可燃物な日々

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12月31日(水)

●花の連休(9−4)日目

 ↑と、書けば少しは状況がごまかせるとのご提案をいただいたので採用してみたが、なんだか馬券みたい(笑)。

 そーいや、昨日、映画を見終わったあと、またテクテク歩いて帰ってきたのだが(往復3時間くらいだったかな)、渋谷駅を通過するときに、南口の改札前を歩いていたら、後ろから大きな声で「あれ?」と言われたので、「まさか、会社の人に会ってしまったとか?」と思い、立ち止まって振り向くと、わりと身なりのいい20代半ばの男性がこっちを凝視していた。
 明らかに見覚えがなかったので、すぐに立ち去ろうとしたが、向こうが「えっと、失礼ですが・・・・」と言い始めたので、なんだろう、やっぱり知ってる人なのかしら、と構えていたら、「あなた、今、すっごくいい時期ですよね?」

 あのあたりは、「手相の勉強中」の人の多発地帯なのだが、こういう「一昔前のナンパ」(あれ?どっかで会ったことなかった?)みたいな方式がいつのまにか導入されていたようだ。私が脱力して「はあ?」と言うと、「たぶん、来月か、再来月に・・・」となんか喋りはじめたので、無視して立ち去った。
 「来月か再来月」にいいことがあったって何の意味もないのだよ。もし私が今現在「いい運勢」の人相をしているのであったら、今日その運勢が花開かないと何の意味もないのだ!(年末ジャンボ買いました)

 さて、昨日も夜中までハリポタ読んでいたので(「秘密の部屋」は読み終わった)、今朝、目が覚めたのが10時。いい天気だが、掃除しないと決めていたので、そのまま惰眠をむさぼっていると、昼過ぎに電話が鳴ったので、「ママンからだ」と思って飛び起きて電話に出ると(まだ寝ているのがバレないように「ケホケホ」と咳払いして音声を調整)S君だった。

 なんかグダグダ喋っていた。そんで、彼は「今年は自分にとっては、いい年だった。あなたは?」と聞いてくるので、「いい年とか悪い年とか、考えたこともないわい」と絡んでいた。
 「いい年/悪い年」の用法がよくわからないのだが、たとえば、大リーグに行って活躍した松井が「今年はいい年でした。来年もいい年にしたいです」と言ったら、それは「シーズン」のことを指すので、ちゃんと意味を成していると思うのだが・・・・・

 そんなかんじで「年越し」にも特に感慨はないので、掃除もしないのである。
 でも、ずっと掃除しなくていいわけでもないので、初詣に行ったら掃除の神様によくお願いしておこうっと。(神頼みなのかよ)
 さて、また実家に帰ることになるので、電話したら、今年は弟夫妻も来るのだという。母のテンションが上がっててちょっと怖い。わーい、でも姪っ子Nちゃんも泊まりにくるんだ。酔っ払って赤子に絡まないように気をつけなければ。

 というわけで、代わりばえのしない年末でありますが、皆様もよいお正月をお迎えください。

 ・・・・・・・パソコン閉じる前に、宝くじの当選番号調べてしまったのだが、なんてことでしょう!
 「年末ラッキー賞(1万円)各組共通下3ケタ」ってやつが当たってしまいました。 
 その昔、5等の3千円を二回連続で当てて「私の人生ってこんなもん」とひどくがっかりして、宝くじからは足を洗ったのですが、1万円っていうのもビミョーだなあ。だって、3組連番で買ったから、9000円の投資で、6等はもれなく3つ当たるから900円で、合計10900円か・・・・・1900円の儲けね。ビミョー、ビミョー、ビミョー

 私の人生やっぱこんなもん。4/1000の確率に当たったってことは、1/250ってことか。「250分の1の女」ってわけね。30枚買ったから、250÷3で、「1/80」くらいかしら。とほほ。

 来年も地道に働きます。 
12月30日(火)

●花の連休を数える行為がそろそろ虚しくなってきた4日目

 12月30日ってなんだか好きだ。なんか、いいかんじに気が抜けてるから。今日はシーツやセーターを洗濯していたのだが、上の階から大家さんの奥さんの声が聞こえてきた。
 「さあて、みんなに仕事を割り振ろっかな」
 大家さんちも大掃除にとりかかるらしい。子供が5人もいるが、ちゃんと手伝うかどうか。

 さて、洗濯も終わり、干していた布団も取り込んで、私は出かけることにした。だって、うちには仕事を割り振るこわいお母さんはいないんだも〜ん。掃除なんかしないも〜ん。
 連日の好天気に、「脳内飼い犬」が騒ぎたしたのである。(滝本竜彦が「脳内彼女」と会話していたので、私も類次品を探した)
 「みやのさ〜ん、お天気いいじゃないですか。散歩に行きましょうよ〜」
 うん、うん、散歩ね。そうねー、実家に帰るとまたブロイラーな毎日だから、その前に少しでも体脂肪を燃焼させたほうがいいわよねー。

 そして、「脳内モニカ・ベルッチ」も登場。
 「みやのさ〜ん、早く私のナイスバディ観に来てよ〜」
 うん、うん、「ミッション・クレオパトラ」ね。たしかに、年明けは映画観に行く暇あるかどうかわからないし、混んでそうだし、正月休みが終わると、また忙しくなっちゃうから、今のうちに観ておいたほうがいいかもね。

 というわけで、「脳内飼い犬」と「脳内モニカ・ベルッチ」の両方を尊重して「六本木ヒルズまでお散歩して、映画観る」ということになりました。
 さっそく2時過ぎに出発し、途中の三宿で坦坦麺を食べて、ひたすら六本木を目指して歩きました。
 渋谷近辺で気が付いたのですが、まだイチョウの葉が頑張っている。日当たりなどが影響するのか、並木のほとんどが99%落葉していても、一本だけけっこう黄色い木が残っていたりします。今日であの状態だと、あの木は黄色いまま新年を迎えることになりましょう。やっぱ暖冬なのかな。

 渋谷の歩道橋を越えると、向こうにヒルズの高層ビルが夕日を反射してそびえているのがよく見える。何度観ても、どうしても「マジンガーZ」に見えるのだが、探してみたらやはり同意見の人がいた
 4時ちょっとくらいにヒルズに着いたのだが、けっこう人がいるが、以前ほどでもない。このくらいだったら、まあ許せる、と思いつつ、ヴァージン・シネマ(だけど、なぜか東宝系になっちゃった)の入り口に向かうと、かつて見たことのないような混雑。入り口にはどんどん人が吸い込まれていく。

 びっくりしたが、よくよく考えてみれば、私は「水曜日レディースデイ」しか行ったことなかったんだ。
 チケット売り場はそれほど混雑していなかった。というか、チケット売り場の後ろにある掲示を観て、引き返す人が多かった。
 どうやら、みなさん「ラスト・サムライ」がお目当てのようで、2つの映画館で上映されているのにも関わらず、夕方から7時くらい開始の回は既に満席。席があるのは8時以降になってしまう。
 たぶん、客のほとんどが「ラスト・サムライ」か「ファインディング・ニモ」を観に来たのだろう。

 さて、難なく中央よりやや前の真中の席を確保して、ハリポタ読みながら開場を待った。あそこの映画館は規模に比べるとロビーに椅子が少ないような気がするし、本が読めるような照明の当たっている椅子はもっと少ない。全席指定なので、直前までどっかで買い物したり、お茶してろってことなのかな?
 開場したので中に入ると、小さい劇場だったけど、後ろ半分はぎっちり。7割くらいの入り。まあ、「ラスト・サムライ」を断念した人が流れてきたのかもしれない。

 私の隣には、英語を喋るけど、ちょっと訛った英語のお母さんと10歳くらいの娘が座ったので、「フランス語映画なのに、大丈夫なのか?」と思ったのだが、本編が始まると、横長画面なのに(何サイズって言うんだっけ?)下に出るのが英語字幕で、日本語字幕は右端だったので、日本語字幕がとても読みづらかった。なんだか悔しい。

 始まったとたんに隣の外人母娘はどうってことない場面でも「おお!」とか言って笑っていて、たいへん反応が良く、「こいつらの隣でよかった」と思った。だって、モニカ・ベルッチ演じるクレオパトラがシーザーに花瓶投げつけているだけで、ケラケラ笑ってんだもん。私までつられて、どうってことないところで笑ってしまいました。

 映画の感想はというと、まあ最初から「バカ映画」だとわかっていたので「こんなもんか」というかんじ。期待以上でも以下でもなかった。モニカ様は、豪華衣装に身を包み、胸の谷間とか、はみ出した胸の横とか(ポイント高い)、お尻の割れ目を披露してくれましたが、演技的には「マトリックス」と同じで、ただツンとしてるだけ。でも、ヒステリー起こすとこが面白かったようである。外人の10歳の娘には大ウケでした。

 フランス人にしかわからないようなダジャレも多いみたいで、特に登場人物の名前が「・・・・クス」とか「・・・ウス」いうギリシャ神話みたいなややこしい名前が多いところを徹底的にギャグにするのだが、「アンチウィルス」なんて名前の人も登場するので、いろいろもじって遊んでいるんだろうけど、日本語字幕はそのギャグを表現するのを放棄していた。英語字幕のほうが喰らいついていたみたい。「レニー・クラヴィウス?」なんて字幕が出てたもん。

 でも、わりと誰でも笑える「カンフーものギャグ」や「スターウォーズ」とか、おとぼけバイキングたちとかは、子供でも大丈夫なギャグで安心して楽しめるが、ある程度の教養を必要するギャグが小出しにされるのは、さすが「おフランス」なのかとも思うが、クレオパトラがモナリザのポーズするくらいじゃ、あまり笑えないんだけど・・・・(エジプト壁画が横顔に固執したことをギャグにしているのだが、モナリザのポーズでは「斬新すぎる」とのこと。たしかに1000年早い。)

 それよりも、やや上級ネタとしては、海賊船が難破して・・・・・あ、映画の公式HPのコラムでは野島孝一という人が「ドラクロワの『ダンテの小舟』かな?」と書いていますが、たぶんあれはジェリコーの「メデュース号の筏」です。(勝ったな)でも「メデュース号の筏」の中で、死体の一人のモデルはドラクロワだって高校の美術の先生が教えてくれたんだけどな。他の画家だったかもしれない。調べてみたら、やっぱ、ドラクロワだったらしい。
 美術教師は「このうつ伏せの死体がドラクロワ」と指差して教えてくれて、私は「画家も先輩のモデルまで勤めて・・・・しかも、こんな死体の役で・・・・大変だなあ」と思ったっけ。

 というわけで、デートで観に行く人はこういう「ちょっとした教養」の小ネタが多いので、気をつけたほうがいいと思いました。観終わったあと、ドラクロアがどうのこうのという語りが止まらなくなり、彼女/彼氏が不機嫌になります。

 で、映画が終わってテロップ流れてからが一番笑えたというのも、ちょっとな。
 「ゲストで入っているはずだが」という大物を「え?リストにありませんよ?」とあしらうクラブの受け付けのやりとりは、キョーレツにおかしい。日本でも、一時期、自分の馴染みの客やVIPばっか先に入れやがって、並んでいる客を無視するドアマンがいたが(ゴールドのドアマンはそれで有名だった)、あれは明らかにニューヨークスタイルの模倣で、おフランスでは、ああじゃなくっちゃ!(絶対、ああいうドアマンと、それにバカにされるなんちゃってセレブは実在する)

