が耳障りだったので、思い切って起き上がり、枕もとのライトだけつけてみた。そして、「唯一の大震災への備え」である枕もとの懐中電灯をつけて、音の主を探した。

 カーテンをかすめるような音だったが、懐中電灯片手にカーテンを揺らしても、それらしきものはいない。
 しばらく狭い室内のあちこちにスポットライトを浴びせていたら、床や壁ではなく、空中に漂うものが・・・・・
 カガンボ君がユラユラと飛び回っていた。

「君も夜行性だったか・・・・」

 しかも、いつのまにか、彼女まで連れている。彼女だかなんだかわからないが、カガンボ君より一回り小さいカガンボ。
 二人で仲良く暗闇の中でダンスしているらしい。

 むうううううう・・・・・・
 自称「虫愛ずる姫君(しつこいようだが、毛虫はダメ)」は懐中電灯持ったまま悩んだ。
 仲良くダンスするのは構わないが、そのあとやはり出産したりするのだろうか?彼らのお子様がどんなだか私は知らないのである。巨大な蚊のような風貌なので、お子様は巨大なボウフラなんだろうか?わからん。
 ゴキブリの子の世話(?・・・退治とも言う)で手一杯なのに、カガンボのお子様まで世話しなければならないのだろうか?

 と、悩んでいると、だんだん眠くなってきてしまったので「まあ、いいや。後で後悔しよう」と決めた。後悔するのはあまり好きではないが、「あとでちゃんと後悔しよう」と前もって覚悟しておけば、それはもはや後悔とは言えまい。

 朝になった。
 目覚ましを消して、テレビをつけてから二度寝をきめこむと、またカサコソと音がする。
 カガンボ夫妻(?)は朝まで生き長らえたらしい。
 そして、窓とカーテンの間でカサコソと飛んでいた。
 カーテンを開けると、仲良く並んで窓に張り付いていた。「君達、夜行性じゃなかったのか?」と思ったが、どうも虫の生態はよくわからん。どうせ、短い一生である。朝も夜もないのかもしれない。
 外に出たがっているように見えたので、まずカガンボ君のほうをそおっと手で捕獲。おや?なんか白いものがぶら下がっているぞ?もしかして産卵したのか?と思いきや、綿ボコリでした(笑)。ごめんね、うちがホコリだらけなんで、くっついちゃったんだね。申し訳ないので、そっととってやった。
 そして、空いたほうの手で、カガンボ夫人も捕獲。手足がもげないように、そっと持ち替えて片手を空け、窓を開けるとカガンボ夫妻を放してあげた。なかよく、ヘロヘロと飛んでいった。

 「あたし、いったい、なにやってんの?」
 と思ったが、子供も子猫も育ててないので、ありあまる母性をこんなところで発散しているに違いない、という強引な結論に持っていくことにした。

 一昨日の社長宅での写真が閲覧できるようになっていた。
 ナルちゃんな私は、子供を抱えた自分の写真を見て、
 「あら、まあ、ラファエロが描く聖母みたいだわ」
 などと、思ったのであった。


 人間、そうやって「自分で自分を褒め称えて励ます」ことが大切である。



 そういう前向きなマインドで立ち向かわないと、こういう写真を見るとヘコんでしまう。


 「仲良くソファで酔いつぶれて寝てる、副社長と経理主任」

 この会社、大丈夫なんだろうか?などと心配してはいけない。経理のお姉さんは、「眠りの森の美女」のようであったし(誰も起こしてくれなかったので、自力で起きて歩いて森を抜けたけどよっ)、副社長も本当に「安らかなお顔で・・・」とハンカチで目頭押さえたくなるような「いいお顔」でございましたよ。

 「ちくしょー、撮りやがったな!」
 などとムっとしてはいけない。
 「私の寝顔はカメラマンの心を引き寄せるのね。うふふ」(←君はきっと長生きするよ)

 などと、またダラダラ書いていたら、東北地方で大きな地震があったのね。
5月25日(日)

 当然のことながら二日酔いであったが、なぜか9時に目が覚め、久々に「笑っていいとも増刊号」を観てしまった。
 昼頃に電話がかかってきたので、3時間ほど相手してから、掃除洗濯。
 最近、どうもゴキブリがよく出るのであるが、5ミリほどの「お子様」が多いので、どうやら我が家のどこかで出産されてしまったらしい。巣立ちスズメともつかのまの交流をしたが、巣立ちゴキブリとも交流を深める日々である。
 私はゴキブリが平気なので、「スズメの巣立ちは微笑ましいのに、ゴキブリの巣立ちは微笑ましくないのだろう?」と考えてしまうが、でもやはりゴキブリのお子様を発見すると、一応退治しているのである。いちおう、常識人なんで(笑)。

 ゴキブリはとても生命力が強い虫であると思われているが、わりと子供はちゃんと育たない。小さいので歩みがトロいために、発見されると私に殺される可能性が高いのも原因だろうけど、私が手を下さなくても、あちこちで勝手に死んでいるのである。台所の流しに置いてあるタライの中で溺死していたり、布団の下や雑誌の下に潜り込んだまま出られなくて餓死や圧死したりしているようだ。最初の脱皮まで生き長らえるのはごく少数らしい。

 などと、ゴキブリの成長過程を冷静に観察しているというのも不名誉なことであるが、古いアパートであちこちに隙間があるのでしょうがない。だから共存共栄というか、「お子様」が少し育ったのが出てくると「ああ、ここまで大きくなったか」と感慨深いがやはり叩く。
 そして、そんな熾烈な生存競争を生き抜いた運と知能と体力のある者だけが、真っ黒でテカテカ光る大人になれるわけで、そういうのに遭遇すると、「ああ、立派になって・・・・でも、ごめんね」という気持ちでやはり叩く。

 ゴキブリをそのように無闇に殺すことはフツーのことであるので、批判されることもないし、どっちかというと私みたいに全然平気なので、ゴキブリを逃がしてしまっても「ま、しょうがないか」と思ってあっさり寝てしまえたりすることのほうが「信じられない」と非難めいた反応をされるのであるが、私が真剣に駆除しないからゴキブリがいつまでたっても世の中に蔓延しているわけでもないはずなので、私は私なりに付き合っているつもりであるが、これが犬猫だと違うみたいですね。

 昔住んでいた千葉の家では、私が家出して、弟も就職して寮に入り、妹も専門学校に通っていたし、母はパートに出ていたので、昼間は無人になることが多くなった。そして、庭はそこそこ日当たりがよく、花壇が庭の半分を占めていて、そこの土はいつも適度に乾いていたので、猫のトイレとして人気があった。
 野良猫も多く出入りしていたが、ムカつくことに、近所の放し飼いの飼い猫も我が家でウンチするのが好きみたいで、母は怒っていた。それで、猫が嫌がる匂いなどを撒いたのだが、それが人間にも不評な匂いで、隣のうちから苦情を言われたりしたが、母と猫との戦いは、猫好きや猫を飼っている人たちにも当然のことながら不評で「猫なんだからしょうがないじゃない」などと言われて母は深く傷ついていた。

 似たような紛争は珍しくないようで、うちの近所の遊歩道にも「ここで猫に餌をやらないでください」などというポスターをよく見かけるし、公園の砂場で糞をする犬猫が多くて「不潔なので子供を砂場で遊ばせられない」などという苦情も多いみたいだ。
 糞害だけでなく、犬や猫が嫌いという人もけっこういるようで、犬はたしかに噛まれる可能性もあるので無闇に放し飼いするのはいけないと思うけど、前に知人がその友人に電話していたら、友人が悲鳴を上げてドタバタしていたので、てっきりゴキブリでも出たのかと思いきや「隣の部屋で飼っている猫がベランダ越しに入ってきた」と大騒ぎしていたらしい。急に猫が現れたらビックリするけど、その友人は猫が嫌いらしく、悲鳴をあげながら逃げ回っていたそうだ。
 犬猫が苦手な人はとても辛い思いをすることが多いと思う。多くの人が猫や犬を嫌いどころか溺愛しているわけで、たとえば犬を飼っている家に遊びに行ったら、犬が飛び掛って歓迎してくれて「ギャーーー!」と悲鳴をあげたとしたら、飛び掛った犬よりも、それを怖がった人のほうが「しょーがないなあ」と言われてしまうことが多いと想像できる。

