■■■京都故事 |
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−京のよそおい− 更新 2004.09.20
七話(桂包み〜おちやない)
桂包み - 衣かずき - 法性寺笠、皮ははなれ骨ばかり - みすや針 - ばさら扇の五つ骨 - 辻が花 - おちやない - 京の厚化粧 - 蒔絵のさし櫛、桐のとう - 京の着倒れ - つづれ錦 - 京鹿の子 - 大原女のはばき - 山城の吉弥結び - 友禅染の丸づくし - 花見小袖の衣装幕 - 三都衣装くらべ - ”祇園恋しやだらりの帯よ” - 宇治の茶壷道中 - 立つるお茶には泡たたで(雲脚茶会) - 一服一銭 - 都のおどり - はちくの京草履 - 似ても似つかぬ裏表 - 投げ入れも生えた如くに池の坊 - やしょめ やしょめ |
■ 桂包み
京女の装いに桂包みというのがある。 ゆったりとした小袖に細い帯を締め、白い布で頭をきりっと包んだ姿、これが江戸時代の桂女の装いであった。
桂女の祖先は神功皇后侍女であったという。
また、岩田帯ではない。
しかし、鎌倉、室町時代の風俗画を見れば、頭を布で包んだ女性は桂女ばかりではなくいくらでも見つけることができる。
また「健保職人尽歌合」や「三十二番職人歌合」にも頭に巻いた桂女が描かれているが、その巻き方は長い巻貝のように螺旋に巻いたもの、横に結んで長く垂らしたもの、鉢巻にして前で蝶々に結んだもの、両横でむすんだものなどとりどりである。 江戸時代に入り、ひろく結髪の風がひろがって髪型が発達するとしだいに桂包jは消えていった。
現在、桂久方町の旧家小寺三郎方には桃山時代の摺箔の衣と、昔のままに結ばれた白麻の桂包み、先が太く下ほど細くなっている長さ六寸二分五厘の笄があり、博物館で保存されている。
女性が頭を覆ったものには頭巾の類もあった。
江戸時代になると、せっかくの結髪の美しさを隠すのでしだいに用いられなくなるが、形を小さくして各種の頭巾が作られている。
働く京女の代表、白川女は手ぬぐいを頭にかぶり肩にもかけており、梯子や鞍掛を売る畑の姥は、頭にわら台のほかに”載き袋”というわら布団を重ねて乗せている。
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■ 衣かずき
平安時代には中流以上の女性は外出のときに衣(きぬ)あるいは薄衣を頭上にかぶっていた。
この頃の女性の外出姿は長く垂れる髪を小袖に着こめて、歩きやすいように両方のつまをつぼ折って帯にはさみ、衣かずきをして市女笠をかぶり草履をはいていた。
ところで、外出するとなれば女性が装いをこらすのは今も昔も変わりない。
鎌倉時代には単衣の小袖を頭からかぶり市女笠を用いたが、室町時代になると小袖の襟を前に下げて低くした”被衣”をかぶるようになっていた。
室町時代ともなれば宮廷の儀式の様子はすっかりかわり、節会の宴にも女官以外の衣かずきの女房たちが見物にくるようになってきた。
江戸時代になると、被衣はいろいろな色に染められ模様も華やかになる。
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■ 法性寺笠、皮ははなれ骨ばかり
涙ふる法性寺笠きて見れば
紫野の老和尚が寺に詣でたとき、藪かげに髑髏のあるのを見て詠じた歌である。
法性寺笠は、もと法性寺のあった今の東福寺門前屋敷のあたりで作られていた。
中世にはいるとそのあたりは民家ができて、わら屋根の低い軒を並べていた。
京都近郊は竹の産地で各種の竹に恵まれているので、いろいろな竹笠の生産が大変多い。
また淡竹笠といって品質のよい淡竹(くれたけ)のカワを、極細にけずった竹ひごで押さえて崩黄絹糸で縫いとめ、内側に紺紙をあてた半円球の笠も使われた。
笠は雨よけ日よけのためばかりのものではなかった。
傘で流行したものには渋蛇の目があった。
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■ みすや針
一条の戻橋
京のわらべうたにも歌われた三条のみすや針は、江戸時代には京はおろか、日本国中の針を代表するものとして知られていた。
当時、みすや針の工場は伏見にあったといわれている。
針といえば平安時代の中期には播磨の針が諸国名産のなかにかぞえ挙げられていたが、鎌倉時代には京都の姉小路針が名をなしてきた。
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■ ばさら扇の五つ骨
「鉛作ノオホカタナ 太刀ヨリオホキニコシラヘテ 前サガニゾ指ホラス バサラ扇ノ五ツボネ ヒロコシヤセ馬薄小袖 日銭ノ質ノ古具足」
ばさら扇とは派手な絵を描いて華美をきわめた扇で、五本骨の扇は、平安時代に宮廷や貴族の間でひろく使われていた古い形のものである。
扇が装身具として目覚しく発達するのは平安時代である。
現在残されている紙扇のもっとも古いものは、厳島神社にある高倉天皇の所持品と伝える五本骨の片側張の扇である。
扇子は京都の誇る名産の一つである。
扇作りは各所で行われ、鷹司通城殿の駒井氏で作ったものが知られていたこともあったが、江戸にまで知れわたったのは五条大橋の西にある時宗御影堂派の本山、御影堂の製品であった。
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■ 辻が花
気品と素朴さを兼ね備えた辻が花染。
春風にわかゆの桶をいただきて
室町時代の京の町では、若あゆを桶に入れて頭にいただいた桂女の姿を見かけたものである。
紋染は奈良時代から行われていたが、室町時代になると任意の模様を縫締めて絞り、その中心に芯木を使い防染に油紙や竹の皮でおおって染める、帽子絞りが考案されてきた。
辻が花染は絞り染めを主体にして、絞った空間の白地に繊細な墨線で花鳥や風俗が描かれ、墨の隈どりがなされている。
また、模様の取材に辻が花の特徴がある。
桃山時代には辻が花が絵模様染としての華やかさをました時期である。
一方、このころから刺繍と摺箔によって模様をあらわす縫箔が盛んになり、繍の自由な色づかいと重厚さが華麗な小袖をうみだすようになっていた。
辻が花の名称のおこりには諸説があっていずれが定説ともいいがたい。
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■ おちやない
昔の女性は顔かたちはさておき、髪の長く艶やかなことが美しさの第一条件であった。
おちやないは、都の西にあたる常盤という所からくるといわれている。
元来、おちやないは女の仕事であった。
おちやないが売ったのはかもじである。
鎌倉時代になると女性の地髪が一般に短くなったので、カズラの需要は必然的に多くなってきた。
長い黒髪を梳るのには美髪料が必要である。
西鶴は『一代男』で「そもそも京は清く、少女の時よりうるはしきを。貌(カオ)は湯気に蒸し立て、さねかずらの雫に梳きなし、身に洗粉たへさず」といっているが、困ったことに京おんなは稀にしか髪を洗わなかった。
京都には髪形や髷の結い方にしきたりがあった。
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京の厚化粧 |
蒔絵のさし櫛、桐のとう |
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大原女のはばき |
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花見小袖の衣装幕 |
”祇園恋しやだらりの帯よ” |
宇治の茶壷道中 |
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はちくの京草履 |
似ても似つかぬ裏表 |
投げ入れも生えた如くに池の坊 |
やしょめ やしょめ |
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