 ちゅーわけで、けっこう楽しめたし、周囲の客たちも「まあ、おもしろかった」という雰囲気でしたが、でも、別にビデオで観てもいいのかも。
 Aはダンナと第一作目は観たようで、私が「あれ観に行きたいんだよ」というと「でも、バカだったよ。たしかに大物俳優が出演してて面白かったけどさ」
 今回も「アメリ」の脇を固めていた役者さんが出ているので、そのあたりの配役の妙がわかる人には面白いかも。(八百屋に苛められてた青年が主役級だし。片腕の無い役者さんとしては驚異的な出世だ。最初なんで、片腕隠してんのかと思ったが「そーいや、アメリにも出てたなあ」と気が付いた)

 そういえば、Aさんに「でも、モニカは私らと、あまり年が変わらないんだよ」と言ったら「え?いくつなの?」「あたしより、2つ下」「・・・・・・」(Aさん、同じ年)

 A嬢は産後2ヶ月経っても、腹回りが全然変化ないので、よくわからない逃避をしており、「ミケランジェロの彫刻みたいになっちゃったよ。あれって、出産経験のある女性なんだよね、きっと。ミロのヴィーナスとかさっ」とキツイ口調で自己弁護していたので、「ミロのビーナスはミケランジェロ作ではないだろう。それに、ミロのビーナスといえば『くびれ〜』だったのでは?」と突っ込めませんでした。
 私は出産経験ありませんが、「くそ〜、このころ生まれてれば、ルノアールのモデルになれたのに」と美術館でブツブツ呟いたりしてますので、人のことが責められません。
12月29日(月)

●花の9連休 第三日目

 「まだ三日目」というと、「まだまだ、たっぷり!」という気がするが「3/9=1/3」と考えると、「前半・中盤・後半」のうちの「前半終了」というような気分になり、数字の見せ方で気分が違うということの基本を考えさせられる。

 昨晩はまた長電話に付き合っているうちに夜中になり、「さって、だからゴディバ食いながら、ハリポタ読むのさ。気が済むまでね」と思っていたら、つけっ放しにしていたテレビで深夜映画が始まった。
 深夜映画をぼんやりと最後まで観るのも「無為なお休み」の楽しい過ごし方である。
 しかも、その映画は以前ビデオで観たことがあった。

 たぶん、十年くらい前の作品で、まだ「新人」だったユマ・サーマンとデ・ニーロの恋愛コメディ・・・・という宣伝だったのだが、これがあんまりコメディじゃなかったんだよな。
 でも、邦題は「恋に落ちたら」という、ラブコメを狙った題名になっていたし、あらすじも「冴えない中年独身刑事が、ひょんなことからマフィアのボスの命を助けてしまい、ボスがお礼に若い女を一週間だけ送りこみ、刑事と女がすったもんだの末に・・・・」とラブコメを強調していた。

 でも、ビル・マーレー演じるマフィアのボスがいったい何の目的でユマ・サーマンをデ・ニーロのところに贈りつけたのかよくわからんのだよ。それが単純明快に「冴えないやつだが、なかなか面白い奴だ。女あげるから、パーっと遊んでくれ」というのでもなさそうだし、観終わったあとに「なんだったんだ?」とよく考えると、やっぱし冴えない中年男に「ほんとの男になってもらうことが恩返し」というつもりがあったような気がしなくもないが、ボス役の感情表現が非常に曖昧で、そのためにコメディ色が薄くなっているとことが残念。

 そんで、そういう曖昧な脚本なもんだから、デ・ニーロ演じる中年刑事のキャラ設定も、イマイチ単純ではなくて、でも、もしかしたら、40歳〜50歳くらいの中年男性が観たら、その微妙なキャラ設定に感情移入できるのかもしれないが、わたし、若い娘だからよくわかんな〜い、と思ったのが10年前のこと。
 だから、こんな映画のことなんか全然記憶に残っていなかった。

 さて、そんなかんじで単に「わ〜、ユマ・サーマン若い〜、かわいい〜」と思ってついつい観てしまっただけなのだが、観ているうちに「そうだ、デ・ニーロとのラブ・シーンもあったんだよな。むふふ」とすっかり酔っ払っていたので、「とっととヤっちまいな」というスケベ根性丸出しにして、真剣に観てしまったのであった。

 最初に仕掛けるのはユマの方で、「とにかく普通のカップルみたいに映画でも観ましょうよ」とソファに座って二人で映画を観ているのだが、デ・ニーロ君は緊張してしまっている。こーゆー演技やらせるとホントに上手いよな、デ・ニーロ。と、私は「来た来た!」とテレビに近づいて(コンタクト外していたので、眼鏡だとあまり視力が出ない)クッションの上に正座して成り行きを見守る。
 デ・ニーロ君が硬直しちょるので、「手を肩に回しなさいよ」と、もぞもぞと肩に手を回すが目が空ろ。でも、ユマの表情をこっそりと伺うが、自分からは何もできない。かーっ、情けないわねえ・・・・とテレビに向かってブツブツ言う私。ついに、ユマがブッチューとデ・ニーロにキス。K−1観ながら応援しているような気分になり、思わずコブシを握って「行け!」とか呟いている私。

 しかし、つくづく「月日の流れ」というか自分が10年前の自分とはもはや別の人間であることがわかりました。
 だって、10年前は「なんなんだよ、このおっさん」とか思っていたはずなのに、今の私は「デ・ニーロ、かわいい!」とか思っちゃったんだもん。ユマに「ほら、ちゃんと口開けなさいよ」と言われ「キスくらいできるよ」とボヤくデ・ニーロの背中さすってあげたくなってしまいました。(まあ、酔っ払ってたということも加算)
 そんで、「愛の行為(笑。ちゅうか、英語で何ていってたのかよく聞き取れず)は2年ぶり」というデ・ニーロは興奮しすぎで、あっさりと果ててしまうのですが、それをフォローするユマが最高。「いいのよ、素敵。私のランスロット卿よ」なーんてデ・ニーロの頭なでなでしながら言うんですよ。オジサン感激じゃないですか。

 この映画、オヤジ相手にエンコーする女子高生に見せて学習してもらったらいいんじゃないかなあ?

 その後、ちょっとまだ戸惑っているデ・ニーロにユマがドバーンと裸を見せて、ちゃんと事を成すことができるのですが、でもやっぱりちょっと「早い」ような描写がされているようなのですが、そんな細かいことに気が付いてしまう自分もアレですが、それにしてもユマは脱ぎッぷり悪いなあ。
 まあ、あれだけスレンダーな人ですから、脱いでも凄くないのかもしれませんが、それにしても、ずいぶんカメラワークで工夫されてました。

 で、デ・ニーロの弛んだ背中がまたいいんですよね。役柄に合わせての体型コントロールがお家芸のデ・ニーロですから、「この弛み方も計算しつくされているのだろうなあ」と堪能させていただきました。
 ちゅーわけで、すっかり浮かれてしまったデ・ニーロが「ジャスト ア ジゴロ」を歌うあたりになぜか共感してしまい、「♪ I Ain't Got Nobody 〜」と歌いながら観ていたのでありました。

 「あたしも年とったもんだ。さて、4時か、そろろろ寝よう」
 と眠って、今日は12時ごろ目が覚めましたが、なんか起き上がる気力ゼロ。なんにもしたくない。
 今日もいい天気で暖かいようだ。でも、なんにもしたくない。
 でも、そうだ、Aさんちのお子様の成長過程を観察する予定だったのだ。
 それも別にどうでもいいっちゃどうでもいいが(他人の子だし)、でも「なんにもやりたくない」の中では「友達のお子様拝見」は「そのくらいだったら、やってもいいかも」という気になったので、昼過ぎに電話して「夕方行く」と告げてからシャワー浴びて支度して、中央林間に行きました。

 夕食の材料を買いにスーパーに寄ると、さすが年末、野菜が高い!
 なので、牛肉で焼肉&おでんという、「年末の価格上昇にあまり影響を受けていない」メニューにしました。

 さて、「急に笑顔を見せるようになった」というAのご子息N君ですが、たしかに以前よりはぐっすり寝てくれるようになったのでかなりラクになったらしい。もう、悲鳴のような泣き声はあまり発さないようです。残念。
 それで時々、まだあまり見えないはずの目で、どこか遠くを見ていました。
 「なんだ、君、自分だけ、なんだかいいビジョンを見て楽しんでるな。ずるいよ、何見てんだよ。おねーさんに教えてよ」と語りかけていました。

 しかし、Aの前では不吉だから言わなかったけど、自分にしか見えないものを追いかけてさ迷う視線と、それを追いかけるような手の動きは、昨年亡くなった祖父がモルヒネでラリって幻覚を見ているらしかった様子とほぼ同じでした。そんで、ときどき「にやっ」と笑う感じも全く同じ。

 「あ〜、人は来たところと同じ道をたどって帰るのだな」と思いました。

 気持ちよさそうにラリって一人遊びしている乳児に「オバ〜ムッシュ」とご挨拶して(一応、半分フランス人。ダンナは一生懸命フランス語で話かけていた。何語を最初に喋るのか大変興味深いというか、勝負だ)夜道をとぼとぼ帰ってきました。

 中央林間まで往復する時間で、ハリポタが半分くらい読み進みました。
12月28日(日)

●花の9連休 第二日目

 朝起きたら部屋に光がビシバシ潜入。カーテンが半分開いていたのであった。
 そんで、どうやら暖かいようだった。
 「大掃除日よりだなあ」と思ったが、思っただけで、布団を蹴飛ばして温度調節をしてまた寝る。

 でもやはり溜まった洗濯物は片付けないといけないので、昼過ぎに布団から飛び出し洗濯。
 なんか以上の記述はいつも同じのような気がするので、辞書登録してしまおうか。ワープロが普及したころには、「うがった辞書登録」がちょっとだけ流行った。

 自分がよく使う用語は登録しておいたほうが便利だが、たとえば私がよく使用する「振り込み手数料」を「ふりこみ」で登録しちゃうと、本当に「振込み」だけ出したいときにも「振り込み手数料」が最初に出てきてしまうので不便。なので、あまり使わない言葉を「呪文」として唱えるのがベターである。
 なので、私が会社で使用しているマシンには、いろいろな呪文が登録されている。

 ふりふり → 振込手数料
 げんげん → 源泉預り金
 ろむろむ → CD−ROM
 にふにふ → NIFTYSERVE利用料(今ではあまり利用されてないと思うが、「解約しますか?」と言っても「まあ、使うかもしれないし」ということで、放置されている。またそのうち確認してみようと思う。そうすると「え、まだ登録されてたの?」なんて言われてムカつくんだろうな)

 こういう呪文はわりかし覚えやすいが、どうもこの「繰り返し言葉」にしておかないと愛着が湧かないようで、「税理士報酬」を「ぜいほ」という呪文にしてみたのだが、呪文の存在をつい忘れてしまうので、ほとんど使っていない。
 暇なときに「辞書登録リスト」を確認してみたりするが、自分で登録したのをすっかり忘れている呪文がズラリと並んでいたりする。

 さて、こんなことを書いているうちに、洗濯は終了。掃除もしよっかな。なんかあんましヤル気しないな。

 そーいや、「恐怖のズンドコって誰が最初に言出だしたのか?」と書いている人がいたので、「やーね、そんなの富司純子に決まってるじゃん。ジョーシキよジョーシキ」と心の中で突っ込みを入れてしまったが、この富司純子という人は、昔は「藤純子」で「緋牡丹のお竜」だったりしたが、歌舞伎役者と結婚して「寺島純子」だったときには「ワイドショーの司会」で、読み方は同じだが「富司純子」になってからは、若手歌舞伎役者の母であったが、今年の主演女優賞を総ナメの勢いらしい寺島しのぶの母でもあることが最近判明した。ってゆーか、「寺島しのぶって誰?」とずっと思っていたのであった。
 とういわけで、よくよく考えてみると、ずいぶん嫌味なポジションにいる人だが、「恐怖のズンドコ事件」でかなり浄化されていると思う。私の世代だと圧倒的に「緋牡丹のお竜」よりも「恐怖のズンドコの人」だもん。