 そういえば、昨日のパーティーに来ていたお子様が最初は犬に怯えていたようだが、だんだん慣れてきて、抱きかかえて歩くまで馴染んでいた。ミニチュア・ダックス君は、子供に追い掛け回されてへとへとになっていた。
 その子のお母さんに「きっと、犬を飼えなんて言い出すんじゃないですか?」と話し掛けると、その旦那(私の上司)が「うちのマンションはペット禁止だから」と話に割って入ってきたが、奥様によると「でも、最近は緩和されて、小型犬だけとか、鳴かないように躾るとか、いろいろ条件はあるんだけど飼ってもいいことになってるんです」とのこと。
 「今まで、動物飼ったことないんですか?」と聞いてみたら、「もう死んじゃったんだけど、ハムスターを飼ってたんです。でも・・・・」
 彼女は「動物のお医者さん」の二階堂君と同じで、「ネズミが苦手」らしく、ハムスターもダメだったらしい。それでも「ハム太郎ブーム」に勝てなくて、渋々飼ったようだが、「あれってときどきカゴから逃げ出すんで、家具の隙間とかに入っちゃって・・・・」と、子供のためとはいえ、大変だったことを話してくれた。

 ゴキブリみたいに、嫌いで当たり前のものだったらともかく、犬猫みたいに多くの人に家族の一員として愛されている動物が苦手だったり、そこまで「好きで当たり前」のものでなくても、ペットとして人気のあるものが苦手だと苦労しそうですよね。

 話は違うけど、「子供のために苦手な動物を我慢して飼う」というので思い出したんだけど、私が高校生くらいのときに実家の並びに引っ越してきた家があり、その家には大きな池がありました。まだ水が入る前の様子も近所の人たちは観察していたので、その池が深さ1mくらいあるのがわかっていました。そして、住人が転居してきて、池にも水が入れられて、錦鯉が泳いでいました。若い夫婦だったのですが、旦那さんの趣味が鯉の飼育だったのです。
 けっこうなご趣味なのはいいのですが、その家は庭を塀で囲わずに、花壇で囲っていたので、子供が簡単に出入りできるような造りで、しかもその大きな池も囲いや網などはつけられなくて、近所に住む小さなお子さんがいる家庭では、「子供がもし入り込んで、あの池に落ちたら心配だ」と思い、そこの夫婦にもそれとなく「他人の家の庭に入るような子供もいないと思うけど、子供は何するかわからないし、もしものことがあったら・・・」と言ってみたようなんですが、何か対策がとられることはなかったようです。
 たしかに、道路から池が見えるので、大人でも覗き込みたくなりましたから、子供が入り込んで、「大きなお魚がいる」などと池に近づいて転落したら3畳ほどの小さい池でも溺れる可能性があるなと思いました。

 しばらくして、その夫婦に子供が生まれたとたん、池に頑丈そうな網がかけられ、池の周りにも柵がつけられました。
 うちの母親も呆れたように、「いくら言っても何もしなかったのに、自分ちに子供ができたら、いきなりあれだもんね」と笑っていました。

 夕方になって二日酔いから脱却し、昨日貰って帰ってきたホタテをフライパンでバター焼きして食べた。
 今日はずっとテレビばかり観ていたのだが、富士通FMVのキムタクCMの新作はいいなあ。キムタクはどうでもいいのだが、岸辺一徳ってやっぱり素晴らしい。しかし、ほんとに本人達が演奏しているのだろうか?
 他にはダイナシティという会社のCMの曲が、m-floを思い出させるような、いかにも洋楽志向の人が作った曲だったので、さっそく探してみたら、CMが見られるようになっていた
 FREETEMPOさんっていう人(?)が作っているそうだ。ちょっと前の英国で流行したようなおシャレJAZZである。懐かしさがこみあげた。かつて、トーマス・ドルビーが乱用したコード感覚なのである。あれもきっと元ネタがあったんだろうけど。

5月24日(土)

 社長宅でバーベキューパーティ。
 買出し&準備部隊に任命されたので、朝10時集合して(10時と言っていた人たちが「10時頃」や「10時台には出発しよう」などと独自に解釈していたので、出発したのは11時頃になった)、スーパーで食材の買出し。
 1時過ぎには社長宅に着き、さっそく「レストランでバイト経験有り」のS部長をチーフに、サラダやサンドイッチ等の用意。バーベキューで焼く野菜も切ったが、なにせ30人分なので大量に切ることになり、手が痛くなった。

 3時ごろに、他の社員もポツリポツリと集まり始め、新入社員が悪戦苦闘していた「火付け」も無事に済み、肉が焼かれはじめた。料理を作っていたS氏は、そのころにはぐったり疲れていて、ビール片手に座り込んでいたし、私も食パン5斤のサンドイッチの耳切りでくたびれ果て、焼かれた肉を目の前にしても食欲がわかず、やはりビール片手に木陰でぐったり。

 夕方になると、サザエとホタテが届いて、焼き担当の新入社員たちは「こんなの焼いたことないっすよ〜」と戸惑っていたが、最初に何個か焼いてみると焼き加減やコツがわかってきたみたいで、その中でも「居酒屋バイト経験有り」の1名は包丁さばきも巧みにホタテの「蓋開け」(?)をやっていた。飲食店でのバイトは、一度はやっておくべきである。

 社員のお子様たちも何人か来ていて、皆個性豊かで面白かったが、私は「まだ生きてるサザエ」をお子様に見せて「ほら、まだ生きてるんだよ」と観察させて、「サザエって他の貝にひっつくんだよね。○○ちゃんもくっつけてみる?」とサザエを顔に近づけると、皆、ギャーーーー!と逃げていったので楽しかった。

 やはり私は男の子には人気がないようで、男の子はボールで遊んでくれたりする若いにーちゃんたちと元気に遊びまわっていて、私が声をかけてもしらんぷりだったが、6歳の女の子が庭に面して開放されてた居間いあるピアノに目をつけ、「ピアノ弾いてもいい?」と騒いでいたので、どれどれと思ってピアノを見てみると、なかなかいいピアノであったが最近ではろくに演奏する人もいないようで、蓋の上に小物が置かれている状態。蓋を開けてみると、鍵盤も適度に汚れているし、弾いても問題ないだろうと勝手に判断して、その6歳女児のRちゃんと「ねこふんじゃった」を連弾していたりした。
 すると、3歳女児Mちゃんが寄ってきたので、私の膝の上に乗せてあげると、ポロロンとデタラメ演奏を始めた。

 Rちゃんは、ライバル出現に張り切っていたが、Mちゃんも熱心に弾いていた。私はトイレに行きたくなったので、Mちゃんを膝から下ろしてそのまま椅子に座らせたが、なんとか手が届くみたいでそのまま引き続けていたのだが、熱中するあまりバランスを崩して、後ろにドスンと落っこちてしまった。
 横にいたRちゃんがびっくりしたらしく、長女気質を発揮してMちゃんのお母さんを探して「Mちゃんが椅子からおっこちたよ」と教えてあげていたのだが、そのときすでにMちゃんは自力で這い上がり、なにもなかったように演奏を続けていたので、お母さんは「あら、そうなの。でもね、もうちゃんと座っているし、大丈夫だったみたい。教えてくれてありがとう」と冷静に対処していた。

 そのお母さんである同僚に「お子さん、ずいぶんピアノが気に入っているみたいですね」と言うと、「そうなの。欲しいっていわれてるんだけど、アパート住まいだしねえ」と言っていた。
   Rちゃんはピアノに飽きて、男の子たちと遊んでいたが、Mちゃんはとりつかれたようにずっと弾いているので、おもしろいから隣に座って観察していたら、ビデオを回していたFさんがやってきて、Mちゃんを撮影しはじめた。
   まだ3歳のMちゃんであるが、たぶん「ピアノ曲とはどういうものであるか」ということがわかっているようで、普通の子供だったらもっとガンガンと汚い音を鳴らすのだが、彼女のデタラメ演奏は坂本龍一系のわりと旋律がはっきりした音で、そのコード感覚はドビュッシーっぽかったので、私は思わずFさんに、
   「なんか、ドビュッシーっぽいですよね」
   と話かけた。
 
   Fさんはビデオを回したまま、「なにそれ?」というそっけない反応。
   「まあ、ドビュッシーっていうか、あのあたりのわりと現代に近いクラシックっていうか、そんなかんじ」
   と、説明したら、「そんなこと言われてもわからん」とムっとした様子だったので、私も酔っ払っていたからついつい「ドビュッシーの『月の光』とか中学の音楽の時間で聴かされませんでした?常識ですよ、常識」と言ってしまったら、向こうも相当酔っ払っていたらしく、「君の常識が世界の常識であると思うな」とクドクド説教されてしまった。
 
