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野口整体と禅

野口整体 気・自然健康保持会

主宰 金井省蒼

     

5、伝統と新しさ「不易流行」(ふえきりゅうこう)

『月刊MOKU』2007年8月号
身体感覚と自己の成長(身体感覚が自己を成長させる)
その三 日本人の心を取り戻す「坐の生活」
V11(最終バージョン)より

  

  かつて日本には、どの社会、どの道にも、人望のある「人物」がおり、若者はその人の「姿」と「佇まい」に尊敬と憧れを抱いたものでした。そのような「模倣の対象」となる人物に出会えることが、人間としての理想像を持てるかどうかにかかっているのではないでしょうか。
 私にとっては、今でも眼に焼きついた野口先生の残像が、理想の人間像となっており、その跡を追うように整体指導の仕事を続けてきました。

  

 野口整体そのものは、長い伝統があるわけではありませんが、その基盤は『禅』に根ざしています。そして、講義の中で野口先生の広範な古典の教養に触れることを通じて、日本の伝統文化や古典というものに目を啓かれていくことになりました。そして、「正坐」という「(かた)」を身につけることは、すべての日本文化の基盤であり、それは伝統的な生活文化の中に無意識化されて受け継がれてきていたのだということに気づきました。それは所謂(いわゆる)(はら)』というものに繋がっているのです。

 「無心」を命題とする禅的な日本の精神修養の道筋は、「不立文字(ふりゅうもんじ)、教下別伝(きょうげべつでん)(註)の教えのとおり、実生活の中での経験と実践によって培われるものであったために、それが理論的に説明されることはありませんでした。

 しかし、野口整体では、心(精神)と体(身体)をひとつのものとして捉え、「正坐の効用」を背骨、腰骨、仙骨の状態から説明することができます。且つ、「無心」であることの具体的な道筋を「体を整える」ことによって体現することができます。

 野口整体は、身体の「行(ぎょう)」によって自己を成長させるという、元来の日本の伝統に根ざすものであり、それを精神論に偏ることなく、「不易流行」(ふえきりゅうこう)(註)としての身体的な方法論(メソッド)として成立させたものであると言えます。

 整体操法という手段を開発された野口晴哉先生という人物と、それを産み出した日本の文化、その源にあった日本人の感性に深く感慨を抱く念(おも)いです。

  

(註)

◎「不立文字」(ふりゅうもんじ)

禅宗の根本的立場を示す語。悟りの内容は文字や言説で伝えられるものではないということ。仏の教えは師の心から弟子の心へ直接伝えられるものであるという以心伝心の境地を表したもの。

 

◎「教下別伝」(きょうげべつでん)

禅宗で、仏の悟りを伝えるのに、言葉や文字によらず、心から心へと直接伝えること。

 

◎「不易流行」(ふえきりゅうこう)

蕉風俳諧の理念の一。新しみを求めて変化していく流行性が実は俳諧の不易(変わらないこと、永遠性)の本質であり、不易と流行とは根元において結合すべきであるとするもの。

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