 話は変わるが、少し前から私が通勤で利用している横浜市営地下鉄が「全席優先席」を実施した。「女性専用車両」導入もすでに導入したが、なんか担当者が変わったのか「改革好き」の路線になったな。
 「全席優先席」という意味もよくわからないのだが、要するに特に「優先席」を設けず、「席を譲る」ということをもっと一般化しようというキャンペーンらしい。「女性専用車両」の導入は、朝の通勤時間だけなので、わりと地味というか、私が利用する時間は関係なかったのであるが、全席優先席に関しては、もちろん一日中実施しているので、宣伝も派手。車内アナウンスや構内アナウンスも頻繁。

 そんで、なぜか沿線に住むタレントを総動員して「俳優の○○です。私も全席優先席を応援しています」というアナウンスを繰り返すのでウザい。てゆーか、そんな金があるのならと「財政逼迫してるんじゃなかったのか?横浜市!」と突っ込みを入れた人は多いのではないかと思う。まあ、沿線在住のよしみで安くしてもらったのかもしれないが。
 渡辺裕之、原日出子夫妻などは港北ニュータウンに住んでいるのもテレビでよく紹介されるので、わりと有名だけれども、他のタレントは登場する必然性があまり無いので辛いところ。「モデルのハマです」という子など、いったいどんな顔なのか思い浮かばない。

 そんで、滅多に流れないが、この間一回だけ聞いたのは、名前もチーム名も忘れたが、若向けミュージシャンらしく、「全席優先席 オレ的にも大歓迎・・・・」と詳細忘れたが、「ハッピーなバイブがクールでどうの」とか発言して大人を困らせる窪塚洋介のようなトークで「ウェルカム全席優先席」をアピールしてくれて、「とほほ」であった。

 おバカなお役所仕事はまあ、いつものことですが、車内に「全席優先席」がバシバシ貼られているのだが、ふと、その英語表記に目が止まった。

 Be Courteous and Give Up Your Seat  

 Be Courteousって電車内に貼られているっていうのもかなりの「余計なお世話」だな、と思ったが、「へえ〜、席を譲るって英語だと Give Up なんだ〜」と初めて知った。
 でも「ギブ アップ」っていうのは、すでにカタカナ英語になっているので、「Give Up Your Seat」という表現の意味はわかるけど、なんだかピンと来ない。
 「ギブ・アップ」というのが「名詞」として認知されているので、「命令形」という気がしないのだ。命令形にする場合には必ず「ネバー」をつけなければならない。

 なので、電車内に沢山貼ってある「Give Up Your Seat」のステッカーに「Never」を書き加えたくてうずうずしてしまった。そのうち、通学途中の高校生あたりが行動してくれるのではないかと密かに期待しているが、彼らが果たして「ギブ・アップの枕詞はネバー」というマインドを持っているのかはよくわからない。

 ところで、Give Up Your Seatって英語ではメジャーな言葉なんだろうか?と思って検索したら、なぜか「タイタニック・ジョーク」が出てきた。
 この「ギブ・アップ」の使い方だと納得できるなあ。「救命ボートの場所を譲ってください」=「あきらめてください。あなたの人生を!」ってことだもんなあ。

 人間を国で区別するのは大雑把すぎるとは思うが、こういう「お国柄ジョーク」はわりと好きだ。
 「この世に存在しないもの」として「ドイツ人のコメディアン、 イギリス人の音楽家、アメリカ人の哲学者、そして 日本人のプレーボーイ」というのは有名だが、これを知ったときに、個人的には「イギリス人の音楽家」に納得がいかなかった。もちろん、クラシックのことを言っていたのだろうけど、私が所持しているレコードの大半は「イギリス人の音楽家」によるものだったからである。自分では一枚も所有していなかったけど「ビートルスをどうすんだよ」って思った。

 あと超有名なジョークが「アメリカ人のサラリーをもらい、英国人の家に住み、中国人のコックを雇い、日本人の妻を持つ」というのが世界中の男の夢なんだけど、ちょっと間違えると「中国人のサラリーをもらい、日本人の家に住み、英国人のコックを雇い、アメリカ人の妻を持つ」という最悪の事態になってしまったりするというオチ。

 これも「英国人の家」というのは、イギリスに行ってみるとわかるが意外と質素。ただ、大邸宅に関していえば「英国のお屋敷」というのがモデルになっているんだろうね。特にアメリカの富豪が郊外に建てる家っていうのは、かなり英国領主風のようだ。映画でしか観たことないけど。

 それで思い出したけど、イギリスの郊外住宅ってなぜか「2軒がくっついてる方式」なんですよね。
 日本でも、ああいうのは「テラス式集合住宅」というのか、4軒くらいくっついている団地が昔流行ましたが(私が育った地域にそれの発祥になった団地があった)まあ要するに「2階のある長屋」でした。
 で、イギリスの郊外住宅に関していえば、なぜわざわざ二軒をくっつけるのかよくわからなかった。別に、もうちょっと離してもいいじゃん。けっこう余裕のある建て方をしているので、隙間を2メートルくらい開けても問題なさそうだったのだが、くっつけた方が建設費が安いとか(たしかに窓は少なくなる)そういうことだったんでしょうか?

 逆に、東京で最近多い、「ペンシルな3階建て住宅」は「いっそのこと2軒くっつけてしまえば?」と思います。どうせ隣と接しているところは日が入らないんだから、壁にしたほうが50センチくらい広くなるじゃん?まあ、風通しとかを考えたら、やはり壁じゃないほうがいいのかもしれないけど。ぎっちぎちに5軒くらい並んでいると、「全部くっつけてしまいたい」と思ってしまいます。

 さて、他人が当選したけど奪い取った、忘年会の景品の「ゴディバのチョコレート」をかじりながら、ハリポタ読むかね。(極上の時間ってかんじ)
12月27日(土)

 支払も納税も金曜日に済ませ、これで予定通り「9連休ゲット!」
 こんなに長い休みは滅多にない。というか、今の会社に入ってから初めてだと思う。

 それに浮かれてしまって、ついつい忘年会のあと、2次会に行ってしまい(どこも混雑して場所確保に苦心した)、2次会が終了したのが11時半くらいだったが、「今、タクシーに乗るにしても混んでそうだなあ」と思って、ついうっかり3次会のカラオケまで行ってしまった。

 2時過ぎに店を出て、タクシー乗り場まで歩いていると、雨がだんだん重くなってきて「これ、雪じゃん?」「まだ、みぞれだろう」と言いながら、タクシー乗り場に着くが、いつも大量に並んでいるタクシーの姿が消えていて、びっくりするが、それでも、10分くらい待っていたら、なんとか乗れて、走っているうちにいよいよ「雪っぽく」なり、タクシーが第三京浜をぶっとばしているときには、フロントガラスに「かなり雪」なものが叩きつけられ、ちょっと心配になったので運転手さんに「こういう天気のときには、運転も気を使いますよね?」と話し掛けてみたが「まだ路面が濡れているから、そんなに滑んないんですよ」と言われてちょっと安心。(乾いている路面に急に雪が降ったときが危ないそうだ)

 というわけで、「わ〜い、わ〜い、9連休」は、雪と共に来ませり、という不吉なスタートになった。
 そーいや、明日から平年並みに冷え込むとか言ってたような気がする。せっかくのお休みなのにい。
 家に帰ると、もう3時半近く、「ああ、もう4時になっちゃうよ」と思いながら寝支度。そんなに飲まなかったような気もするが、飲んでいた時間が長かったので、それなりに飲んだな。

●花の9連休 第一日目

 目が覚めたら10時だったが、水分補給してまた寝なおし、昼過ぎまでぐったり。5時にきょうみさんと待ち合わせしたので、3時前にやっと布団から抜け出してシャワー浴びて、頭乾かして4時前には支度が済んだので、図書館に寄る時間ができた。まだ「秘密の部屋」が手付かずなのに、「アズカバンの囚人」が届いてしまったよ。
 次回作を待ち望むリアルタイム読者(って言っても日本人はかなりタイムラグがあると思うが)にとっては羨ましい状況なのかもしれないが、なんだかちょっとプレッシャー。
 あ、でも、別に読まずに返して、また借りてもいいんだよな(笑)
 な〜にも、焦ることないじゃあないですか。

 そんで、都内某所できょうみさんを待つと、Yも来た。久しぶりに会った。彼女は今年の4月から学校に通っているのだが、若い子が多いので、なかなか面白いらしい。
 ま、そんで、喋って飲んでお茶して帰った。「また、来月よろしく〜」
 1月後半にまた香港にお邪魔する予定(というか、もう航空券は発券済み。安いチケットなので変更不可)なのである。

 そんなわけで、今日は「友達と会う約束」があったので、なんとか外出したが、明日以降は引き篭もってしまうかもしれない。Aが「子供がいきなり笑顔を見せるようになった。かわいいから見に来てね」というメールをくれたので、ぜひ拝見しに行きたいが、どうなることやら。
 あ、それ以外にも、せっかくの連休だけど年末年始でもあるわけで、当然のことながら実家にも帰らなくちゃならないなあ。ヒッキーごっこしている場合ではないな。

 昨日の忘年会の2次会で「お子様の話」になり(私の隣に座っていた人が来年1月に女の子誕生予定だったので、めいっぱい話しを振ってあげたのであった。だって、その人、うちの役員なんだも〜ん。世渡り上手なのである)ちょうど、横にお子様2名のいるオジサマ社員がいて、その人の娘さんとは社長宅でのBBQ大会でお会いしたことがあったので、「Rちゃん」の話になった。

私 「そーいや、TさんとこのRちゃんって何歳でしたっけ?」
T 「7歳だよ。その下に男の子がいて、そっちが3歳」
私 「そっかー、私、わりとRちゃんのこと好きなんですよ」

 (ちなみに、私とTさんはこの会話をしていたとき、お互いにかなり酔っ払っている)

T 「いや、うちのRもね、BBQのとき、ミヤノさんに構ってもらって、ほんとに嬉しそうだったよ。」
私 「そういってもらえると、うれしいなあ。いや、なんかRちゃんって私が子供のときに似てるような気がするんで」
T 「そうなんだ。Rはけっこうああ見えて、他人の反応をうかがっているというか、自分が受け入れられているか、すっごく気にしてるんだよね」
私 「あ〜、わかります、わかります。けっこうハイテンションな子だけど、あれでけっこう気が小さいんですよね。なんか、そういう気分もよくわかるんです」
T 「うん、だからそういうのわかってくれる人がいるとRも嬉しいんだろうね」
私 「でも、娘のそういう気持ちをちゃんとわかっているTさんも凄いですよ。Tさんってほんとにいいお父さんなんですね。」

 すごく不気味な「酔っ払い同士の誉め殺し合い」でした。
 でも、けっこう気持ちよかったので、Tさんが潰れて寝ちゃうまで、ずっとやっていたのでありました。
12月25日(水)

 今年のクリスマスの計画が台無しになった。
 土壇場で彼氏と別れたとか、残業でクリスマスディナーを逃したとか、そういうことではないのですが。
 「クリスマスには、ケーキでも買って、それを食べながらハリポタを読もう」というささやかな計画があったのです。そのために、先日借りた「秘密の部屋」は読まずに我慢していたのに。

 なんだか、ずいぶんなクリスマスの計画ですが、これでもいちおー、「クリスマスのお誘い」はあったのですよ。かみちゃん(♀)が「アエラさん(♀)ちで、クリスマス会やらない?」とメールくれたのですが、今年は暦的にクリスマスが「仕事納め直前」なので、女友達の家でのんびり過ごすっていってもなあ、と思って辞退したのでした。(「忘年会にしてくれ」と返事)