   たしかに、Fさんの言うように、アフリカではドビュッシーなんてメジャーでも「一般教養」でもないのかもしれない。
 だから、私だって「西洋古典音楽」なんて教科書では教えないような国の人に「ドビュッシーも知らないの?」なんて言わないつもりである。でも、Fさんは私とも年齢が近いし、バンドやっていたりする音楽好きなので、そのくらいわかると思って言ったのだった。私だってドビュッシーといえば、クラシックというよりも富田勲なのである。
 
   なので、そんなふうに言われて、ちょっとムっとしたのであるが、でもたぶんFさんは、若い子がたとえば最新のラップ音楽やブランドの話をして、「ジョーシキですよ」なんて言ったときに抵抗するような気持ちで「君の常識が世界の常識であると思うな」などと言ったのだと思うのだけれども、でもやっぱりそう言われると面白くないよな。
   で、私はこうして時々「中学の教科書に書いてあるようなことは『常識』としてふりかざしてもいいだろう」という思い込みを発揮して失敗するのだが、でも、だったら国が教科書を管理して、同じような内容を子供に押し付けるのは、そういう「常識」というか、「共通の言葉」というのか、とにかく「共有」して活用するためにやっているんだと思っていたのだが、そうでもないのかな。
   まあ、たしかに、小学校や中学校の音楽室の後ろにズラっと並んでいるのが、西洋古典音楽の名作曲家の肖像画ばかりで、とってつけたように滝錬太郎や山田耕作(だったっけ?漢字が違うかも)がはじっこにいるということを問題視している人もいるだろうし、そういう「西洋至上主義」に疑問を抱く人も多いだろうから、「ドビュッシー知らないなんて非常識」などと本気で主張するつもりもないのだが、でも、自分では「フツーに使える固有名詞」だと思っていたものが、通用しないと自信無くすんで、ちょっとイジけているだけである。
 でも、やはりそれを「常識ですよ!」と言ってしまった自分も悪いので反省してます。

 話が逸れてしまったが、とにかくMちゃんのデタラメ演奏はそれほど素晴らしく、「Mちゃんがピアノを習えるようになるといいな。ひょっとすると天才かも」と思ったのでありました。他人の子供でこんなことを考えるのであるから、もし自分の子がデタラメ演奏であのくらい弾いたら「うちの子って天才?」とおおいに勘違いするであろう。

 そんなこんなで日が暮れて、8時くらいにはお子様連れの社員も次々と引き上げていき、残るは酔っ払いの大人ばかりになった。飲みすぎないように、主にビールを飲んでいたのだが、社長宅のワインセラーにあった高級ワインと思しきものが開けられていたので、「でも、このコップで飲むとありがたみが・・・」と紙コップで高級ワインをガブ飲みしてしまい、気がついたらかなり酔っ払ってしまい、居間のソファで潰れていたら、姿を見かけないと思っていたら「庭で寝るときもちいいな」と、どうやら裏庭で潰れていたらしい副社長も居間に戻ってきて私の隣でまた潰れていた。
 しばらく仲良く潰れていたのだが、ふと意識が戻り、「帰るなら電車動いているうちに帰ろう」と思い立ち、ひっそりと退散。社長の奥様が駅までの道を教えてくれたのだが、歩き出したらきっぱり忘れ、テキトーに歩いていたら大きな道に出て、多少人が歩いていたので、「この先がきっと駅だ」と確信して歩いていたのだが、たどり着いたのは、社長宅最寄駅の次の駅であった。いったいどこで間違えたのだろう。最寄駅だと5分くらいで着くはずが、15分くらい歩いてしまった。でも、あの状態で駅にたどりついた自分を自分で褒めてあげたい。
5月23日(金)

 昨日はまた、わけわかんないことをつらつら日記に書いていたら、眠くなってしまい中断。
 また、会社の人たちと蕎麦屋で飲んでしまい、11時ごろ帰宅。

5月22日(木)

 今日もプールに行こうと張り切って支度していたのに、出血のため断念。我輩の辞書に「生理不順」は無いようだ。

 会社帰りの電車の中でぼんやりと中吊り広告を眺めていた。カバンに本を入れるのを忘れたので、手持ち無沙汰だったのである。創刊号から注目しているのが「sabra」の広告というか、たぶん表紙の写真。「たぶん」というのは、その雑誌を書店で眺めたことがないのである。私があまり眺めない書棚にあるからだと思われ。

 なんというか、あの表紙写真を見ていると、「ほげぇぇぇぇぇぇ」となってしまうのである。
 たぶん、かなり優秀な人が作っていると思うのだが、女の私ですら、ちょっとドキドキしてしまうのであった。
 そして、「こんな写真撮られてみてーな」などと、無謀なことを考えたりするのである。もちろん、今現在の私のままで「黒いビキニの上に黒いシースルーの上着を羽織る」などという技をかましても、「垢すりエステの黒ビキニおばさんが休憩時間に何を血迷ったかシースルーの上着を着ている図」になるのがオチである。知らない方のために解説しておくと、麻布にある(今もあるのか知らないが)「垢すりエステ」の火付け役となった有名韓国サウナ店では、黒ビキニの韓国人おばちゃんが垢すりをしてくれたのである。一度しか行ったことがないが、おばちゃんは韓国語しか喋らず、隣で垢すりしていた人が通訳してくれたのだが、その人が「ケイウンスク」さんであったのに私は全然気がつかなくて、あとで一緒に行った同僚に教えてもらったのであった。

 そんなことはどうでもいいが、とにかく、「宝くじ当たらないかな」というのと同じレベルで「sabra」の表紙になってみたいな、とときどき思うのである。
 ああいう「エロ」を表現するのも、プロのお仕事であり、前にCMのフードコーディネーターと話をしていたら、マク○ナルゴのCMで使うハンバーガーのパンについているゴマは、一粒一粒、手作業でつけるとか、コンビニの「割子ソバ」のCMでも、ソバがツルっと箸ですくえるようにするために、適当な長さに挟みで切るとか、食べ物を食べ物として扱わない作業満載らしかったが、私もCMの現場にパシリとして参加したときには(主な仕事はお茶くみ)、「街まで急いで買い物に行ってくれ!往復タクシーでいいから!」と言われ、買ってきたのは「赤いインク」であり、なんに使うかというと、「紅茶の色が薄かったから、インク足して調整する」というオエーーーというものだった。

 だから、グラビア誌のグラビア・ギャルと、実際の生身の女性は、「彼女の手料理」と「撮影用の料理」くらいの違いがあるらしことはわかる。でも、一生に一日くらい「撮影用の料理」になってみたいような気がするだけである。
 ええと、また話が脱線してしまったが、先日、またネットを彷徨っていたら、一部で話題になっていた「絶望書店店主VS小谷野敦氏の対決というか、一方的ないちゃもんというか、とにかく「遊女の平均寿命」をめぐる議論のつづきがあるようだったので、読んでみたら「あとがき」ということこで、絶望書店と同じようにいちゃもんつけられたらしい「しにょ〜る風俗学院」というサイトの小谷野氏への回答がリンクされていたので、そこも読んでみることにした。

 これを読んで、青ざめてしまったのですが、江戸時代の遊女っていうのは27歳でお役御免になる場合が多かったというのです。それって、それって、最近ではあまり耳にしなくなりましたが、かつて「クリスマスケーキ」に例えられた女性の結婚適齢期に近い数字・・・・「25歳で売れ残り。26歳になったら誰も買う人がいない」わけで、27歳になったらケーキ屋の裏のゴミ箱直行で、ゴミをあさる浮浪者だって見向きもしない・・・・・

 なんだ、吉原の遊女も、現代のOLも大して変わらない待遇ではないか。私なんて、借金はないけど身請けしてくれる旦那も見つけられずに、今だに足抜けできませんもんね。ふんっ!
 そして、現代社会においても、たぶん「会社員女性の平均寿命」は全体の平均寿命よりも短いのでは?と思ったのでありました。後世の人が、大手商社の「死亡した社員リスト」を手にいれたら、小谷野氏と同じよな間違いを犯したかもしれません。

 ふと、心配になって、自分の会社の社員マスターで検討しちゃいました。総務部の特権乱用。内緒ね。
 思ったよりも愕然とした差はなくて、社員全員の平均年齢が34歳くらいで、女性の平均年齢が32歳、男性が36歳くらいという結果でした。ただ、この数字には派遣社員の年齢が入っていないので、それを加算すると女性がもう少し若くなるかもしれないが、30歳を下回ることはないでしょう。ちょっとだけホっとする。まあ、社員数90名ほどの会社ですし、女性は20代後半が沢山いて、50代が1名と、40代が3名いるのがきいているみたいでした。