 朝日新聞の記事でも「今年のクリスマスはホテルが苦戦」と伝えていて、「売れ筋が見つからない時代」が云々となっていましたが、でも、水曜日がイブで、木曜日がクリスマスだと、金曜日の仕事納めの日は挨拶周り等で、ろくに仕事ができないので、どうしても木曜日はちゃんと仕事しないといけないわけで、そうなると、あまりディープなデートしている場合ではないだろうと思うので、気持ちに余裕のあるカップルだったら、今年無理してゴージャスなクリスマスをやるよりは、今から来年の予約をしておいたほうが無難でしょう。(来年のイブは金曜日)

 というわけで、昨日は6時半くらいに帰り支度をしていたら、上司が「ミヤノさん、ひょっとして、帰るつもり?」とボソっと話し掛けてきた。
 どうやら、また社長が飲みに行きたい旨を表明しているようなのである。「う・・・」と思ったが、しかし堂々と「予定あるんで」と言えなくて、「いや、別に、クリスマスな予定があるわけではないっすけどね」と答えたら、上司は「今日は誰もいないんだよ〜」とボヤくので「いいですよ、行っても」

 ちなみに昨日のイブは、クララはお休み、ハイジはとっとと帰ったので、あと残るは私と総務の女子社員2名。
 うちの会社はフレックスですから、朝早く出勤していない人はすなわち「予定無し」の表明でもあります。
 しかし、たしか去年も「残るは若い女性ばかり」という状態になっていて、社長に「うちの会社の女性はモテないのか?」と笑われてしまったが、今年も・・・・・

 上司も去年はさっさと帰ったのですが、今年は上司の奥さんが「クリスマスよりも、正月だ!」という状態になっているようで、夕飯に間に合うように帰宅しなくてもいいらしい。というわけで、社長、総務部長、私、他2名という構成で和食屋に行きました。なんだか「単なる総務部の忘年会」という風情です。
 まあ、そんで社長がガンガン日本酒を飲むので、お付き合いしていたら二人で8合くらい飲んでしまった。
 そんで、みんなで地味に「すきやき」を食べました。

 で、なんだかその後、カラオケ屋に行って、懐メロ歌いまくりました。
 家に帰ったら、もう1時を過ぎていました。
 なんだか、クリスマスという行事が本当に存在するものなのかどうか、見失いそうでした。

 そんで、今朝起きたら、またしっかり顔がムクんでいて、定番の「寝不足&二日酔い」でしたが、なんとか頑張って10時には出勤。

 どうやらハイジは昨日、第九を聴きに行ったようです。ずいぶん前に「クラシックなんて行ったことないけど、いったいどの席がいいんだ?」と、クララに相談していて、クラシック愛好家であるクララに手伝ってもらってチケットをネットで予約していましたが、その時には「ああ、イマドキ、年末に第九行きたいなんて言うカノジョが存在するんだなあ」と思ってましたが、まさかイブだったとは。
 私の中では、ハイジの株が260円くらい上昇しました。

 しかも、驚いたことに、休みをとっていたクララも別の場所で第九を楽しんでいたらしい。
 「第九」が二名と、「社長とすきやき」が四名だった、総務部のクリスマスイブでした。なんだか、味わい深いね。

 親会社の経理のベテラン女性社員が今年いっぱいで退職することになり、総務部社員一同で花束を贈ろうということになり、今日の午後、明日の忘年会の賞品の買出しに行った人が、花束を買ってきてくれました。
 「じゃあ、これ。」と渡されたので、「ありがとう〜、今までお世話になりました〜」と言って「退職ごっこ」して遊んでいたら、それを横で聴いていた上司が「おいおい、今、そんなことになったら大変だよ」

 私「まあ、たしかに、Oさんが年末年始10連休とるのは難しくなるかも(笑)」
 上司O「想像したくないよ、マジで」
 同僚K「そうなったら、どうなっちゃうの?うちの会社・・・」
 私「いや、私がいなくたって別にどうってことは・・・・」
 上司O「ミヤノさんが辞めたら、オレも辞める」
 私&同僚K「あはは、そう出るかあ?」

 いい上司に恵まれて幸せでございます。
 まあ、単に数年前までは自分がやっていた仕事をもう二度とやりたくないだけとも言えますが、そう考えるとイブに私が自分の目の前で大酒飲んでいた光景は上司に多大な「安心」を与えたのでしょう。ちっ

 そういや、その親会社の社員の退職後に後任が配属されるのか誰も知らないので、冗談まじりに「こっち(子会社)から引き抜いちゃったりして(笑)」と昨日の飲み会で喋っていたら、上司の顔がマジに曇り、「そんなの絶対ヤダ」
 でも過去にも、親会社が新卒の採用のときに「不合格」にした社員をうちで採用したら、彼がその後「たいへん使える社員」に化けたので、親会社が「あっの子が(いまさら)ほっしい♪」と言ってきたことがあって、「冗談じゃねーよ」と今だに語り草になっておりますが、「そういうこともあるかもね」と盛り上がっていたら、上司は、

 「も、もし、そんなことになったら・・・・・誰かが行かなければならなくなったら・・・・オレが行く!」

 上司以外の全員爆笑。

 私の上司はナチュラルに他人を持ち上げることができる稀有な才能を持っているので、そばにいると、いろいろ勉強になります。
 まあ、そういうわけで、「クリスマスはハリーとラブラブ計画」は成し遂げられませんでしたが、なかなかよいクリスマスでありました。

 明日は忘年会なので、今日は休肝日。明日を乗り切れば、珍しく長期休みだ。休みは嬉しいけど、年明けがキツそうだから「月曜日あたりに出勤しておこうかな」と思ったのですが、やっぱせっかくだから休むだけ休んで、後で苦労する道を選びました。とりあえず、決算も無事に終わり、年内にできる仕事はできるだけ片付けておいたし、ハイジに請求書発行の仕事も押し付けたので、なんとかなりそうです。

 苦節4年で、やっと目標だった「お気らくOL人生」に近づいてきました。
 もちろん、来年の目標は「今年こそ痩せる」です。

 ああ、なんだか「平凡」な自分の人生がとてもうれしい今日このごろ。でも、この「ごきげん」が実は「ここんとこ、妙に暖かい」という気候との連動であることも重々承知でございます。「みっつのしもべ」も暖冬のせいで今週はしゃっきりしてます。わかりやすくてよい。
12月23日(火)

 出勤。掃除機かけてから、せっせとお仕事。なんとしてでも「仕事収め」を26日にするのだ。

 さて、ひょんなことから「高橋幸宏のオールナイトニッポン」のことを思い出し、「そ〜いや、あれの最終回を録音したカセットテープは今だに大事に保存しているが、かれこれ10数年くらい風を通していないぞ」ということも思い出しました。

 そしたら、急に自分が今のステレオを買った理由も思い出しました。「そーじゃん、そういうお宝テープが劣化する前に、デジタル化しておこうと思って、わざわざMD付のを買ったんだよ!」
 ステレオを買ってから2年くらい経過しています。ああ、なってこったい!

 つーわけで、今まで全然使用しなかったMD機能を急遽使用することにして、帰りにスーパーで生MD(っていうのか?生テープって言ったよね、たしか)を購入して、さっそくお宝テープを発掘いたしました。発掘っていうか、何年か前にちゃんと整理して不要なもの(CDでも買えるような音源)は、ほとんど破棄して、レアもの(違法なライブ録音等)だけを箱に入れてあったのです。そこまでやったところで気が済んでしまったらしい。

 さて、「幸宏のオールナイトニッポン」のテープは3本ありました。あの番組は急に「あと2回で最終回で〜す」と告知したので、それまでの放送もけっこう録音してあったはずですが(なにしろ、深夜だから聴いている途中で寝てしまったりしたのだ)、あのころは今よりも財力が無かったので、テープは使い回し。それも2時間番組を録音するために、もっぱら120分テープを使用していたので、何回か録音再生を繰り返すとノビちゃうんですよね。120分テープは薄いから弱かったのです。

 なので、残った3本のテープの保存状態も心配だったのですが、ちゃんと90分テープに入ってました。それは「録音中に神経を尖らせ、ちゃんとCMを抜いた」ということを意味します。あたしったら〜〜〜〜〜〜。しかも、ちゃんとタイトルが丁寧に記入してあり「これは後世に残す」と決意した気持ちを思い出して、涙・・・・・。しかも、ちゃんと放送日も記入されていて、それが「1983年」だったりするあたりも、涙・・・・・・ああ〜17歳〜♪
 私にもそんな時代があったということの数少ない証拠だな〜。

 しかも、なんということでしょう。3本のうち1本は最終回一歩手前の「クリスマス・スペシャル」で、それは12月20日。ほぼ「20年前の今日」ってかんじです。今日は早速、こっちをMD録音しつつ、聴いてみることにしました。

 ちなみに、テープには「ゲスト出演者」の名前も列記されており、S.E.T、加藤和彦、ピーター・バラカン、ディヴィッド・パーマー(YMOの散開ライブでもドラムを叩いた元ABCのドラマー)、トシ矢島、ティナ、ジャッキー(誰?モデル?コーラスの子?)&高橋信幸(幸宏の兄)という豪華キャスト。涙〜〜〜〜〜〜

 いや〜、なんだか「タイムカプセル」みたいなシロモノですね。
 20年前に大事に埋めたものが、こうして目の前に蘇る!17歳の私から、37歳の私への最高のクリスマスプレゼント!(なんかジンマシン出そうな表現)
 しかも、けっこうちゃんとした音質です。主に喋くりまくっているのは、20年前には何歳だったのかわからないが、今とあまり声も変わらない三宅裕司だったりしますが、時折、「大久保林さん」こと景山民夫が口を挟んでいて、涙〜〜〜〜。しかも「結婚披露宴でやっちゃいけないこと」というお題で「セックス!」というベタなネタを披露しています。あと「タモリ倶楽部2時間スペシャルがあるから忙しいんだオレは」などとボヤいています。涙〜〜〜〜〜

 でも、実は内容のほうは、大の男が数人集まって「楽屋おち」というか「ただの雑談」でお茶を濁しているだけで、キレはないのですが、でも、ほんとに、ただひたすら懐かしいなあ。
 というわけで、20年前の放送を聴きながら、感激しつつ書いておりますが、そういえば、滝本竜彦の「超人計画」は読み終わりました。

 なんか最近「モテない」というのはトレンドなんですかね?私が大学生のころは、どうだったのか全然思い出せないが、でも、あの当時は「デート・マニュアル」の全盛期で、「モテる」とか「モテない」よりも、「なんとかデートまで持ち込んで、いかに落とすか」に主眼が置かれていたような気がするけど、どうだったんだっけ?

 そう思いながら、近所の本屋をブラつくと、「モテない」関連本が増えたような気がする。
 ホイチョイ・プロの「東京 いい店 やれる店」がデート・マニュアル本の頂点(というか、絶頂期をパロったもの)であったとしたら、あれ以降、時代は「ヤレる」から「モテる」に移ったんですかね?