 でも、ほんとはどうだかわかりませんが、うちみたいな「中小企業」だと、どうしても女性のほうが「優秀な人材」が多くなり、なかなか優秀な男性社員がとれないし、逆に優秀すぎてもさっさと他に行ってしまうという悩みがありますので、こういう数字なのかもしれませんが、一部上場企業だともう少し差がつくのかもしれません。(でも、やはり、お茶くみには派遣を雇っているところが多くなったので、社員だけで考えると女性の平均年齢が上がっていると推測される)

 などと、密かに会社のデータで遊んでいたりしたのですが、でも、こういう数字を後になって、その時代を知らない人があれこれ判断するのって面白いけど、難しいですよね。そもそも、統計って面白いけど、ときどき「あれ?」ってのがありますし、そもそも、戸籍が整備される明治時代以前で「年齢」ってどれだけの意味があったのでしょうか?
 誕生日を祝う習慣なんてそもそもなかったと思うし、数え年の根拠となる干支が確立したのだって、そんなに昔のことでもないような気がします。今だと、年を誤魔化そうとしても、たとえば叶姉妹の姉・恭子さんにしたって、年齢不詳が売りですが、その気になれば「保険証見せろ!」と迫ることはできますが、江戸時代だったら「あたしは、27歳でありんす」と言い張ればそれで通るんですから、いい時代だったのかもしれません。

 そういえば、高校のときに「源氏物語」などがテキストになった古文の先生は、「このころは、女性は15歳くらいで出産してました」と言って、「君達は、もう18歳ですか・・・・年増ですね」となどと、シラっとして言うので、女生徒の不興を買っていましたが、たしかに源氏物語の世界では、10代であれこれと修羅場を潜り抜け、出産したりして、20代半ばになると、みーんな出家しちゃうんですよね。

 あの世界では、「出家した女性は『あがり』なので、色恋沙汰には参加できない」というルールになっているようで、私などからすれば「まだまだこれからよっ」な女性たちが、いとも簡単に出家してしまって、源氏が「ちくしょー、もー口説けねーじゃんかよー」と地団太を踏む様子もいとおかしでしたが、潔癖な女子高生であった私は「ざまーみろ」とか思いましたですし、今でもときどきめんどくさくなって、「ミヤノは出家したしました。尼そぎバリバリです」と公表したくなるようなときがなきにしもあらずなのでありますが、それはもしかしたら、「女の子として勝負できる」という時期をもうとっくに卒業したんだというかくたる証をほしがっているのかもしれません。

5月21日(水)

●同類憐れみの令

 昨日は会社のボーリング大会だった。各部署で4人づつチームを組み、混合チームも含めて8チームで競う。某所のレーンの半分以上を占領していたらしいが、私はボーリングは苦手というか、ほとんどやったことがないので不参加。
 総務チームは数ヶ月前にも参加したが、あまりいい成績ではなかったようであるが、今回はハイジがいるのでO部長も「Aがポイントゲッターだ!」と鼻息が荒かった。
 そもそも、このボーリング大会は、ハイジが3月まで所属していた部署で毎月開催されているため、その部署の人たちの意気込みも半端ではないが、回数こなしているだけに他の部署の人間はなかなか太刀打ちできないのだ。そして、O部長がマジになっているのは、純粋な勝利への欲望だけでなく、大会後の飲み会(こっちがメインだともいえる。ありがちな話)の支払い分担金額が順位で割り振られてしまうのである。
 優勝チームはタダ飲みできるが、最下位になると、飲み代の3分の1を負担しなければならないし、部長クラスは多く負担する習慣になっているので、下手すると1万円を超えてしまうらしいのだ。だから、O部長だけでなく、みんなマジなのである。

 さて、今朝出勤すると、さっそく同僚のK嬢に「昨日はどうだった?」と聞いてみた。どうやら、O部長が恐れていた最下位は免れ(「オレは1万円以上は出せないんだ」と泣き入っていた。私より給料はたくさんもらっているはずだが、家族を3人養っているゆえに、おこづかいは私の半分以下であると推測される)、堂々の6位になったらしい。

 しかし、O部長は、それで燃え尽きたのか、昨日の大雨にやられたのかは不明だが、「発熱のため休みます」とのこと。
 K嬢の話によると、ハイジが個人成績2位という大健闘をしたのだそうだ。
 「そうなんだ、よかったじゃん。でも、A君、そんなに上手くないって聞いてたのに・・・・」
 「うん、すごかったよ。気合入りまくってた」

 ハイジは仕事のストレスをそんなところにぶつけていたらしい。泣けますね・・・・

 しかし、話はそれで終わりではなかった。
 「昨日のAは、今まで誰も見たことのないA君だったよ。あっちの部(ハイジの元所属部署)の人たちもびっくりしてたよ」
 心優しいK嬢は、あまり多くを語らなかったが、しばらくすると、隣の部のS副部長が出社してきて、どうも彼が率いた混合チームは7位で、総務には負けるは、金は払わされるわで、かなり御機嫌ななめらしい。
 そして、彼が昨日のハイジのボーリング後の「誰も知らなかったもう一人のA君」の話を語ってくれた。

 話を総合すると、ハイジはボーリングのときに、あまりにもテンションを上げすぎ、その後の飲み会でも、興奮状態で日本酒をガブ飲みしたために、そうとう酔っ払っていたようなのである。帰りの電車では、あまりにも大声でわけわからないことを叫ぶように喋ったために、同僚たちは皆「他人のふり」を決め込んだらしい。おっとりしているが、けっこう言うことは言う、A君の後輩女子社員が「今日のAさんのことは嫌いです」ときっぱり言ったらしい。

 「あの人、そんなに酒癖悪かったの?」と大笑い。「それじゃ、今日はひょっとして来ないかもなあ。Oさんが発熱したくらいだし・・・・」「たしか、誰かに、『おまえは明日は謹慎だ』って言われてたよ」
 などと話していたら、ハイジ登場。
 ムスっとして席についてパソコン立ち上げているので、「昨日は大活躍だったんだって?」と声をかけても不機嫌そうだったが、「で、その後も活躍しちゃったんだって?」と言うと、「憶えてないんです」

 どうやって帰ったのか、憶えてないらしい。
 「でも、一人で帰ったような気がするんですけど・・・」
 「それは、他の人が他人のふりしてたからじゃない?」
 「○○なんて、別の車両に逃げてたぞ?」
 「ま、まじっすか?」

 しかし、強気のハイジは、「だって、前に座ったのがYさんで、Yさんが絡むもんだから・・・」「あ、人のせいにしてる」「Yはお前に絡まれて困ってたぞ」
 とにかく、飲み会のときからハイテンションで、上司たちにも絡みまくっていたらしい。O部長にも「どーせ、オレはこの会社に必要な人間じゃないんですよ」と言って絡んで困らせていたらしい。それで、O部長が「まだ若いからしょうがないなあ。30前だしね」と「酒癖」についてフォローしてあげたというのに、それが気に入らなかったらしく、「なんで30前だといけないんですかっ!」と噛み付いたり・・・・・・典型的な「何言っても絡む酒」であったようだ。

 皆が面白可笑しく話すエピソードの端々に、ハイジの抱える苛立ちというかストレスの原因を垣間見てしまい、それにしても、あまりにわかりやすいので、ついつい笑いながら聞いていたのだが、

 「で、いったいどこから記憶がないんだよ」
 「肉じゃがまでしか憶えてないです」
 「肉じゃがは二品目だったぞ?最初から飛ばしすぎたんだな」

 S副部長によると、ハイジは飲み会の席ですでに「どうせ、明日になれば自分は何も憶えてないんだ」と言って開き直って絡んでいたようなので、「ほんとに憶えてないんだな。いいな」とか言われていたが、私も最近、飲んで記憶を失ったという記憶も新しかったので、「そんなんで、よく朝起きられたね。二日酔いじゃないの?」と聞くと、「頭ガンガン痛かったです」

 そして、ムスっとした顔のまま、
 「起きたら、部屋にサラダが散らかってるし・・・」
 「サラダ?」
 「ハハハ!コンビニに寄ってサラダなんて買ったのか?」
 「そうらしいっす。全然憶えてないけど・・・・」
 「それで、食べようと思って開けたけど、部屋に撒いちゃったんだ?」
 「そうなんでしょうね」

 みんなは笑っていたが、私の顔はひきつった。
 これだけ性格の違う私とハイジであるが、「記憶をなくすほど酔っ払い、コンビニで変なものを買う」というところで一致したようだ。
 というわけで、これでハイジと上手くやっていけそうだとも思わないが、「同類なのか・・・」というあきらめの気持ちというか脱力感が私を襲ったのであった。