 どうも、その時代の差なのか、「モテない」という意味が私にはよくわからないのです。
 「彼氏や、彼女ができる」というのと「モテる」というのは別だと思ってしまうのですが・・・・。

 まあ、その辺はよくわからないのですが、この「超人計画」は作者の滝本竜彦の「美麗写真満載」で、かなり写真写りがいい人みたいで、わりとハンサムだと思うのですが、その彼が「彼女ができない」っていうのが売りなのかな?よーわからん。というわけで、「イマドキの若者は何を考えているのかよくわかりません」というオバさんっぽい感想文になってしまいましたが、この人の「キノコ体験」が私もかつて体験して「も〜こりごりです」という体験と一番似てました。そこだけちょっと共感。
 この本はエッセイなので、今度はNHKがどーのこーのという題名の小説も読んでみましょう。
12月22日(月)

 図書館で読みやすそうな本ばっかり借りてしまったので、ついつい深夜まで読みふけってしまいました。
 ナンシー関の「サッチーVSミッチー騒動近辺」の本を読んでしまったのですが、今朝、目覚ましでたたき起こされ、寝不足の目をこすりながらワイドショーを観ていたら・・・・・ああ、またヤワラちゃんか・・・・・この間は豪華挙式で、今度は豪華披露宴なのね・・・・と、必死で頭を真っ白にしようと思ったのですが、前日にナンシー読んじゃったせいで、感化されてしまったらしく、どうしても何か言わないと気がすまない状態になってしまった。

 つーか、ナンシーも再三繰り返しているけど「放映するほうも問題だが、観なければいいじゃんっていうのもごもっとも」なのであるが、でも、それでも、「いったいこれって、どういうニーズがあるのだ?」と思わずにはいられない。みんなほんとうに、ヤワラちゃんのドレス姿を観たいのだろうか?いや「みんな」とは言わないが、いったい日本全国でどのくらいの人数がこの映像を楽しんでいるのだろうか?

 ・・・・うーむ、なんか言いたいのだが、言葉が出てこない。ナンシー関はなかなか憑依してくれないようである。憑依されても困るが。
 でも、「ヒロスエできちゃった婚」を観ていても「ふーん」と思うだけだが、なんで「ヤワラちゃん豪華挙式」を観ていると、これほど平常心を失うのか自分でも納得のいく説明を考えないと、なんだかトラウマになってしまいそうだ。

 たぶん、普通に考えると、「ヤワラちゃんの結婚を日本国民全員が祝福」っていうムードをテレビ局が前面に押し出すのが嫌なんだろうな。そういうのは皇室関連のお祝い事でもそうなんだけど、でも、彼らはそれが仕事だから、なんとなく勝手に「嫌々やってんだろうな」と思っているのだが、そういう予定調和が「ヤワラちゃん」には無いのだ。本人が心から「これでいい。これがやりたかった」というかんじなんだもん。

 あの感じというか、マスコミもこぞってそれを増幅する様子は、はっきり言って某国家の独裁者とそのお抱えマスコミみたいで気色悪いのだが、たまたま最近は「イラク」のほうにニュースが偏っているので、視聴者が「もう、ほんとにきれいですよね」という芸能レポーターのコメントの後に「偉大なる首領様」という某国アナウンサーの様子を見比べて「あれ?」と思うことがないのが残念である。

 いや、そんなヤヤこしいことを言いたいわけではなくて、「ヤワラちゃん、君は柔道家なのであって、ダイアナ妃ではないんだよ」と言いたいだけである。
 激しく勘違いしているとしか言いようがないけど、でもそう考えると美空ひばりが亡くなり、山口百恵がその後を継いでくれず、松田聖子じゃちょっと、でも広末涼子もどうなるんだ?と芸能界が女性大スターをつくりあぐねているところに、田村亮子はすっぽり収まっちゃったなあ。
 こうなったら、高橋尚子も豪華挙式しよう。(とりあえず、アテネで勝ってからね)そうすれば、こっちも慣れるから。慣れちゃえば、こんなのどーってことないさ。
 銃弾の音で目が覚めるよりも、ずっとましだ。(比べるなって)

 そういや、ヤワラちゃんの影で軽い扱いを受けていたが、奥菜恵もかねてから噂だった「ITベンチャー社長」と婚約だか結婚だかしたそうだが、スポーツ新聞の見出しが「100億」だったそうで、ワイドショーでも「お金持ちと結婚!」と言っていたっけ。
 でも「100億」と詠われているのは、その会社の「年商」らしいんですが・・・・・
 なんか私が「年商」と「年収」聞き間違えたかしら?でも、日本で「年収100億」の人なんてほとんどいないでしょ?
 まあ、たしかに「年商100億」というのは、それなりに評価できるのかもしれないが、でも「年商」で判断するのってずいぶん大雑把だなあ。もっとも、すでに「ITベンチャーの旗手」として注目されている人らしいので、その業界に詳しい人だったら説明不要なんだろうけど、その会社がどんな仕事しているのかもよくわかってない人までが「年商100億!すっごいですねえ」と言うのは早合点だと思う。

 まあ、そんなこともどうでもいいんですけどね〜
 てゆーか、朝のワイドショーのことしか書くことがない自分の人生がこれでいいのかが気になってきた。
 明日も仕事だ。会社の掃除機がけをガンバロー。
12月21日(日)

 こんばんわ、オルグ・・・じゃなくて、モルグ・・・・でもなくて・・・・モーグル?・・・・でもなくて、

 こんばんわ、マグルみやのです。(限界までひっぱりました)

 先日、ムーミンを借りるつもりで図書館の児童文学コーナーを眺めていたら、ハリポタが書棚に置いてあるのを発見し、「そろそろ読んでみるか」と思って「賢者の石」を借りてきて、昨日の夜から読み始めたところ、ドップリとハマって、深夜まで読みふけり、今朝起きてから一気に最後まで読みました。

 いや〜、やっぱ面白いですねえ。自分も子供のころは「魔法もの」大好きだったしなあ。「ひみつのアッコちゃん」とか「魔女ッ子メグ」とかさあ。みんなで自宅から箒を持ち寄って「魔女ごっこ」とかしたもんなあ。

 そもそも「お迎えが来る」という設定も大好きで、よく親に説教されてイジけると、「あれは本当のお母さんじゃないんだ、きっとそのうち、立派な車に乗った執事がやってきて『お嬢様、お迎えに来ました』って言うんだ」と現実逃避してましたが、「実は本当の両親は魔界の人で・・・・」っていう空想もお気に入りだったな。「体のどこかに魔界の印があるのではないか?」なんて鏡で背中を映してみたりしました。

 ディティールが細かく描かれているので、「こりゃ、子供が何回も読み返すきもちよくわかるわ」と感心いたしましたが、魔法学校はパブリック・スクールが元ネタになっているので、「寄宿舎もの」に弱いお姉さんの心も鷲づかみなのね。そんで、ミステリー小説の基本もちゃんと押さえてあって、最後にはどんでん返しまで用意されててサービス満点。
 雰囲気としては「児童文学」というよりも、「子供でも読めるパトリシア・コーンウェルの『検死官シリーズ』」ってかんじ。

 でも、なんだか、みなしごの少年が引き取られた家庭でシンデレラのごとく苛められ、自己防衛のために紡ぎだした空想の世界ってかんじもするので、そう考えると「なんだかなあ〜」とも思いますが、まあそういう捻くれた感想はすでに語り尽くされていると思うので(貧乏なシングルマザーが書いた「血統至上主義」小説というような感想文はよく見かけたような気がする)置いておいて、今日はいそいそと図書館に行って、「秘密の部屋」を借りてきました。

 でも、こういう「自分は現実世界になんとなく馴染めないので、実は別世界(魔界だったり上流階級だったり)の人間なのでは?」ていう感覚って、みんな体験するものなんですかね?それだけでハリポタが世界中で売れているとも思ってないけど、この設定にときめく人が多いってことは、やっぱそうなのかな。
 そんで、ポッター君に「お迎え」が来たのは11歳の誕生日でしたが、やはり自分が「ああ、お迎え来ないかなあ」と本気ではないにせよ、夢想した年頃っていうのは10歳前後だったような気がする。第一次反抗期のちょい手前くらい。

 「幼児」という時期を抜けるときに、現実の厳しさを予感して逃避したくなっていたのでしょうか?
 「ハリポタ第一巻」を読んでちょっと不穏に思ったのは、「マグルの世界」=「現実世界」を徹底的にこき下ろしているところです。ハリーにとっての「マグルの世界」の窓口がどーしよーもない最低一家として描かれていだけで、他があまり描かれていないのですが、「マグル界」と「魔法界」が完全に分離しているのがちょっと気になる。

 あまり自分が他に読んだ「魔界もの」を具体的に思い出せないのだが、たとえば「魔女ッ子メグ」なんかは、魔界の継承者候補が「人間界で修行する」という設定だったし、他の魔法ものでも、「人間世界との共存」というのが定番だったような気がする。ほら、その代表が「魔女の宅急便」でしょ?
 でも、ハリポタで、魔法学校に行って最終的に何を目指すのか、それが今のところ見えてこない。卒業生たちは、魔法省やらドラゴンの研究など、それなりに魅惑的な職業についているようですが、人間社会で就職する道は今のところ提示されてないなあ。まあ、そのうち、そういう話も登場するのかもしれないが。

 そういう解釈をしてしまうと、ハリー君は「魔界」に精神的にどっぷりしてしまうと、人間社会とは一生隔絶して生きることになってしまいそうなので勝手に心配しておりますが、私のような変な解釈する人向けには、ハリー君の人間界での養い親はもっと「いい人たち」で、貧しくともなんとかやっかい者のハリー君を養って、学校でもちゃんと人気ものだったけど、魔法界からお迎えが来ちゃったんで「ぼく、ちゃんと勉強して立派な魔法使いになって皆さんに恩返しします」とか言ってくれると、人間界で細々とOLやっているお姉さんも、「あたしもがんばっているんだから、ハリーもがんばってね」と心から応援できると思うのだが・・・・

 さて、図書館でも「年末進行」のため、貸し出し冊数が増え、期間も「1月10日まで」になっているので、やっと世間に迎合して「ハリポタ」を読んでいる自分に勢いをつけて「わりと世間で話題になった本」を借りてみました。ここらへんの気分も「ちょっとマグルの世界と迎合してみっか」なエリート意識ぷんぷんですが(笑)、でも、ナンシー関の本を二冊も借りてしまうあたりが、ちょっとな。

 でも、他にも「軽く読めそうな本」として、滝本竜彦「超人計画」とか、田口ランディとかも借りてみました。どうなんだろーね。
 あと、佐藤雅彦&竹中平蔵の「経済ってそういうことだったのか会議」とか。

 先日も「アルゴリズム体操がお気に入り」と書きましたが、あれも佐藤雅彦のお仕事と知って愕然。
 私はなんだかとっても佐藤雅彦の存在が気に入らない。
 それは、中学校のときに「ぷちつっぱり」だった男子とかなり反目しあっていたが、実はけっこう好きだったときのような「居心地の悪さ」を感じるからだ。
 「くっそ〜、こいつ許さん!」と思ってはいても、気がつくといつも手のひらの上で踊っているのである。♪カロ〜ラUにのって〜とか、♪団子三兄弟とか、カラオケで歌ってしまいましたから。
 顔が好みだということも、気にいらない。あれで、もっとブサイクだったら、もうちょっと寛大になれたのに。
 それに、「まさひこドット・コム」のページが超いじわるページというのも気に入らない。クリックしようとすると、逃げるんですよ、まったくも〜。工事中のページまで泳がして、インチキ金魚すくいか?って怒り心頭。

 この複雑な感情を説明するのには「ハリポタ」に登場する、なぜかハリーを憎んでいる「スネイプ先生」がちょうどいいだろう。私には「スネイプ先生」の気持ちがよっくわかるわ。佐藤雅彦がうちの会社の経理課に配属したら、たっぷり苛めてやるもん。「あ〜ら、貸方と借方もわかってないの?おっほほほほほ〜」って。でも、佐藤雅彦は、三日で全部覚えちゃいそうで悔しい。