 そして、二日酔いのハイジは、午前中はじっと大人しく新聞を読んでいた。
 昨日のハイジの惨状を知る人が、フロアに来ると、皆不思議な笑みを浮かべながら「おはようございます。Aさん」とよそよしく声をかけるのをうざそうに相手していた。元部署からかかってくる電話も全部そういう雰囲気みたいで、「いや、あんまおぼえてないんっす」とダルそうに応対していた。

 今日はそんなわけで、部長はお休みだし、他の社員も疲れ気味だし、経理の仕事も忙しくなく、私は去年のエクセルの財務諸表が決算修正を反映させてないままになっていたのをチンタラ直していたし、クララもハイジに習って新聞を読んでいたりしたのだが、午後になって私が眠くなってきたころに、「なんかやることありますかっ」攻撃してきたので、

 「ふぇ?」

 と、鳩が豆鉄砲くらったような顔と声で答えたら、ハイジは「ぷすっ」と苦笑いしていた。
 今日のフロアはほんとにマッタリしていた。
 ハイジも、こんなにマッタリした雰囲気は初めてだったろう。でも、総務ってこういうところなのだ。忙しいときと暇なときに落差が激しい。クララはずっと居眠りしていた。

 「どうやら、ほんとにこういう部署らしい」と気がついてくれたことを祈る。
 そんで、私はここ1年くらい、こういうときでもマッタリすることができず、一人で仕事していたのだが、ハイジが来たのでぼんやりしながらボリボリお菓子を食べられるようになったということに、ハイジが気がついてくれるか、誰か他の人が「ミヤノさん、君が来てから暇そうになったし、ピリピリしなくなったね」と言ってくれるといいなあと思っている。K嬢あたりが、そのうち言ってくれるだろう。そういうのが、仕事をする上での「チームワーク」なんだと信じています。

 そして、私がずっと個人的に「ハイジってなんか変わってないか?」と思っていたつもりでいたことが、全社的に「A君って変な奴」ということが全社的に「定説」として認定されたことにより、私としてはやりやすくなったのかも。
 で、前から思っていたけれども、彼は多分、自分の感情を表現するのがとても苦手だし、いわゆる「可愛げがない」タイプであるようだが、それは私も同じタイプなので、そのあたりは逆にとっつきやすいのだ。

 これは九州出身者には受け入れられないかもしれないが、ハイジは九州男児で、私の知る九州男児はこのタイプが多い。わりと表情が硬いし、目つきが悪く見えるので「ガンつけた」と道ばたでいいがかりつけられそうな感じなのだ。そして、彼らは決して「えー、そうだったんですか?すいません、全然おぼえてないんです。ご迷惑かけたんなら申し訳ないっす。もー、当分酒は飲みませんよ〜ハハハ」などとは言わないのだ。友達の九州男児達の顔を思い浮かべて確信した。なるほど、そうとわかればやりやすいというか、文化的な違いだとわかれば気が済むので、そういうことにしよう。

 ちなみに、ハイジのことを嫌いなわけではないです。
 ただ、面白い観察対象なので、ついつい日記に書き散らしてしまうだけです。
 不器用さんなのは明らかなので、この先も暖かい気持ちで見守りましょう。九州男児の多くが普通にしていても「斜に構えてる」と誤解されがちなのと同じで、私の愛情溢れる観察日記も「辛口」もしくは「悪口」になってしまうのかもしれませんが、「誉めベタ」なんでしょうがないです。
5月20日(火)

●朝の出会い

 早く寝たにもかかわらず、あまりちゃんと眠れなかったので、今朝はやや寝坊して、いつもより20分ほど遅れて家を出た。
 チュチュチュチュ チチチ
 と、スズメの鳴き声が響く平和な朝(と言っても、9時過ぎ)。
 私の足音が聞こえると、スズメたちは当然のことながら、飛び立っていった。

 と、わざわざ書くようなことでもない。スズメの鳴き声など、聞き慣れすぎていて、いつもだと「音」として耳に入ってこない。酔っ払って真っ直ぐ歩けないときにしか、道路に描いてある白い線を意識しないのと同じである。

 そう、スズメの声を意識してしまうような異常事態が発生したのである。
 スズメの姿もいつもだと観察することもない。スズメは近づくより早く逃げてしまうからだ。まるで蜃気楼のように、いつも遠くいいるのがスズメという鳥である。

 しかし、今朝は違った。
 私が歩いていると、スズメがちゃんと見えたのである。きっとトロいスズメなんだろうと思って、そのまま歩いていたのだが、私の靴がすぐ脇を通過しても、そのスズメは逃げようとも飛び立とうともしない。

 「おかしい、そんなはずはない」
 と思って、スズメのすぐ横で靴をトントン踏み鳴らしてみた。
 「チチチチチチ」と鳴いているばかりで動かない。
 姿は見えないが、付近では他のスズメの鳴き声がする。

 「ひょっとして怪我をしているのか?」と思って、座り込んで観察してみたが、特に怪我をしている様子もない。
 でも、足がどうなっているのかよくわからなかったので、指で足のあたりを触ってみたら、スズメは私の指にちょこんと乗った。

 「手乗りスズメなんて見たことないよ!」と驚いた。
 それよりも、スズメを手乗りの文鳥のように指にとまらせている姿を他の人が見たら・・・・と、周囲をキョロキョロ見回してしまったが、ちょうど通行人はいなかった。

 怪我しているわけでもないが、飛べないスズメ・・・・・なんだろう?病気なんだろうか?そういえば、ちょっと毛並み(?)が悪いような気がする。普通はもっと、羽根が揃っていて固そうでツヤがないか?
 ううむ、困った。こういう場合はどうすればいいのだろう?保護するにしたって、私はスズメの介護などしたことないし、そもそも鳥など飼ったことがないのでよくわからないのだ。

 迷う私の指先で、スズメはチチチと鳴いている。か、かわいい・・・・・それに、なんか鳴くときに首をかしげるのだ。媚びてるみたいで、さらに可愛い。スズメってこんなに可愛かったのか・・・・ちょっと保護して、しばらく部屋で飼ってみて、飛べるようになったら放せばいいのかも・・・・

 などと、しばらくマジで考えてしまったが、「いや、待て。スズメといえども野生動物。野生動物を勝手に捕獲してはいけないのだ。それに、もし病気や怪我だとしても、私に治療できるわけでもないし、それにこうして弱い個体が淘汰されるのが自然の定め」と思い、それに会社に行く途中なわけだからあまり考える時間もなかったので、とりあえず、車や自転車に轢かれないような場所に移動させてから、チチチと鳴く声を耳から振りほどくように、駅への道を急いだ。

●昼の学習

 昼になって、ふと思った。「あれって、ひょっとして巣立ったばかりの雛?」
 毛並み(?)が悪かったのは、まだ羽根がちゃんと揃ってなかったのでは?飛べないのは、まだ飛ぶ練習中だったのでは?もしかして、巣から落ちたとか?
 と思いつき、さっそくリサーチ。

 大当たり。あのスズメもこんなだった。  しかも「親すずめがどこからかさかんに鳴いて心配しているのですが、まだ5m位しか飛べませんので、親のところに帰れません。」という記述。あのとき、上のほうで鳴いていたのは親だったのか?

 しかも、そこからリンクされている、「巣立ちビナ対応マニュアル」を読むと、「とにかく絶対に連れ去ってはいけない」と書いてある。そうだったのか〜

 あまり鳥に興味がなかったので、全然知らなかった。そもそも、ヒナだとわからなかったくらいのトーシローである。
 そんで後学のためにも、ちゃんとその対応マニュアルを読んでみたのだが、ああいうヒナを見つけても、とにかく何もしないのが最良らしい。しかも「車道にいる場合には、安全なところに移動させる」と書いてある。

●昼下がりの慢心

 ふ、ふふふふふ・・・・・
 あたしったら、あたしったら、無学のくせに、なかなかヤルじゃん。
 こんなマニュアルが用意されてるってことは、この世には鳥が落ちていると、ヤミクモに保護しちゃおうとするお馬鹿さんが多いってことよね。ほほほほほほっ(実際、「誤認保護」を警告するサイトがたくさんあった)
 そーんなの、わざわざ勉強しなくたって、最低の常識があればわかることじゃん。
 常識っていうか、基本的な仕組みを理解していれば、なんにだって応用できるわけよ。

 というわけで、「私はいつだって正しい」という優越感を胸に、午後はたいへん御機嫌でございました。
 またT部長の言動にムっとしたのですが、「こいつは、きっと『鳥が可愛そうだから、なんとかしてあげなくちゃ』な〜んて保護しちゃうタイプだな」と、想像して、気が済んだのでありました。