 もっと単純に「いつか、佐藤雅彦が花束を持って私にプロポーズしてくれるの」とか夢想できればかなりラクなのだが、ついつい「いつか佐藤雅彦が没落して、物乞いとかするようになったら、缶からに一万円札投げ入れてやる」と夢想してしまうのだが、なかなか没落しそうにもないので(あれ系のクリエーターとしては考えられないような長寿。糸井重里だって、一時はもっと地味だったのによ)私の夢はなかなか、かないそうにもない。

 せめて、佐藤雅彦の頭をピコピコハンマーで100回くらい殴打させてほしい。まあ、そうすれば気が済んで、「アルゴリズム体操」もきっと優雅に踊れるであろう。それでもなんだかすっげえ悔しいのだけれど。
12月20日(土)

 師走の雰囲気にのまれ、なんだか精神的にずっとスキップらんらんな一週間だったので、それなりに疲れていたらしく、昨日はボージョレー飲みながら日記書いているうちに、わけわからんようになってしまい、またテレビつけっ放しのまま(タモリ倶楽部を観ようとねばっていたらしい)寝てしまって、朝の5時に起き上がってテレビと電気を消して寝なおうそうとして、「でも、そんなに飲んでないよな」と思ってボトルを確認すると、半分くらいしか減ってなかった。

 この前は同じやつを平気で一本空けたのに、やっぱ疲れてたんだな。あと、出血多量というのも加算。

 そんなわけで、変な夢を見た。忘れないうちに書いておこう。
 昨年亡くなった祖父が登場した夢だったのだ。
 祖父が夢に登場するのは大変珍しい。

 家族で祖父宅に集合しているのだが、なぜか祖父の家の居間は壁が全部「バー状態」。
 要するに、作りつけの棚の中にびっしりと酒瓶が置いてあるのだ。そんで、父が片っ端から試飲している。
 私も飲んでみたが、けっこう美味い洋酒が揃っていて、「こういうのの情報って、どうやって集めるの?」と聞くと、「インターネットとか雑誌とか、まあいろいろな」とか言っていた。

 そんで、母が車で送ってくれることになり、渋谷方面に走ってたら、マラソン大会のため、駅のそばで通行止めになったので「いいや、もうすぐ駅だからここから歩いていく」と降りて、別の道に迂回すると、そこは踏み切りで、渡ろうとしたら係員がすっ飛んできて「こちらへ!」と線路脇に誘導され、そこにはバンが止まっていて、その中に押し込まれる。
 どうやら、電車を止めずに選手が踏み切りを通過できるようにするための対策として、邪魔な通行者を車で輸送しているらしく(どういう理屈なのかよくわからないが、その時は納得した)、電車が来る前に車を移動させなければいけないのだが、なんだか足がもつれてちゃんとバンの荷台に乗ることができなかった。

 すったもんだやっているうちに、なんとなく場面転換。
 どうやら青山の骨董どおり付近で、我が家の面々はバスを待っている。ちょうどバスのルートが分岐するあたりで、「あ、あっちから○○行きが来た、じゃあ、私はこれで」と乗っていってしまったが、私と祖父だけが取り残された。
 祖父の家のそばを通るバスがなかなか来ない。とうとう祖父は「じゃあ、タクシーで帰るよ」と言い出したので、道に乗り出してタクシーを捜すが、車がスピードを出す大きな幹線道路だし、高速の入り口も近いので、タクシーが捕まらないし、そもそも空車も来ない。

 少し移動して、タクシーを捕まえやすそうな通りに出るが、そこには若い人が5人くらい等間隔で立っており、みんなタクシーをつかまえようとしているのでライバル多し。
 祖父に「年末だから空車が少ないんだね。もうちょっと我慢してね」と話し掛けていたら、若者の一人が「あっち方面に行くのなら、あっちの角のほうがいいと思うよ」と声をかけてくれて、ヨタヨタと歩く祖父を支えながらそっちに行くが、道に迷ってなんだかオシャレなビルの中に迷い込み、祖父をイデー製っぽいおシャレなソファに座らせて「ちょっと道聞いてくる」と言ったのだが、ビル全部がイデーのカフェみたいな内装で、その中にポつねんと取り残された祖父がなんだか可愛かった。

 変な夢だったが、なにが変って、祖父はたまに小さな缶ビール(よく試供品で配るサイズ)を飲んでいたが、それ以外には付き合い程度にしか酒を飲まない人で、「祖父の洋酒コレクション」などあり得ないし、母が車を運転していたが、母は免許を持っていないので、後で考えてみると、かなり変な夢。祖父のコレクションを片っ端から飲んでいた父だけが現実を踏襲したキャラだった。

 そうだ、その夢の中で「インターネットで・・・」と言っていた祖父は「ゴーグルで検索とかしてる」と発言していて、「おじいちゃん、グーグルって言うんだよ」と言おうと思ったが「まあ、いいや」と思って黙って拝聴していたのだった。

 祖父がもう少し若かったら、けっこうパソコンにハマッたのではないかと、ずっと思っていたので、亡くなった1年後にこんな夢を見るのは感慨深い。

●年末の生き物たち

 さて、例によって「なんもヤル気しねえ」な週末であったが(2連休も久々だし、ダラダラするぜ)、三つのしもべの一つ「ロプロス」がへしゃげてしまったので、支柱を立てることにした。

みっつのしもべ

 右から、ロプロス、ポセイドン、ロデムである。ロプロスは伸びすぎたのと、茎が曲がっているのとで、自分で自分を支えられなくなってしまったらしい。彼らは「小笠原出身」なので、寒さにも弱いらしいし。
 とりあえず、割り箸を支柱にして、なんとか矯正。これでなんとか立ち直ってほしい。ひとつ欠けると「みっつのしもべ」ではなくなってしまうので。

旧アンダーソン邸と、新アンダーソン邸

 半年間、500ミリリットルのペットボトルに住んでいた、ミスターアンダーソンであるが、その邸宅がカビだらけになって不潔きわまりなかったので、このたび、お引越しさせた。新居は1.5リットルのペットボトルである。なんと3倍の広さ。うらやましい〜

 あたくしも、あやかりたいものだ。いちおう、昨日ジャンボ宝くじを購入したので、もしかしたら私にも「3倍の部屋にお引越し」する幸運が訪れるかもしれない。

 でも、急にガランとした豪邸に入居したアンダーソン君はちょっと戸惑っているようだったので、お祝いにポッキーを入れてあげたのだが、あまり嬉しそうでもなかった。「そうか、広すぎて居心地が悪いんだな」と思って、コーヒーのフィルター紙を千切って丸めて差し入れてあげたら、それが大変気に入ったらしく潜ったまま出てこなくなった。よかったね。

12月19日(金)

 そういえば、先週目撃して「これは書き残しておかなくてわ」と思ったのに、すっかり忘れていたが、詳細も曖昧になってしまったなあ。
 ええと、昼間、銀行に行くため、駅前方面に歩いていたら、信号待ちのところで私の前に立った老婦人が超いかしていたのだ。三角巾をかぶっていたのだが、それになにか文字が書いてあり、その文字があまりにも華麗に達筆なので、酒屋などでくれる手ぬぐいなのかと思ったが、よくよく読んでみると、

 公認会計士 第8号
 マルサ ○村 ○子 


 って書いてあったのだ。(個人情報保護のため一部伏字)
 「こ、これは、プリントされた文字ではない。マジックで丁寧に書いてあるのだ。しかも、後ろからよく読めるように、ちゃんと縦書きで真中に書いてある!」

 知性と教養を感じずにはいられない流麗なマジック文字と、意味不明の単語のミスマッチがハート鷲づかみ!
 ラッキーなことに、その信号は待ち時間が長いので、斜め後ろからジロジロ観察してしまいました。
 その文字が書かれている三角巾はたしかエンジ色っぽくて、その下には短く清潔に刈られた銀髪が覗いていた。ゴマシオというよりも銀髪だった。ああいう、いい色に白髪になった頭髪を短くカットするとほんとに品がいい。
 背筋もシャンとしていて、小柄だったけど、凛とした雰囲気だった。ああ、年取ったらこういう雰囲気のおバアさんになりたいな。シャネルスーツが似合いそうだ。

 でも、彼女は赤系の色が好きみたいで、履いていたのは赤いローファー。それも適度に履きならしているが、ちゃんと磨いているので、いい艶がでていた。そして、8分丈のモンペっぽいラフなパンツを履いていて、それもエンジ色。
 変な格好といえば、変なのだが、でも、この服装をキャメロン・ディアスあたりが「チャーリーズ・エンジェル」の中でまとったら、超おしゃれだぞ。

 「公認会計士」と「マルサ」の文字がなければ、ちょっとかっとんだ趣味の元お嬢様な老婦人という風情。
 でも、なんで、「公認会計士」なんだろう。しかも「第8号」って何?で、それと「マルサ」が絡むのはなんで?たしかに「国税庁つながり」であるが、独特の美的センスだ。
 しかし、年末の昼間、銀行に駆け込む途中の中小企業の経理のお姉さんは、「公認会計士」とも「マルサ」とも無縁なので(まあ、よっぽど悪いことすればマルサが来てくれることもあるだろうけど、普通にやっているとワンランク下の「税理士」と「税務署」である。余談だが、某大手企業で派遣で仕事したときに、税務調査が入っていて、「国税庁」と「公認会計士」が会議室に揃っていたので、キャーキャーキャー、さすが一部上場企業!とミーハーに喜んだ。私はそういう俗物根性が根強いので、なにか犯罪を犯して、所轄が逮捕しに来たらがっかりするだろう。やはりどーせなら警視庁に逮捕されたい。)なんか、うらやましくなった。

 でも、その文字を見たとき、一瞬、私の大好きな怪しい宗教系かとも思った。
 昔、渋谷あたりではよく「最高です」と書いた札をぶら下げた中年女性が出没したが、今は見かけないなあ。あれは、なんの団体だったんだっけ?
 そういう意味では、今も昔も変わらずに「手相を拝見」してくる某団体はエラいとも言える。

 宗教といえば、今日は「通貨オプション」の契約書の整理をしていたのだが、なんかよくわからんが「プレミアム」の計算書も厚さ3センチくらいのが郵便で届いて、「これで、なにせーっちゅうねん」としばし悩んでいた。
 やっぱし「オプション」っていうのの本質がわからないので、インターネットで調べてみたら、「やさしいディバティブ」というのがでてきて、わりとわかりやすかったので、「ふむ、ふむ」と読んでいた。

 「金利スワップ」というのも紹介されていて、「そーいや、これはすでにやっていて、伝票だけ打っているが、いったいどういうものなのか?」と思って、読んでみたのだが、「うーむ、理屈はわかるが、これをうちの会社でやっている意味がよくわからない」と思ったが、でも、最初に「金利スワップ」という言葉を知ったときに、別の次元に思考が飛んだときのことを思い出した。。

 「スワップ」っていうと、多くの日本人は「むふふ」と、やらしーほうを思い浮かべると思うのだが・・・・私だけ?
 最近はあまり流行らないが、一時はスポーツ新聞の「下半身担当ページ」ではよく登場した単語だと思う。
 昔からそっちの意味のほうが強かったが、「三浦和義が参加したスワップ・パーティー」を写真雑誌がスクープしたあたりで一躍脚光を浴びた。・・・・・ような気がする。

 変なことばかり覚えているが、その当時、フィギュア・スケートのエキシビジョンの中継で、ペアが二組登場して、途中でパートナーを入れ替えるという演目を演じたときに、解説者の元スケート選手の女性(誰だったか忘れたが、伊藤みどりより前の人だったはず)が「ああ、これはスワッピングというんですよね」と言ったのだが、相方のアナウンサーがその言葉を重くとってしまったのか、無言のまま流したのをよく覚えている。
 てゆーか、当時高校生だった自分自身が「え?スワッピングでこういうところで使う言葉だったの?まあ、たしかに、そうなんだろうけど」と思ったので、そのアナウンサーも同じように、言葉に詰まったのだろう。女性が人前で言っていい言葉だと思ってなかったのだ。

 なので、私くらいの世代だと「スワップ」というのは本来の意味を知る前に「いやらしい言葉」というのが定着してしまったはずなので、「金利スワップ」などというのを見ると、「ふーむ」と首をかしげてしまうのである。

 で、「スワップ」で「三浦和義」に飛んだら、なぜか「フルハム三浦」を思い出してしまった。思い出は芋づるすぎて。
 たしか「おれたちひょうきん族」のネタだったと思う。「ひょうきん族」はかなりヒップな番組だったので、YMOもよく出演していたが(細野晴臣が坂本龍一のものマネをしたときなどは、記憶に残る名場面である)、当時「人気、構成作家」として、そこそこ一般にも名の売れていた景山民夫の持ちネタが「三浦和義のマネ」で、ほんとに妙にクリソツで、彼が「フルハム三浦」というリングネームでプロレスをしていたのであった。

 面白かったなあ「フルハム三浦」。なんか不利になると、すぐ「弁護士を呼んでください」って言ったんだよな。
 ああ、また観たいなあ。

   景山民夫が直木賞作家になってしまってからは、興味がなくなったが、高校大学のときは大好きだったなあ。タモリの深夜番組で(なんだったっけ?「今夜は最高」じゃなくて・・・・)「愛のさざなみ」とかやっていたのに・・・・・ええと、そっか!あれは昔の「タモリ倶楽部」だったんだ!へえ〜、忘れてた。

 高橋幸宏の兄貴の友達で、YMOとも親交が深く、タモリにも重用された景山民夫が、直木賞作家になってしまったときには驚いたが、元々ダイバーで、漁師の高橋幸宏とは「漁師とダイバーはどこの海に行っても犬猿の仲で、もぐっている最中にコンクリートブロックを上から落とされたことがある」「あ〜わかるよ。自分が狙ってたポイントをダイバーが荒らしてるとムカつくもん」などと会話していたが、その後、ダイバー→エコエコ→宗教というスゴロクに乗ったようで、某宗教団体の広告塔として先頭に立って行進していたときには、「いいから、また、『愛のさざなみ』やろうよ」と、かつて自分が愛した才能がもはや私を楽しませてくれなくなったことをただひたすら嘆いた。

 というか、最初はマジに「これは『フルハム三浦』と同じで、ギャグなのかもしれない」と思っていたのだが、そのうちギャグではないらしいことがわかり、大変がっかりしたのだが、その後、火事であっさりと亡くなってしまったので、ほんとうにがっかりした。

 ええと、なんの話を書いていたんだっけ?
 そうそう、やっぱりデリバティブってよくわからないなあ。
 でも、ふと考えると、私も日常生活において「リスク」を考えて行動していることがある。

 リスクというほどのものでもないが、私が昔から時々やっている最大のリスク回避作業は、「コピー機の用紙補充」だ。
 誰にでも経験があると思うが、急ぎでプリンタを使用しているときに、「用紙無し」の表示が出るととても慌てる。だから、暇のあるときには、マメに用紙を補給しておくのである。自分が「ひええぇ!紙がない!」と慌てるときは少ないのだが、他の人が「ひえええ!」となる瞬間を減らし、ましてや上司などの「偉い人」たちは、用紙がどこにストックしているかもよくわかってなかったりして大騒ぎになるときがあるので、「偉い人の時間の無駄を減らす」「偉い人が大騒ぎして周囲の社員の仕事が邪魔される機会を減らす」ことを目指しているのである。誰にも評価されないが、地道に生産性があがりそでしょ?

 まあ、暇なときになるべく対処しておくというのは「デリバティブ」というよりも、「余裕のあるときに貯金しておく」だけかな。
 じゃあ、これはレバレッジドなんちゃらっぽいかな。
 「食器はすぐに洗わずに、溜めに溜めてから一気に洗う」
 うーむ、ちょっと違うかも。「リスク回避」というよりいも、「借金に借金を重ね、これ以上融資を受けられなくなったので仕方なく働いている」だけだ。

 なかなか日常生活と「デリバティブ」を結びつけるのは難しい。
 でも、前に友達がなかなかうがったことを言っていた。彼女が温泉に行ったときに、オバサンたちのタルみ切った豊満な肢体を拝見して、「まあ、みんな、ああなるんだろうけど・・・・」といいつつも、「結婚」というシステムがなければ、誰もあんなトドみたいな肢体を相手にしないわけで、「でも、結婚してると、あれ以外には相手してはいけないとう契約ができてるんだよね。いいシステムだよ、まったく」

 そうなると、「結婚」っていうのは「通貨予約」(オプション)のようなもので、買う人は「これで損しないだろう」と思って契約するのだが、リスクが底知らずなので、予想よりも下落してしまっても背負わなければならない。
 光源氏みたいに、「これは値上がりする」という女の子を予約しておいて、まんまと儲けられる人もいるんだろうけどさ。

 その昔は、一部上場企業のサラリーマンはローリスク・ハイリターンの有料銘柄だった。でも、今ではリスクも多い。昨年、うちの会社で入っていた生保会社が「『東洋経済』的にはブラックリスト」になってしまったので、保険を乗り換えてしまった。その「危ない生保」の営業マンは、方々でそういう目にあったのだろう。その当時、見るたびになんだか不思議なオーラを強めていったのだが、でも彼も40代半ばで、どんな辛い目にあっても意地でもしがみついていたのだろう、だんだんと殉教者のオーラを漂わせはじめた。

 一度、彼と会社の近所の道ですれ違ったことがある。挨拶しようと思ったが、あまりにも「デフォルトが変な笑顔」だったので怖かったが、こっちが会釈してみても、向こうは視線を宙にさ迷わせているだけだった。怖かった。自分の父親があんなふうに日々仕事しているとしたら「お父さんのことは私が養うから、お願いだから仕事やめてくれ」と言うだろう。
 先日も彼は「年末のご挨拶」にやってきた。もう保険入ってないのに、手帳やカレンダーを持ってきてくれた。また張り付いたような笑顔だったので、必要以上に気を使ってしまい、上司や社長はたまたま不在だったのだが「じゃあ、名刺お預かりして、いらしたことをお伝えしておきますね」とニコやかに応対して、ちゃんと名刺に「カレンダーを持ってきてくださいました」とポストイットで貼っておいた。

 ああ、一流企業とかつては言われたのに、今はこのザマだもんなあ。あの人の奥さんとか、どうなのだろう?想像するだに恐ろしい。

 ええと、今日も10時に出勤すると、また派遣社員はお休み。どわわっと給湯室の準備。11時に会計事務所が決算の最終調整で来るのだ。
 11時前には同僚たちも出勤してきたので「お茶おねがい」と言って会議室へ。
 前回は税理士事務所のスタッフ相手だったが、今回は税理士先生が来た。ちゃんと話すのは初めてだったが、やっぱりワシャワシャとせわしなく喋る人だった。

 実は、昨日の夜からアレが始まって今朝は起き上がるのが辛かったが(前日の寝不足も加算)なんとか、鉄分サプリを2錠ぶちこんで出勤して、ダルダルのまま会議に挑んだが(なぜか私が今年から総合司会)、最初の20分で結論が出て(あたくしが出した懸案事項は全てクリア。ふふふ)あとは利益処分と税理士先生の雑談。先生はそこでワシャワシャと雑談しはじめて、「ああ、悪いけどお茶のおかわりというか、水ちょうだい」と言い出し、私は会議室を抜け出して飲み物の用意。給湯室にいた同僚が「抜け出して大丈夫なの、私がやろうか?」と言ってくれたたが「いいの、もう、雑談になったから」と冷たいお茶をのんびり用意してもっていった。

 お昼ご飯を食べたあと、親会社の経理に行ったら、昨日に引き続き経理部長は妙にか明るいテンションで暖かく迎えてくらた。やっぱ壊れたのかも。ちょっと心配(密かにファンなだけに)

 夕方、クララが「また現金が合わないんです」と泣きべそ状態だったので、伝票チェックしたら「あ・・・・」と私が言う前にクララも「あ・・・・・」
 28万円も合わないと言っていたが、32万円の金額を3万2千円と0が一つ少なく入力していた。
 「ああ、すいません、間違ってました」というクララに、「年末は独特な雰囲気だから、その雰囲気に飲まれないように、落ち着いてやってね」と言って、金庫を閉め、さっさと帰り、先日飲んでみてわりと美味しかったボジョレーヌーボーを買って帰り、またチビチビと一人で打ちあがっているのであった。

 なんか別にそう忙しくもないのだが、思考が散漫になりがちで、落ち着かないあたりがやはり「腐っても師走」(腐ってないけど)である。
 そんな師走の様子というか、師走な頭の中を文章化すると以上のようになりました、と日記には書いておこう。
12月18日(木)

 昨日は飲みに行ってしまい、そのままカラオケ屋に拉致されて、家に帰ったらもう2時だった。
 カラオケはわりと同年代4名(30、37、37、39歳)でやったので、わりと気楽で楽しかったが、やっぱ友達と思いっきりやりたいなあ。忘年会やろうね、Tさん、Mちゃん。

 というわけで、朝なかなか起きられなかったが、ばむばってちゃんと10時に出社したが、なんと派遣社員が体調不良でお休み。なので、代わりに給湯室のセットや新聞のセットなどの朝の業務をやっていたのだが、そうこうしているうちに、郵便局が来たので、受領印を押そうとしたが(郵便屋さんではなくて、貯金係りのほう)、郵便貯金に入金する資金が小切手振り出しになっていたので、「これを口座に入金しないと、20日の後納料金の引き落としができないんです」とか、すったもんだしているうちに、来客があったのでミーティング・スペースにお通ししてから、郵便局の受け取り書類に印鑑を押して、ドタバタと茶を出し、ドタバタと電話に出たりしていたら、他の社員もゾロゾロ出勤してきたので、やっとコーヒー飲みながらメールチェックしていたら、会計事務所から電話。

 明日また決算の最終詰め打ち合わせがあるので、「そろそろ確認の雨あれれかな?」と思っていたのだが、逆にこちらで発覚した「伝票入力ミス」をお知らせしたりした程度で、いつものように「あれは?これは?」と質問が飛んでこなかったので「ふふふ、私がきっちりやったからね」と思っていたのだが、今日になって消費税がなんだか合わないとかなんとか。

 会計事務所の担当者のオジサンは、とても早口にワシャワシャと喋る人で、話を聞くだけで大変消耗するのだが、二日酔い+寝不足で絶不調な脳みそで応対すると、さらにキョーレツ。

 「それでですね仮払消費税と仮受消費税のどちらかがおかしいと思うんですよ、あ、でも、ミヤノさんはちゃんとやっているはずだし、ねっねっ、だから間違っているとかそういうんじゃないと思うんですが、でも、なんででしょう、300万くらい違うので、そんなはずはないので、今調べているとことなんで、あ、今日はずっといらっしゃいますよね、少し調べたらまた確認の電話すると思いますからそのときはよろしく、あ、あと役員の報酬はどうなってるんでしょう?ミヤノさん、給料もやってるんでしょ?あ、そうなんだ、やってないんだ、いや、だからOさんに聞こうと思ったんだけど、お休みだっていうから、そうなんですか、じゃあ、Oさんに聞かないとわからないのか、じゃあ、じゃあ、とりあえず消費税の件、わかったらまたお話しますから、今日はよろしく。あ、あと、○○の表がなかったんですが、それをお願いします。」