●夜の増長

 スポーツクラブで久々に筋トレのクラスに出て、また肩を鍛える運動したので「また寝汗かきそうだ」と心配しましたが、外に出ると、まだ雨がしとしと降っていました。
 最近は物騒なので、近道の遊歩道を避けていたのですが「雨の日には通り魔も出ないだろう」と考えたのと、「いまごろの、こんな雨の日には、またロナウド・フロッグに遭えるかも」と期待して、薄暗い遊歩道を歩いてみると・・・・・

 いました!
 やはり神はいわすでごわす。
 よい子にはちゃんとご褒美をくらわすでごわす。

 しかし、カエルのロナウド君は去年は猛烈な勢いで遊歩道を突破していったのに、今年はじっとして動かない。
 しょうがないから、渇いれちゃいました。靴先でつんつんしたら、さっそくピョンピョンピョンピョンと猛ダッシュしてくれた。去年と同じカエルなわけもないと思うが、親戚なことは間違いないだろう。

 というわけで、「我こそが真のナチュラリストであり、カエルの守護神」である私は大変満足して家路についたわけです。
 これで、今年は近所でカエルを二匹目撃した。
 井上陽水の「最後のニュース」の「♪ 海の中のクジラやイルカの数は誰が数えるの〜」とかいうフレーズを思い出した。
5月19日(月)

 昨日撮った写真を整理していたら、眠くなってきたので早寝した。
 電話が鳴ったので目が覚めたが、出るのが面倒だったので留守電応対させた。
 喉が渇いていたので、台所の電気をつけると、「あ!」と声をあげたのは私ではなく、ゴキちゃんだった。ように思えた。ゴキちゃんは、「しまった」と思ったらしく、0.2秒ほどフリーズしていたが、そのあと流し台へ逃走。よく夜中に水飲みに来ている彼らと鉢合わせするので、流し台の下に殺虫剤を置いているので、さっそく噴射。5秒後にお亡くなりになった。

 薄れゆく意識の中で、「ひどいよ、ひどいよ、もう寝てると思ったのに・・・・」と私を責めていたことであろう。合掌。
5月18日(日)

●祖母の見舞い&我がママンとお散歩

 オヤフコーラー(みうらじゅん氏による「親孝行のすすめ」では親孝行する者をオヤコーラーと呼んでいる)な私も、たまにはオヤコーラーになりたくなるときもあるわけで、今日はGWに得た「親孝行したいときに親は留守」という教訓を生かして、ちゃんと昨晩電話して「明日行く」と宣言しておいた。

 昼前に起きて、昼前と言っても11:45だったが、昼前は昼前であるからして、15分で支度して、お昼くらいには家を出発。麻布十番の駅に着くと、ホームの案内版に群がる人の多さに「まだ、六本木ヒルズおのぼりさんはいるみたいだ」と思ったが、ヒルズから徒歩で行ける範囲に親戚が住んでいるからって、自分が「おのぼりさん呼ばわり」を免除されると思っているのか?と自戒しつつ、祖母宅に到着。

 「あ、娘が来たみたい」と母の声。
 台所に入ると、祖母というか亡き祖父の姪と甥(母にとってはイトコ)が来ていた。お会いするのは、祖父の葬儀以来。
 二人が買ってきてくれた、パックのお寿司をいただき、しばらくまた「田舎の話」で盛り上がる母といとこたちの会話を厳かに拝聴。オヤコーラーなんだから耐えるのだ。

 祖母はやっぱり私の顔を見ても誰だかわからないようで、「この、きれいなお嬢さんは誰かしら?」などと言う。姪のSさんが「M子ちゃん(我がママン)に似てない?」と誘導しても、「M子とは顔が似てないよ」と言う。たしかに祖母は「頭が生前」のときには、私と母が並ぶと、「ミヤノはべっぴんさんだね。M子よりもずっとべっぴんさんだ」と言って私の容姿は必要以上に持ち上げ、そのかわり自分の娘の容姿をけなしていたのであるが、その毒舌は健在である。

 昼食が終わると、祖母には昼寝してもらって、Sさんたちも「せっかくミヤノちゃん来たんだから」と気をつかってくれて3時前に帰っていった。
 それから母に「じゃあ、この間発見したっていう、神谷町の古い家並を見せてよ」と言ってお散歩開始。
 愛宕神社の裏手にある、古い木造建築がまだ残っているエリアを探索。すでに、取り壊されている家もあり、もうすぐあのへんも再開発されてしまうのだろう。写真を何枚かとったので、そのうち整理しよう。

 ついでに愛宕山も徒歩で登頂し、帰りはNHK放送センターのほうにできたエレベーターで降りる。喉が渇いたので、カフェでお茶してから、また祖母宅に戻り、祖母を起こしておやつを食べさせながら夕飯を作り、祖母はあいかわらずガツガツと全部平らげるので「誰もとったりしないから、ゆっくり食べなさいよ〜」と言っても、不器用な手つきながら鮮やかに箸を操り、口いっぱいに御飯を放り込み、せわしなく食べていた。

 祖母の食事が済んでから、母が「ちょっとミヤノを駅まで送っていくわね」と言って、二人で十番の中華料理屋で食事した。母が十番在住の友人に教えてもらった店で、「普通に美味しい中華屋」である。母はかなり頻繁に行っているので、すでに顔になっているらしい。
 お腹いっぱいになったところで、いざ六本木ヒルズである。母は「何回行ってもよくわからないし、変なところ」と酷評しているのにもかかわらず、祖母宅に来る客人を漏れなく連れていっているらしく、もう5回くらい散策しているようだ。

 私も前回は人混みの中を通過しただけなので、ちゃんと観ていなかったのだが、今回は逆のルートを歩いたわけだが、いきなり中央ストリート(というのか、住宅エリアとテレ朝の間を抜けるブランド店が並ぶ通り)の入り口の白い壁に、電卓文字のデカいのが点滅しているのを発見。「時計になっているのかな?」と、その電卓文字に近づいていくと、母が「あの前で、なぜか皆写真撮影してんのよね」
 よく観ると、巨大電卓文字はカウント・ダウンしている。
 「こ、これは、ひょっとして、宮島達男作品?」と私が言っても、母は「なにそれ?」
 「いや、こういう作風のアーチストがいるんだよ。たぶん、これってそうなんだと思う」
 「これのどこがアートなの?お母さんには全然わからないわあ」
 しばらく「MEGA DEATH」のかっこよさを母に説明しようと悪戦苦闘したが、言葉で説明するのが難しいことがわかり、あきらめる。

 「あっちにも、なんか丸いのが点滅してるわよ〜」
 その途中には、母曰く「一個が何百円もするチョコレートで有名な店があって、いっつも行列しているの。ばっかみたい」と言う店もあり、なぜか私はフォローにまわってしまい「いいじゃん、みんなきっとなんか買わないと手ぶらじゃ帰れないんだよ」と諭す。

 母が言う「なんか丸いのが点滅してる」というのは、ルイ・ヴィトンの開店準備中の囲いであった。巨大な囲いがカラフルなルイ・ヴィトン模様で飾られており、中央の丸いオブジェが怪しく点滅しているので、若い女性が4人くらい並んで、携帯カメラで撮影している。その光景を後ろから眺めると「東京100景」にしてもいいくらいのなかなか面白い画である。

 「アハハ、なんか面白いね」と私が言うと、「なんで、あんなもん撮るのかしら?」「かわいいからじゃないの?」
 その後、しばらく「あのLVマークを観るだけで、ドーパミンが噴出する人はこの世にはけっこう多いのだ」ということを必死に説明するが、「ふ〜ん、変なの」と一蹴される。

 その後、やっとヴァージン・シネマの前まで来て、「ほら、映画館があるんだよ。水曜日は女性1000円だから、行ってみればいいじゃん」と言ったが「私の観たい映画やってないんだもん」「今、やってなくても、そのうちやるかもしれないじゃん」と言って中に入ってみる。母はシネコンというものがわかってないみたいで、シネコンの仕組み(映画館の入り口まではスルーだが、中に入るにはフロントで切符を購入しないといけない)を説明。
 オヤコーラーとしては「そのうち、観たい映画があったら行こうね」と言ってみるのが精一杯だったが、母はロビーにたちこめる、売店で売っているポップコーンやコーヒーフレーバーの匂いが気に入らないらしく「匂いのする中で映画なんて観たくない」と断言。「中に入れば、こんなに匂わないでしょ!これは売店が客の気をひくために過剰に漂わせてるだけだと思うよ」