 というような内容のことをバババババッと話されても頭の整理がまったくつかず、「ええとぉ、私は何をすればいいんだったっけ?」と思っていたら、またすぐ電話があり、「不動産売却した、○○マンションを売った売却損の伝票と元帳が合わないだけどわかります?」
 「今、調べてみます」と伝票を立ち上げてみたが、そうしている間にも「これの仮払消費税が借方に入ってるんだけど、これって貸方はなんなんでしょう?」カシカタとカリカタを連呼されてもさあ、寝不足で反応できず。(元々、どっちが借方、貸方とすぐにわからないナマクラ経理)

 私がボヤ〜んと「ええと、これは・・・・ええと、なんだったっけ?」と呟いていると、「ああ、じゃあ、わかったら電話ください」
 電話が終わったあとに、ゆっくり調べたら、会計ソフトの自動計算を使ったので、ほんとは仮払消費税にしなくてはならないものが仮受消費税になっていたというだけだった。それを電話で告げると「あ、そう、わかりました」

 で、そんなこんなでお昼になったので、一休みして、社内向けのお知らせメールを何本か書いているうちに、いつのまにか2時半になっていて「ああ、これといったことやっていないのに時間が進むのが早いなあ、師走ねえ」と感心していて、ふと、昨日、飲みに誘われたので途中にしていた書類棚の整理が済んでないことに気が付いて、ちまちまと箱に詰めてテプラを貼っていた。

 テプラ貼りは私の最も好きな仕事である。昔、派遣で仕事した会社でも、主な仕事は毎月の帳票を簡易製本機で製本して、20冊くらいになる冊子の背表紙にテプラを貼る仕事で、「わ〜、こんなラクで楽しい仕事で、時給1750円も貰えるなんてサイコ〜」と喜んでいた。
 テプラをジージーと印刷して、片っ端から貼る作業ってほんとに楽しい。
 だから、今の会社でも「今日はテプラの日」とばかりに、ファイリング作業にいそしんでいたのだが、ここ2年ほど、そんなことしている余裕がなくなり、後輩や派遣社員にお願いしていたので、自分でテプラ作業するのも久しぶりで、やり方忘れてたくらいだ。(えっと、縦横の指定はどれ?枠を作るのは?)

 ちんたらと書類箱3箱を作りあげたら、もう6時になっていた。そろそろ帰ろう。眠いし。
 そんな仕事の合間に、年末挨拶客の応対や、来客のお茶だし、食器洗いをしていたので、なんだか内容のわりには「仕事したぜ」という充実感があった。雑用大好きなんである。

 社長室においてある印鑑を金庫にしまおうとしたら、社長が「おお、もうそんな時間か」
 また「飲みに行くぞ」の号令がかかるのかと身構えたが、社長はいそいそと帰り支度。どうもなんか予定があるらしい。
 そんで「明日、○○会計が来るんだろう?今日あたりなんか言ってきたか?」「いえ、消費税がどうのと言ってきたくらいで、これといって・・・・」「そうか、じゃあ、あまり変更もないな」「そうですね、そうだといいです」

 社長も帰ったし、さあ、私も帰ろうっと思った瞬間、「あ、○○会計に明日渡すと言った書類、作ってなかった」

 が〜〜〜〜ん。書類整理などやっているバヤイではなかったのだ。
 その書類は、ちょっと月々のなんちゃらを足して、表にして・・・・とういやつで、難しくはないのだがちょっと面倒なのだ。
 あああ、自分の一番嫌いな「要領の悪い人」になってしまった。
 結局、その後、セコセコと表を作ったが、すでにくたびれていたので、なかなかシャッキリと進まず、7時半まで残業してなんとか終わった。
 あ、でも、あの後、会計事務所から電話は無かった。あれで済んだのかな?ちゃんと合ったのかしら。

 そういや、私が恐れてもいるし、実はちょっと好きな(昔懐いていた近所のにーちゃんに似てるから)親会社の経理部長(念のため既婚者です。別に狙っていないが、理系マインドで数字に目茶強かったりするが、ときどきヘナチョコなのでお気に入り)が、珍しくニコニコと話し掛けてきた。
 そんで、ついでだから、親会社の経理部の年末年始の予定を確認すると、彼は元旦と2日しか休みがないらしい。「うわ〜大変ですね」と言うと、「大変っすよも〜」と愚痴っていた。
 他にも、こっちから話振っていないのに、勝手に愚痴りはじめ、「今日はどうしたんだろう?ご機嫌なのか、それとも年末でテンパってて相手を選ぶ余裕がないのか・・・・後者だろうな」と、丁寧に愚痴を拝聴する。

 なんだか私のことを「仲間」とみなしてくれたような気がしてちょっと嬉しかったのであった。

 なんか、こうして師走の慌しさに突入すると、すっかりテンションがあがり、必要以上にニコニコニッコリでテキパキ応対しちゃうので、いつもより「感じのいい人」になるらしい。
 たまには接客モードになるのも、なんか妙に気持ちよかったりする。毎日だと疲れるけど。

 接客と言えば、先日、社長が出席した豪華披露宴は、新婦が元スッチーだったため、スッチー仲間が30名くらい出席していたようだが、社長いわく「あいつら、ほんとにバカだな。だって全員、真っ黒だったんだぞ」
 フォーマル=黒という発想だったらしいが、確かに私が披露宴に出席したときを思い出しても女性の黒いドレスというのは見たことがない。
 スッチーって、マナーを徹底的に叩き込まれるのかと思っていたが、そういうわけでもないらしい。
 でも、よく元スッチーが企業向けマナー教室の講師業なんてやってますよね?

 私はあんまし飛行機に乗らないからよくわからないが、年に数十回海外に行っている友人Mちゃんは、日本の航空会社のスッチーがいかにダメかという話をさせるととまらないが、ふ〜ん、なるほど、そういうことか、今度「披露宴でスッチー集団全員真っ黒」の逸話を話してあげようっと。

 でも、スッチーじゃなくてもわりと多いそうである。

 さ〜て、明日はその会計事務所が来社するから、また色々訂正が入るだろうな。年末に納税するのだが、予定通りに行くだろうか。
 またドタバタしそうだから、今日はゆっくり眠ろう。現在、布団乾燥機でお布団あたため中。

12月16日(火)

 今朝は北風ピューピューで超サム。
 でも、駅前の246号線と世田谷通りの交差点に、イチョウの落ち葉が大量に散乱しており、ちょっとだけ「おお、シャンゼリゼ〜」な光景であった。

 スポーツクラブに寄って帰ったが、帰りには風は止んでいたので、体感温度はそれほど低くなかったが、そろそろ手がチベタくなってきた。てぶくろが必要になってきたかも。
 早く春にならないかなあ。

 いつも、日曜日に「サンダーバード」と「ひょっこりひょうたん島」をぼ〜っと観ていると、8時から美術番組が始まるのでついでに観てしまったりする。
 あ、そうだ。「サンダーバード」が始まる前に、妙な番組やってて、それもけっこう好き。「ウゴウゴルーガ」と「カリキュラマシーン」をNHK風にアレンジしたような「不思議系子供番組」で、「ピタゴラ・スイッチ」とかいう題名も狙いが透けてみえるが、「アルゴリズム体操」は時々すげえ面白かったりする。あれ、実際に体操してみたら、けっこうハマると思う。

 で、その美術番組であるが、東京都庭園美術館でのアール・デコ展の紹介だった。
 あそこには何回も行っているし(洋館好き)、旧朝香宮邸だというのも当然のことながら知っていたが、昭和天皇の従兄弟であった朝香プリンスが偶然パリに長期滞在することになり、その当時に「アール・デコ博」が丁度開催さている一番いいときに滞在していたので、当時のトップクラスの芸術家とも親交を深め、東京の邸宅を作るにあたって全面的に仕事してもらったため、ご当地のパリにもなかなか残っていない「アール・デコの美を凝縮した」邸宅が誕生したという経緯はなかなか見応えがあった。

 そんで、朝香宮の娘さんがまだ健在なことを初めて知った。自分が住んでいた家が今では美術館となっていることを彼女はどう受け止めているのだろう?
 比較にならないほどの安普請ではあるが、私は自分の育った家の夢をときどき見る。いつもなぜか実際よりも広くなっているのが笑えるが、夢から醒めると「ああ、あの家はもうないんだ」と少しだけ切なくなってくる。
 でも、もう存在しないからこそ、そうやって多少美化して夢に見たりするけど、今だに存在していて、自分が死んでも永遠に存在するであろう「美術品」とされた家に住んでいた人は、どんな夢を見るのだろうか?

 現在公開されている名のある邸宅にかつて住んでいたお姫様やお嬢様たちは、まだけっこう生きている。駒場の前田邸のお姫様も数年前までは健在だったもんな。前田公爵が公爵だった時代には、学校への送り迎えには「運転手」とは別にドアの開け閉めと荷物持ちをする「助手」がいたそうな。文字通り箸より重いものは持たないお育ちだったらしい。
 もはや、そんなお嬢様なんて存在しないもんな〜。

 というわけで、けっこう「ほんとのお嬢様好き」なので、去年の祖父の葬式のときに、祖母が女中奉公していた家の現当主も来てくれて(祖母は彼のネーヤだったらしい)、私はお噂では散々聞いていたのだが(祖母の自慢話の80%がそのオ宅のお話でした)、実物を見るのは初めてだったので、「うちの親戚にしては、ずいぶん上品なおっさんだな?」といぶかっていたのであった。
 しかも、60歳くらいの彼が連れていたのがスラリと背の高い、妖艶な和風美人で、ますます「うちの家系にこんな容姿の人がいたのか?」と思い、でも彼と親しげだったので、「こいつの愛人か?」と勝手に妄想をふくらましていたのだが、火葬の後で、初七日の席の食事のときに彼らの隣になり、その美人が「パパ」と彼に向かっておっとりと話し掛けているのを小耳にして、やっと「親子だったんか?」とわかったのである。

 あとで、母に「いや〜、なんであんな美人とロマンスグレイのオジサンが混じっているのかと思ったら、あれがK村さんだったんだ」と言ったら、「そうよ〜、でも、K村さんの亡くなった奥さんのほうが美人だったわよ〜、ほんとに浮世絵から抜け出してきたみたいだったもん」
 というわけで、「やっぱ、資産家のうちには、美人の嫁さんが来るので、美人の娘が生まれるのだな」と駄馬な家系を恨んでみたが、でも、その今ではかなり斜陽しちゃったらしいけど、「公爵さま」が健在だった時代に、田舎から出てきた小作人の出の少年が、某大物士族系政治家に拾われて、馬車の車輪磨きから立身出生して、駒場にお屋敷を立てるまでになった家の子孫の会話は、私が憧れる「お嬢様度」が高くて、満喫させていただきました。

 うちの祖母はその家の単なる使用人だったくせに、すっかりその家の一員だと思い込んでいたもんな。結婚して、退職してからも、事あるごとに「あの家は私がいないと、なんにもできない」とばかりに、けっこう顔を出していたようだ。
 たしかに、あんな真性おぼっちゃま育ちの品の良い紳士に「おミツさんは、僕のネーヤというか教育係りだったので、僕は今だにおミツさんに頭が上がらないのです」なんて言われたら、その気になっちゃうわよね。
 ってゆーか、隣に座ってちょと会話してお互いの素性がわかったので、「ああ、祖母からよく話を聞かされてました。わたし、ミツの孫なんです」と言ったら、にっこりとそんな話をしてくれたので、「上流階級モエ〜」な私はすっかりノックアウトされてしまったのであった。

 私の「お屋敷好き」は、祖母からの遺伝というか洗脳なのかもしれない。
 まあ、根っからの奉公人気質があるのは自覚しているので、このまんま、ぼんやりとサラリーマン人生を送ることになるのは確実であろう。
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