 というわけで、何を見ても「なんか気に入らん」な母に対して、ついに娘は「いいんだよ、ここは。お母さんみたいな客をあてにしてないもん」と言ってしまうが、母は「私こそ世界の標準」だと信じて疑わないので、自分の趣味に合わないヒルズがこの先存続していけるのか心配してあげているらしい。
 立ち並ぶファッション・ブランド店についても「こんなとこで買い物する気しないわ」と言うが「だって、お母さんはそもそもイトーヨーカドーじゃないとダメじゃん」と言うと、「でも、もう少し服代を遣ってもいいかもと思って、このあいだ、丸井に入ってみたんだけど、店員に『いらっしゃいませ』といわれたら逃げちゃった」

 こんな我がママンに育てられたので、実は私も店員に「いらっしゃいませ」と背後から声をかけられるのが嫌いで、ほったらかしにされる西友の顧客であるのだが、それは黙っていた。
 そんなこんなで、グルグル回り、母がいちいち悪口を言うのをフォローしつつ、「じゃあ、そろそろ十番に戻ってお茶しよう」とヒルズ脱出。
 「ああ、今日も一銭もここでお金遣わなかった。トイレだけ使った」と、母。

 十番付近の、オシャレなオープン・カフェの店の歩道寄り最前線でコーヒーを飲み、店の外観を蹂躙してきた、オバサンとコオバサンでありました。
 うちの母が六本木ヒルズにお金を落とすためには「食べ放題で安くてねばれる店」が出現しないと無理でしょう。すでに品川のホテルの食べ放題は母とその悪友たちとその同類の憩いの場になっているようです。

 というわけで、何見ても片っ端からけなす母と六本木ヒルズ見学をして、へとへとに疲れたのでありました。
 日曜の夜だったので、ヒルズはかなり空いていて、娘は「空いてるとかなりマシだな」と思いました。
 特にヴァージン・シネマはエントランスも仰々しいし、全体的になかなか凝っているので、「ここで映画観てもいいかも」と思いました。「シカゴ」でも観にいってみるかね。それよりも、そのうち始まる「マトリックス」のプレミアム・シートなんてリザーブしてもらえるようなデートしたいわ。むふふ・・・・・
 などと、妄想してしまいました。これも、なにを観ても「ばっかみたい」と言う母への反抗心の現れかと・・・・・まだまだ反抗期まっさかりのようです。
5月17日(土)

 ビール飲みながら、ひたすら「ドリーム・キャッチャー」を読んでいるうちに、NHKではチャーリー・パーカーのドキュメンタリーみたいのをやっており、「死んだとき、私よりもずっと若かったのか・・・」などと思いつつ、3時くらいまで読んでいたのだが、4巻の半分くらいのところで力尽きて寝てしまった。

 目覚ましをかけずに寝たのだが、目が覚めたらもう昼の1時だった。
 「いまいち、面白くないな」と思いながらも、なんでこんなにムキになって読んでいるのであろうか?
 と、思いつつも、コーヒー淹れて、一息つくと、最後まで一気に読んだ。

 昨日、読書疲れと、ビール酔いで朦朧としながら寝しなに考えていたのが、「キングの小説読んでいると、自分の遠い昔の子供だったころの記憶が刺激されて、今まで忘れていたことをふいに思い出したりするのが快感なんだよな」
 それで、なにやら「封印されていた記憶」を虫干ししていたのだが、なんだったっけ?
 忘れちゃったなあ。ハハハハ。

 ああ、そうだ。「ゆうちゃん」のことを思い出していたのだ。「ドリーム・キャッチャー」にはダウン症の話が出てくるので、それに刺激されたのだ。
 私が通っていた小学校は、児童数増加のために、4年生になるときに分断された。4丁目から6丁目までに住む児童は、「第二小学校」という新設小学校に通うことになり、元々その区域は別の中学校に通うことになっていたので、4丁目から先に住んでいた友達とはその後ほとんど交流がなくなった。
 ゆうちゃんは、たしか4丁目に住んでいたので、その後どうなったのかわからないが、とにかく3年生までは、同じ学校に通っていた。でも、同じクラスだったのかな?全然憶えてないや。

 とにかく、自分の学年にいた、唯一の「普通学級にいてもいいのかな?」という生徒であった。
 私の通っていた小学校には「特殊学級」はなくて、駅の向こうの小学校にはあったので、何人かの「そういう子」はそっちの小学校に通っていた。だが、ゆうちゃんの親はその選択をしなかったようで、普通学級(っていう言い方もいやらしいが、便宜上)で一緒に勉強していた。

 ゆうちゃんが、どういう「学習遅延児」であったかはよくわからなかったが、授業についていける状態でないことは誰の目にも明らかだった。でも、彼は普段はとても大人しく、授業の邪魔をするわけでもなかったし、音楽の授業でちゃんと演奏できなくても、体育の授業でちゃんと体操できなくても、ただその場にいて、彼なりになんかやっていたのだと思う。
 ただ、自分の身なりに気を配るということがなかったので、爪が汚かったり、鼻水を袖でふいてそのままにしていたり、ときどきおもらししたりということがあったので、「えんがちょ」な存在になっていた。
 暴力的ないじめはしなかったとは思うが、たとえばフォークダンスをやるときには誰もゆうちゃんの手をとりたくなかったり、席換えでゆうちゃんの隣になるのを嫌がったりという「村八分」的なイジメはあった。

 もちろん、他の「普通の児童」も、おもらししたり、体調が悪いのを我慢して教室で吐いちゃったりすると、しばらく「えんがちょ」になっていたが、彼らはその汚名を返上する機会をたびたび与えられ、「えんがちょ」を解除されたりしたが、ゆうちゃんは「永久えんがちょ」であった。あのころのガキにとっては・・・・

 私も当然のことながら、ゆうちゃんに優しく接したりすることは少なく、ただ親からは「そういう子」に対する接し方についてあれこれ言われていたような気もしたが、でも、いつも茫洋とした目をして、ほとんど喋らず、悪ガキにいじめられると小さな悲鳴をあげているゆうちゃんにどう接していいのかわからなかったし、なんとなく「不気味な存在」であったが、でも異質ではあるけれど、幼いころから見慣れているし、今にして思えばちょっと捻くれた意味で「愛された存在」でもあったと思う。
 でも、それも私が勝手に作った「免罪符」なのかもしれない。とにかく、ゆうちゃんは基本的には「汚い」し「嫌われ者」だし「バカ」だった。そして、なんだかいつもビクビクしていた。

 あれは、いつのことだか忘れたが、同じ学校にいたときだったのか、それとも私が6年生くらいになり、学校以外でゆうちゃんを見かけたときだったのか、全然思い出せないが、記憶の片隅に残っているのは、ゆうちゃんの瞳をまじまじと眺めたときのことである。
 彼は眼鏡をかけていたが、その眼鏡の奥に、長い睫がびっしりと生えて影を落とした茶色の大きな瞳があることに気がついたのだ。彼は、いつものようにうつむきかげんで、不安そうにたたずんでいた。
 そのとき初めて私は、彼の顔立ちが整っていることに気がついた。

 あのときは、自分の感じたものがなんであるかよくわからなかったが、今そのシーンを虫干ししてみると、ゆうちゃんが「美少年の輝き」ではなくて、すでに「美青年の憂い」を帯びていたことに驚いたのだった。
 あんな表情は、どんなに「ハンサム顔」でも小学生には醸し出せない。
 ゆうちゃんは、坊主頭で痩せていたので、まるで三島由紀夫が描き出すような「美貌の僧侶」のように見えたのである。

 それをどうとらえていいのかわからなかった私はとても戸惑ったが、でもその瞬間に「こいつは全部わかっている」と思ったのだった。あの深い落ち着きを湛えた瞳が全部見透かしている。そして、世の中全てを憂いて、感情を奥にしまいこんでいるだけだ。
 しかし、幼い私にとっては、そんなことよりも、「えんがちょのゆうちゃんが実はハンサム」ということに気がついてしまった自分に驚愕していたのであった。そのことを周りの友達に告白することはなかったと思う。そんなことしたら「ミヤノはゆうちゃんに気がある」とからかわれるに決まっているから。
 でも、ずいぶん後になって、中学生くらいのときに同じ小学校出身者と「そういえば、ゆうちゃんっていたね」という話になり、そのときに「ゆうちゃんって、実はけっこう美形だったんだよね」などと言ったような気がするが、友達がどういう反応したのか憶えてない。

 その後、最後にゆうちゃんのことを思い出したのは、クルトワイルの写真を見たときである。あのときのゆうちゃんは、ほんとにこんな雰囲気だった。「思い出は美しすぎて」の法則で、過剰に美化しているだけかもしれないけどね。

 というわけで、キング御大のおかげさまで、20数年前の記憶が甦ってしまったわけでした。
 そういう子(いったいどう表現すれば適切なのかよくわからない)が活躍する小説や映画はけっこうあるのに、今までこの記憶が呼び出されたことはなかった。やはりキングはすごいのかなあ。
 でも、私みたいに、そういう子を普通にいじめた経験のある人は、「ドリーム・キャッチャー」を読むと素直に反省してしまうというか、「あのころに戻れるのならもっと一緒に遊んであげればよかった」と後悔してしまうと思うんだけど、どうなんでしょ?

 そういえば、最近見かけないが、会社帰りの電車でときどき出会う少年がいて、あれもどういう症状なのかわからないが、とにかくテレビなどで収集したセリフや名詞をランダムに編集したものを大声で喋るのだが、そのセレクトが秀逸で、車内にいる人は笑いこらえるのが大変なのだ。どう見ても10代の少年なのだが、「ドリフの大爆笑」と「笑点」が好きみたいで、「山田君!座布団持ってきなさい」などのキメのセリフを実に効果的に挟むのである。それもわりと棒読みっぽく。ラーメンズに似た芸風だった。録音して保存しておきたいくらい素晴らしいのである。

 掃除したり食事したり風呂に入ったりしながら、またハイジについて、つらつら書いていたが、またまたかなり愚痴っぽくなってしまったので全部削除。

   さっきテレビニュースみてたら「りそな銀行に公的資金注入」だって。
 ありゃりゃ、私も預金者なんですけど。それにしても、「りそな」になったばかりでは?

 昔いた会社のメインバンクが「協和銀行」だったので、その付き合いで定期預金も作ったのである。協和銀行が、協和埼玉銀行を経て「あさひ銀行」になっても、広告キャラクターの「ミッフィーちゃん」は継続していた。バブルのころは、各銀行が片っ端からキャラクター契約をして、ミッキーマウスやスヌーピーやキティちゃんやドラえもんが通帳の表紙になったが、今はほとんど見かけなくなった。私は今だに三井銀行のキャッシュカード愛用しているけどね。パディントンの絵がついているのです。

 ところが「りそな」になったら、ミッフィーちゃんが姿を消してしまったのだ。今まで、定期預金を作るたびにミッフィーちゃんグッズをもらっていたのに・・・・・あさひ銀行の現金袋のデザインが一番好きだったのに・・・・あれって廃棄されちゃったんでしょうかね?事前に気がついていたら、キャッシュコーナーに置いてあったのをごっそり持ち帰ったのに。

 「ER」観てたら、また地震。最近、震源は千葉県ばかり。
 しかし、「ER」もテンション高いね。次から次へと、よく不幸なエピソードを思いつくなあと、脚本スタッフ(たぶん、チームなんだろうけど)には尊敬の念を隠せない。
 そんで、いつも書いているけど、「ER」観てると「ああ、私ってなんのトラブルも抱えてないし、なんにもストレスないな」と「他人の不幸は蜜の味」というか「人の不幸を観てかなり安心」になるのである。ドキュメンタリーだと、あまり不幸でも落ち着かなくなるけど、フィクションは安心して観てられるから好き。
 と、言いつつも「マーク先生、死んじゃイヤ〜」と思って、こっそり衛星放送でやっている「ER[」のあらすじを確認してしまいました。マークせんせいは、まだ死んでないようで安心しました。 
 などと書いていたらAから電話。また一週間仕事を休んで安静にしていたようだ。なかなか安定しないらしい。
5月16日(金)

 ハイジが暇をもてあましているようなので、倉庫に並んでいる書類箱の整理を頼んだ。
 整理して番号を振ってから、貸し倉庫に預けるつもりなのである。
 「とりあえず、会社名をテプラで作って貼っておいて。テプラはTさん(派遣社員)にでも頼めば?」

 ハイジが明日出社だとわかっていたので、「明日でもいいけど、まあ、土曜日とかに暇なときにやってよ。急がないから」
 と言ったつもりだが、機関車ハイジはさっそくエンジン全開。
 Tさんに「今、暇?」と声をかけたら、当然のことながらTさんは暇ある。なぜかというと、彼女の前任者にお願いしたいた面倒な入力は、今はハイジにやらせているからである。機関車ハイジは、燃料をがっつくので、しょうがないからそっちに石炭放り込むしかないのだ。
 いちおう、昨日の総務部会議で「そういうわけで、Tさんはかなり手が空いていると思いますので皆さん何かあったらよろしく」と言っておいた。

 だから、ロッテンマイヤー先生のイメージとしては、今日はTさんにゆっくりテプラを作ってもらい、明日ハイジが暇だったら、それをゆっくり箱に貼ればいい・・・・・

 しかし、自転車にも乗らず、のんびりお散歩するのが好きなロッテンマイヤー先生と、機関車ハイジでは仕事に対する考え方が全く違うことがわかった。
 ハイジはなんと、Tさんとテプラ印刷機を持って、倉庫に行ってしまったのである。
 そんで、どうやら、Tさんにテプラを印刷してもらいながら、貼っていったらしいのである。

 Tさんがいなくなってしまったので、私は初めてそのことに気がついて、思わず「あんのヤローーーーー」と大きな声で独り言を言ってしまった。
 Tさんは、総務のアシスタントであるが、最重要仕事は「来客の受付、電話応対&お茶だし」である。だから、そういう仕事の合間にテプラを作ってくれればいいわけで、そのためにわざわざ別室に連れていってしまうと、私や他の社員が来客対応に追われることになってしまうのだ。

 というわけで、ハイジの行為は、私の雑用を増やす行為に他ならない。
 そのことまで頭回らなかったハイジに対してちょっと不安を覚えた。
 たぶん、彼の世界観では、「自分の仕事をこなすために一直線」であって、周りのことなどどうでもいいのだ。

 もちろん、そういう世界観の人は多い。
 だから、数少ない「周囲が見られる人」と仕事できると大変うれしい。同僚でも一人そういう人がいて、自分が暇なときには積極的に電話に出たりしてくれるし、一緒に仕事をするときにも、こっちのスケジュールが自分の思うようにはいかないとわかっているので余裕持ってやってくれるので「ごめん、その仕事、こっちが終わってからでいい?」「うん、大丈夫。こっちはまだ余裕あるから」と言ってくれるので仕事していてストレスが少ない。

 何度も書いているが、経理ってスケジュールが組みやすい仕事なので、忙しいときもあるが暇なときはけっこう暇なので、火急ではない仕事は「暇なときにちんたらやろう」と後回しにすればいいのである。私は、書類整理や大掛かりなファイリングなどの比較的力仕事や頭使わない仕事は、そういう余裕のあるときの気晴らしとして配置している。

 だって、毎日毎日ずっと座りっぱなしでパソコン睨んでられないもの。
 ハイジのテンションがいつまで維持されるのかわからないが、あのペースをずっと続けるとなると、胃が悪いのも肯けるなあ。余裕がないよ、余裕が。
 そんで、自分だけいっぱいいっぱいならいいのだが、その気迫が私にも伝わってしまうので、なんか追い立てられているような気がして、私まで胃が痛くなりそうだ。まあ、多少胃が悪くなったほうがいいのだが。

 もっと、のんびり、優雅に仕事しよーよー。
 アリスに出てくるウサギみたいに「あー、忙しい」とわめきながら走りたい人がこの世にはいるということはわかっていたが、あそこまで典型的なのは初めてみた。

 と、また日記にお話ししてストレス発散しているのでありました。

 一週間もかけて、ちんたらと1巻を読んでいた「ドリーム・キャッチャー」であるが、昨日は酔った勢いで2巻までは一気に読み進んだ。
 あまり捗らなかった理由は「なんか、『IT』の焼き直しみたい」と思ったからだった。
 でも、キングの描く「少年のころの思い出」はけっこう好きなので、その部分はそれなりに楽しんでいるのだが、でも、私がキングで一番好きなのは、思わせぶりなことを書きつつ、なかなか本題(というか真にホラーな大騒動)に入らずに、主人公たちの過去と現在を交互に小出しにしながら、壮絶な未来を予感させつつ、「まだかな、まだかな」と期待しつつ、先へ先へと読ませるあたりなんだが(「キャリー」なんかは結末わかっていても、ついつい引っ張られた)、どうも「ドリーム・キャッチャー」はその「引っ張り」が弱い。

 と、思いつつ、3巻目に突入したら、「早く全部教えろ〜〜〜」なエピソードがやっと始動したので、これで一気に最後まで読めそうだ。
 週末はビール片手にホラー小説。
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